十四、緩やかな綻び
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物語りは椿視点の本編に戻り、ちょっとした事件の話です。
何度も何度も、襲撃を重ねた。
屋敷で暮らし始めてから今日まで、休んだことはないと言っても大袈裟ではなく。けれど未だに傷の一つも与えられていない。
藤代は私の技量を褒めてくれるけれど、はっきり言って進展がない。
どうすれば朧に勝てる?
たとえ今は勝てないとしても、どうすれば一矢報いることが出来る?
そもそも朧も傷を負うことがあるのか。そんな考えまで浮かび始める今日この頃。
今日もまた、もはや日課とも表現出来る襲撃を終え……結果については触れないでほしい。顔を突き合わせて食事している、これが全てだ。
箸を止めてから、私は気になっていたことを口にする。
「今日はなんだか少し、賑やか?」
朧も私に倣ってか、ああと呟いて手を止めた。
「屋敷で宴を予定しているからな」
「宴?」
「近辺の妖が集まる。顔を見せ、近況を報告したりな。俺にはそういった義務もある」
「そう」
「実際に集うのは夜だが、ここに大勢集まるとなれば慌ただしくもなる。料理に酒、広間の準備に役割分担……大変なことだ。むしろ主催とはいえ俺の方がたいしてすることはない」
「そうなの? でも、藤代がおもいきり睨んでいる」
藤代がその通りと言わんばかりのわざとらしい咳払いを一つ。
「椿様、お心遣い感謝致します。ええ、あります。とてもあるんですよ。主催であり屋敷の主なのですからね。そうでなくても朧様は!」
「はいはい、任せきりにしてすまなかったよ」
なおも続きそうな藤代の小言に朧は肩を竦めていた。そんな二人のやり取りを遠巻きに見つめながら思う。
「つまり、今日は妖がたくさん集まるのね」
「そういうことだ。今更だが、しばし我慢してはくれないか?」
すぐに私は頷いた。
「今日は部屋から出ない。うっかり顔を合わせて何かあっても困る。約束を違えるつもりはないから、安心していればいい」
うっかり妖を見て斬りたくなったなんて笑えない。
ここの妖たちは私に危害を加えようとしない。現在も約束を守っているのは朧も同じだ。ならば人間である私が先に約束を破るような真似をしたくない。人間は理性的で誠実な生き物。妖とは違う、妖に負けたくはないと思う。
ふと、朧を睨んでいたはずの藤代が私へと向き直っている。
「椿様、申し訳ございません。わたくしも支度がありまして、本日は講義に付き合えず……」
同じ妖とは思えないほどの豹変ぶり、それくらいしおらしい態度を向けられている。本当に申し訳なく思ってくれているらしい。だから私は努めて気にしていない素振りで返答をする。本音を言えば、少し残念ではあるけれど。
「一人でも出来ることはたくさんある。お前が、そう教えてくれた。だから気にすることはない」
「それがいい。部屋で大人しくしていてくれ」
「お前も、妖が人間を住まわせているなんて知られたくないものね」
ここで朧が同意したということは、そういう理由なのだろう。けれど朧の顔には疑問符が浮かんでいる。他に何があるというのか。
「俺としては君を自慢して回りたいが、君の方が慣れていないだろう?」
それはどういう意味だろう。大勢の前に出ることが? 私の礼義がなっていないから、妖前に出すのが恥ずかしいという意味だろうか。
「……私、見くびられてる?」
「違う。心配なんだ。妖どもの中に君を放りこみたくない」
「それは私も遠慮したい」
「だろう? 君に懸想する者が現れでもしてはたまらない」
「けそう?」
「恋敵が出来るのは避けたいということだ」
「……結局意味がわからない」
互いの認識に誤りがあることはわかるが、結局どういう意味なのだろう。藤代に訊こうと思うが彼も忙しい身、姿を消していた。野菊に至っても同じことでだった。この日のために臨時で雇った妖もいるが、急なことで慣れておらず彼らは監督役に忙しいそうだ。
わざわざ追いかけるほどのことでもなく、食事を終えると大人しく自室への道を辿る。自分から妖にかかわりに行くなんてもっての他だ。
独りで過ごすのは得意、そのはずだった。ずっとそうしてきたし、これからだってそう。なのに、どうしてこんなに静かに感じるの?
きっと事あるごとに理由をつけては朧が現れるから。奇襲をしかけてはかわされ、逃げられ、口論をして。藤代が講義と稽古をつけてくれて、野菊が世話を焼いてくれて、それが私の日常と呼べるようになってしまったから。
「でも今日は、やけに静か……」
遠くからは慌ただしい気配。開け放した戸から幽かに聞こえる足音、妖の声。けれど私の周りだけ、この部屋だけは静か。この呟きにだって答える妖はいない。慣れたはずの静寂が別物のように感じられた。
どれくらい時間が経ったのか、庭はすっかり暗くなっている。
「椿様、失礼致します」
部屋の外から声がかかる。知らない声だ。
「誰?」
「朧様がお呼びです」
「朧が?」
呼び出しにいぶかしむ。私を呼びだすなんて初めてのことだ。いつも呼んでもいないのに自分からやってくるのに。
用件を問いただせば、外からは困ったような雰囲気を感じる。
「私では内容までは……。大事な話があるそうですが、どうしても席を離れられないと申されまして、怖れながら私がお声をかけに参った次第です」
「そう……」
確かに主催者は忙しいのだろうと納得して、私は部屋から顔を出す。そこにいたのは黒い着物に身を包んだ、おそらく妖ということしかわからない女。
「わかった。案内してほしい」
朧に会うならこれが必要と刀を手に部屋を後にする。
「はい、こちらにございます」
臨時で雇われている妖だろうか、女の先導で廊下を進む。途中、誰ともすれ違うことはなかった。今頃はそれぞれ忙しくしているのだろう。何もおかしいことはない。
それなのに――まるで闇の中を進んでいるみたい。本当に、この先で朧が待っている? 永遠に戻れなくなるような不安が湧きあがるのは何故?
「本当に朧がいるの?」
疑問が口にすれば、女は申し訳なさそうに「もう少しです」と言った。
やがて「こちらでございます」と促されるまま部屋の中へ、敷居を越える。
「……朧?」
部屋は暗かった。けれど薄闇の中に誰か――朧が佇んでいる。
「待っていたよ」
どう見ても朧なのに、声だって同じ。それなのに違和感が消えてくれない。何より、屋敷の中で朧が刀を携えているなんて珍しいことだ。
「本当に、朧?」
左手に持ったままの刀。慎重に右手を動かし、それを抜こうとした。いつものように朧に攻撃をしかけよう、そう考えていた。
「え――」
幽かな風が肌に触れる。正確には風にも満たない空気の振動と言うべきか、背後で何かが動く気配を感じた。そこに交じるのは紛れもなく、私が何度も経験してきた物――殺気だ。
動け!
染みついた感覚から、条件反射のように体を捻る。鋭く伸びた振り下ろされる様子を視界の隅で捉えた。もし動いていなければ今頃……
私を襲ったのは背後にいた女の妖。大きく裂けた口に獰猛な牙、人とは似ても似つかない獰猛な妖の本性をさらけ出していた。
「どうして……」
体勢を崩した私は膝をつき妖を見上げる。茫然としている間にも、爪が霞めた肩からは血が滲み着物を赤く染めていく。それは久しく感じていなかった痛み。致命傷ではないが、そう浅くもらいらしい。けれどとっさのことに肩を霞める程度で済んだのは経験の賜物か。
「お前……」
こんなことは初めてじゃない。妖が目の前にいて獲物を狙っている。怖ろしい形相の妖が目の前にいようが、臆するような私ではない。
今すぐ刀を抜けばいい。
そうしなければ危険だと、何度も妖と遭遇したカンが告げている。
でも、抜けない。
だってここは朧の屋敷だから、私は誓った。
躊躇う私を前にしても女は容赦なく爪を振るが、それは力を誇示するような大ぶりで単調な動き。たとえ抜かなくても、落ち着いて動きを見れば避けることは造作もない。
そんなことを続けていては無駄に体力を消耗するだけ。それは相手も同じ考えなのか、二人がかりで攻撃を始めた。注意を怠っていなかった私は難なく朧からの太刀をかわす。
「朧様、しくじっていますよ」
私を仕留め損ねた朧の顔をした妖へ、女が言う。
「悪かった、意外とすばしこい。だが最初に仕損じたのはそっちだろう」
朧と同じ声、そして女は妖を『朧』と呼ぶ。けれど私はそんな言葉に惑わされたりしない。これが朧でないことははっきりしていた。
「お前は朧じゃない」
「何を言うかと思えば」
この姿を疑うのかと妖が言う。
「朧は私に危害を加えたりしない。約束した」
「戯れに決まっているだろう」
言葉で惑わし、私の動揺を誘っている。
「違う」
毅然とした態度で言い返すことが出来た。
どんなに私が攻撃しても、朧はいつも避けるだけ。いくら刃を向けられようと私に手を上げたことは一度もない。それが悔しくて必死に闘いをしかけるのに、これまた逃げられてばかり。
「朧は、約束を破らない」
「約束? とんだ信頼関係ですね。どうやら計画を変更しなくては」
それを貸してと、女は言った。指差された先には偽りの朧が持つ刀。指示されるがまま簡単に刀を手放したことから上下関係は明白だ。
私はそれの餌食になるつもりはない。どうするつもりかと首を傾げたのも束の間、女の手から刀が離れる。
「なっ――」
私は無傷。でも部屋に響いた鈍い音は、まるで何かが倒れるような……
信じられない気持ちで振り返った私の目に映るのは胸を貫かれた妖。そこにはもう朧の面影はなく、人の形をしていた頭部は獣の姿に戻っている。刺したのは女、だが想像していなかったのだろう。驚愕の表情を浮かべていた。
「お前、仲間を……」
目の前の光景が信じられないのは私一人。おそらく同じ気持だった相手はもう死んでしまった。
「仲間、そう仲間ね。あなたを葬るために手を汲んではいた。でも、別にどうということはないでしょう。妖の生死なんて」
仲間が死んだのに笑っている。それどころか自分で手に掛けたというのに、驚いている私を意外そうな目で見つめていた。
ありがとうございました!




