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十一、宿の一室

 そうして連れてこられた宿の一室にて、私は叫ぶ。


「同じ部屋!?」


「生憎、他は満室のようだ」


 朧はさらりと言ってのける。


「私は外で構わない」


 妖屋敷にて、私たちは完全に別々の時間を過ごしていた。朧が様子を伺いにやってくることを覗けば、ほぼ別々だ。部屋はもちろんのこと、食事から就寝に至るまで。

 それが突然の同室。同じ時間、空間を共有することが義務付けられる。目先に迫っている。


「おい、それはどういう状況だ。震える女を外に放りだし、俺に一人安穏と部屋で寛ぐような非道を演じろというのか」


 またしても攻防が始まった。私たちはそのくり返しばかり。朧にとって害のある意見をしているわけでもないのに、素直に了承されたためしはない。


「災難だったな、椿。衝立の向こう側で着替えるといい。着替えは宿の者が手配してくれた」


 そう、私の着物は無残に濡れてしまった。

 どうしてこうなったのか、それは遡ること数分前――


 鳴り響く耳鳴りを消し去りたくて、ひたすら無言だった。それを体調が悪いと解釈したのか、朧は干渉しようとしなかった。

 そう、私はひたすら無を貫いていた。そのせいで注意を促してくれた朧の声も綺麗に抜け落ち、何か言ったかと聞き返した時にはすでに遅く。ぬかるみに足を取られ転ぶと覚悟したのも束の間、温かい腕に抱きとめられる。けれど私はその温もりから逃げた。勢いのまま傘から飛び出し、転ぶことは免れたが、桶をひっくり返したような大雨にうたれ。それによって先を急いでいた通りすがりの荷車の水が跳ね……完全に自らの招いた失態である。


「そう嫌そうな顔をするな。風邪をひかれては困る。君も体調不慮で妖に看病されるなど屈辱だろう」


 なるほどそれは屈辱だが、もう既に己の過失に十分屈辱を感じている。この上妖に看病、確かにそれは嫌だ。


「ひっ!」


 驚いた弾みに喉から悲鳴が零れる。朧の手が私の帯に触れて解き始めていたのだ。


「お、帯を放して!」


 無言で睨み続けていたせいか実力行使に移られている。彼の着物とは明らかに構造が違うのに慣れた手つきだ。私より素早く無駄がないように思う。


「ほらみたことか、震えているぞ。だから早く脱げと言っただろう」


 いけしゃあしゃあと目の前の男は言ってのける。


「も、もう、わかった。一人で出来る!」


 身体をよじって魔の手から逃れることに成功する。さすがに襦袢だけとなった最後の砦を引っ張ろうとはしないかった。妖もそこまでは鬼ではなかったのか、もみ合いのせいで気崩れてはいるけれど。


「傷が多いな」


 何のことかと朧の視線を追えば、攻防の末に露出した私の肩を指しているようだ。ともあれ、まずは衝立の向こうへ避難する。

 襦袢を引き上げ、ふと思う。私の体に刻まれた傷は闘いの証、生き残ってきた成果。それを知る人は、どれだけいるのかと。


「……死にかけたことも、少なくはない」


 ここで話さなければ、一生誰にも知られることはなかっただろう。誰に理解されることもない孤独な闘い。それは少しだけさびしいと欲に負けて口が動く。いずれ狩る相手なら知られて困ることもないだろうと。


「それほど傷だらけになっても、狩ることをやめないのか」


「そんな選択許されない」


「違うな。本人がどうしたいか、気持ち次第でどうとでもなる」


「気持ち……私の気持ち?」


 朧の言う通りなら、選択肢はないと決めつけていただけ?

 逃げれば良かったと言いたいの?


「怖くはなかったのか? 人間は脆く、死を恐れるものだろう」


「死を恐れる、それは苦痛を感じたくないから?」


「そうだな、妖とて苦痛を好むわけじゃない」


「私だって痛いのは嫌。けどそれが私を死に至らしめる妖なら、運命だったと身の程を知るだけ」


「未練はないのか? 死にたくないと……生きて何をしたいという望みはないのか」


「生に縋るほどの未練はない。だから何も問題はない。私の死を嘆く人もいないから」


 期待していたわけではないけれど朧からの返答はない。代わりに衣ずれの音、静かな足運びが近づいていた。無論、それは衝立の奥に身を潜めている私のものではない。

 廊下程の距離があるわけもなく、すぐに足音は止まり身構える。薄い衝立を隔てたすぐ向こうに朧の気配を感じた。もし乗り越えてきたら――無論、拳をお見舞いするつもりでいるが、そんなことはなかった。静かに腰をおろした朧が語りかける。


「なら、俺のために生きてくれ。君がいてくれないと困る」


 何を馬鹿なことを――

 喉まで出かかった言葉は結果として音にならなかった。まるで夢のような台詞。朧はこちら側にいるのが別の女だと錯覚しているのでは。そう思えるほど私が受け取るには相応しくない。


「っくしゅ!」


 沈黙を破ったのは小さなくしゃみ、当然ながら私である。すぐさま着替えに袖を通し始めた。苦笑する朧が憎らしいと同時に、自らの失態に羞恥が湧き何か別の話をと思う。


「この町は」


「ん? 君から話しかけてくれるとは珍しいな」


「独り言」


「ああ、独り言か。ならば勝手に聞き入るとしよう。遠慮なく続けてくれ」


「……私が行ったことのある場所は限られている。そんな限られた場所も、時代の変化には抗えない。景色は、町並みは変わっていく。でもこの町は、あの頃のままだった。少し、嬉しかった。また来られる日がくるとは思わなかったから、懐かしくて。……嬉しいと思った」


 少しだけ、朧が笑ったような気がした。


「何かおかしい?」


「いや。ようやく普通の会話が出来たことが嬉しくてね」


 今日見た物、町並み、野に咲く花。そんな取りとめのない話題が繰り返される。その度に朧は相槌を打ったり、新しい知識を教えてくれたり。こんな風に穏やかに、普通に、朧と普通に会話したのは初めてだった。


 やがて夜の帳が下りる。けれどまだ、雨は止まない。


 こんなことになると誰が予想しただろう。出来ていたなら私は外出しようなどと思わなかった。もしくは武器の一つや二つ隠し持ってきたのに! 浮かれていた朝の自分を殴りたい。

 ああ、いくら後悔しても全てが遅い。


 ……まさかの泊まりだ。

ありがとうございました!

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