不気味な生物が現れる
初めて「それ」を見たのは山手線の中だった。
秋葉原駅を発車した直前、乗客の中から悲鳴が上がる。何事かと思いそちらを振り返ると、タコに似た不気味な生き物が床の上でうごめいていた。無数の触手をくねらせ、粘液を滴らせながらじわりじわりと移動している。
1人の男性が、
「こいつめ、こうしてやる!」と踏みつぶしたその途端、触手が素早く足に絡みつき、獰猛な牙で食らいついた。男性はうっとうなり、その場で崩れ落ちる。その顔は緑色に変化していて、どす黒く血管が浮き出ていた。
「そいつに近づくな! 猛毒を持っているぞっ」誰かが叫んだ。乗客は化け物を中心に、さーっと距離を取って広がる。
1人の老紳士がすっと前に出て、「これでどうじゃ」と持っていたステッキで怪物を突き刺した。怪物はキュウッという鳴き声を発し、あっけなく動かなくなる。
猛毒はあるが、大して強くはないようだ。
次に見たのは、雨降りの日だった。近くのコンビニで買い物をした帰り、電柱の陰からそいつは現れた。
わたしは電車の件を思い出し、傘を畳むと尖った先で思い切り刺す。怪物は水から上げたクラゲのように、くたっとしおれて死んだ。
「なんなの、この怪物は。あちこちに出てるみたい」わたしは不安に駆られる。
家に帰ってテレビをつけると、ニュースでも取り上げられていた。すでに被害者が続出しているようで、警告が出されている。
「もしもこの未知の生物と出会ったら、決してそばに近づかないでください。そして、警察に連絡してください」アナウンサーは真剣な口調でそう伝えていた。
「そんなに出現してるんだ。外来種なのかなぁ。早く駆除してくれないと大変だよね、これって」思わず口をついて出る。
やがて、あちらこちらで目撃するようになった。そうなると市民もただ手をこまねいているばかりではなくなり、自警団を結成し、木刀片手に見回りはじめる。
その甲斐あってか、次第に数が減ってきた。警察としても、本来なら自警団などというものは認めていないのだが、何しろ緊急事態である。人手が足りないので、見て見ぬフリをしているのだ。
桑田孝夫もまた、そんな自警団の1人として参加していた。
「あんなやばいもん、一刻も早く退治しないとな」そう鼻を鳴らす。
「でも、気をつけてね。なんてったって猛毒を持ってるんだからさぁ」わたしは心配してそう言った。
「なーに、ゴム手袋にカッパを着てるから平気だ。殺した後は水で道路を洗い流すし、死骸はビニール袋に入れて後で燃やしちまうんだ」
自警団の他にも、ミリタリー・オタクが奮起していた。エアガンを携えて町中を歩き回っている。怪物を見つけるやいなや撃つ。エアガンとは言っても、かなりの威力がある。数メートル離れた木の板に弾がめり込むほどなのだ。
ふだんならエアガンを振り回しながら街を歩いていたら尋問されそうなものだが、これまた警官は知らん顔を決めている。
ひと月もすると、くだんの怪物を見ることはほとんど無くなっていた。有志達によって、あらかた駆逐されてしまったらしい。
わたしはほっと一安心した。
生物学者達はサンプルとして研究室に持ち帰ったそうで、その結果、どうやら地球上の生き物とは考えにくいという結論に達した、そうネットで読んだ。
やはり、あれは他の星から来た生き物だったのか……。
同時に、新たな不安が沸々と湧いてきた。もしかしたら、異星人が拙攻として送ったものなのではないか。だとしたら、さらなる脅威が人類を待ち受けているのかもしれない。
ひょっとしたら、これをきっかけに宇宙戦争、あるいは戦争にすらならないエイリアンによる侵攻が始まるのではないか、そう考えると恐ろしくなった。
不幸なことに、わたしの勘は当たってしまった。
ある日突然、東京上空に途方もなく巨大なあの怪物が現れたのである。おぞましい触手は1本で数百メートルもありそうだ。しかも、数が何百本もある。
当然、自衛隊の戦闘機がスクランブル飛行し攻撃を始めるが、何しろ大きさが大きさなので、まるで効かない。それどころか、粘液を飛ばして戦闘機を次々と墜落させてしまうのだった。
「この世の終わりが来た……」わたしは呆然と眺めているより他はなかった。
おそらくこのままでは、アメリカ軍が熱核兵器を用いるだろう。そうなれば日本もおしまいだ。エイリアンに滅ぼされるか、水爆で廃墟になるかのどちらかだ。
そんな狂乱状態の中、木田仁から着信があった。
「もしもし、むぅにぃかい?」いつものほがらかな声である。
「あ、木田。大変なことになっちゃったね。どうなっちゃうんだろう」わたしは切羽詰まった駆虫で言った。
「あはは、心配ないよ。おいら、今キリスト教に凝っててさ」
「え?」こんなときに宗教だって? ついに神頼みか。
「ついさっき、イエスとコンタクトができたんだ。そしたらさ、大天使ガブリエルとラファエルを応援に送ってくれるって」
「ええっ?!」スマホに向かって叫ぶわたし。
「なんかね、異次元の扉が開いちゃったらしくてさ。そちらの方は、サンダルフォンとメタトロンが対応してくれるんだってさ」
「誰?、そのサンダルとかって」
「ああ、大天使の1人でね、メタトロントは兄妹なんだ。すっごくでかいんだぞ。天まで届くとか、爪先から頭までの距離が数光年とか、見たことないからわからないけどね」
そのときだった。雲間から神々しい光が差し、翼の生えた2人の天使が舞い降りてきたのは。