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電車に乗って

「さて、いこうか」改札口で父が言った。

「ねえ、おとうさん。切符買わなくていいの?」

「いいんだ。ほら、2人用のパスがあるから、これでどこまでだって行けるんだぞ」

 わたしは、へーそんなものがあるんだ、と思いつつ、父に続いて自動改札をくぐり抜けた。

 ホームには、見たことのない青い電車が止まっていて、ドアが開いている。

「あの電車に乗るよ」と父。

「どこまで行くの?」

「さあ、どこまでだろうな。とにかく、おとうさんと一緒についておいで」

 車内はガラガラだった。わたしと父は並んでシートに掛ける。


 ほどなくして、アナウンスもなく、ただピーッと音がしてドアが閉じた。電車は軽く揺れながら発進する。

 各駅電車なのだろう、駅に着くたびに停止し、少数の客が出入りをした。どの駅名も知らない名前ばかりである。

 5つほど駅を過ぎた頃、父が言った。

「次、降りるからね。ちょうど、乗り換えの電車が止まっているはずなので、大急ぎで移るよ」

「うん、わかった」

 やがて電車は速度を落とし、駅へと滑り込んでいく。ちらっと見た駅名は「とんだばやし」という名だった。

 ホームの反対側には虎縞の電車がドアを開けたまま停車している。こちらの電車が止まり、ドアが開くなり、父はダッと駆け下り、虎縞の電車に乗り換えた。

 あまりにとっさだったので、わたしは慌てて立ち上がり、父のあとを追う。虎縞の電車は、わたしが飛び込んですぐドアが閉まり、動き出した。

「間一髪だったな」と父。

「あんなにギリギリだとは思わなかった」わたしは息を切らせながら答える。父はただ、アハハと笑うばかりだった。


 わたしは車窓から流れる景色を見ていた。初めは都会らしい眺めだったが、次第に家もまばらになり、畑や林が目立ち始める。

 ずいぶんと遠くまできた気がした。

「退屈か? それならこれを貸してやろう」父はそう言うと、鞄から1冊の本を取り出す。

「なんの本?」渡されて手に取ると、革表紙には金文字で「Ω」とだけ書かれていた。

「あまり知られていない哲学者や思想家達の本だよ。ラルコ・スピナーという人の書き物が興味深いんだぞ」

「ふうーん……」わたしはパラパラとページをめくってみた。哲学書というだけあって、難しいことばかり書かれている。

 すぐに飽きてしまって、本を膝の上で閉じると、再び車窓へ目をやる。


 窓の外はすっかり田舎の風景となっていた。山々が近くに見え、民家もまばらに点在するばかり。

「どこまで行くの? まだ遠い?」わたしは聞いた。

「遠いな。相当に遠い」振り向きもせず、父は答える。

 わたしはなんだかそわそわしてきた。目的地もわからないなんて、落ち着かない。それにせっかくの土曜日が、この意味もわからない旅で終わってしまうのが残念でならなかった。

 ふいに車窓が真っ暗になった。トンネルに入ったのだ。

 わたしは再び前にむき直す。蛍光灯の光が、妙に非現実的に見えた。

 することもないので、また「Ω」を読み始める。そういえばさっき、父がラルコ・スピナーは面白いといっていたっけ。目次を見ると、236ページにラルコ・スピナーの「宇宙論」というのが載っていた。

 どうせまた、難しいないようなんだろうなと思いつつ、ページをめくる。


 ところが、読み始めるとこれがなかなか興味深かった。わたしは夢中になって読みふける。

 それはこんな内容だった。


 そもそもの始まりは点だった。時間も空間もない「そこ」には、点だけが存在していた。点は文字通りの点であり、厚みも面積もない。

 それがふとしたきっかけで移動を始めた。なぜ動き始めたのかは言及していなかった。

 点は次第に移動速度を上げていき、やがて光の速度を超えてしまう。すると今度は線となった。これが一次元の始まりである。線が移動すると、今度は面が生じた。こうして二次元が生まれた。二次元の運動は三次元となり、初めて「厚み」が出来上がる。

 三次元のそれは様々な動きを見せながらついには渦を巻き、素粒子が出来上がった。素粒子は2つ、3つと増えていき、原子核となり、電子がそこから飛び出し、原子となる。

 1つの原子からいくつもの種類の原子が生じ、爆発的に増加し空間を押し広げていった。これがビッグバンである……。


「ねえ、おとうさん。ラルコ・スピナーのこの話、風変わりだけどぞくぞくするね」とわたしは父を振り返った。

「だろう? 単に思想と言うだけでなく、天文学、物理学、量子力学に当てはめて考えることができると思うんだ」

「この世の中は、毛糸の編み機のように造られているんだね」

「そう、テレビの映像だって走査線で映し出されている。そんなものなのかもしれないな」

「もし、誰かがその『点』を止めたら……」

「宇宙そのものが一瞬にして消滅するだろうね」

 わたしはちょっぴりぞくっとした。

 それにしても、このトンネルはいつまで続くのだろう。

「本当に長いトンネルだね。もうすぐ出口?」

「いやいや、入ってまだわずかだよ。しばらくは続くぞ」

 わたしはふうっと溜め息をついた。まるで、ラルコ・スピナーの思想のように、わたしも点になった気がする。

 そして今は、その点が動き出した瞬間なのだ。

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