神丘病院
小学3年の春、桑田孝夫が、
「なえ、知ってるか? 3丁目の神丘病院ってよう、出るらしいぜ」と言い出した。
「出るって、何が?」とわたし。
「オバケだよ、オ・バ・ケ」そういうと、両手を顔のまえでユラユラさせて、ウラメシヤ~のポーズをしてみる。
「ふうーん。あの病院は古いし、死んだ人だっていっぱい、いるはずだもんね。そんな噂話くらいあるかも」
「いや、噂なんかじゃないんですね、これが」そこへやってきたのは、志茂田ともるだった。
「もしかして、見たの?」わたしは、背筋に何かが這うよう感触を覚えた。
「見たのはわたし達ではないんですけどね」」志茂田が肩をすくめると、
「先日、うちに遊びに来ていた、イトコの良江姉ちゃんなんだ、ソイツに出くわしちまったのは」そう、桑田が引き継いだ。
彼らの話を要約すると、こうななる。
良江というイトコが、まだ小さな娘をつれて桑田家に遊びに来たところ、その娘が熱を出してぐずりだしたらしい。そこで、桑田のおじさんのクルマで、神丘病院まで連れて行ってもらった。子供を診察してもらっている間、トイレへ行ったのだが、その帰り、薄暗い廊下の奥の方から、痩せて背の高い男がボーッと姿を現したという。良江は、キャーッと叫びながら、転けつまろびつ、大慌てで診察室へと戻ってきた……。
「それって、職員か入院患者じゃないの?」わたしは疑いました。
すると、桑田と志茂田は、とんでもない、というように首をブンブン振る。
「わたしも桑田君のところの良江さんを知っていますが、そういう冗談を言う人ではありませんよ。幽霊かどうかはわかりませんが、少なくとも何かを見たのでしょう」
「良江姉ちゃんは、やばいもんを見たんだ!」と桑田。
「その男の人の腹には、スイカぐらいのでかい穴が空いてたんだそうです」志茂田は、心なしか、青ざめた顔でそう言い下した。
「それって、どう考えでもお化けじゃん」わたしまで気味が悪くなった。
ゾクゾクしてくる。
「おれは信じたぜ、良江姉ちゃんのその話」桑田は静かに答えた。「良江姉ちゃんはウソをついたり、からかったするような人じゃない。それによ、家に帰ったときのあの顔色ときたら、ただごとじゃなかったぜ」
「桑田君の話によれば、診察中の先生が良江姉ちゃんのその様子を見て、仕方なく教えてくれたのだそうですよ」志茂田もどうやら、桑田の話を信じているようだった。彼はもともと、自分の見たものしか信じないのだが、今回に限ってただ事ではない、そう感じたらしい。
それらの話を聞いていて、わたしはますます怖くなった。
「戦時中、夜中に空襲があって、寝ている男のところに弾が落ちてきたんだってよ。おかげで、腹にぽっかりと大穴が空いちまったらしい」
「即死だったんでしょ?」わたしはたずねました。
「その話はわたしも知っています」志茂田が重々しくうなずく。
「いや、即死じゃなかったってよ」桑田も首を振りふり、「まだ、しばらくは生きていて、それで神丘病院へと担ぎ込まれたんだ。さんざん苦しみぬいて、3日後に息を引き取った。少なくとも、おれはそう聞いたぜ。話してくれたのは爺ちゃんだけどな」
うんうんと耳を傾けていた志茂田は、悲しげな、ささやく声で、
「それからというもの、時折、病院内をフラフラとさまよい歩くお化けが目撃されるようになったそうですよ……」
すっかり忘れていましたが、翌日は予防接種の日だった。
学年ごとに引率されて、指定病院である、神丘総合病院へ行くことになっていたのである。
「やだなあ、行きたくない。だって、怖いんだもん」わたしは、周りの生徒にそうぶつぶつ言う。幽霊の出る病院になど、どうして行きたいと思うでしょう。しかも、昨日、あんな話を聞いたばかりで。
担任の山崎悦子先生は、
「3年生にもなって注射が怖いだなんて、困った子ねぇ」
そう、呆れ返っていた。