時計が壊れる
ある日曜日、ふと目が覚めると辺りがとても静かだった。
「いつもなら、近所で子供達が騒いでいたり、クルマの通る音がするんだけどなあ」
不思議に思って、カーテンを開けて外を見ると、人もクルマもちゃんとそこにはあった。ただし、誰も彼もピタッと止まったまま動かない。
「一体、どうなっちゃってるんだろう」ふと、今何時だろうと思い、時計を見る。すると、9時15分で止まったままだった。
「ははーん、時計が止まっちゃってるから、時間も止まっちゃったのか」そう合点する。
しかし、何もかもが止まったままでは不便である。買い物もできないし、外食をしようと思っても、店員は無言で立ったままだろう。
「時計、直してもらわなくっちゃね」わたしの時計は古いアナログ時計だった。試しに、軽く叩いてみたが、秒針はピクリとも動かなかった。
それに、よく考えたら、時計を直してもらうにしても、時計屋の主人も止まったままだろう。これは困ったことになった。
「新しい時計にしておけば良かった」今さらながらにそう思う。お気に入りの時計だったので、そのままずっと使っていたのだった。
「さて、どうしたものだろう」時計の裏に、時間を調整するつまみがついていたので、試しに回してみた。長針がくいっと動く。すると、一瞬だけざわめきが戻ってきた。
外を見ると、立ち止まっていた人がちょっとだけ動いていた。クルマも行きすぎている。
「ああ、そうか。時計が動いた分、時間が進んだんだ」そのことに気がついた。「じゃあ、逆に回したら……」
わたしは時計の針を逆に回してみた。見ている目の前で、人やクルマが逆方向に移動していく。
「やっぱりそうなるのか。そもそも、人は時計に依存しすぎているよ。時間に支配されちゃってるんだ。だから、こんなことになるんだよね」
時計の針を動かすと、ちゃんと時間も動くということはわかったが、いつまでも手で回しているわけにも行かない。
「困ったなあ。これじゃあ、いつまで経ってもお昼にならないよ。昼食は近所の喫茶店で、チキン・バスケットを食べようと決めていたのに」わたしは愚痴った。
「そうだ、新しい時計に買い換えよう」そう言ったそばから、時計屋もホームセンターも止まったままだということに気がつく。つまり、買い換えることもできないのだった。
「いっそ、分解して、自分で直してみようかな」そう思い、ドライバーを探す。
けれど、時計は精密機械だ。自分なんかに直せるだろうか。余計に壊してしまうかもしれない。
そう思い返して、分解するのはやめにした。
「どうしようかなあ。っていうか、どうしたらいいんだろうね」
部屋の中には、ほかにも時計があった。けれども、どれも9時15分で止まったままだった。
この時計が壊れてしまっているから、ほかのも止まっているのだ。
「やれやれ、このままじゃいつまで経ってもチキン・バスケットにありつけやしない」だんだんと腹が立ってきた。いっそ、この時計を壁に投げつけてやろうか、とさえ思った。
「だけど、後片付けが面倒だしなあ」時計を持って振り上げた手を、しおしおと下ろす。
「時間を12時にしちゃおうか。そうすればお昼になるし」しかし、お昼になったところでどうだというのだ。喫茶店はランチ・タイムになっているだろう。しかし、注文さえ、取ることもできないのだ。
それにしても静かだった。すべてが止まっているのだ、それも当然のことである。
「あんまり静かだと、かえって怖いくらい。多少うるさくてもいいから、また時間が動いてくれないかなあ」
じっと時計を見る。しかし、ピクリとも動く気配すらない。
その時、ふと思った。
最後に電池を入れたのはいつだったっけ? 1年前? それとも2年前だったかもしれない。
まさかと思いながらも、電池の入っているフタを開けてみた。単三電池が2本入っている。
「確か、単三電池の買い置きがあったはず」急いで机の引き出しを空けてみる。あったあった。ホームセンターで買った、安売りの電池がパックでそのまま入っている。
試しに電池2本を入れ替えてみた。
その途端、かちこちと音を立てながら時計が動き出す。と、同時に、辺りに喧噪が戻ってきた。
外では子供達がキャアキャア言いながら走り回り、通りをクルマが騒々しく行き来する。
「なあんだ。壊れたと思っていたけど、電池が切れていただけかあ」わたしはほっとして胸をなで下ろす。
ともかく、こうしていつもの日常が戻ってきた。
「今度は電池を切らさないようにしなくちゃね」わたしはそうつぶやいた。