今日は昇級発表日
ビルの建ち並ぶオフィス街。その一画に、「ネコの目商事」と書かれたテナントがある。ビルの地下3階のフロア、全部を借り切っていた。
わたしは、できるだけ自然を装って階段を下りていく。エレベーターもあるにはあったが、現在故障中で使えない。さっさと業者を呼んで、直してもらえばいいのに。
「ネコの目商事」の入り口前で、タイム・カードを押す。ドアを開けて、いざ中へ入ろうとすると、傍らに立つ警備員が一言かけてきた。
「モニターで見ていましたが、エントランスに入る際の態度、まだよそよそしいですよ。もっとこう、堂々と歩いてきて下さい。いいですね? われわれの業界はライバルや敵が多いんです。よそに気取られないよう、注意願います」
「はい……」これでも努力をしてるんだけどなぁ。
ロッカー・ルームに入ると、制服に着替える。黒い全身タイツで、頭まで、すっぽりと被るようになっていた。目と鼻と口にだけ穴が空いていて、胸にはネコの目のマークが刺繍されている。
まるで、謎の組織のような格好だ。と言うより、実際にそうなのだ。
「ネコの目商事」というのは仮の姿。正体は、悪の秘密結社「ネコの目団」の本部だった。
「おはようございます」わたしは人事部の自席に着く。
「やあ、おはよう、ナンバー3027862」カーキ色の将校帽を深く被り、たっぷりとしたカイゼル髭を蓄えた初老の男が、わたしを番号で呼ぶ。
「ああ、総統閣下。こちらにいらしてたんですか」わたしは、右手を胸に当て、敬意を表した。
「うむ、今日は一般戦闘員の昇級発表があるからね。一足早く、内容を知りたくなってやって来たのだよ」
「そうでしたね。連中と来たら、そのことで頭がいっぱいのようですよ。このところの戦闘訓練も上の空、落ち着きがないったらありゃしません」
人事部の1人として、わたしも一般戦闘員の常日頃の様子を観察し、閻魔帳に記してきた。おおよそ、誰と誰とが昇級するかを把握している。
人情的には、もちろん、全員を合格させてやりたい。けれど、厳正に判断を下さなくてはならなかった。
人事部長が出社してくると、総統はすぐさま駆け寄る。
「どうかね、今年の昇級のあんばいは?」
「ええ、去年と比べ、12パーセントばかり上がっています。人数で言えば、34名。残りの者につきましては、次回を期待ということで……」
わたしの算定と、ほぼ一致していた。昇級は、ふだんの行動の評価、それと筆記試験の結果が基になる。最終的な決定は、人事部長の裁定だ。
「ナンバー1182213は、今年もダメかね?」合格者リストに目を通した総統がつぶやく。
「試験は好成績で通ったのですが、評価が最低でして」人事部長は答えた。
ナンバー1182213は、温厚で物腰が柔らかい性格である。まっとうな会社ならそれで通用するかもしれないが、戦闘員となると、まるで向かなかった。彼も、その辺りを自覚していて、面談の時、結果いかんによっては、退社して田舎に帰る、とほのめかしていた。
気の毒だけれど、その方がナンバー1182213のためであろう。
「それから、ナンバー1878255もか。彼は、今回で4年連続だな」
ナンバー1878255は、ナンバー1182213とは正反対で、とにかく嫌な奴だった。わたしも、訓練生だった頃はさんざんいじめられたものだ。
もちろん、感情に走ったわけではない。悪に徹する必要があると言っても、団体行動を乱されてはたまらない。その点を考慮しての採点だった。
「ナンバー1878255の性格の悪さはわしもよくわかっとる。だが、実力はあると思うのだ。そこで、どうだろう。今回は特例として、昇級させるというのは」
「はあ……。しかし、ナンバー3027862が下した評価ですからねえ。あの者の目は確かですし、何より公正なのです。それをわたくしの一存で覆すというのは――」
「ならば、ナンバー3027862に直接、尋ねてみるとしよう」総統は、自ら出向いてわたしのところへやって来た。「話は聞こえていたと思う。ナンバー1878255を昇級させたいと思うのだが、どうかね?」
わたしはただ、評価をするのみだ。総統と言えば最高権力者である。その彼がそうしたい、と言うのであれば、それに従うよりほかない。
「総統の仰せの通りに」わたしは右手を胸に掲げた。
昇級発表が終わり、総勢35名には辞令が渡される。
「では、受け取った者から順に、手術室へ行くこと。あとが詰まっているから、私語は慎んで、速やかに」人事部長が言い渡した。
昇級すると、生身の体を改造してサイボーグに変えられるのだ。もちろん、費用一切は会社が負担する。万が一のことがあった場合、健康保険が適用されるので安心だった。
「へっ、おれ様もついに昇級したぜ。この3年間、不遇を見てきたからな。本当は実力があったのに、過去の些細なことで、人事の奴らに逆恨みされていたからな」ナンバー1878255は、意味有りげにわたしをちらっと見る。「だがよ、上のお方は、ちゃんと見るべきところを見てくだすってんだ。お偉いさんは、このおれをわかってるってこった」
どこの企業も人手不足。総統としても、やむを得ない判断だった。そんな事情も知らず、いい気なものだ。
ナンバー1182213の様子はどうだろうか、とわたしは壇上から目で探った。中ほどの列に彼を見つけるが、意外なほど落ち着いている。どこか、吹っ切れたような表情を称えていた。
今日、明日にでも辞表を出すに違いない。部長も総統も、そんな彼を引き留めたりはしないだろう。
手術室からは、改造を終え、上級戦闘員となった者達が、続々戻ってくる。
「いやあ、想像していたほど痛くなかったね」
「うんうん。それに、あっという間に済んじゃうんだな。もう、びっくり」
サイボーグになれば、これまでの4、5倍の筋力が付く。ジャンプだって、自分の身長の3倍も高く飛べるようになるのだ。
「目からビームとか出せるようになれば、もっと素晴らしいんだけど」
「はははっ、そいつは怪人クラスに合格しなくっちゃなあ」
やがて、ほぼ全員が改造人間となって、フロアに集まる。ところが、ただ1人だけ、帰ってこない者があった。
「なあ、ナンバー1788255の奴はどうした? 確か、お前よりも先に手術室に入っていかなかったか?」
「おれよりも先は間違いないが、別の部屋だった。そう言えば、いないな。もう、とっくに終わってるはずなんだが」
その時、社内に悲しげな音楽が流れ、総統の声が告げる。
「えー、ネコの目団の皆様。本日は、悲しいお知らせを伝えなくてはなりません」全員が、一斉にしんとなった。
「先ほど、改造手術を受けました、ナンバー1878255こと、本名只野田吾作さんは、手術中、不慮の事故によりお亡くなりになりました。享年39歳でした。謹んでお悔やみを申し上げます……」
しばしの間、わたし達はどんな顔をしていいやらわからず、ただぼーっと突っ立っていた。
1人が、「ここは悲しむ場面」だということを思い出し、さめざめと泣き始める。
それを合図に、あっちからもこっちからも嗚咽が漏れ、ハンカチで目を拭う姿が見られた。
どれだけの者が、真に心を痛めていたかは疑問だったけれど。