桑田の美容室初体験
桑田孝夫と晩秋の町を散歩していたときのことだった。
「あれ? ここどこだろう」わたしは辺りを見回してつぶやく。おしゃべりに夢中になっていて、いつの間にか知らない場所へ来ていた。
「おれも来たことがないところだな。けっこう歩いたからな」
「迷子になる前に戻ろうっか」わたしは不安になる。わたしも桑田もかなりの方向音痴なのだ。
「だな。元来た道を行けば帰れる」
わたし達はきびすを返して引き返すことにした。ところが、いつまで経っても見覚えのある景色に行き着けないのだ。
「こりゃあ、本格的に迷ったな」桑田がやれやれというように言う。
「どうするの? 駅でもあればいいんだけど……」
「どうするって、そこらを歩いている人に聞けばいいだけじゃねえか。心配すんなって」桑田はいつも楽観的である。
すると、都合よく向こうから青年が歩いてきた。しめたと思い、道を尋ねることにする。
「すみません、池袋へはどう行けばいいんでしょうか」わたしは彼を呼び止めて聞いた。
青年はポカーンとした顔をして、
「池袋? それどこですか」と答えるではないか。
「豊島区の池袋ですよ。知りませんかね」桑田が問い詰めるように言う。
「さあ、聞いたこともないですよ。どこか田舎ですか?」青年は真顔で応対する。どうやら、本当に知らないらしい。日本に住んでいて池袋を知らないなんて、この人、もしかして外国人なのだろうか。
わたしは別の質問をしてみた。
「じゃあ、ここはなんて町ですか?」
「ここは『れみ・ワールド』の『ダンジョン・エリア』ですが……」
わたしと桑田は顔を見合わせた。「れみ・ワールド」、聞いたことがある。道を歩いていると、いきなり入り込んでしまうという不思議な世界だ。
都市伝説だと思っていたが、どうやら本当に存在したらしい。現に、わたし達がここにこうして立っているのだから。
青年が立ち去ったあと、桑田がわたしに聞いてきた。
「なあ、むぅにい。『れみ・ワールド』ってなんだ?」
「うんとねえ、都会でたまに神隠しに遭うって話は聞いたことない? そこは異世界で現実世界とは色々違った不思議なことが起きるんだってさ。中でもやっかいなのが『ダンジョン・エリア』ってところらしいよ。至る所すべてがダンジョンで、しかも、しょっちゅう変化してるんだって」
「マジかよ。それってヤバイじゃねえか。帰れんのか?」さすがの桑田も額にしわを寄せる。
「都市伝説によるとね、この町のどこかに『美容室のダンジョン』っていうのがあるんだって。そこのオーナーのマアトって人が、手助けをしてくれるらしいんだけど……」
「よし、その美容室へ行ってみようぜ。また、誰かに道順を聞いてみるとすっか」
しばらく歩くと、路上をモップでゴシゴシと掃除している人がいた。清掃員の服を着ているが、こざっぱりとしていて好感の持てる青年だった。
桑田は彼の本へ駆け寄ると、「ここいらで『美容室のダンジョン』って知ってます?」と尋ねた。
青年は顔を上げると、わたし達の顔を交互に眺める。
「ははーん、あんた達、さてはよその世界から迷い込んだんだね。このところ、そういう人が多いんだ。ああ、知ってるよ。マアトとは故知の仲だからね。えーとね、この先の交差点を右に行って、それから上へ行き、左へ行く。それから下へ行ってさらに上に登る。そこが『美容室のダンジョン』さ」そう言っておいて、付け加える。「でも、ここはダンジョンだから、いつも同じ道筋とは限らないけどね」
結局、わたしと桑田は闇雲に歩き回るはめになった。町そのものがダンジョンというだけあって、振り返ると今まで来た道とは別の風景になっていたり、上に登ったり歩道橋を逆さに進んだりと、もうわけがわからなかった。
それでも「冒険」をした甲斐あって、ようやく「美容室のダンジョン」という看板を見つけることができた。
「あっ、ここだよ桑田。たまたまだけど、なんとか着いたね」わたしはほっとして胸をなで下ろす。
「やれやれだぜ。これで帰れるな」桑田も疲れたような声を絞り出した。
1階の案内に従って、2階へと上る。ドアには「美容室のダンジョン」と書かれたプレートが貼ってある。
わたしはノックをして中へ入った。
「いらっしゃいませ」さっきの清掃員と同じくらいの歳と思しき女の子がにこやかに迎えてくれる。
「あのう、マアトさんでしょうか?」恐る恐る聞いてみた。
「ええ、そうよ。さあさあ、そちらの背の高い方、イスに掛けてください。髪がぼさぼさじゃない。さっぱりきれいにしてあげますから」
「えっ、いやおれは別に散髪に来たわけじゃ……」そう渋る桑田を、半ば強引にスタイリング・チェアに座らせる。
「今日はどんなヘアスタイルにします?」マアトが促した。
「だから、おれは……」
「いいじゃん、桑田。どうせ、そろそろ床屋に行かなきゃならなかったんだしさ」わたしは面白半分に茶々を入れる。
「ま、いいか。じゃ、さっぱり刈ってもらうとするかな」あきらめたように桑田は溜め息をついた。
「モヒカン刈りなんていいんじゃない?」わたしはふざけてそう言った。
「はい、モヒカン刈りですね。承知しました」マアトは手慣れた様子でバリカンを引っつかみ、有無を言わさず桑田の頭をジョリジョリと剃っていった。
「ば、ばかっ。モヒカン刈りだなんて、おいっ!」声を上げる桑田。
マアトの腕は大したもので、桑田があれやこれや文句を言う暇もあらばこそ、あっと言う間にモヒカン刈りにしてしまった。
正面の鏡を見ながら、桑田は情けない溜め息をつく。わたしとしては、まあまあ似合っていると思った。
「いいじゃん、桑田。それ、けっこういけてるよ。まるで、パンク・ロッカーみたい」
「そうかあ?」と桑田。改めて自分の顔を鏡越しに覗き込み、「うん……まあいいかもな、こんなのも。エレキでも始めてみっかな。でもって、バンドも組んでみたりしてよ。出来上がったプロモをYouTubeにアップしたら、『いいね』がたくさんもらえっかもしれねえな」