狭間から世界を覗く
眠りから目が醒めるほんのわずかな時間、わたしは夢と現実との狭間にいた。
何も見えず、物音1つない。かと言って、無ではなかった。五感こそ機能しないが、心では世界を感じ取っていた。思いだけが、そこに取り残されている状態である。
「たぶん、これっていつものことなんだろうな」わたしは思った。「眠りにつく時も、夢から醒める時も、必ずこの世界を通るんだ」
現実と夢、どちらにいる時よりも、頭がはっきりとしている。かえって、起きている時の方が、もやもやと夢のよう。
「現実と呼んでいる世界も、夢だったりするのかなぁ」真に覚醒しているのは今で、たんに行き来しているだけなのかもしれない。
「志茂田だったら、どんなふうに解釈するだろう」ふと、幼なじみの志茂田ともるのことを思い浮かべた。知識が豊富で、しかも頭の中から効率よく引き出す術を知っていた。
そんな彼なら、わたしの疑問にさくさくと答えてくれただろう。
「わたしの解釈を聞きたい、そうおっしゃるのですね、むぅにぃ君?」志茂田が話しかけてきた。声がしたのではない。「直接」わたしに語りかけているのだ。そんな志茂田を、見るよりもはっきりと感じている。
「あ、志茂田、いたんだ」わたしは言った。
「ここでバッタリと出会うなど、大した偶然ですね」
「そうなの?」とわたし。
「ええ、そりゃあもう。なぜなら、ここには時間がないのです。わたし達は、この世界を無限分の1秒かけて通り抜けます。ですから、互いに出会う確率は限りなく無に近いのですね」
「志茂田は、ここでのこと、起きてからも覚えてる?」わたしは聞いた。
「いいえ、全然。ですが、この世界に来るたび、思い出しはします」志茂田が言う。
ついでに、さっきの疑問を尋ねてみた。
「現実と夢って、どっちも同じだと思う? つまり、どっちもウソの世界かってことだけど」
「世界が物質でできているのか、それとも観念にすぎないのか、ということであれば、わからない、と答えるよりほかありませんねえ」志茂田は正直に答えた。
「志茂田も、さっきまで夢の世界にいたんでしょう?」
「思い出してみて下さい、むぅにぃ君。あれは本当に夢でしたか?」
そう言われてみれば、細部まで、ありありと頭に浮かべることができた。
「むしろ、現実の方があやふやだったりする。あれやこれやと辻褄が合わないし、それこそ夢みたいにデタラメな光景ばっか記憶に残ってる」
「わたしもです。どうやら、この世界はフィルターの役目を果たしているようですね」と志茂田。
「フィルター?」
「はい。つまり、ここを通ってもう一方の世界へ行くと、それまで過ごした側の情報が歪んだり誇張されたりするのです。まるで、検閲のようにね。それこそが『夢』の正体なのだ、とわたしは思います」
夢がいつもメチャクチャなのはそのせいか。
「じゃ、夢の世界なんてほんとはなくて、どっちも現実なんだ……」
「どっちの世界も? はて、むぅにぃ君。あなたは、何か勘違いをしてませんか?」志茂田が不思議そうに聞き返してくる。
わたしはキョトンとした。こっちこそハテナマークでいっぱいだ。
「今いるこの世界を真ん中に、現実と夢――もう1つの現実、つまり別世界を往復してるんでしょ?」
「ここが中心であることは間違いありませんが、世界は何も、2つきりではないのですよ」
「いくつくらいあるの?」
「考えてもご覧なさい。ここは時間のない場所です。だとすると、答えは自ずと出ますね? ええ、そうです。無限にあるのですよ」
わたしは驚きのあまり、声も出なかった。もっとも、ここではそんなもの必要なかったが。
「むぅにぃ君は、生まれ変わりを信じますか?」唐突に、志茂田が質問を投げかける。
「うーん、どうだろう。あるかもしれない、とは思うけど」前世の記憶を持つ人がいる、そんな話を前に聞いた。知らないはずの土地なのに、ちゃんと道順を覚えていたり、家の間取りや家族の顔を言い当てるのだという。
「わたしは思うのです。生まれ変わるのではなく、今、この瞬間を無限に生きているのだ、と」志茂田が説く。「人は、永い歳月の中をわずかばかりの一生で終わるのではありません。初めから、永遠の時を生き続けているのです。無限に存在する世界を、絶えず行き来する、旅人のようなものでしょう。この狭間は、言わば、世界と世界とを結ぶ、交差点と考えてもらえばよろしいかと」
なんだか、頭がクラクラとしてきた。えーと、ここでは時間が止まっていて、しかも無限の世界へと通じている。そのすべての世界を、目まぐるしく飛び回っているのだと、志茂田は言う。「むぅにぃ」という人生が終わったとしても、数え切れない別のわたしは生き続ける。
「今、ここにいる自分って、いったい誰なんだろう。志茂田の話を聞いていたら、だんだん混乱してきちゃった」もしも、この世界に重力というものがあったなら、わたしはヘタヘタと座り込んでいただろう。
「もちろん、あなたはむぅにぃ君ですよ、今のところ」志茂田は答えた。「さっきまでいた世界じゃ、わたしは『志茂田ともる』でしたし、あなたは『むぅにぃ』でした」
そうか、わたしは夢を観ていたのではなかった。そして、これから夢を観るのでもないのだ。
どこだかはわからないけれど、別の世界へ行き、別のわたしを始める。そこで過ごす間は、これこそが現実で、今いる自分だけが本当のわたしだ、そう信じているのだ。
「世界が無限にあるんなら、志茂田とも2度と会えないかもしれないね」わたしは悲しくなった。
「そんなことはありません」志茂田はきっぱり言う。「いいですか、むぅにぃ君。わたし達は、無限の世界を同時に生きているのです。あなたとわたしとは、これまでも、そしてこれからもずっと、同じ世界で過ごすのです。そこでは、身も知らぬ他人同士かもしれません。けれど、別のどこかでは、『志茂田ともる』と『むぅにぃ』として」
次第に懐かしい感覚が戻ってきた。そろそろ、狭間を抜けて、世界へと飛び立つのだ。
わたしが、現実だの夢だのと呼んでいた、無限に広がる世界のどこかへ。