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支離滅裂な日常

 わたしはこたつの中で、ふっと意識を取り戻した。

 これはいったい、どうしたことだろう! たしか浜辺で砂を掘っていたはずではなかったか。天気はあまり良くなく、そうそう、放射能の雨が降っていたのだ。

 でも、あれが放射能をたっぷり含んでいるなんて、よくわかったものである。よく覚えてないんだが、ガイガー・カウンターでも持っていたのだろうか。それとも、放射能が肌にしみるんで、スキン・ケアが必要だなあ、などとぼんやり思っていたのだろうか。

 そんなことをあれこれと30分も考えていたが、考えるほどに謎が深まるばかり、お腹は減るいっぽう、わたしはついに面倒になり、思い悩むことをやめにした。


 すっくと立ち上がり、台所を物色して、カップ麺を見つけることに成功した。流しの脇にポットが置いてあり、ふたを開けると、白い蒸気がぼわっと立ちのぼった。

 沸かしたばかりの湯が、口のすれすれまで入っている。「放射能が少し混じっているかもしれない」などとちらっと考えたが、心の片隅では、「あ、これでわたしも放射能人間になるんだ」とはしゃいだ気分も存在しているのが感じられた。

 そんな不条理な思考が働くのも、おそらくは、あまりにもわたしが空腹だったからだと思う。それとも、ずっと昔にテレビアニメで見たSFのせいだったかもしれない。アニメの中では主人公が放射能まんじゅうをたらふく食べ、身体中が放射能でいっぱいになり、ついには口から放射線を吐けるようになるのだった。

 わたしも、もしかしたらそうなるかもしれない。でも、そうならない可能性のほうが大きいだろうな。


 3分たった。カップ麺は、あたかも「さあ、わたしを食べて」と催促しているようだ。わたしは割り箸を2つに分け、おもむろにカップ麺のフタをはがした。張りついていた水滴がツーと筋になって流れ、醤油風味の湯気が食欲をいっそう刺激した。「放射能が少し混じっているかもしれない」わたしはまたもや、そんな疑念を浮かべた。だが仮にそれを理性と呼ぶならば、いまは本能である食欲に勝つことはできなかったのである。食後は納豆を食べなきゃな、とわたしは強く決心をするのを忘れなかった。納豆には、放射能を除去する作用があるのだから。

 わたしはカップ麺を食べた。つゆさえも、最後の一滴まで。

 食べ終わってから気づいたのだが、容器の底には、何か応募規定らしいものが見えた。スープで汚れて読みにくかったのを、ティッシュ・ペーパーで拭うと、そこにはこう書かれていた。


 カップの底をきれいに切り抜いて、いますぐ送ろう! 抽選で、毎週3名様にタルウオ星雲旅行ご招待!!


 わたしは何となく、応募してみようという気になった。タルウオ星雲という聞きなれない名前に興味を覚えたのかもしれない。あるいは、「毎週3名」じゃ、まず当選することはあるまいというあきらめと、いや、もしかしたらということもあるじゃないか、という奇跡にも近い偶然を期待する気持ちとが入り混じった、奇妙な感情のためだったかもしれない。

 レター・ケースの中からハサミを探し出すと、書いてある通り、カップの底をできるだけきれいに丸く切り取った。しかし、封筒にはどのみち入りそうもなかったので、切り取った底に直接宛て先を書いて、切手を貼った。

 カップ麺の底を手にすると、外に出た。初夏らしい、いい陽気だった。近所のおばさんがベランダから顔を出して、鉢植えに水をやっていた。ヨークシャー・テリアを連れた若い女性が、まるで自分のほうがイヌに案内されるようにして、散歩していく。

 いつもの角の郵便ポストの前まで来て、わたしはポケットから、2つ折りにしまったおいたカップ麺の底を取り出した。

 ポストの口に入れようとした、そのときだった。いきなり、誰かに腕をつかまれた。


 「待ちない、あんちゃん」振り返ると、それはサンタクロースだった。いや、ほんとうにサンタさんだろうか。赤ら顔で白い髭、トレード・マークの赤い服を着て、ズタ袋を背負っている。

 しかし、その顔は絵本で見るあの好々爺とは似ても似つかなかった。目の周りには隈ができ、顔中に汚らしいふきでものや痣がいっぱいできていた。斜にかぶったおなじみの頭巾の脇からは、ビンビンに尖った白髪が突き出している。一目見るなり、腰を抜かすほど恐ろしい姿をしていた。

 「な、なんですか」わたしは自分でもそれとわかるほどうわずった声で言った。

 「なんですか、ときたもんだ」サンタに似たおそろしい顔の老人はフンと鼻をならした。「よう、あんちゃん。おまえさん、『タルウオ星雲旅行』の懸賞に応募するんだろう? だからよ、招待券を持ってきてやったぜ」


 「は?」

 「は、じゃねえよ。だからよ、当選したんだよ、あんちゃん。わかるか? おまえさん、ついてるぜ。タルウオ星雲なんぞ、めったに行けるもんじゃねえ。この機会に十分、楽しんできな。できれば、おれが代わりに行きてえぐれえなもんだ」

 わたしは何がなんだかわからなかった。確かにその懸賞には応募するつもりではいた。しかし、応募用のカップの底はまだ手に持ったままなのだ。

 「なにかの間違いではないですか? わたし、まだ応募していないですよ」

 「うおーっ!」サンタは吼えた。「ぐだぐだぬかしてんじゃねえよ! てめえは、さっさとこの招待状を受け取りゃあ、いいんだ。そいつがこのおれの役割で、それ以外のなんでもねえ。おんなじようによう、てめえも黙ってこいつを受け取るのが役割だってんだ! わかったかぁ!!」

 わたしはもう少しで漏らしそうになって、恐怖のサンタが差し出すチケットを、慌てて受け取った。その途端、老人はまるであの、呉服屋とかの店頭によく置かれている福助さんにそっくりのにこにこ笑顔になって、ホーホッホと笑いながら、そりに乗って大空のかなたに走り去っていった。


 わたしはムジナに尻をつつかれたような面持ちでその後ろ姿を見送っていたが、はっとわれに返り、手にしたチケットをまじまじと見つめた。


 〈遥かなる姉妹星雲・タルウオ、日帰りの旅ご招待券〉


 表にはそう書かれていて、絵とも写真とも思える渦巻く銀色の円盤が印刷されていた。どうやら、それがタルウオ星雲らしい。裏を返すと旅行会社の住所と電話番号が書いてあり、次のようなことが記されていた。


 〈タルウオ星雲行き周遊券 この券1枚につき、お1人様の使用ができます。有効期限は当券をお受け取りになってからその日の日没まで。ただし、日の沈まない地方にお住まいの方はこの限りではありません〉



 その日の日没までときたもんだ! 昔、江戸から上方まで何週間もの日数を費やした長旅も、いまじゃあ、新幹線に乗ってカラオケを20曲も歌っているうちに着いてしまう。だからって、銀河の果てよりもまだはるかに遠い、名も知れぬ星雲へ、どうやってその日のうちに行って帰ってこられるのだろうか。どうやらわたしはからかわれたらしい。そう言えば、さっきのエセ・サンタはあまりにも怪しすぎた。


 からかわれたとわかると、無性に腹がたってきた。同時に、一瞬とはいえわくわくと胸をときめかした自分が恥ずかしかった。わたしはすごすごとアパートに引きかえした。

 帰り道の風景が、こころなしか、悪意に満ちたものに思えてならなかった。実際そうだったのかもしれない。赤いポストはどこまでも赤かったし、2つある投函口はどう見ても、どこかのいたずら小僧が、あっかんべーをするときのそれだった。電信柱のずっと上にはゴミバケツそっくりの、けれども中身は危険きわまりない、何十万ボルトもの高圧電圧がぎっちぎちに詰まっているのだった。その危険なゴミバケツは、いつこのわたしを感電させてやろうかと、待ち構えているのに違いなかった。

 命なきものばかりではない。ほら、あの角の八百屋。あそこのおやじさんだって、さっきまでの愛想の良さはどうしてしまったんだろう。乱杭歯を剥いて、いまにも飛びかかってやるぞという顔をしている。向かいの精肉店だってそうだ。こう毎日豚肉ばっかり刻んでちゃ、いいかげんうんざりしちまうぜ、そうだろ、そこを歩いているあんた。おい、あんた。おまえだよ、おまえ! いいか、ええ? ちょっとでもおれっちの店に足を踏み入れてみろ。そのがん首をこの肉切り包丁でちょん切ってやるぜ。本気だからな。なにしろ、おれっちは毎日毎日、こうして、豚肉を叩き切ってるんだからな。タン! タタタタン! ああっ人肉を刻みてえなあ、ちくしょう!!


 いつも四辻で、飽きずにくだらない世間話や噂を何時間もくっちゃべっている主婦達。彼女達はわたしの陰口をあれこれ持ち出して話しているんだ。馬鹿げているよ! 何でわたしなんかのことを話題にしなくちゃならないんだ。わたしがパチスロで4万負けたことや、会社で書類をミスったこと。放射能の雨の降る浜辺でひたすら砂浜を掘っていたことや、恐ろしい顔をしたサンタもどきにおちょくられたことなんて、そんなこと、あんたらにはなんのかかわりもないじゃないか。それでも、四辻の主婦達は明日もあさってもそのまた次の日も集まって、わたしの噂をするんだよね。そんなの間違ってるって!

 公園で遊んでいるこどもたちを見てごらんよ。あの子たちだってなにも例外じゃない。これはわたしの想像だけど、彼らはきっとこう思っているんだ。「ほら、見て。あのひと、ほんとうはジェイソンのいとこなんだぜ。そんでもって、バンボロって名前のおじさんがいるのさ。そうさ、それはみんなほんとうのことなんだ。だって、うちのパパがレコード屋の物かげからこっそり見てたんだから、それは全部、疑いようのない事実に決まってるんだ」子供までもがわたしのことを物笑いの種にする。それも、わたし自身さえ知らないことでだ!


いつも見慣れている町の景色が、しだいに無機的なものに思えてきた。あらゆるもの――それこそ、生き物もそうでないものもすべて――が、ぎらぎらと尖った刃物のような光に満ちあふれ、わたしの身体中を刺すような気がした。

わたしはほとんどなにも思考せずに、足の向くまま歩いていた。ときどきふっとわれに返ったりもするのだが、そのたびに、自分勝手に歩くこの足にこそ、わたしの理性が宿っているのではないかと感じるのである。パスカルが「考える葦」と言ったのは、やはり「考える足」のことだったのだなあ、とつくづく思うのだった。

さんざっぱら歩いて、もうとうに隣町まで来てしまっていた。めったに来ることもない町だから、見る風景はどれも新鮮に映った。さっきまでの鬱々とした気持ちがしだいに晴れていくのがわかった。なんだかまるで、いままで悪い夢でも見ていたかのようだ。

この町はわたしの住んでいるところとはだいぶ雰囲気が違っていて、なんだか別の国のようだ。


家々は茶系のものばかりで、見た目にも統一感があって好ましい。軒先をヤシやバナナなど、南国風の観用樹で飾る家が多く、まるで町全体がジャングルであるかのような錯覚に陥るのである。

おりしも、風に乗って奇妙な律動が聞こえてきた。

初め、それは祭りばやしかと思った。心臓の鼓動のような太鼓の音が、単調な2拍子のリズムを繰り返している。歩くに従い、どうやらそこに近づいているらしく、だんだん太鼓の音が大きくなってきた。

ズンドコ、ズンドコという太鼓――よく聞いてみると、ふだん聞きなれている和太鼓とはまるで別物だ――の合いの手を打つように、シャンシャンという音も聞こえる。さらに近づくと、どうやらリズムに合わせて、人々が歌っているらしいこともわかった。わたしは心の中でつぶやいた。

(浪曲だろうか)

 もちろん、全然違う。聞きようによってはまるで言い争いにも思える。しかし、ちゃんとリズムに合っているところを見ると、それはやはり音楽には違いないようだ。

やがて、その歌詞が聞き取れるようになってきた。人々はリズムに合わせ、こう繰り返していた。


ハラバ、ドンガ、ヌンバ!

ハラバ、ドンガ、ヌンバ!

ハラバ、ドンガ、ヌンバ!


呪文みたいだ、そう思いながら角を曲ると、ちょうどそこは集会所で、何百人もの町民が勢いよく燃え盛る炎の周りをぐるぐる回っていた。

彼らは男も女も、子供も老人も、左手には奇怪な顔を描いた大きな仮面、右手にはてっぺんに鈴のついた槍を持っている。太鼓がズンズンと2回鳴ると、いっせいに槍で地面を叩く。てっぺんについた鈴が、シャンシャンと鳴り響く。それから、憑かれたようにこう叫ぶのだった。


ハラバ、ドンガ、ヌンバ!

ハラバ、ドンガ、ヌンバ!

ハラバ、ドンガ、ヌンバ!


前にテレビで、アフリカの奥地に住む住人が戦いに臨むときの儀式というのを観たことがあるが、ちょうどこんな感じだった。

ただ、ちょっとばかり違う点がある。いまこうして、目の前で踊っている人々は、どこからどう見ても日本人で、おまけにみんながみんな、浴衣を着て下駄履きなのである。その異様な風貌といったら、ありゃしない!

わたしは、この馬鹿騒ぎがなんなのか知りたくて、手近な1人をつかまえて尋ねた。

「あの、これはいったいなんの集まりなんですか?」

その女性は杉たか子が下痢をしてトイレに駆け込む寸前、といった感じの顔の、ま、ちょっとした美人だったが、愛想よく教えてくれた。

「あら、あなたよその町から来たのね? じゃあ、『ハラバ・ドンガ・ヌンバ教』を知らなくて当然よね。そうなの、あたしたち、町ぐるみで『ハラバ・ドンガ・ヌンバ教』信者なのよ。これって、もともとは戦いの祈りらしいんだけれど、それは昔の話。今じゃ単なる恒例行事。春になれば花見の席で、夏になれば盆踊りの代わり、そして今は秋だから、秋祭りってわけ。でもね、ここだけの話だけど、ときどき、ほんとに戦いの神が降りてきちゃって、正気を失くして大暴れしちゃう人も出ちゃうのよねぇ」


 どう、あなたも入信しない? と誘われたが、わたしはできるだけ丁重に断った。なぜって、戦いの神に憑かれちゃ困る。

 彼らの熱心な祈りの声がだいぶ遠ざかった頃、わたしは、わたしは再び見慣れた街へと戻ってきていることに気付いた。

「ここって、元の場所じゃん」自分に呆れながらも、ほっとする。「とりあえず、部屋に入ろうっと」

 部屋のちゃぶ台には、さっき食べたカップ麺の容器がそのまま残っていた。よく見ると、銀紙の小袋が封も開けずに置かれている。

「あ、しまった。カップ麺に入れるスープかぁ。よく忘れちゃうんだよね」小袋を手に取って読んでみると、「ストロンチウム入り特製スープ。お好みにより、お入れください」と書いてあった。

「わぁっ、とんでもない! こんなもの入れたら大変だっ」わたしは慌てて小袋を放り出す。

 改めてカップ麺を見ると、フタにはこう書かれていた。

「怪しいラーメン・セシウム君 醤油味」


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