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二十三、地下牢の邂逅

 地下へと続く扉、そこに見張りはいない。逃げ出すとは考えていないのか、妖のそばには近寄りたくないのか、どちらにしても好都合だ。

 扉には私を部屋に封じていたものと同じ札が貼られている。より強い力を得たこの身体で触れたら、痛いでは済まないかもしれない。

 それなのに、悩む間もなく破り捨てた。焦げ付くような匂いが鼻を霞める。熱い掌なんて気にしている暇はない。夢中で階段を駆け下りた。


 朧……お願い、無事でいて!


 窓はおろか灯りなんてものは存在しない。引き返せない闇の中へ迷い込んでいるように感じる。何度も何度も怖ろしいと感じてきた階段、けれど不思議なことに今日は道が見えている。これも妖の力? それとも私が自分の意思で来たから?


 階段を下りた先には空間が、その先には鉄格子がはめられている。造りは昔と変わっていなかった。けれど私は外にいる。牢に繋がれているのは私の大切なひと――


「朧!」


 朧が倒れている。その事実が一瞬にして私から冷静さを奪った。

 当主様が命令したのだろう、遠くからでもわかるほどの傷を負っている。傷ついて、ボロボロになって――ぴくりとも動かない。目の前の光景が私を絶望に突き落とす。

 赤い血がどうしたというの? 歪な傷がどうしたというの? 凄惨な場面を見るのは初めてじゃない。妖に襲われた人間の末路にも遭った。それなのにどうして私は……恐怖に震えている?


「……あ、ああっ!」


 喉の奥が張り付いて声が出ない。どうしてなんて、決まっている。そこにいるのが朧だから。


「朧? ねえ、朧……お願い、返事をして!」


 届くわけないのに、みっともなく格子に縋りつく。ずっと、内側から自由を求めるばかりだった。もっと早く自分の意志で歩き始めていたら、朧を傷つけずに済んだかもしれない。いくら後悔しても遅い。わかっているのに、次から次へと涙が溢れる。


「目を開けて、お願い! ごめんなさい、私に関わったりしたからこんな……」


 泣いたってしょうがない。私のせい、私が朧を傷つけた。早く助けないと! 私たちを取り巻くのは闇。ならこんな檻、すり抜けて朧の元までいけるはず。

 目を閉じて、落ち着いて、集中して――

 視界が歪んでばかりだ。いつもみたいに笑ってほしいと身勝手な欲ばかりが渦を巻く。倒れている姿が焼き付いて離れず、冷静でいさせてくれない。


「お前を狩るのは私でしょう? 私以外の人に傷つけられるなんて、許さないから」


 身勝手な言い分にもほどがある。涙交じりの懇願は聞くに堪えない。でも――


「随分と情熱的だな」


 どんなに情けなくたって朧は受け入れてしまうの。

 声と共に温かな手が触れる。驚きに俯いていた顔を上げれば、また一筋涙が零れた。


「う、そ……」


 だって、彼は倒れている。いくら手を伸ばしても届かなくて、傷ついてボロボロで、返事もしてくれなかった。それが――どうして目の前にいる!?


「朧、なの?」


「それ以外の何に見える?」


 格子を挟んで私の目の前にいる朧、その温もりは本物だ。なら奥で倒れている朧は誰で……何!?


「ふ、二人、朧が二人!?」


「あれは分身だ」


「分身!?」


 初めて聞いたし都合が良いにもほどがある。


「朧……本当に?」


「ああ」


 私の前にいる彼には怪我がない。そして私のよく知る笑顔を浮かべている。

 なら朧は、無事?


「無事で、良かった……」


 騙されたことに憤るよりも先に身体が軽くなったのを感じ、泣き笑いとはこのことだと思った。泣いているのか笑っているのか自分でもわからない。


「まさか君から会いに来てくれるとは……。牢にも入ってみるものだ」


「ば、馬鹿なこと言わないで! どれだけ心配っ――」


 私の心配は朧に伝わっていない。それもそうだ。だって伝えたことがない。


「君は何をしに? それを手にして、何をするつもりだ?」


 だからこんなことを言われてしまう。全部、自業自得。好機を狙って現れたと、それで殺しに来たのかと疑われている。でも残念、お前の予想は外れだ。


「お前に会いに、助けに来た」


「何故?」


 私が答えれば朧は心底驚いている。


「巻きこんでしまったから、助けに。それに私は、朧が来てくれた時嬉しかった。だから私の意思で会いに来た」


「……君は本当に椿か? 妖になると人格まで変わるのか」


 よほど意外な展開なのか……だとしたら優越感を覚える。いつも振り回されてばかりいたのは私だから。


「何も変わっていない。これはずっと、私の中にあった気持ち。疑うのなら確かめればいい」


 好きなだけ暴けばいいというつもりで手を差し出したところ朧は眉をしかめた。


「手を、どうした?」


「手?」


 すぐには思い当たらなかったが、指摘されると痛みはぶり返すものだ。


「札を破いたから。もう完全に人ではなくなった。でもこの力で朧の元まで来られた。だから後悔していない」


「痛いだろう」


「少しだけ」


 愛おしそうに包み込まれ、強がることを忘れた。


「じき迎えに行くつもりでいた。大人しく待っていれば良かったものを、こんな怪我までして」


「大人しく待つほど従順にはなれない。待つだけはもうやめたの」


 嫌なら手放してしまえという意味も込めて告げたつもりだ。


「君の手が傷ついたことに関しては不本意だが、その言葉はこの上なく嬉しいよ」


 本当に嬉しそうに朧は目を細めているが。手の痛みと共に私は一つの現実を呼び起す。


「……ところでお前、一人で逃げられた?」


「さてね。何故、俺が捕まったと思う?」


 否定せずに話を続けるということは、そういうことなのだろう。多少なりとも頬は引きつったが、私が悪いと自覚をしているので言及はしない。


「私が足を引っ張ったから。私なんて放っておけばよかった!」


 今になってようやく、あの時の悔しさを口にすることが出来た。


「俺は君が大切だ。君が傷つけられるというなら阻止すべく動く――というのは勿論のことだが、今回の目的は少しばかり違う」


「目的?」


「妻の親族に会っておくのは当然のことだろう」


「は?」


「嫁入りするなら両親への挨拶は必須だ」


 え、まだ言うの?

 まだ諦めていない!?

 この期に及んでも私を選びたいと言い張るなんて、そんなの!


「また、私のため……ばか、馬鹿なの!?」


「ああ、それでこそ椿だ」


「……でも、嬉しい」


「椿?」


 本当にどうしようもないひと。そんなひとから与えられたものが大切だという私も、どうしようもないんだ。


「……今日だけじゃない。ずっと、名前をくれてありがとう。私を選んでくれてありがとう。朧の屋敷で暮らせて、幸せだった」


「随分と素直だな。まるで今生の別れのようだが」


「そうなると覚悟して来た。これが最後だと思ったら、言えた。だからちゃんと聞かせてほしい。あの日、どうして私を選んでくれたの?」


 ただ町で出会った半妖に同情したのか。その理由が知りたい。


「俺は、奴の思い通りになるのが嫌でたまらない」


 奴というのはもちろん緋月のことだろう。


「反抗期?」


「なんとでも」


 怒っている? いや、拗ねていると言うほうが正しい気がする。朧でもこんな顔をするなんて意外だ。


「近付いてくる女はすべて奴の手先に思えたよ。好いた相手くらい自分で選びたいと、そんなことを考えて家を出た。そこで偶然出会ったのが君だ」


「私?」


「そう、勇ましくも無謀に俺に挑んでみせた」


「無謀……」


 否定できないのが悔しい。


「無謀な人間だった。それがたまたま女で、半妖で、君だった。殺しに来るくらいがちょうどいい。疑わずに済むだろう?」


「朧にそうまで言わせるなんて……」


 緋月という妖はどこまで怖ろしいのか。


「あの女傑に喧嘩を挑んでくれるような無謀な輩、早々いないだろうな。しかし君ならと期待した。まずはからかって遊んで、使い物になるようなら利用してやろうと思ったよ」


 からかわれている、まさにそんな気がしていたが本当だった。


「何時から本気になったのかと訊かれれば、それは君が命がけで約束を守ろうとした瞬間だな」


「き、訊いてない!」


 誰もそこまであけすけなことは訊いていない!


「俺が話したいんだ」


 好奇心と羞恥が私の中でせめぎあうも、朧が待ってくれるわけがない。


「どんな状況に陥ろうと君は約束を守ろうとしてくれた。驚いたよ。そして何より嬉しかったんだ。君なら信じられると思えた。君を死なせたくないと、その時気付いたよ。俺は君を――」


 途端、言葉に詰まる朧にいぶかしむ。


「……そういえば、これを告げたことはないな」


 何を告げるつもりなのか怖くないといえば嘘になる。けれど逃げてはいけないと相手を見据えた。そんな不安もお見通しなのか、子どもっぽく頭を撫でられる。まるで心配するなと言われているようだ。


「君を愛しく思う」


 また一筋、涙が零れた気がする。けれど涙の意味は明らかに変わっていた。


「俺のために涙する君が、俺のために傷ついたこの手が、たまらなく愛しい」


 そんなことを言われては、もう涙が止まらない。

 これも全部、朧のためのもの――

 こんなものでいいと望んでくれるなら、全部あげたいとさえ思う。


 長い間私が望んでいたもの。家族からも与えられず、人の枠からはみ出してしまった私を、それでも受け入れてくれたのはこのひとだった。


「それともこんな場所で愛を囁くのは無粋か?」


 悪戯っぽく唇を歪める朧が愛おしいのは私も同じなのだろう。

 闇の中だった。

 牢屋越しの逢瀬だった。

 でもなんだか、私たちらしい気がする。


「どこだっていい。朧がいるなら、それでいい」


 彼の想いを言葉で聞いたのは初めてのこと。いつも妻になれと先走ったことばかり言うくせに、そこにある感情を聞いたのは初めてで――私は涙するほどの幸福に包まれていた。

閲覧ありがとうございました。

大変遅くなってしまいましたが、いただいた感想にも返信しております。

こうして読んでいただけたこと、大変励みになっております。

お礼として、早く続きをお届けできるよう頑張ります!

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