ご注文はデュラハンですか?
あんまり暑いので外へ出る気も起きず、エアコンの効いた部屋でぐだぐだと横になっていた。セミの声がやかましく鳴り響いている。閉め切ったカーテンの隙間からは、ほとんど熱光線と言ってもいいほどの強烈な日差しが差し込んでいた。
机の上に置いてあるスマホがバイブレーションとともに音を立てる。わたしは面倒くさいなぁ、と思いながらベッドから降りてスマホを手に取った。
「おう、むぅにぃ。おれだ、おれっ」桑田孝夫だ。ただでさえ暑いのに、よけいにむさ苦しく感じる。
「なんなのさ、この暑いのに」わたしはうんざりしたように言った。
「喫茶店にでも行こうぜ。いい雰囲気の店を開拓したんだ。おまえ、どうせエアコンの効いた部屋でゴロゴロしてるだけだろ?」
「うう、まあ、そうだけど……」
「よし、東十条駅で待ち合わせな。15分で来いよ」桑田はそう言うと、こちらの返事も待たずに切る。
「ああ、面倒だなぁ。外はめちゃくちゃ暑いに決まってるって。昼日中に外出するなんて、正気とは思えないよ」ブツブツ言いながらも、着替えるわたし。桑田と違い、時間管理だけはしっかりしているつもりである。
日に焼けるのがいやなので、白の長袖シャツを着た。ついでにサングラスもかけたいところだが、似合わないことは自分でもよくわかっていたので、代わりに麦わら帽子を被る。
麻のボトムズを履いてサンダルを突っ掛けると、
「ちょっと、出てくるから」と母に声をかけてドアのノブを引いた。むわっとした熱風が入り込んでくる。いかにも夏の匂いだ。
アスファルトの上をいくらも歩かないうちに、足の裏までじわーっと熱が伝わってくる。袖口やボトムズの裾から熱い空気が侵入してくる。首筋に直射日光が照りつけ、かーっと熱い。
駅に着いた頃には全身、汗びっしょりだった。これで桑田が遅れてくるようだったら、暑くてもう耐えられない。
「ようっ、早かったな」幸いにも桑田はすでに待っていた。
「暑いよう、早く喫茶店に連れてって」わたしは息を切らせながら頼む。
「東十条駅の向こう側、すぐだぞ」
「えーっ、階段登るの?」東十条駅は長い階段を上らなくてはならなかった。「ってことは、十条商店街?」
「そうそう、アーケードになってっから少しは涼しいだろ?」
「まあいいや。とにかく行こう」わたしはハンカチで顔を拭きながら、よろよろと階段を上り始める。
階段を上りきると、東十条駅の改札が見えた。20メートルばかり屋根が続くのでだいぶましになるが、それもすぐに通り過ぎ、しかもまた上り階段が現れる。
ここを登りきると十条なのだが、商店街まではまだ10分ほどかかった。
「へたばったか、むぅにぃ? ほら、もうアーケードだぞ。頑張れ」桑田はわたしを引っ張っていく。
アーケードが日差しを遮り、しかも店から流れ出るエアコンの冷気のおかげでだいぶ涼しかった。
「ふう、やっぱりアーケードは過ごしやすいね」
「見ろ、あのしゃれた店。あそこがこないだ見つけた喫茶店だ。コーヒーがうまいんだよな、ほんと」
桑田の指差す方を見ると、「デュラハン・ハウス」と書かれた看板の古風な喫茶店があった。
「レトロな雰囲気だね」わたしは店の佇まいに惹かれる。
「中もいい感じなんだぜ」
わたし達はカラン、コロンとベルを鳴らしながら店に入った。ひんやりとした空気が、まるで白昼夢から現実へと引き戻してくれるよう。
「いらっしゃいませ」落ち着いたバリトンがわたしと桑田を迎えてくれた。「お好きな席をおかけになってください」
桑田は窓辺の空いている席に座る。わたしもその正面に腰をかけた。
順番にメニューを回し読みする。
「おれ、特製ブレンドとピザ・トースト」桑田はあらかじめ決めてあったように言った。
「この暑いのに? まあ、別にいいけど……」わたしはアイス・コーヒーとレア・チーズケーキにする。
女性店員が冷たい水の入ったグラスを持ってやって来た。「お決まりでしょうか?」
ずいぶん下の方から声が聞こえるなあ、と店員を振り返ると、なんと首から上がなかった。改めて全身を見てみると、左腕に首を抱え持っているではないか。
わたしはビクッとしたが、桑田の「えーと、特製ブレンドとビザ・トースト」という落ち着いた声を聞いて気を取り戻した。そう言えば、店の名前は「デュラハン・ハウス」と書いてあったっけ。デュラハンと言ったら、アイルランドに伝わる妖精だ。首のない黒馬にまたがった首を片手に抱えた鎧姿のイラストを見たことがある。
もっとも、実在するとは夢にも思わなかったが。
「なかなかいい雰囲気の店内だね、桑田」わたしはあえてデュラハンのことを話題にしなかった。なんとなく、他人の陰口を叩いている気持ちになったからである。
「だろ? ピザ・トーストもチーズたっぷりで、これがまたうめえんだ」桑田もデュラハンがいることが当然であるかのようにふるまっていた。
運ばれてきたアイス・コーヒーは、炭火で焙煎した豆を使っているだけあって、香ばしい味がした。ミルクを流し込むと、苦みの中にマイルドさが溶け合い、心地よく喉を潤す。
レア・チーズケーキもまた絶品だった。プリンのように柔らかく、チーズ本来の味わいが絶妙なのだ。
「よく見つけたね、こんないい店」思わず声に出す。
「ああ、全くの偶然だがな。喉がからからで、たまたま飛び込んだ店がここだったんだ。うまいし、値段も良心的だし、言うことなしだな!」
「また来ようね。今度はチョコレート・パフェを食べたいなぁ」