ポワソンダブリル
日曜の朝早く、携帯の音で起こされた。桑田孝夫からだ。
「もしもし……」開ききらないまぶたをこすりながら応対すると、妙にテンションの高い声が鼓膜を揺さぶる。
「おいおいおい、今日な、マックでビッグ・マック無料だってよっ。行ってみろよ、今から、すぐに!」
壁のカレンダーをちらっと見まる。
ははあ、4月ばかのつもりだな。
わたしは、あえて騙されてやることにした。
「ええーっ、ほんと?!」
電話の向こうで笑いをこらえる河田の様子が、手に取るようにわかる。
「おお、早く行ってみろ。売れ切れちまうかもしれないぞ」
「そうだね、さっそく行ってみるよ」わたしは電話を切った。
1時間ばかりおいて、折り返し、電話をかけ直す。
「あ、桑田?」
「おう、むぅにぃか」おかしくてたまらないらしく、半分、声が裏返っています。「どうだった、ビッグ・マックは食えたか?」
「うん。けっこう余っていてさ、10個ももらってきちゃった」
「えっ……」驚きのあまり、息を飲む音が聞こえてきました。
「あと10個ばかり、もらってくればよかったかなぁ」
「そ、そうだな。うん、そうだよな……。あ、おれさ、ちょっと用事を思いだしたから、また、あとでな」
こちらの返事も待たず、通話が切れてしまう。
さては、近所のマックへ走ったな。慌てふためきながら駆けていく桑田の姿が、目に浮かぶ。
ウソがこんなに痛快だとは知らなかった。
わたしは気をよくして、今度は志茂田ともるに電話をかけてみた。
「もしもし、志茂田?」
「はいはい、どうも~」新田の軽やかな声が返ってきました。
わたしは、つとめて深刻そうな声を作り、
「大変なことになっちゃったね。上野のリーリーとシンシンが、2頭そろって、脱走しちゃったそうじゃない。いま、アメ横をうろついているらしいよ」
「えーっ、中国から年8,000万円でレンタルしている、あのリーリーとシンシンがっ?!」
「えっ? あ……そんな高いんだ」
「こりゃ、へたすれば、外交問題に発展しかねないですねぇ」
「うん……」
「こうしちゃいられない。わたし、上野動物園にこれから行って、『アメ横をうろつきまわってる』って、教えてきますよ。線路に入り込んだりするかもしれないから、御徒町の交番とJRにも連絡しなくてはいけませんねっ」
わたしはびっくりして、
「ちょっと、待って、あのね、志茂田――」
そう、呼びかけるも、すでに切れていた。急いでかけ直すが、電波の届かない場所にいるらしく、まったくつながらない。
まずいことになった。テレビをつけ、今にも上野周辺で大混乱が起きている、というニュースが流れるのではないかと、ガタガタ震えながら眺めていた。
もし、そんな事態になったら、すぐにデマだと知れるだろうし、世の中をパニックに陥れたとして、この部屋へ警官が駆け込んでくるに違いない。
夕方になり、そして夜になったが、リーリーどころか、パンダの「ぱ」の字も聞こえてこない。
「あ、エイプリル・フールか――」
志茂田にいっぱい食わされたと、今頃気がつくわたしだった。