世界の果てから落ちかける
桑田孝夫が、ドライブでも行かね? と言うので、何もすることのないわたしは、一も二もなく同意した。
「どこへ行くの?」わたしは聞いた。
「そうだなあ、岬の方にでも行ってみるか」
そういうわけで、わたし達は海を目指して走り出す。
「海なんか見るの久しぶりだなあ」
「ああ、海はいいよな。広々としていて、思わず『ばかやろーっ』って叫びたくなる」
その心理はよくわからないが、桑田がそう叫ぶとき、周りに人がいなければいいけれど、と思った。
野を越え、山を越え、わたし達はどんどん進んでいった。
途中に標識を見つける。桑田が顔をせり出してそれを読む。
「何々、この先右に曲がると『世界の果て』だとよ」
「それって、つまり海ってことだよね。もう、どこかの岬にたどり着いたんだ」わたしは窓を開け、海の匂いを嗅ごうとした。
しかし、潮風どころか湿った空気さえ感じられない。
「海が近いって感じしないね」わたしが言うと、
「たぶん、あの丘を超えたところから見えるんだろ」と答える。
丘の手前で道路は途切れていた。
「なんだよ、丘は歩きで登れってか」桑田はブツブツ言いながら、パーキング・レバーを入れる。
「たいした丘じゃないじゃん。のんびり、歩けばいいよ」とわたし。
丘をテクテクと登っていき、ようやくてっぺんまで来たとき、わたし達は唖然としてしまった。
「海なんかないじゃん」
「海どころか、なんにもねえ。ははあ、つまりこれが『世界の果て』というわけか」桑田は妙に納得している。
丘のてっぺんの半分から向こうは、本当に何もなかった。海どころか、砂もない。
というより、描かれていないキャンバスそのものなのだ。
崖っぷちだけど、底は暗いわけでもなければ白い霧が漂っているわけでもない。ただ、何もなかった。
崖底だけではない。その向こうに見えるはずの空もなかった。あんまりなにもないので、どう言葉で表していいかわからない。
とにかく、「なんにもない」のだった。
「崖の底がどうなっているか、ちょっと近づいてみよう」桑田はそう言うと、ぎりぎりまで歩いていった。
「どう? 底に何かありそう?」わたしが聞く。
「なーんにも。どこまでも無だな。しかし、あれだ。こんなすぐ近くに世界の果てがあるなんて、想像もしてなかった」
初めはびっくりしたが、何もなさすぎてだんだんと退屈になってきた。
そろそろ引き返したくなってくる。
わたしは桑田のそばへ行って、背中に触れた。もう、帰ろうかと言うつもりだった。
とたんに、桑田はびくんと体をのけぞらせ、真顔で言う。
「何すんだ、むぅにぃ。落ちるかと思ったじゃねえかっ」
「そんな大げさな。ちょっと触っただけじゃん」
「と、とにかく、いきなりはやめろよな。声でもかけてくれりゃあ良かったのに」とぶつくさ。
それにしても、ここから落ちたらどうなるのだろう。
「ここから落ちたらどうなると思う?」その疑問を桑田にぶつけてみた。
桑田はウーンと考えた後、こんなことを言う。
「何しろ底がないんだ。永遠に落ち続けるしかないだろうな」
「じゃあ、途中で餓死しちゃうね」
「いや、待てよ。何にもないんだろ? だったら空気もないはずだな」
「あ、じゃあ窒息が先かぁ」
そんな他愛もない話をしながら、わたし達は丘を降りてきた。
「意外なところにあるもんだな、『世界の果て』なんて」再び桑田が言った。
「もしかしたら、あちこちにあったりして」
「そう、しょっちゅうあってたまるかよ」
「ねえ、『世界の果て』って、もうこれ以上、先がないってことだよね?」ふとした疑問が湧いてきた。「ってことは、どこよりも遠くに来たってことにならない?」
「うん……そう言われてみればそうだな。そうだ、おれ達は世界の果てまで来ちまったんだ」
「ねっ、考えてみればすごいことじゃん」有頂天になるわたし。
「それにしても近かったがな。クルマでたった30分ばかりのところだったし」
桑田はそう言って肩をすくめた。