ゾンビが流行る
テレビは、どのチャンネルでも「ゾンビ襲来」のニュースで持ちきりだった。
「各地で発生しています、バイオ・ハザードは、時間を追うごとに被害が広がっています。現在、警官、機動隊、そして自衛隊が出動し、ゾンビ化した集団に対抗していますが、それらの部隊も次々と襲われ、壊滅は時間の問題と思われます……」
大変なことになったぞ。わたしはポテト・チップスをつまみながら、画面に食い入る。
「そうだ、ほかのみんなはどうしてるかな」携帯を拾い上げ、電話をかけた。
「おう、なんだ、むぅにぃか。どした?」電話の向こうでのんきにアクビをするのは、幼稚園来の友人、桑田孝夫だ。
「どうしたもこうしたもないよ。テレビ、観てないの?」
「今まで寝てたんだよ。お前に起こされたんだ」
「いいから、テレビを付けてみなって。とんでもないことになってるんだからっ」
わたしの話し方から、ただ事ではない、と察したらしい。すぐにテレビの音声が聞こえてきた。
「な、なんだよ、こりゃあっ!」そんな叫び声がする。「おいおいおい、こいつは現実なのか? それとも、何かの冗談か? なあ、頼むよ。夢なら醒めてくれっ!」
「あいにく、冗談でも夢でもないみたいだよ。とにかく、部屋の戸締まりをしっかりして、誰も入ってこないようにした方がいい。ゾンビに噛まれたら、ウィルス感染で、噛まれた方もゾンビになっちゃうんだって」
「わ、わかった。騒ぎが静まるまで、部屋でじっとしてるよ」すっかり怯えきった様子で、桑田は言った。
桑田じゃなくとも恐ろしい。ついこの間、映画で観た出来事が、とうとう現実になってしまったのだ。
「マメに、連絡を取り合おうね。それと、テレビはつけたままがいいと思うよ。外の状況が掴めるようにさ」
「ああ、そうだな。もっとも、テレビを観てると、かえって不安をあおられるんだが」
電話を切ったそばから、着信がある。
「はい、もしもし」
「あ、あたし」中谷美枝子だ。「なんだか、怖いねー。ところで、あんたは大丈夫? まだ、ゾンビになんてなってないでしょうね?」
「うん、今のところ大丈夫。ゾンビ達、新宿辺りをうろついてるらしいね。職安通りを西に進んでるんだって、テレビでやってる」
「ちょっと待って、今、地図を見てみる……あ、そっちは明治通りか。きっと、池袋にも押し寄せてくるね」
「と言うことは、こっちの町まで来るってこと?」今にも攻めてくるのではないかという気がし、背筋がゾクゾクしてきた。
「すぐだよ、あっという間。だって、この集団感染って、今朝、始まったばっかでしょ? それも、太平洋沿岸から」
「そうらしいよね。アメリカもヨーロッパ、それに中国やロシアなんかも、すっかりゾンビ国家になっちゃったみたいだし」
「そっかあ、残ってるのは日本だけか。まいったなあ――」
その時、チャイムが鳴った。
「あ、ごめん。誰か来たみたい」いったん、電話を切ると、玄関を覗きに行く。
ドア・スコープ越しに、志茂田ともるが立っているのが見えた。
「なんだ、誰かと思えば」ドアを開けたとたん、チェーンの隙間から、ガッと腕が伸びてくる。ボロボロに破れた袖からは、まるでチアノーゼに陥ったような、どす黒い皮膚が露わとなっていた。
「むぅにぃ君、あなたの肉が食べたくなり、寄らせてもらいました。さあ、一口、囓らせて下さい」
わたしは、大慌てでドアを引っ張る。挟まったままになった志茂田の腕を、爪先で何度も蹴って、ようやく外へ押し退けることに成功した。
「冗談じゃないよ、まったく。今時、豚コマだって、グラム辺り100円じゃ買えないんだから」ドアをロックすると、寄りかかるようにしてへたり込む。ドアの向こうでは、ゾンビになった志茂田が、しきりにドアをノックしている。
ガンガンと乱暴に叩かないところなど、ゾンビになってもさすがは志茂田だった。
落ち着いた頃、ふらふらと立ち上がって、居間に戻る。さっきまでついていたテレビが、真っ黒だ。
「電気が切れたのかな」よく見れば、ちゃんと電源のLEDが緑に灯ったまま。リモコン片手にチャンネルを変えていくが、どこもおんなじ。どうやら、電波が送られていないようだ。
「どの局もみんなゾンビにやられちゃって、放送そのものが止まってるのかなぁ」スタジオの中を、ゾンビがゆらゆらとさまよっている様子が目に浮かんできた。
「そうだ、桑田と中谷はどうしてるだろう」ドキドキしながら、電話をかける。
「もしもし……」変わらない桑田の声がした。
「ああ、よかった。無事だったか」ホッと胸をなで下ろす。
「なあ、むぅにぃ。テレビ、写らなくなったんだけど、お前んとこもそうか?」
「うちもだよ。テレビ局、たぶん、全滅したんだと思う。さっき、中谷が言ってたけど、ゾンビの集団、池袋経由でこっちまで来そうなんだって」
「そっか。戸締まりしてるけど、入って来ちまうかな?」
「どうかなぁ。人によると思う。生前、ちゃんとしてた人間なら、そんな無理やりは入ってこないかも。実は、さっきもさぁ――」
その時、「ちょっと、わりい。誰か来たみてえだ。ああ、ありゃあ、志茂田の奴だな」
わたしはびっくりして、叫ぶ。
「ダメっ、ドアを開けちゃ! それって、ゾンビだよっ!」
こちらの声は届かなかった。ガラガッと引き戸の開く音がし、続いて鋭い悲鳴を聞く。
恐怖のあまり、わたしは携帯を耳に押しつけたまま、その場を動けなかった。
すると、再び桑田が出る。
「なあなあ、むぅにぃ。お前、ステーキ好きだったよな。血の滴る新鮮な肉、奢ってやろうか。その代わり、お前の生肉、食わせてくれよお」
わたしは、携帯を投げ捨てた。キッチンの方へと転がっていき、ワゴンの下に入り込む。
緊張のあまり、トイレへ行きたくなった。用を足しながら、現況はどうなっているのだろう、と不安に震え続けた。
池袋どころか、この辺りもとっくに汚染してしまい、誰も彼もがゾンビとなっていたらどうしよう。
トイレから出てみると、居間のテレビの前に誰かが座っていた。ギョッとして、思わず立ち尽くす。
「ねえ、むぅにぃ。テレビ、どこも映らないじゃないの。どうしちゃったのかしらね」馴染み深い声だった。
「なんだ、中谷か。誰かと思った」わたしはその傍らに腰を下ろす。プランターの下のスペア・キーを使ったんだな。幼なじみなので、こんなこともちょくちょくある。
「あのね、もう間もなく、世界中がゾンビになるってさ」と中谷。
「なんで、そんなこと言うのさ」その口調に、言いしれぬ不気味さを覚えた。
「だって、むぅにぃ。あんたがその最後の1人なんだもん」そう言って振り返った中谷は、メイクアップなしで震え上がるほどの、おぞましいゾンビ顔だった。
玄関がガチャッと開く音がする。ゾロゾロと何者かが上がってきた。
「桑田君、いくらゾンビだからと言って、よそ様のお宅に土足はいけません」
「わりい、わりい」
志茂田と桑田だ。2人は、わたしを挟むようにしてどっかりとあぐらをかく。
「さて、むぅにぃ君。こんなことになりました。もう、観念していただきませんと」志茂田が諭すように言う。
「そうだぞ、むぅにぃ。さっさと仲間になっちまえ」桑田も、血肉を滴らせながら迫る。
「あたしが、二の腕辺りをちょこっと囓ってあげるから。ね、それならいいでしょ?」
ふと、思った。今や、全人類がゾンビなのだと言う。だとしたら、何を恐れる必要があろう。
これからは、国境も人種の分け隔てもなく、仲良く平和に暮らせるではないか。
わたしは、袖をめくると、腕を中谷の前へと差し出した。