動物園に行く・後編
園内に入ると、どこからかピアノの音が聞こえてくる。
「ねえ、桑田。動物園にBGMって珍しくない?」わたしは聞いた。
「おう、言われてみりゃあそうだな。遊園地じゃあるまいし、動物にとっちゃうるさいだけだろうによ」
わたし達はピアノの鳴る方へ歩いて行く。すると、1つの檻の前へとやって来た。
「ここだよ、ここから聞こえてくる」
「だな。檻の中からピアノとはどういうこった」
中を覗き込むと、燕尾服を着た冴えない男が一心不乱にピアノに向かってオーバーアクションで演奏している。
「あれれ、檻の中でピアノを弾いている人がいるよ」わたしは指差した。桑田は檻の前に書かれたプレートを見て言う。
「『ピアニスト』だとよ。へえ、そんな動物がいるもんなんだな」
下手くそな演奏だったが、よく聴いてみるとドビュッシーの「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」だった。
わたしと桑田は「ピアニスト」の滑稽なしぐさに大笑いした後、その場を去る。
「確かに、ここの動物園は変わった動物を見世物にしてるんだね」笑いの余波がまだ収まらない中、わたしは言った。
「まったくなあ。こういうのを珍獣っていうんだろうぜ」桑田も笑いを堪えきれないようである。
ピアノの音がすっかり聞こえなくなった頃、今度は何やらもったいをつけた上から目線の演説をぶつ声が。わたしも桑田も人間なので動物が何を言っているのかはわからなかったが、不快な感じだけは伝わってくる。
檻の中には訳知り顔をした小太りの男が机の前に座っており、マシンガンのように絶えることのないスピーチをしていた。プレートには「ヒョウロンカ」とある。
「なんだかわからないけど、聞いてるとイライラしてきちゃう」わたしは顔をしかめた。
「一発、ぶん殴ってやりたくなるな。なんなんだ、こいつは」
「やっぱり、珍獣なの?」
「うーん、こういうの人間にもたくさんいるよな。珍獣っつうか、害獣じゃねえのか?」
桑田じゃないけれど、わたしもそのまま聞いていると頬に平手をくらわせてやりたくなってきた。
「もう行こうか?」
「ああ、行こうぜ。言ってることはさっぱりだが、考えを押し付けられている気がしてならねえ」
次の檻には「チンピラ」とあった。2匹がうろうろと歩き回り、時折、互いにわざとらしく肩をぶつけ合い、ののしり合っている。
「なんなの、この動物。コントみたい」わたしは肩をすくめてみせた。
「いるよな、こんなやつ。新宿の歌舞伎町辺りを歩いていると、よく目にするぞ」
「へえー、そうなんだ。でも、いったい何をしてるんだろう。まるでイライラしてるみたい」
「まあ、縄張り意識が高いんだろう。檻の中は自分だけのものだと考えてるんじゃねえのか」
「だったら、1匹ずつにしたらいいのに」そう疑問を呈する。
「いや、こういうたぐいの動物は1匹じゃなにもできねえんだ。つるむのが好きなんだな」
「へんなのっ」
ほかから離れてポツンと置かれた檻には「アドルフ」と書かれている。赤い文字で「危険! 獰猛なので柵の内側には入らないでください」と注意書きがしてあった。
「これきっと、猛獣だよ」わたしは言う。中ではちょびひげを生やした小男が、キャンバスに絵を描いているのが見えた。
「パッとしねえ動物だけどなあ」と桑田。「だけど、なんか不穏な雰囲気はあるな」
「でも、ただ絵を描いているだけにしか見えないね」
「外に出すと危ねえ奴なんだ、きっと。見ろよ、この厳重な檻を。よっぽどじゃねえとここまでやらねえぜ」
桑田の言う通り、これまで見てきたどの檻とも違い、格子の太さが倍ほどあり、戸には幾重も施錠されている。
「そんなに危険なら薬殺しちゃえばいいのに」
「いっそ、檻を密閉して毒ガスを流すとかな」桑田も賛同した。
次に訪れた檻には、パソコンのキーボードをひたすら叩く太った若い動物がいた。メガネをかけ、真剣にディスプレイを見つめている。
「『ヒキニート』って書いてあるよ。ヒキガエルの仲間かなぁ」
「ちょっと違うと思うぞ。確かに脂ぎった感じはあるが、カエルとは違うだろうぜ」桑田はヒキニートを観察しながら言った。
「なんだろう、見てると暗い気分になるんだけど」
「おれもだ。こっちまで引き込まれちまいそうだぜ。だからヒキニートっつうのかもな」
説明には「この動物は巣に籠もって生活するため、めったに人前へ姿を現すことはありません。そのため、実際の生息数はかなりのものと推測されています」とある。
「引きこもっていてくれてよかったと思うなぁ。こんなのがぞろぞろ湧いてきたら、ゾッとするもんね」わたしはぶるっと体を震わせた。
最後の檻には、いかにもえばりくさった動物が入れられている。見たところ高齢のようで、豪華なイスにドテッと掛け、プカプカと葉巻を吸っていた。片手には「子供銀行」と書かれた札束を持ち、ウチワ代わりに扇いでいる。
「なんてふてぶてしい動物だろう!」ひと目見るなり、わたしはムカムカしてきた。
「プレートを見て見ろよ。『セイジカ』だってよ。名前からして胡散臭えよなあ」
「石でもぶつけてやろうか」足許に転がっている小石に目をやりながら、わたしは言う。
「やめとけ、やめとけ。この手の動物は図太い神経が通ってるもんだ。石ころごときじゃ、痛くも痒くもないに違いねえ。腹を立てるだけ損ってもんだ」