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春を実感する

 休日の朝、わたしは1人、中央公園を散策していた。池の周りに植えられたシダレザクラが、濃いピンク色の花をいっぱいに咲かせ、水面を覗き込む。

 その池に舞い落ちた花びらを、春の風があっちへ、こっちへと運ぶ。

 池の中ほどでは、マガモが数匹、仲良く追いかけっこをしている。頭が緑の方は、オスに違いない。首元に白い輪っかがあって、なかなかオシャレだ。

 パシャパシャと泳ぎ回る様子が愛らしくも滑稽で、眺めていて飽きない。わたしは、池の畔にしゃがみ、ぼ~っと見とれていた。


 ぽん、と肩を叩く者がある。

「お久しいですね、むぅにぃ君」幼なじみの志茂田ともるだった。「マガモですか。仲睦まじいですねえ。それにしても、気持ちよさそうに浮かんでいるものです」

「今日とか暖かいから、一緒になって泳ぎたいくらいだよね」わたしは、まんざら例えというばかりではなく、そう答える。

「この池がもっと大きければ、ボートでも漕ぐのですが」志茂田は、隣の芝に、よっこらしょっ、と腰を下ろした。


 ボートかぁ。楽しいかもしれない。あいにく、この池ではボートはやっていなかった。無理に浮かべたとしても、ほんの3漕ぎで向こう岸まで行き着いてしまうだろう。

「そのうち、不忍池でも行ってみようよ。あそこってば、普通の以外に、スワンボートもあるんでしょ?」

「ありますよ、足で漕ぐタイプのが。ええ、あれも面白そうです。ローボートの方は、漕ぐのにちょっとコツが要りますから、初心者にはスワンがちょうどいいかもしれません」


「来週辺り、花見を兼ねて行ってみない? みんなを誘ってさ」わたしは提案した。

「いいですね。上野の山も、さぞや見栄えがしてきた頃でしょう」志茂田はうなずく。立ち上がると、「さて、わたしはそろそろ行きますが、あなたはまだ、池を眺めていますか?」

「志茂田は、これからどこへ行くの?」わたしも、膝を叩いて立った。

「噴水広場を通って、見晴らしの塔の周りのユキヤナギとレンギョウの花壇でも見て回るつもりですよ」

 公園の中心部には、見晴らしの塔と呼ばれる、不思議な建造物が建っていた。その周囲は憩いの場となっており、せん定された低木や花で彩られている。

 この時期、白く雪を被ったようなユキヤナギ、金屏風のようなレンギョウが、それは見事なコントラストを成すのだった。

「じゃあ、ついて行っちゃおうかな」とわたし。「どうせ、ぶらっと歩こうと思っていたんだし。せっかく、会ったんだから、おしゃべりをしながら行った方が、楽しいに決まってるもんね」


 わたし達は、園内を並んで歩く。

「4月ともなれば、目に入るものすべて、緑一色ですねえ」志茂田がそちらこちら、と目を配る。

「ぐうんと暖かくなるしね」わたしは言った。寒がりなので、冬が終わってくれて、本当に嬉しい。

「春は、想い出が新しく塗り重ねられる季節でもあるんですよ、むぅにぃ君」志茂田が言う。

「卒業とか入学とか?」わたしは聞いた。

「それも1つですが、この世界のどこかには、『想い出草』というものがあるそうですよ」

「想い出草?」

「ええ、どこにでも生えていそうな、平凡な花だとか。聞いた話によれば、1年中咲いていて、冬の終わり頃、綿毛を付けるのです」志茂田は説明する。「その綿毛は、人々の想い出が物質化したもので、春一番に吹かれて、散っていきます」

 想い出を載せて、綿毛が町をフワフワと漂っていく様子が、目に浮かんだ。


「このところ、なんだかぽーっとしてくるのは、陽気のせいばっかりじゃないのかもしれないね。きっと、その綿毛がそっと降りてきてるんだよ」もちろん、そんな花があるなど、信じているわけではなかった。けれど、春の空気には、確かに魔法じみた香りが混ざっている。

「もしも、本当にそんな花があって、すべての人々のあらゆる想い出が綿毛になったら――ふと、そんなことを考えるのですよ、むぅにぃ君」志茂田がしみじみと言う。

「だったら、どうなるかな?」わたしも、にわかに興味が沸く。

 折もよく、志茂田の鼻先にタンポポの綿毛が舞い落ちてきた。志茂田は、それをつまみ上げる。

「こんなちっぽけなものでさえ、質量があるのですね。考えてみれば、不思議なことです」ふうっと、綿毛を吹き飛ばした。種は、クルクルと舞い上がったかと思うと、そのままどこまでも飛んでいく。「人の想いというものは、さぞや膨大な数量となることでしょうね。たとえ、1本1本は信じられないほど軽いとしても、降り積もればたいそうな重さになるはずです」


「雪のように積もると思う?」わたしは尋ねた。

「そうですねえ……。ええ、うんと積もると思いますよ」志茂田は束の間頭を傾げ、慎重に答える。「どんどん積もって、家の屋根を押し潰し、地球を何層にも包み込むに違いありません」

「うーん、そんなことになったら困るなぁ」

「自分達の想い出に押し潰されて滅ぶ、なんて、これ以上の皮肉はありませんよね」志茂田はそう言って笑った。

「いくらかが、はらはらっと落ちてくるだけなら、とっても夢があるんだけど」わたしは意見を述べる。

「まあ、もっとも、それだけの想い出を降らせるには、その分だけ、『想い出草』が群生していなくてはなりませんがね。ところが、噂では地上にたった1輪しかないそうですよ」

「そっか……。じゃあ、ほんの一握りかぁ。あれ1本で、何千本あるかわからないけど、世界中の人達が心に刻んできた想い出に比べたら、それこそたいしたことはないんだよね」


 噴水広場を突っ切る時、一塊の綿毛が、風に乗って渡っていくのが見えた。

「あ、見て、志茂田」わたしは空を指差す。

「なんの種子でしょうかねえ」志茂田は、吟味するかのように目を凝らした。

「もしかしたら、『想い出草』の綿毛だったりして」わたしは言った。

「あんがい、そうかもしれませんね」と志茂田。「ジンチョウゲの香りに紛れて、どこか懐かしい匂いがしやしませんか?」

「そう言えば……」夏の夜に観た花火大会、秋の味覚の数々、寒かった冬、この1年に心に残った記憶ばかりが、次々と蘇ってくるのだった。

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