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夜のライオン

 夜な夜なライオンが現れるという。

 1頭はいつも口を開けて牙を剥いている。もう1頭は歯を食いしばったままである。そのため、「開」、「閉」と呼ばれていた。

 必ずペアで行動し、人を追っては、まず「閉」が捕まえて取り押さえ、「開」が貪り食う――。

 そんな話を、わたしは今、喫茶店で聞いているところだった。

「それって、都市伝説でしょ?」わたしは、カップのミルクをかき回しながら言う。

「たぶんね」親友の中谷美枝子が、立てかけてあるメニューに手を伸ばす。「ケーキ頼もうっと。あんたも食べない? ここのレアチーズ・ケーキ、すっごくおいしいんだよ」

「どうしよっかなぁ。って言うか、ケーキはもちろん食べるんだけど、隣の写真のミルフィーユにしようか、どうしようか、迷っちゃってさぁ」中谷の広げるメニューを覗き込んで、うーんと唸った。値段が一緒なので、なおさら考えてしまう。


「レアチーズにすればいいじゃないの。こっちなら、コーヒーのセットにできるんだよ」

「だったら、それにする」ブレンドが380円、ケーキ単品だと350円。けれど、セット料金なら、合わせて550円だった。180円も安くなる。

「すいませーん、レアチーズ・ケーキを2つ、追加でお願いします」中谷がカウンターに声をかけた。

「はい、すぐお持ちします」マスターが愛想よく返事をする。

 何気なく店内を見回していて、柱の「当店は禁煙」と書かれた貼り紙に気付いた。

「ここって、いつの間にか禁煙になったんだね」わたしはつぶやく。

「とっくよ、とっく。もう、3年くらい経つんじゃなかった?」

「以前は、煙がこっちまで流れてきて嫌だったよねぇ」

「うんうん。あたし達、誰も吸わないもんね。喫煙者って、人のも平気なのかなあ」

「どうだろう。木田仁って、吸うじゃん。今度会ったら、聞いてみようよ」


 マスターが銀のトレーを持ってやって来た。

「お待たせしました。特製レアチーズ・ケーキです」中谷とわたし、それぞれの前に、皿をコトンと置く。「伝票を書き換えますので、お預かりします」

 マスターは、トレーを脇に抱え、レシートを挟んだボードを持って引き下がる。

「わぁ、生クリームがいっぱい!」わたしは嬉しい声を立てた。

「それに、ブルーベリーも山盛りでしょ?」

 クリームチーズとブルーベリーの甘酸っぱさが、口の中で絶妙に混ざり合う。

 フォークで少しずつ切り分けながら、わたし達は至福の時を味わった。

「レアチーズ・ケーキを発明した人に、ノーベル賞をあげたいくらい」まだ消えない味を名残惜しみながら、わたしは言う。

「何賞?」中谷が可笑しそうに聞いた。

「平和賞かな。だって、食べるととっても心安らぐじゃん」


 冷めかけたコーヒーの残りをちびちびやっていると、中谷がさっきの話に戻す。

「ねえ、むぅにぃ。あんたは、あれがどうして都市伝説だと思った?」

「どうしてって……」わたしはカップを置いて考えた。「ライオンが人を襲ったんなら、血の跡とかあるはずだよね。それに、今まで誰も目撃者がいないんでしょ? どう考えたって、変じゃん」

「あー、安っぽい噂話でよくあるよね、そういうのって。全員死んだはずなのに、誰がその話を伝えたんだ、ってやつ」中谷が、うんうんとうなずく。

「ねっ、あり得ないよ。やっぱ、本当の話じゃないんだ。近頃じゃ、テレビ局とかが、話題作りのために、わざとウソの噂を流すんだってさ」

「あるかもね。テレビもそうだけど、新聞だってなんだって、信じられるもの、なーんにもないし」そう言って、冷めたように肩をすくめた。

 確かに中谷の言う通りだった。莫大な情報が降り積もるインターネットだって、真実と呼べるのは、ほんの一握り。

 ウソはウソであると見抜けられなければ、生きていくのも難しい、なんて意見もある。そんな人、ごく少数だと思う。


 コーヒーのお代わりをし、つい長居をする。

 都市伝説の話題はいつの間にか忘れ去られ、どうでもいいようなおしゃべりに花が咲く。

 この場にいないのを幸いと、好き放題笑いものにされる友人達のこと、最近見つけたブティックのこと、今までで1番的中率の高い占いのこと。

 店を出ると、外は真っ暗だった。

「夜のライオンが出るかもよっ」わたしはふざけて言う。

「なら、なんとしても生き残って、あたし達がみんなに報せなくっちゃね」中谷も乗ってくる。

 中央公園を突っ切って行けば、わたし達の住む町内に近道だ。木が多く、街灯も少ないので、夜はいくらか気味が悪いけれど。

「ここって、日が落ちてからだと、さすがに1人じゃ通りたくないよね」わたしは声を潜めた。雰囲気が、無意識にそうさせるのだ。

「あたしも。でも、今日は2人だし、ま、平気かな」中谷までもが、ささやくように言う。


 遊歩道の両脇は、腰ほどもあるサツキの垣根が続いていた。冷たい色をした水銀燈のせいで、灰色をしたブロックのように見える。

 ずっと先の暗がりで、黄色く光るものがあった。

「あれ、何だろう」わたしは思わず立ち止まる。

「4つあるね。ネコの目みたい」中谷が言った。

「ネコにしちゃ、大きすぎやしない?」けっこう離れているけれど、生け垣よりも高いところに浮かんでいる。

「ね、むぅにぃ。だんだんと近づいてない? あたし達、こうして立ち止まってるっいうのに」不安そうに息づく中谷。

「まさか、あのライオン……? あれが目なら、ちょうど2頭だよ」わたしは生唾を飲んだ。

「取り敢えず、引き返そっか」中谷はきびすを返す。

 

 1つの大きな影が、頭上高く飛び越え、あっという間に反対側を塞いだ。たてがみをフワッとなびかせたライオンだった。口を固くギュッと結んでいる。慌てて正面に向き直ると、もう1頭、、咆哮を上げるかのような形相で待ち構えていた。

「ウソッ?! まさか、ほんとに夜のライオンなんてっ!」中谷が叫ぶ。

 2頭はわたし達を挟み、じりじりと迫ってきた。

「どうしよう、中谷――」わたしは、背中合わせに声をかける。

「どうするって言ったって……」震えているのは中谷なのか、それとも自分の方なのか。たぶん、両方だろう。

 わたしは目をつぶって、覚悟を決めた。獣の吐く生臭い息が、顔に吹きかかるのを感じる。


 これは現実なのだろうか。都市伝説の持つ、あやふやさと得体の知れない恐怖が、その幻影を直接心に映し出しているのかもしれない。

 ウソはウソであると見抜けなければ――。 

「あ……」あの言葉が蘇ってきた。

 わたしの言葉に、中谷が半ば無意識に反応する。

「うん?」

 かき乱された湖面のように、ライオンは消え去った。安堵のあまり、わたし達はその場にへたり込む。

「助かったぁ」わたしは深い溜め息をついた。

「なんだったんだろ。幻覚? それとも本物だったの?」

「ダメ、中谷。あれはウソなんだから。信じたりしたら、またきっと、現れるよっ」

 わたしは、中谷だけでなく、自分に対しても言い聞かせるのだった。


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