広い広いテーマ・パーク(後)
自然とまぶたが開き、ぼんやりとした視界に見慣れない天井がだんだんと焦点を結んでいく……。
「ああ、そうだった。よろずテーマパークのホテルに泊まったんだっけ。今日は昼前に帰らなくちゃいけないから、もう起きなきゃね。うっかり寝過ごしてなければいいんだけど」わたしはベッド横のチェストに目をやる。今どき珍しい大きなベルの付いたアナログ時計が、午前8時半を指していた。
着替えを済まし、荷物をリュックに詰めて1階のレストランへ降りる。隅の方に桑田孝夫、中谷美枝子、志茂田ともるが座っているのが見えた。
「ごめーん、待ったぁ?」わたしは頭をかきながらテーブルに着く。しまった、髪をブラッシングしてくるのを忘れた。
「いえ、わたし達も今さっき来たばかりですので」志茂田があいさつがてらに朗らかな声で迎えてくれる。
「ゆっくりしててもよかったんだぞ。10時になっても起きてこなかったら、迎えに行くつもりだったんだしよ」桑田はのんきにあくびをした。
「おはよ、むぅにぃ。さあて、全員揃ったからお皿に料理を盛りに行きましょうよ」と中谷。朝のレストランはビュッフェ形式だった。各自で備え付けの料理やサラダを選んで持ってくる。もちろん、ドリンクも色々揃っていた。
わたしは大きいお皿を手に取ると、ナポリタン、唐揚げ、ピザ一切れをどっさり盛る。余ったスペースにはブロッコリー、パプリカ、パイナップル、ほうれん草の煮付けを載せた。今にもお皿からこぼれそうなほどの量になる。
テーブルに戻ると、取って返してアイス・コーヒーを注いできた。もちろん、ミルクたっぷりで。
「むぅにぃ、おまえそんなに食えんのか?」桑田が呆れたような顔をする。
「大丈夫、大丈夫。好きなものばっかり選んできたから」わたしは自信満々だった。
遅れて戻ってきた中谷が、コンソメ・スープを人数分持ってきてくれる。志茂田は肉類を少なめにして、クロワッサンやバター付きトースト、それとわたしの嫌いなニンジンをこってりと盛り付けていた。見るだけでげんなりしてしまう……。
「中谷君は野菜が中心なのですね」志茂田が言う。海藻サラダ、タマネギのスライス、コーン、レタス、そしてニンジン!
「そうよ。少しダイエットしなきゃね。むぅにぃ、あんたそろそろニンジンを克服しなさいよ」
「余計なお世話だよ、中谷」ピシッと言ってやる。「ニンジンとアスパラガスなんて、ゲテモノ食いじゃん」
「それは言いすぎですよ、むぅにぃ君。ニンジンにはカロティンという重要な栄養素が多く含まれているのですよ。活性酸素を抑制する効果があるんですから、ぜひ摂取をお勧めしますね」志茂田がやんわりと言い諭す。
「そのうちにね。今はまだそのときじゃないんだってば」志茂田が自分のニンジンを勧めてくる前に、わたしは断った。
食事も終わり、わたし達は一休みしてから園に繰り出す。昨日乗り損ねた大観覧車に乗って、地上の人々を優越感に浸りながら見下ろした。
「見ろ、人がゴミのようだ」どこかで聞いたようなセリフを桑田が吐く。
「『だれかがこんなこと言ってたぜ。イタリアではボルジア家三十年間の戦火・恐怖・殺人・流血の圧政の下で、ミケランジェロやダ・ヴィンチなどの偉大なルネサンス文化を生んだ。が、片やスイスはどうだ? 麗しい友愛精神の下、五百年に渡る民主主義と平和が産み出したものは何だと思う?鳩時計だとさ!』」負けじと志茂田が引用する。
「それって、何かの映画?」中谷が聞いた。
「ええ、『第三の男』で、オーソン・ウェルズが観覧車の中でジョゼフ・コットンに言うのですよ。名場面だとわたしは思いますね」
にわかに興味を惹かれ、いつかその映画を観てみたいと思った。
地上に戻って、まだ人もまばらな園内をうろつく。「恋人達の広場」という、ちょっとインスタ映えする場所で、若い男女が向かい合って話をしていた。
わたし達は聞くとはなしに立ち止まって様子を見る。
「ねえ、あなた。昨日は何をしてたの?」
「昨日かい? さあね、そんな昔のことは忘れたよ」
「じゃあ、明日の予定は?」
「そんな先のことはわからないさ」
それを聞いて桑田は「ちっ」と舌を鳴らした。あたかも「くせえセリフだぜ」とでも言いたげに。
若い女性が続ける。
「わたし、あなたを愛してるわ。心の底から愛してるの」
すると男性はふいっと顔を背け、
「愛されるというものはいいものだなあ」そして振り返り、女性の両肩に手を置く。「だが、知っているかい? 愛することはもっと素晴らしいと言うことを」
そして互いに抱擁するのだった。
「歯が浮いて来ちゃった」中谷が軽く首を振る。
「はてさて、あの2人はこの日のためにどれだけ恋愛映画を観てきたのやら」志茂田でさえ苦笑していた。
昼も近くなってきたので、そろそろ帰ろうとしたとき、困ったことに気がつく。5人のうち誰も帰り道を知らないのだった。
「確か、円の中心辺りの建物から入ってきたよな」桑田が言う。
「ええ、そこから地下道を通って駅前に出るはずよ」と中谷。
「ところが、円の中心へは一向に近づきませんねえ」困ったように志茂田が首を振る。
通りを歩くスタッフに聞いても、
「それは教えられませんね。出口にたどり着くまでがアトラクションなのですよ。どうぞ、自力でお探しください」という始末。
通行手段のジェット・コースターをいくつも乗り継いで、案内板を何度も見返したのに、依然として出口がわからなかった。
「どうすんのさ。これじゃ帰れないじゃん」わたしは愚痴をこぼす。
「やれやれですね。もう、とっくにお昼を回っていますよ。こんなはずではなかったのですがね」志茂田ですらお手上げだった。
「フード・コートで食事にしましょうよ。それからまた考えるってことで」中谷が提案する。
「そうだな。腹が減ってはなんとやら、つうしな」桑田も空腹らしかった。
結局、近くの商店街で飲食店を探すことになる。
「何を食べようか」わたしは誰ともなしに尋ねた。
「うーん、おれはラーメンが食いてえ」
「えー、この暑いのにラーメンって。あんた、気は確かなの?」すかさず中谷が突っ込む。
「冷やし中華ならいいけど、ラーメンはなぁ」わたしも乗り気ではない。
「それならファミレスではどうでしょう。何でもありますし、冷房も効いていますよ」志茂田の一言でファミレスに決定した。
「まるで、昨日も同じ様なこと言ってなかったっけ?」ぼそりと中谷がつぶやく。わたしもそんな気がした。
それよりも、今日は本当に帰れるのだろうか。わたしにはそれが心配だった。