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あきすとぜねこの新人OL

 わたしの務める会社に、中途採用で新人が入った。

「初めまして。姉諏瀬とき子と申します。本日より、こちら総務でお世話になります。どうぞよろしくお願いします」姉諏瀬さんは、そう言ってぺこりとお辞儀をする。

 部署のあちこちで軽いざわめきが沸く。

「おい、あの子、なかなかかわいいじゃないか」

「うん、それに、頭もよさそうだ。おれ、アタックしちゃおうかな」

 係長はわたしに顔を向けると、

「じゃあ、あそこにいるむぅにぃ君についてもらって、色々と覚えてくれるかな」

「あ、はい。わかりました」

 また、わたしか。教えるのは得意じゃないんだよなぁ……。


 姉諏瀬さんがわたしの方へやって来る。

「何もわからないので、1からみっちりと教えて下さい」

「あ、はい。こちらこそ、説明の仕方が下手ですみませんけど、よろしくお願いします」わたしは、隣の空いている席に座るよう、促した。

 しぐさ1つとってもきれいだった。職場の男性諸君が注目するのも無理はない。

 まずは、このフロアのレイアウトと社員の名前を覚えてもらおうと、こちらのパソコンから隣へ名簿のデータを送った。

「Excelは使えます?」わたしは聞く。

「ええ、家でも最新のヴァージョンを入れてます」

「そちらのデスク・トップに、ファイルを置いたので、確認して下さい。この課の席順と名前が入力してあるので、ゆっくりでかまいません、覚えて下さい」

「はい、わかりました」姉諏瀬さんは、素直に従った。午前中は、それを覚えてもらいつつ、コピーなどの雑務で雰囲気に慣れてもらう。

 そうしながらも、わたしは姉諏瀬さんの手際を観察した。その結果わかったのは、まじめで物覚えもよく、手が早くて正確だということだった。

 正直なところ、わたしなどより、ずっとスキルが高い。


 かすかに劣等感をいだきながらも、今年はいい新人が入った、とホッとしていた。仕事もできないくせに怠け者では、指導するこちらがひどい苦労をする。

 昼になり、社員食堂を案内したあとは、始業時間を告げて、いったん分かれた。1日中べったりでは、相手も気詰まりだろう、と思ったからである。

 そろそろ仕事が始まる頃、わたしはいつも昼寝に利用させてもらっている資料室で伸びをした。バインダーのぎっしりと並んだ書棚が並んでいて、ちょっとした迷宮のよう。人知れず休むには好都合だった。

 出口に向かおうとしたその時、棚の奥からひそひそと話す声を聞く。

「来たばっかりの君から、まさか声をかけてもらえるなんて」この声は、同じ総務の平泉さんだ。手癖が悪いという噂は、どうやら本当らしい。妻子がいるクセに、よくやるなぁ。 


 ところが、その相手の声を聞いて、もっとびっくりする。

「あたし、今朝の自己紹介の時、真っ先にあなたに目が行ったの。ほんとよ。これって、一目惚れかしらね。あなたを『愛してる』わ」

 わたしはどうしていいかわからず、足を忍ばせて、こっそりと出ていった。

 席に戻ってきた姉諏瀬さんは、午前と何1つ変わらぬ様子だ。あんまり自然に振る舞うので、あれは別の人だったのだろうか、思い違いかもしれない、そう、もんもんとした。

 さりげなく、斜め前の席に座る平泉さんを見るが、こちらもいつも通りの勤務ぶりである。あれはどこか、ほかの部署の人だったのかなぁ。

 その日は退社まで何事もなく過ぎていった。


 次の日、わたしはまた、食後の休憩を資料室で過ごしていた。始業時間が迫ると、またしても例のひそひそ声。

「よーし、今日はしっかりと確かめてやろう」わたしは、声のする方へそっと近づき、バインダーの陰から向こうを覗く。

 果たして、平泉さんと姉諏瀬さんが見つめ合っていた。

「ああ、やっぱり。どうしよう、係長に報告しないとまずいかなぁ……」途方に暮れてしまう。ただの恋愛ならまだしも、不倫なのだ。けれど、うかつに告げ口などをして、逆恨みされるのも怖い。

 逡巡していると、姉諏瀬さんがいきなり平泉さんの頬に平手を食らわす。パーンッという湿った音が、資料室の隅々にまで響き渡った。

「あなたってば最低っ! ほかの女子社員から聞いたわ。奥さんと子供がいるって言うじゃない。ひどいっ。『嫌い』よっ、大っ嫌いっ!」

 早くも破局か。驚き呆れつつも、これで問題は解決した。

 わたしは胸をなで下ろし、自席へと戻る。


 3日目、午後の休憩時間、わたしと姉諏瀬さんとで、お茶の用意をしていた。

「小島さんはコーヒー、ミルクだけ。中島さんのは、ミルク、砂糖ね」わたしは人数分、説明をする。

「あのう、五味さんは……」なぜか、もじもじと聞いてくる。

「あの人はストレート・ティ。と言っても、ティー・バッグだけど」わたしは教えた。

 すると、五味さんのカップをいとおしそうに取り上げ、白湯を注いで、ねんごろにカップを温める。その上で、いったん湯を切り、改めてティー・バッグで紅茶を作るのだった。

「あたし、この人が『好き』」

 思わず、姉諏瀬さんを振り返る。わたしが仰天したのも当然だ。五味澄子は女性なのだから。

 わたしがあんまり見つめるものだから、何か言わなくてはと思ったらしい。

「あ、むぅにぃ先輩のことは『友達』だと思ってますから」いくぶん、言いつくろった感もあるが、悪い気はしなかった。


 カップを、それぞれの席に運ぶ時、わたしは密かに姉諏瀬さんをうかがっていた。実は、彼女のトレーには、平泉さんのコーヒーも含まれていたからだ。

 昨日、あんなことがあり、どんな態度で渡すのだろうか、と若干の好奇心もあった。

 ほかの人たちには、「はい、どうぞ」と声をかけている。平泉さんの机に叩き付けるだろうか。熱いコーヒーを浴びせかけるかもしれない。わたしは、ドキドキしながら見守る。

 想像していたようなことはなく、コトリとカップを置いただけだった。もっとも、一言もなかったか。

 席に帰った時、わたしは知らん顔をして尋ねた。

「平泉さんとはウマが合わないみたいだけど?」

 一瞬、ハッとした顔をするが、吐き出すように答える。

「わたし、あの人とちょっとやり合っちゃったんです。でも、もう『絶交』しました」


 そんな彼女だったが、立ち直りも早かった。翌週には、別の部署の、今度は独身の男性と恋仲になっていた。

「ああ、経理の佐々木さんかぁ」真っ先に伝えられ、わたしはうなずいた。「あの人は誠実だって評判だよ。ほかの女子も狙ってたみたい」

「へー、そうなんですか。よかった、むぅにぃ先輩に聞いてもらって。今度こそ、安心してお付き合いできる」姉諏瀬さんは、ホッとしたように笑みを浮かべる。「わたし、あの人に『熱中』なんです。会ってから、まだ数日しか経ってないんですけど、ずっと一緒に過ごしてきたような気がするんです」

「もしかしたら、生まれた時に赤い糸で繋がっていたのかもしれないね」

 わたしがそう言うと、ますます顔を染め、

「はい、わたしもそう思いました。わたし達、もうすっかり『恋人』同士なんですっ」

 姉諏瀬とき子は言った。

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