呪いをかけられる
桑田孝夫が入院した。なんでも、胸を刺すような痛みが続き、苦しくてたまらないというのだ。
わたしと志茂田ともる、中谷美枝子とでお見舞いに行く。
病院に入ると、ぷーんと消毒薬の臭いがした。わたしは、まるで自分が入院するかのように憂鬱な気分になる。病院は大嫌いだ。
受け付けで見舞いの旨を伝えると、208号室だと案内される。
廊下の壁はどこもかしこも白く、いかにも殺風景だ。
「ここね」と中谷が指差す。208号室・桑田孝夫と書かれている。
「悪い病気じゃなければいいんだけど……」わたしはつい口をついて出た。
「きっと大丈夫ですよ」と志茂田。「桑田君は体だけは丈夫ですからね。すぐによくなって退院できますよ」
病室に入ると、白い清潔なベッドに桑田が横になっていた。わたし達に気がつくと、起き上がろうとする。
「桑田君、無理をしなくていいですから横になっていてください」志茂田が落ち着いた声で言った。
「ああ、わるいな……」桑田はいつになく力ない声で答える。
「どこが悪いの?」わたしは聞いた。
「それがよ、医者の先生もよくわからねえって言うんだ」
「ぶつけたとかそういんじゃなくて?」中谷も心配そうである。
「いや、ぶつけたわけじゃねえよ。ただ、いきなり胸が痛くなっちまってな。もう、まる2日もズキンズキンするんだ」
「ふうむ。医者も原因がわからないとは妙ですね。ちょっと、胸を見せてもらえませんか?」
「おう、いいぜ」桑田は言うと、病院衣を両手で開いて胸をはだけさせる。うっすらとではあるが、ゴルフ・ボール大の赤いアザが浮き出ていた。
志茂田はそれを見るなり、あごに手をやり何やら考えるそぶりを見せる。
「どうしたの、志茂田?」わたしはただならぬ感じがした。
「これは呪いのようです」志茂田は断言するように言う。
「呪いですって?」中谷も気味悪そうに眉をひそめた。
「ええ、間違いありません。これは黒魔術です。桑田君、あなた最近、人に恨まれるようなことを何かしませんでしたか?」
「恨まれるって……おれ、そんなの身に覚えがねえよ」
「たとえば、女性を泣かせたとか、そんなことはありませんでしたか?」
桑田は天井をじっと見上げて思い出そうとするような目をする。
「そういやあ、1週間くらい前にロックのライブで吉田静子とかいう女に出会ったっけ」桑田が口を開いた。「ライブの後、やたらとべたべたしてきてよ。喫茶店でコーヒーを飲んだなあ」
「やるなぁ、桑田ってば」とわたし。
「いや、あんまりくどいんでうっとうしくなってな。店を出たあと、そのまましかとして帰っちまったぜ」
「それってつまり、ふったってことね」中谷が噛み砕いて言う。
「まあ、そうなるかな」
「桑田君、その相手に髪の毛とかあげませんでしたか?」真剣な面持ちで志茂田が尋ねた。
「そういやあ、記念にするからって毛を欲しがってたな」
「あげたんですね?」畳み込むように確認を求める志茂田。
「やったよ。1本だけだけどな」
「それですよ、桑田君。黒魔術を行うには、相手の体の一部から必要になるのです。もちろん、髪の毛1本でも十分です」
桑田はゾッとしたような顔で志茂田を見返す。
「マジかよっ」
「呪いなんて、本当にあるんだ」中谷は気味悪そうに言った。
「怖いね。ねえ、志茂田。なんとかならないの?」わたしは頼るように志茂田を見る。
「呪詛返しという方法がありますよ。相手にかけた呪いが術者に返ってくる、というものです」
「どうするんだ?」すがるように桑田が聞いた。
「その女性がどこに住んでいるか聞いていますか?」
「住所は聞かなかったけど、メルアドの交換はしたな。あんまりせがむもんでよ」
「それで十分です」志茂田はきっぱりという。「メルアドから相手の住所を特定する方法があるのですよ。帰ったら、さっそく調べてみましょう」
病院を後にし、わたし達は志茂田の家へと向かう。
志茂田の部屋にゾロゾロと入ると、彼はパソコンを起動させた。
「桑田君から聞いたメルアドはCODOMOのキャリアですね。さっそく、データ・バンクに侵入してみましょうか」
そう言うと、なにやらコマンドをポチポチと打ち始める。ほどなくすると、CODOMOのロゴマークが表示された。
「さあ、メルアドを照合してみましょう。これはれっきとした犯罪なので、皆さんは真似をしないようお願いします」
もっとも、そんなことを言われても真似のしようがなかったが。
「わかりましたよ、相手の住所が。隣町なので、これから行ってみましょう」
電車で隣町まで行き、目的の住所を突き止める。
「家の中に入るの?」わたしはドキドキしながら聞いた。
「いえ、近くの林か神社を当たるのですよ」
「そうなんだ。てっきり、不法侵入するのかと思ったわ」中谷はホッとしたようにつぶやく。
近所には1つだけ神社があった。裏手には林がこんもりと茂っている。
「木を1本1本、探してください。儀式の後があるはずですから」
わたし達は手分けして木の幹を見て回った。すると、そのうちの1本に藁人形が五寸釘で打ち付けられているのを見つける。
「志茂田ーっ、あったよ。こっちに来て!」わたしは大声で呼んだ。
志茂田と中谷が駆けつけてくる。
「これです。さあ、藁人形を持ち帰りましょう」志茂田は鞄に入れてあった釘抜きで藁人形を引き抜いた。
再び志茂田の家へと取って返す。
「これからどうするの?」中谷が興味津々に聞いた。
「呪詛返しの儀式を執り行います。この藁人形には、呪いをかけた者の思念が宿っています。言ってみれば、ある種の電磁波のようなものですね。それを逆送信してやればいいのです」
模造紙を広げると、そこにマジックで五芒星を描く。周囲にロウソクを立て、火を灯した。
藁人形を五芒星の真ん中に置くと、志茂田は聞いたこともないような呪文を唱えはじめる。
呪文が終わったと同時に、藁人形が一瞬蒼く光った気がした。
「これでおしまいです。今頃は、吉田静子なる人物が苦しみはじめていることでしょう」
「でもその人、ずっと呪いにかかったままなの?」さすがにそれはかわいそうだと思う。
「心配しなくても大丈夫です。桑田君が苦しんだ日数が過ぎれば、彼女も治りますから。これに懲りて、もう人を呪おうなどと思わないでしょう」
その1時間後、桑田から電話がかかってきた。
「おう、おれだ。なんだか知らんが、胸の痛みが嘘のように消えちまった。退院して、いま帰宅途中だ」