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妖怪に取り憑かれる

 ドンドンと激しくドアを叩く音がする。

「むぅにぃ、助けてくれっ! 早くっ! 早く、入れてくれ!」

 気が狂ったように叫んでいた。桑田孝夫の声だ。

 わたしはドア・チェーンを外すと、ドアを開ける。桑田が転がるように飛び込んでくる。

「トラだっ、トラが襲ってくる!」

「ええーっ?! そりゃ大変じゃん」わたしは慌ててドアを閉めた。

 桑田はそのまま部屋の隅へ駆けていくと、ガタガタと震えている。

「助かったぜ。食い殺されるかと思った」青い顔をした桑田は情けない声でそう言った。

「動物園から逃げ出してきたのかなぁ」とわたし。

「ああ、そうに違えない。ふらっと散歩してたらよ、いきなり出っくわしちまってな。目が合った途端、追いかけてきたんだ」

「よく逃げ切れたね。とにかく、食べられなくてよかった」わたしはインスタント・コーヒーを2人分淹れ、テーブルに置いた。「コーヒーでも飲んで落ち着きなよ」


「おう、サンキュウ」震える手でカップを持ち上げる桑田。けれどその視線は、じっとドアの方に向けられていた。今にも鉄扉を食い破ってトラが入ってくるのではないかと怯えているようだ。

 けれど、耳を澄ましてもなにも聞こえない。離れた通りをクルマが通る音がするばかりだった。

「ちょっと、外を見てくるね」わたしはカップを置いて立ち上がる。

「おい、やめろ! トラが来たらどうすんだ」桑田は悲鳴にも近い声を上げた。

「ちゃんとチェーンをかけとくって。トラは大きいんだから、入ってこられないよ」

 わたしはドア・チェーンを掛け、そっとドアを開けて外をのぞく。もし、トラが襲ってきてもすぐドアを閉められるようにノブから手を離さずに。

 けれど、どこにもトラはいなかった。それどころか、人影すら見当たらない。

 なーんだ、いないじゃん、そう思ってよくよく見ると、玄関先に仔ネコがちょこんと座っていた。お腹が空いているのか、わたしを見上げると一声ニャーンと鳴く。

「わあ、かわいい。ママとはぐれちゃったのかな」わたしはドアの隙間から身を捻って入り込んできた仔ネコを、そっと抱き上げた。


 わたしは仔ネコを抱きかかえながら桑田の元へと寄る。

「ほら見て。かわいい仔ネコだよ」

 すると桑田は、突き飛ばされたかのように退いて叫びだした。

「おいっ、やめろ! おまえ、それトラだぞっ」

「えー、何言ってんの桑田ってば。ちっちゃなネコじゃん」わたしは呆れたように言う。

「むぅにぃ、おまえ気でも狂ったのかよ。トラなんか部屋の中に入れやがって!」

「トラって……」わたしは腕の中の仔ネコを見下ろした。無邪気な瞳をして、わたしをじっと見つめている。

「さっさと追い出してくれっ。食われっちまう!」心から怖がっているらしかった。

「大丈夫、桑田? 病気じゃないの?」

「おれは正常だ。いいから、それ以上近づくなっ!」


 どうも様子が変だ。桑田には仔ネコがトラに見えるのだろうか。

 わたしは仔ネコを隣の部屋へ連れて行って、ボウルにミルクを注いであげた。仔ネコはボウルに顔を突っ込むと、おいしそうにペロペロと飲み始める。

「桑田ってば、まともじゃないよ。志茂田に相談してみよう」わたしは携帯を取り出すと、志茂田ともるに電話を掛けた。

「むぅにぃ君、ごきげんはいかがですか?」すぐに志茂田の声が返ってくる。

「こっちのごきげんはいいんだけどさぁ……」

「どうかしましたか?」

「桑田が来てるんだけど、仔ネコが怖いって怯えてるんだよね。トラだって言い張るんだよ、こんなにかわいいのにさぁ」

「ふうむ……それは奇っ怪ですね。少々お待ちください」携帯の向こうでカタカタとキーボードを叩く音が聞こえてきた。「ネットで調べたのですが、どうやら原因がわかりました。きっと『ネコネコ恐怖症』に罹ったのでしょう」


「なんなの、その『ネコネコ恐怖症』って」わたしは聞く。

「ネコが100年生きるとしっぽが2つになって猫又になることはご存じですね。同じように、ネズミが20年以上生きると鼠又になるのですよ。妖怪ですね。桑田君は鼠又に取り憑かれたのでしょう」

「大変っ。どうしたら治るの?」

「むぅにぃ君、今からあなたの携帯に呪文を送りますよ。それを桑田君の前で唱えてください。原文はラテン語なので、カタカナに直して送信します」

「うん、わかった。やってみるね」わたしは電話を切った。

 程なくして、メールが届く。長々と意味不明のカタカナが綴られている。

 わたしは桑田の元へ取って返し、携帯片手に呪文を読み上げた。

「エト スペクラム、デ ムス、サレフ。キュオ スタティム エグジル デ コーポレ ペルソナ エスト、イン ピアール フリューメン エト アド シュア ムンディ」


 詠唱と同時に桑田は苦しみ始め、今にも死にそうな声でよせ、やめろ、呪ってやる、などと罵る。

 わたしはかまわず、続けた。

 呪文を唱え終えると、桑田はぐったりと崩れ落ちる。すぐにパッと目を醒ますと、

「あれ、おれ今まで何をしてたんだ? なんでおまえんちにいるんだ?」と辺りをキョロキョロ見渡した。

「よかった。鼠又が消えたんだ」わたしはホッと胸をなで下ろす。念のため隣の部屋へ行き、ミルクを飲み終えて満足げな仔ネコを抱いて桑田の前に差し出してみた。

「おっ、かわいい仔ネコだな。むぅにぃ、おまえネコを飼い始めたのか?」

 完全に妖怪はさったようだ。

「ううん、今さっき拾ったところ。桑田んちで世話する?」

「いいのか? ずっとネコが欲しかったんだ。こいつに名前を付けなきゃな。そうだ、『トラ』ってどうだ。模様がトラみたいだしよ」

 こうして迷子の仔ネコは桑田の家へと引き取られていった。


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