恐怖のテーマパーク
注文のステーキ定食がわたしの前に置かれる。まだジュウジュウと油を弾かせながら、なんとも言えないおいしそうな匂いを漂わせていた。
間を置かず、志茂田ともるのジャンバラヤ、中谷美枝子のチキン・カレーがやって来る。
「桑田ったら、また遅刻じゃないの」スプーンを取りながら中谷はぼやいた。
「まあ、想定内ですよ。遅れてやって来るのが彼のアイデンティティのようなものですからね」志茂田はのんきに答える。「それはともかく、桑田君の注文をしておいたほうがいいでしょうかね?」
「だったらデミグラ・ハンバーグ定食でいいんじゃない? どうせそれを頼むに決まってるしさぁ」そう勝手に決めつけるわたし。フォークで添え物のニンジンをそっと端に寄せる。
「あっ、むぅにぃってば! またニンジンよけてるっ。ちゃんと食べないとダメじゃないの」中谷に目ざとく指摘されてしまった。
「まあまあ、中谷君。苦手なものを無理に食べても栄養にはなりませんよ。歳を重ねればいずれ、嗜好も変わってくることでしょう」やんわりと志茂田がフォローしてくれる。
「そうだよ、中谷。嫌いなものは食べなくていいの」わたしは調子にのって言い返した。
「お子様なんだから……。それだからいつまで経っても成長しないのよ」
「もうっ、どこ見て言うのさ。だったら、中谷が食べればいいじゃん」
「もらうわよっ。あたし、ニンジンが大好きだし」中谷はスプーンでわたしの残したニンジンをすくい取ると、カレーに載せる。「このおいしさがわからないなんて、あんた人生を損してるわ」
食事を始めてほどなくすると、桑田がふらりと現れた。
「わりい、遅くなっちまった」
「空いてるところに座って。デミグラ・ハンバーグ定食でいいんでしょ? 注文しといたから」中谷が自分の隣を指差して促す。
「おう、それでいいぜ。気が利くじゃねえか」桑田が席に着いたタイミングで、肉汁の滴るデミグラ・ハンバーグ定食が運ばれてきた。「ほーっ、しかもどんぴしゃで来たぞ。さい先がいいな。今日はいいことがありそうだ」
「ではその幸運にあやかって、こちらをお願いしましょうか」笑いながら志茂田が伝票立てをすっと桑田の方に押し寄こす。
「おいおい、そりゃねえぜ」
「はは、冗談ですよ、桑田君」
「でも、次遅刻したらみんなの分も払ってもらうからね」中谷が釘を刺した。
「わかった、わかったよ。もう遅れねえって」桑田は頭をかく。
食事が済み、飲み物が運ばれてきた。わたしはアイス・カフェ・オ・レ、ほかの3人はアイス・コーヒー。冷えて水滴のついた銅のマグカップが、渇いた喉を心地よくくすぐる。
「1時には向こうへ着くようにしましょう」志茂田はミルクをストローでかき回しながら言った。
「すっごく怖いらしいけど、あんた大丈夫、むぅにぃ?」心配しているようなことを言うが、明らかに冷やかすような顔の中谷。
「ぜんぜんっ」わたしは虚勢を張る。「花屋敷のお化け屋敷だって大丈夫だったし」
「そうか、なら安心だな。もっとも、これから行くところは花屋敷なんか比べものにならねえらしいけどな」
「そんなにむぅにぃ君を怖がらせてどうするんですか。グループ行動なので、気を負う必要はありませんよ、むぅにぃ君。それにしょせんは作り物ですからね、気楽にまいりましょう」志茂田の言葉がわたしをホッとさせた。
ファミレスを出ると、昼の強い日差しの中、駅までとぼとぼ歩く。電車に乗って30分、渋谷にその「恐怖のテーマパーク」はあった。
「ここだわ」渋谷駅を降りて少し進んだところに大きな建物を見つける。時代劇にでも出てきそうな古めかしい屋敷で、大きな看板には血の滴るような文字で「恐怖のテーマパーク」と書いてある。
「見るからに雰囲気がありますねえ」志茂田は屋敷を見上げて感心した。
「でも、地方にはよくありそうな古民家みたいだよね」正直言って、拍子抜けだった。もっとおどろおどろしい様相を呈しているのかと思っていたからだ。
「案外、こういう素朴な外装からは想像できない仕掛けがあるのかもしれないぞ」桑田は最もらしく言う。
券売機でチケットを買うと、ぞろぞろ中へ入った。エントランスはエアコンが強めに効いていて、長居をすると寒くなりそうなほどだ。
「入り口のところに懐中電灯があるわよ。各自、1つずつ持っていきましょ」中谷はかごに入ったLEDライトを手に取った。
「これはレッド・レンザー製のライトですね。ドイツ製だけあって、信頼性がある代物ですよ」こうしたアイテムに目がない志茂田はライトを付けたり消したりして目を輝かせている。
「よし、じゃあむぅにぃ、おまえはおれの前をいけ。しんがりは任せろ」桑田が頼りがいのある言葉を吐いた。
「途中で押したりするのはなしだからねっ」わたしは念を押す。
「ばか、そんなことするわけねえだろ」
志茂田を先頭に、次々と中へ入っていった。
外に出たのかと思うほど明るい広場へ出る。昭和の下町を再現したような懐かしい光景が広がっていた。
「あの一軒家に向かって矢印が描かれていますね」志茂田の言う通り、板塀には赤いペンキで道案内が示されている。
「それじゃ、あそこに入ってみましょうよ」と中谷。
家の表札には「オニババ」と書かれていた。
「オニババだってよ。おれんちのお袋みてえだな」カラカラと笑う桑田。なんだ、くだらない。期待外れもいいところだ、とわたしは思った。
「失礼します……」志茂田が玄関の引き戸を開けると、奧から身の丈3メートルはあろうかと思われる恐ろしい形相の老婆が襲いかかってきた。
「うわあっ!」後にも先にも、桑田のこんな間の抜けた顔を見たのは初めてである。中谷も引っ繰り返った叫び声を上げ、一目散に逃げ出した。
わたしはといえば、声を出すことも忘れてその場に固まってしまっている。ただ1人、志茂田だけは落ち着いた様子でわたし達を眺めていた。
「こ、怖かったねオニババ……」次のブースに向かって歩きながら、わたしは言う。
「ああ、心臓が止まるかと思ったぜ」
「ほんと、評判通りだわ」
「ええ、凍りつきましたよ」志茂田は吐露した。そうは見えなかったけれど、内心ではやはり驚いていたのかぁ。
「ええと、次はあの家か。いかにも昭和の住宅って感じだな」早くも桑田が案内の矢印を見つける。
「今度はなんだろうね」わたしは身構えた。
「『カミナリオヤジ』って書いてあるわ」
「なんとなくわかってきました。みなさん、覚悟はいいですか?」志茂田は振り返ると、そう聞いた。「では、玄関を開けますよ。いつでも逃げられる用意をしておいてくださいね」
「恐怖のテーマパーク」はまだまだ入り口に過ぎない。果たして、無事に出口へと行き着くことはできるのだろうか。
わたしは一抹の不安を覚えずにはいられなかった。