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いただきます

 象牙山の麓まで、仲間とピクニックに来ていた。

「この辺り、ウメが一斉に咲いていて、きれいだね」ウメの木がこんなに立ち並ぶ様子を、わたしは生まれて初めて見る。

「みんな、うちのじいちゃんのウメ林なんだ。近隣じゃちったあ知られていて、わざわざ電車に乗って見物客も来るんだぞ」桑田孝夫は自慢げに言った。

「あー、知ってる」中谷美枝子が声を出す。「ネットで見たんだけど、国内の有名花見スポットの1つに入ってるんだよね、ここって」

 志茂田ともるも大きくうなずいた。

「それも道理でしょう。わたしも、このシーズンにはあちこち足を伸ばして花を愛でるのですが、ええ、確かに素晴らしいものですよ。ざっと眺めただけでも、数千本はあるでしょうか。いえ、本数だけではないのです。1本1本に手が入れられており、心がこもっていることが何よりも美しい」


 ウメ林の真ん中にシートを敷いて、少し早い昼食にする。

「おれ、かあちゃんの握ってくれたオニギリ」桑田は、リュックからビニール袋を引っ張り出した。銀紙で包まれた、真ん丸い大きな塊がゴロゴロと入っている。「具は、食ってみねえとわからねえんだ。ま、それも楽しみのうちなんだけどな」

「あたしはサンドイッチ。たくさん作ってきたんで、よかったら、みんなも食べてね」将来、パティシエールになるのが夢だという中谷。バスケットに詰められたサンドイッチは、どれもおいしそうだった。

「すごいじゃん、中谷。お菓子だけじゃなく、こんなのまで作れちゃうんだ」わたしはすっかり感心してしまう。

「わたしは今回、ちょっと事情がありまして、コンビニ弁当ですよ」志茂田はいくぶん、きまりが悪そうにパック入り弁当を出した。

「あれえ、この日のためにって、高そうにお肉買ってたじゃないの」中谷が意外そうな顔をする。

 志茂田は、わたし達の中でもグルメで通っていて、料理などもすべて自分でこなすのだ。


「あはは、お恥ずかしい。実は、牛肉の仕込みにしくじりましてね。今朝までに間に合わなかったのですよ。夜までには、しっかりと味が染みているはずですから、夕食はわたしの家でいかがですか。どうせ、わたし1人では食べきれませんので」

 志茂田の申し出に、わたし達は大歓迎だった。

「で、お前のどんな弁当だ?」桑田がわたしを見る。ほかの2人も、振り返った。

「えへへ、おかあさんにお弁当を詰めてもらっちゃった」風呂敷に包まれた弁当箱をリュックから出す。

「あんた、いい加減、自分のことぐらいなさいよ」中谷が呆れた顔で言った。

「えー、桑田だって、おかあさんにやってもらってんじゃん」わたしは反論する。

「あ、てめっ。なんで、おれを引き合いに出すかな」桑田が口を尖らす。

「桑田君には、とても包丁など任せられません。そうですよね、中谷君」志茂田はそう言って笑う。

「お前ら……」桑田はむすっとしながらアルミホイルをむしり、オニギリにガブリと齧り付く。


 それを合図に、みんなして弁当を食べ始めた。

 風呂敷を解くと、高校の頃使っていた、懐かしいアルマイトの弁当箱が現れる。フタを取ると、きんぴら、メンチカツ、ハンバーグ、豚肉などが並べられていた。

「茶、一色だな」桑田が、わたしの弁当を覗き込んでからかう。

 どれもわたしの好きなものばかりだ。けれど、色合いからすれば、確かに地味すぎる。

「でも、お弁当なんて、どうしたって茶系になっちゃうもんだよ」中谷が口添えをしてくれた。

「そうですとも、桑田君。むぅにぃ君の母御さんは、愛情を込めて作ったに違いありません。あなたのオニギリがそうであるように」

「わかった、わかった。ばかにして、悪かったよ」桑田はめんどくさそうに謝るのだった。


 わたしは初め、桑田の言うことなどまるで気にもしていなかった。もともと悪意があるわけでなし、それに、桑田が軽口を叩くのは常のこと。いちいち気にしていたら、キリがない。

 それなのに、周囲が思いもかけずかばい立てをするもので、ふいに心が騒ぎ出す。幼かった日の記憶が蘇って、自分でどうしようもないほど悲しくなってしまった。

「あんたったら……泣いてるの?」中谷がびっくりして、食べかけのサンドイッチを取り落とす。

「お、おい、むぅにぃ」滑稽なほどうろたえる桑田。つくづく不器用な友人だ。

「むぅにぃ君、桑田君とて、本気で言ったのではありませんよ。さ、お茶でも飲んで、気を落ち着かせて下さい――」志茂田は、水筒から温かい麦茶をカップに注いで、わたしに差し出す。

 わたしは麦茶をゴクゴクと飲み干すと、みんなに告げた。

「ううん、桑田は全然関係ない。ずいぶん前に亡くなった、おばあちゃんのことを思い出しちゃってさあ」


 話の成り行き上、語らないわけにはいかなかった。

 祖母が女学校時代、第二次大戦のさなかだったという。北関東の山中だったため、空襲こそ免れたが、ただでさえ貧しい村は、いっそう困窮を極めたそうだ。

「とりわけ、食べ物がなかなか手に入らなかったんだって」

「この豊かな時代からは、とうてい想像もつきません。さぞ、つらかったことでしょうね」志茂田が心から言う。

 給食などというものはないので、学校へは、各自弁当持参だった。どの家も貧乏なので、白飯だけ、あるいは風呂敷に包んだ芋1本、などという光景も珍しくはなかった。

「芋、1本きりかよっ」桑田が、信じられねえっ、という顔で叫ぶ。

「それだって、家の人が食べる分を倹約して持たせてくれたんだよ」わたしは思わず、感情的になって言い返してしまう。


 祖母の家は、それさえも捻出できなかった。米びつは、いつもそこが見える状態で、家中かき集めても、明日食べる分にこと欠くほど。

「おばあちゃん、お昼、みんなが教室でご飯を食べてる中、自分だけお弁当を持ってきてないことが恥ずかしくってたまらなかった、って言ってた」

「むぅにぃのおばあちゃん、かわいそう……」中谷は、ハンカチでそっと目を拭った。

 祖母は、空の弁当箱をいつも持って行ったという。

「そんなもん持ってって、どうするんだ?」桑田が聞いた。

「あなたはほんとにおばかさんですね、桑田君」志茂田がピシッとたしなめる。「フタで隠しながら、食べるフリをして見せたのでしょう。わたしなら、きっとそうしますね」

「志茂田の言う通り」わたしはうなずいた。「おばあちゃんの、それがせいいっぱいのプライドだったんだろうなぁ」 


 わたしは、改めて自分の弁当を見る。決して華やかではないけれど、それでも当時の祖母が見たら、きっと夢のようなご馳走だったに違いない。

「な、みんな」桑田が居住まいを正して声をかける。「むぅにぃのばあちゃんや、そのクラスメイト達のために、『いただきます』を言わねえ?」

「それ、いいかも」中谷が賛成した。

「あなたにしては、素晴らしい思いつきです」珍しく、志茂田も褒める。

「むぅにぃ、お前が音頭を取ってくれるか?」と桑田。

 わたしは引き受けた。その昔、満足に食べることもできなかった祖母達を心に想って、わたしは目を閉じた。


「いただきます……」

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