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追いかけられる

 こう寒いと、いつまでも布団の中に潜っていたいものである。

 丸くなってぐずぐずしているうち、いつの間にか二度寝をしてしまい、ビクッとして目が醒めた。高いところから落ちる夢でも見たのかもしれない。

 そんなことを思っているうち、わたしはまたうとうととまどろんできた。


 夢の中で、わたしはふっと目を醒ました。わたしは幼稚園児に戻っていた。もっとも、それを不思議と感じないこと自体が実に不思議だったのだが。

 玄関のドアを、家族が起きないよう、そっと開ける。外は青い光に包まれていた。まだ、日が昇っていないようだ。

 あたりは濃い靄が立ち込め、見慣れた風景なのに、知らない街にでも来てしまったかのよう。


 遊び場にしている広場を抜け、その向こうにあるスーパー・マーケットへとやって来た。駄菓子やおもちゃを買いに、年中、出入りしている、おなじみの場所である。


 早朝なのに、正面の入り口はシャッターが開いたままだ。自動ドアの前に立つと、ぎこちなく、ガラスの扉が開いた。

(こんなに早くちゃ、味噌屋のおじさんも、パン屋のおばさんも、まだ来てないだろうな)


 味噌屋のおじさんは、配達のついでに、よくドライブへ連れていってくれた。一度など、そのまま眠ってしまったことがあって、そんなわたしを起こすのが忍びなく、困ったすえ、両親を呼んできてくれたっけ。

 おじさんのやさしい思惑でしたが、次の瞬間、父の罵声とゲンコで叩き起こされたのだ。


 パン屋のおばさんのところでは、おやつに食パンを切ってもらって食べていた。

「バターにする? それとも、ジャムがいいかね」

 後ろで並ぶお客さんに気づかれないよう、素早く、たっぷりと塗ってはさんでくれた。

 スーパーで働く人達からは、何かにつけて目をかけてもらっていたのだった。


 窓や換気扇から射しこむ朝日が、通路と陳列棚をぼんやり浮かびあがらせている。辺りを見回しても、人っ子ひとりいない。昨日ぶらついた同じ場所だとは思えない、奇妙な眺めだった。


 奥の、ちょうど角になったところでは練炭などを売っていた。店先の竹ザルには木炭が積んである。

 墨汁のように真っ黒で、なんとなく薄気味悪かった。じっと見つめていると、いまにも動き出しそうな気がしてくるのだ。


 そして、その予感はまさしく的中した!

 

 木炭はムクムクと人の手の形になって、わたしの足首をギュウッとつかんだ。

 びっくりして、言葉にならない叫び声をあげながら、這うようにして逃げだす。

 振りほどいた木炭は、なおも追いかけてきた。全速力で駆けているはずなのに、振り向くと、いつもすぐそこまで迫っているのだ。

 2度ほど、指先がかかとに触れるのを感じた。カサカサに干からびた、ミイラの手である。


 ずっと先に、出口が見える。そこを目ざし、懸命に走り続ける。後ろを見なくとも、すぐ背後にいることが気配でわかった。

 恐怖のため、目の奥がシンシンと痛くなってくる。


 外まであと一歩、というその時、わたしは足をつかまれてしまった。

 バランスを崩し、転んでしまうわたし。

「うわーっ、助けてー!」

 すると、誰かがわたしの手を取って起こしてくれた。そこには桑田孝夫が呆れたようにわたしを見下ろしている。

「むぅにぃ、おまえ何をやってんだ」

「あ、桑田。木炭が追いかけてきて足首をつかむもんだから……」

「はあ? 木炭ってのはだな、火にくべて燃やすもんで勝手に歩き回ったりはしねえんだぜ」

「だけど、手の形になって襲ってきたんだってば」わたしは必死になって訴えた。

「ばからしい。それよか、走るときゃあ足を出す順番に気をつけろ。転ばねえようにな。ぺちゃっ鼻がますます潰れんぞ」


 わたしは返す言葉を失って、しかたなく服の汚れを手ではたく。

「それにしても桑田、こんな早い時間に何してたのさ?」

「何って、幼稚園に行く前にちょっと散歩をだな」

「そうだ。夕べ、ハリガネムシを見つけたんだよね」わたしは思い出した。「夜だったからまだ針金のままだったけど、この時間ならきっと動き出すんじゃないかなぁ」

「ハリガネムシか。どこにいた、そいつは?」

「うーんとね、こっちのほう」わたしは桑田のそでを引っ張って、マーケット前の広場へと案内する。

 ハリガネムシはまだそこにいた。夕べ見たときと変わりなく見える。

「こいつか。どれどれ」桑田はそばに落ちていた棒きれを拾い、ハリガネムシをつついた。

「どう? 本当にハリガネムシだと思う?」

「どうだろう、針金のようにも見えるし、ハリガネムシのような気もするなあ」


「あそこに消火用水の貯蓄槽があるじゃん。中に入れてみたらどう?」そうわたしは提案してみる。

「そうだな。本当にハリガネムシなら水の中で生き返るはずだ」桑田はハリガネムシをひょいとつまむと、貯蓄槽の中へポチャンと放り込んだ。

「そろそろ幼稚園に行こっかぁ」

「おお、そうだな」

 あちこちの小路からはわたし達と同じ幼稚園のスモックを着た園児達が現れ、通園路へと合流していく。

 桑田と並んで歩きながら、わたしはふとハリガネムシのことを考えた。たしか、水の中で生き返って大繁殖するんじゃなかったろうか。

 だとしたら、夕方には道路にまで溢れ返っているかもしれない。大人達はきっと困るだろうな。

 でも、ただの針金だったらその心配もない。夜からずっと動かなかったから、たぶんただの針金だろう。もしもハリガネムシだったとしても、きっとなんとかなるかなぁ。

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