黒き神は光を燈す
アンドロイドが出てきますがSFではないです
世界観は世界崩壊後のアナログに戻った世界に、崩壊前の人形達が残っていた状態。
明王様なんかも出てくるので、和洋混ぜた感じです
世界崩壊
それは突然起こった。
意思を持った人形をつくるまでに発達した文明世界は、突然ありとあらゆる自然災害に見回れ、崩壊した。
大地震や津波、火山噴火、異常気象。
人間にはどうする事も出来ずただ破壊しつくされる文明世界と共に消え行くしか術がなかったのだ。
未曾有の大災害の後、それでも人間は少数ながら生き残った。
瓦礫、廃墟、立ち上がる黒煙。地面は水に沈み、海底面が地面になり変わった。
そんな世界で、人間の暮らしを守り、復興作業を行なったのは、他ならぬ人形だった。
人間を従え、新しい世界の主人に成り代われたものを、人形達は人間に従い、順守する事に徹底した。
人形達の行動を人間は最初ありがたいと感動しながら受け入れ、自分達の数よりも人形の数が多いことに慣れて行き、徐々に人形がくれる『好意』は『当たり前』になり、時が流れると共に有り難味などと言う物は、無くなって行った……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
山の中に、一人の男と一羽の烏。
「…………」
二日ばかり続いた山歩きのせいで、男の疲労は極限まで溜まり、その為に無言だった。
そよいだ風で揺れる木の音と飛び立つ鳥の放った鳴き声。そして男のたてる小枝を踏む音と荒い息切れの声。
それが、今山に響く全ての音だった。
理論的な考え方など、とうに出来なくなっている男は、一度止まって休憩がてら地図を確認しようとか、太陽の位置で方角を確かめようとか、そんな事すら頭に浮かばず、ただ惰性で二本の足を交互に動かしていた。
そんな中ふと、男の耳に今までとは違う音が聞こえて来た。水音だ。
「川だ」
呟くと男の足が急に早くなる。
男は疲労もさる物ながら、飢えと乾きにも襲われていたのだ。特に荒い呼吸で、喉に何かが張り付いた様な感覚にはもう随分悩まされていた。
音を頼りに、茂みに分け入り、木々を掻き分け、男は水を求めて走る。
「あったぁ……」
男の情けない声が聞こえる。
蔦の壁を開けると、目の前には小魚を中に、緩やかな流れの清流があった。
「よかったぁ…本当に良かった。ここで休憩にしましょうね」
くるっと、自分の肩を振り返る。
そこには真っ黒い烏の姿が目に入る筈なのだが、居ない。
驚いて直ぐ様視線を周りへと動かすと、川の方に元気に羽ばたいて行く烏が居た。
「なんだ、置いてきちゃったかと思ったじゃないですか……って」
ほっとした表情を浮かべた男だったが、急に怒ったような表情に変わる。
「ずるいじゃないですか! こんな時だけ飛ぶなんて!」
男が慣れない山歩きでぜーぜー言っている間、この烏、ずぅっと男の肩に止まっていたのだ。
止まっていた理由は、羽に怪我を負ったから。との事だったが……
現在、元気に羽ばたいている所を見ると単に飛ぶのが面倒だったらしい。
「山の中を飛ぶのは嫌いなんだよ。障害物が多くて真っ直ぐに飛べないからな」
ばっしゃばっしゃと勢い良く水を飛ばしながら水浴びをする烏の言い草に、憮然としながら男は自分も川へと近付く。
「だけどねぇうっちゃん。貴方が空高く飛んで、上から見てくれれば、この川だって直ぐに見つかったし、村だって、迷わないで着けるかも知れないんですよ? 怪我をしたって言うからお願いするの遠慮していたのに」
烏、ことうっちゃんに恨みごとを言いながら、男は清流を楽しむかのようにゆっくりと顔を洗った。
「嘘を見抜けないお前の負けだ」
『烏の行水』の言葉通りに、至極短い水浴びを終らせると、漆黒の翼をはばたかせ、水を切る。
「うわっ! 止めてくださいよ~、水がかかるじゃないですかぁ!」
顔を洗う為、川辺に居た男に向かって、わざと水を切るこの烏、普通の烏ではない。
「顔洗ってるならいーじゃねぇか」
「良くないですよ! 服まで濡れるじゃないですか!」
男が会話しているのは烏。
烏が会話しているのは男。
そう、この烏話せるのだ。
話す他にも色々と出来そうな感じだが、とりあえずは年齢不詳、知識豊富な烏のうっちゃんと覚えていれば良いだろう。
「しかし、本当にこの先に村があるんですか?」
「あるにしろ、無いにしろ、この山を抜けなきゃ話が進まねぇ。気張れや」
「貴方は良いですよ、貴方は! 辛くなったら人の肩に乗ってるんですから」
「俺の止まり木になれる事、光栄に思うんだな」
「思いませんよ!」
男の体格は痩せ型。この一言に尽きる。
つまりは山歩きなんかに全く適していない体格なのだ。そこに意外とずしりとくる烏の重みが加わっていたのだから相当辛かったのだろう。
怪我をしているなら仕方が無いと思って我慢していたのに、面倒だっただけだとわかって尚更疲れは倍増する。
「なー、濡れるの嫌でも外套についた泥くらい落としたらどうだ?」
「……確かに汚いですね」
しぶしぶと言った感じに外套を外して、男は膝くらいまでが水につかる浅瀬に入る。
外した外套の下は、それなりに動きやすそうな服装に見える。
前合わせになっている上着は、丈は短く腰くらいまで。袖や裾、腰といった個所で帯を巻き、広がらないように固定してある。
それとは打って変って、外套に至っては確実に動き易さは二の次だ。外套と言うよりも大きな布を巻き付けただけと言っても良い位の代物だ。
元は白かったのであろう色は、今では土色に染まり、枝等に引っ掛けてボロボロの状態だった。
「お前、例え村があってもそのなりじゃ怪しまれて入れて貰えないんじゃないか?」
「誰のせいでこんなにボロボロになるまで山歩きしていると思ってるんです! 貴方がこの方向に村があるって言ったんですよ?! 大体、この山だって一日かけないで抜けられる簡単な山だなんて言っておきながら、もう二日目じゃないですか!」
「俺は村があると言ったんじゃない。あったと思った、と言ったんだ。人の話はちゃんと聞け」
「ええ!! それじゃぁ村が無かったらどうするんですか?!」
「お前が飢える」
いくら烏が雑食とは言え、木の実ばかりでは持たないだろう。しかし、この普通じゃない烏うっちゃんは肉よりも木の実を好むのだから村が無くても一向に困らない。
しかし、人間の腹となると木の実ごときで膨れる筈は無い。
「酷いじゃないですか~。いくら貴方は平気だからって……はぁ~、村が無かったらどうしましょう……やっぱりさっき見つけた茸、怪しくても食しておくべきだったですかねぇ……いや、しかしそれで死んだら元も子も無いですし……はぁ~~…」
ぶつぶつと男のぼやきは、川から上がることも忘れて続いていた。
一方烏は、男のぼやきなど気に止めた様子もなく、近くの岩場で日向ぼっこをしている。
さわさわとそよぐ風と、暑くない日差しが心地の良い日だった。
なのだが……
(なんだ?)
なにか得体の知れない嫌な予感が、烏の胸を一瞬横切った。予感を確信に変えようと、烏は周りの様子に注意を払う。
と、周りに居た鳥達が一斉に飛び立った。
(まさか……!)
バサリ、と音を立てて烏は上昇した。遠くまで見渡せる上空からの様子は、なにか大きい物が川を伝ってこちらに近付いて来るのが見えた。
「おい」
「はぁ~…なんです?」
「川から上がれ」
「は?」
いきなりの言葉に、反応できず強張っていると、烏に早くと追い立てられた。
なんなのだろう、と先程まで烏が見ていた川の上流に視線をやる。
「……え?」
驚きに目を見開いた時にはもう遅かった。
男の視界一杯にとんでもない物が写った。
「わーーーーーーーー!!」
「鉄砲水が来るから上がれと言ったんだが……遅いか」
上空から川の下流を眺める烏の視界には、浮き沈みしながら、遥か遠くまで流されて行く男の姿があった……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「…さん……旅人さん」
深い闇の中に、少女の声が響いて来る。
「旅人さん!」
「うわぁ!」
声の心地よさに身を任せていた男は、突然の大音量に跳ね起きた。
「よかったー。生きているわね」
「でも鼓膜が破れそうです……」
「あっはは。そんな切り返しが出来るなら意識もはっきりしているね」
とは言え、男の視界はまだはっきりしておらず、ぼやけた視界に少女の笑顔が写った。
跳ね起きた状態から楽な体制へと変えて、目を閉じてから、ゆっくりとあける。
やっと晴れた視界に写ったのは、自分が流されて来たのであろう川と、にこやかにこちらを見ている少女。
「どう? 体を起こしてみて痛みは無い?」
少女に言われて、改めて確認してみると痛む所は何処にも無かった。
どうやら、あんな濁流に飲まれたのに、男は無傷で済んだようだ。
「大丈夫みたいです」
「そっか、良かったね」
話す少女の声と、水を絞る音が重なった。
少女が濡れたスカートの裾をねじって水を搾り出していたのだ。
「まさか、あの濁流の中に入って助けて下さったんですか?」
「そんな訳無いじゃん」
ケラケラと笑う少女の話によると、川の途中で流されている馬鹿な奴がいるなぁと、男を発見し、水の勢いが収まる辺りに先回りし、男を回収してくれたのだそうだ。
「そうでしたか。いや、なんにせよありがとうございました」
「いいえ。どうせ川下に来る用だったしね」
「それでも、助けて貰った事には代わりありませんからね。本当にありがとうございます」
男は何度も何度も深々と頭を下げて少女に礼を述べた。
「そんなにお礼を言われると、こっちが照れちゃうよ。ところで、旅人さん何処に行くつもりだったの?」
すっかり歩き出せる支度を整えた男に、少女が聞く。支度が終るのを待ってくれていたようだ。
「何処にと言うか、人里にいければ何処でも良いんです。なんせ水も食料も底をついていまして」
ははっと情けない男の笑い声が響く。
そんな男の声に呆れつつ、少女も笑った。
「そんな軽装備でこの山に入ったの? ここは地元の人間でも三日はかかる難所だよ? 鉄砲水に流されたせいで村の入り口に出られるなんて、運がいいよ旅人さん」
笑って少女が指し示す方向に、人里を示す煙が上がっているのが見えた。
『折角だから案内してあげる』と言う少女の言葉をありがたく頂戴して、少女の村に向かった。
途中、ここには居ない旅仲間の烏に向かって、男が心の中で叫び声を上げたのは言うまでも無いだろう。
(うっちゃんの嘘つき!)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
たわいも無い話をしながら少女と歩いて行くと、ほんの数分で村の入り口が見えて来た。 入り口と言っても竹で作られた背の低い柵で仕切られただけの場所だったが。
入り口に近付くと、少女の姿を見つけた子供達が駆け寄って来る。
「おかえり美明―」
「ただいま」
足元にきゃわきゃわと集まって来る子供達の顔を見れば、彼女が好かれているのだと言う事がすぐにわかる。
「人気者なんですね」
子供達の笑顔につられて、微笑みながら男が言うと、少女―美明は笑顔と裏腹な答えを返して来た。
「人気者なのはあたしじゃなくて、こっち」
と、美明が持っていた荷物から取り出したのは紙包み。
子供達の中でも、一番年長であろう子にそれを渡すと、一斉に周りから手が伸びて来た。
「こら、順番! 夏頭。皆に分けてあげな」
「はーい。みんな美明にお礼!」
「ありがとぉ美明―!」
「はいはい」
転げるように走り去って行く子供達に手を振りながら答える美明につられて、男も手を振っていた。
「旅人さんも子供好き?」
手を振っている男に気付いたか、美明がそんな質問をして来た。
「子供、と言うか……そうですね。好きだと思いますよ。子供」
「なんか、妙な答えね」
男の奇妙な含みのある言葉に、美明は苦笑しながら言葉の真意を問いただすと、意外にも男からは真面目な答えが返って来た。
「子供が笑っていられるのは、平和な証拠じゃないですか。僕は平和が好きです。だから、象徴たる子供も、きっと好きですよ」
美明は、先程まで終始微笑を絶やさなかった男の、真面目な表情に驚きつつも、言葉の中に世界崩壊から今までの苦難を感じ取ったか、殊更に明るく、話を別の方向に持っていった。
「その言い方だと、本当は余り子供の事を好きじゃないみたいね? 過去になにかあったんでしょ?」
美明の気遣いをくんだのか、男もさっきまでとは違い、明るく答えた。
「いやぁ、僕の仕事と子供って相性悪くて。仕事の邪魔ばっかりするものですから、ついつい苦手になっちゃったんですよー」
「仕事? 旅人じゃないの? 何している人なの?」
美明の疑問符だらけの言葉に男は苦笑しながら、恥ずかしそうに答える。
「お恥ずかしながら、これでも人形師なんです。僕」
「人形師?! あなたが?!」
「はい。一応」
自信無さ気に笑う男の答えを聞くや否や、美明は男の首根っこを掴んで、どこかへ向かって一目散に走り出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一方、こちらは烏のうっちゃん。
(やべーなぁ。完全に見失っちまった)
男が鉄砲水に流された時、一応は空から追跡をしたものの、水に沈んだり浮いたりを繰り返していた男を途中から見失い、流されたと思われる川の下流で探索を続けていた。
(流されたにしても、ここまで来れば誰かの目に止まるだろうからなぁ、もう少し上流か、それとも、助けられたか……)
空を旋回しながら考えあぐねていると、川辺に子供達が笑いながら走りこんで来た。
(餓鬼……って事はこの近くに村があるな。そこに行ってみるのも手か)
思いながら烏は周辺に視線を動かすと、極近くに火を熾しているのだろう煙が見えた。
(あそこか)
煙の方向へ向かうべく、烏が旋回を始めるのと同時に、烏の腹が、思い切り良く悲鳴をあげた。
(腹減ったなぁ~~……)
なにか適当な獲物でも食べてから、と烏が飛行高度を下げた。
「あ! 烏だ!」
「ほんとだー。おっきいね」
烏の姿を見つけた子供達が口々に烏を見た感想を述べるが、その中でも一番年若いであろう子供が、持っていた木の実を差し出して烏に食べさせようとする。
それに気付いた他の子供は、烏が声で驚き、逃げて行かないようにと、声を潜めて烏が食べに来るのを待った。
(おいおい。普通の烏にんな事しても食わねぇぞ? まぁ俺は頂くけど)
普通の烏ではないうっちゃんは、警戒をして食べに行かないどころか、素直に子供の差し出した木の実を頂きに行った。
子供の手を傷付けないように、そっと嘴で木の実だけを掴み、口の中に放り込む。
「食べた!」
「しー! 逃げちゃう!」
自分の手から物を食べさせられた喜びから、つい大きな声を上げた子供に、年長らしき少年が制止の声を上げる。
烏にしてみれば、どんな大声を上げられても驚きはしないのだが、子供達は普通の烏だと思っているのだ。この反応は正しいと言えるだろう。
「こいつ大人しいなー」
「他の烏はこんなにそっと食べないよね」
小さく、他の子供達から感嘆の言葉が漏れ始めた。それに動じず、腹を満たす為の行為に没頭していた烏に、年長者の少年が声をかけた。
「良く食うなー。腹減ってたのか?」
「ああ、もう二日も食ってなかったからな」
「へー」
普通の会話。
しかし……
誰と、誰の会話だった?
子供達に暫くの沈黙が降りた。
「えええええええええ!!!」
「烏が喋ったぁ!」
子供達の絶叫を聞いても、烏は『やべ』と簡単な反省をしただけで、混乱する子供を見ながらさてどうするか、と思っていると
「騒ぐな! 静かにしろ」
大騒ぎになっていた子供達に、年長者の少年が怒鳴る。その声でぴたっと騒ぎが収まる辺り、この少年は皆に慕われているのだろう。
「烏、お前烏じゃないのか? 人形か?」
少年は、以前祖父に猫や犬の形をした人形もあったんだと言う事を聞いて知っていた。
人形と言えば字の通り『人型』をしているのが当たり前のこの時代に、そんな推理が出来たのは、ひとえに祖父の昔話のお陰だろう。
「残念ながら人形じゃない。烏さ。ただ、普通の烏じゃないがな」
「……じゃあ、神の使いか?」
「また、突飛な物言いだな」
「ばぁちゃんが言ってた。烏と猫は神の使いだって。烏は、使いじゃなくて神様もいるみたいだけど」
少年の言葉に苦笑しながら、烏は言った。
「お前は俺が神様じゃなかったらこのまま 放って帰るのか?」
「ううん。村に連れて帰って皆に見せたい」
「見世物になるのはご免だな」
「ばーちゃんが神様に会いたがってたんだ。喋る烏ならきっとばーちゃん神様だと思うよ。なぁ、ちょっとで良いから付き合ってくれないか?」
少年の意外な申し出に烏は驚きつつも、そう言う事なら、と承諾した。
「村はこの近くなんだ。村祭りの前に神様に会えるなんて、ばーちゃん喜ぶぞ! あ、俺夏頭って言うんだ。よろしくな!」
「俺は……」
と、ここまで言って烏は悩んでしまった。
(本名言っても、がきじゃ覚えらんねぇだろうからなぁ……)
思案の末烏が出した答えは
「まぁ……うっちゃんで良いや」
だった。
「うっちゃん? 可愛い名前だな」
夏頭は誉めたつもりなのだろうが、烏にしてみれば何となく面白くない感じがしたが、烏の表情は分かり辛い。
憮然とした烏に気が付かないままの夏頭少年の誘導で、祭りの準備に追われていると言う村へと、案内された。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「へぇ、村祭り」
「そう。この時期毎年やっているのよ」
男が美明に首を掴んで引き摺られた先には、祭りの準備をしている村人達が集まっていた。
いきなり引き摺って来られ、訳のわからない男に対して、美明は二体の人形を指し示し『直せる?』と聞いて来た。
「ああ、これなら直せますよ。回線短絡とか、そんな物ですから、手持ちの道具で平気です。ただ、直した後すぐには動かさず、一日くらいは寝かせてあげて下さいね」
「本当?! 良かったぁ。祭りの準備で男手が足りないのよ。この二人は働き者だったから、村の皆も困ってたんだ。もう、人形師の数が少ないから、直せないかなって思ってたんだよね。よかったね、力、強」
「リキにキョウですか。この人形の名前ですよね?」
「うん。そうだよ。って、そう言えば旅人さんの名前聞いてなかったわ」
「ああー。そう言えば。名乗っていませんでしたね。僕は人形師の烏丸。カラスでもカラスマでも、好きに呼んでやって下さい」
「んーじゃぁ、かーちゃん!」
「あ、それは嫌です」
「我儘ねー」
「我儘ですかねぇ……」
困ったような烏丸にくすくすと笑いながら、美明は烏丸とちゃんとした名前で呼ぶ事に決めた。
「この村は人形を大切にしているんですね。名前まで付けて」
作業を再開した烏丸の言葉に、少女はなぜか少し寂しげに笑って答えた。
「いい村よ。差別が無いの。人形でも人間でも男も女も。働き手は皆働いて、ご苦労様って皆で労うの」
人形が人間に従うのが当たり前の世界で、こんな村は珍しい。
人形は全て製品番号か、製造時の通称で呼ばれる事が大半で、階級は人間の下。
昔は居た人形師達が少なくなったせいもあって、壊れた人形は捨てられて、新しい人形を従える。
なにせ今は人間より人形の方が多い。代わりはいくらでも居るのだ。
「本当に、いい村ですね。この村にたどり着けて良かったですね、美明さん」
「え……それってどう言う意味?」
言葉の真意が掴めずに、不思議そうに烏丸を見る美明に、背中を向けたまま作業の手を休める事無く烏丸は答えた。
「美明さんだって、この村に来るまでは色々あったでしょう? いくら最新式の友達型人形でも」
その言葉に、美明は驚きの余り目を丸くした。自分から名乗らずに人形だと気が付かれたのは初めてだったからだ。
「良く分かったわね」
「これでも人形師ですから」
笑う烏丸につられるように笑ってから、美明はまた表情を曇らせた。
「ねぇ、どうして人形師になったの?」
「どうしたんです? 突然」
「なんで、人間と人形の間に溝があるのかなって思って」
「溝、ですか…」
作業を続ける烏丸の隣に座り込んで、美明は今まで誰にも言う事の無かった考えを話し始めた。
「あたし達人形は、人間の為に造られて、人間の役に立つ機能を備えて、人間に尽くして来たわ。世界崩壊前も、後も、今も。確かにあたし達は人間の命令がないと存在する意味が無いわ。人間に作られて人間の為に存在する。見返りが欲しい訳じゃないけど、だったら、あたし達になんで感情設定を付けたの? 人間を好きにさせておいて、人間はあたし達の事を嫌ってるなんて、矛盾しているわ」
美明の様な『友達型』や『息子・娘型』と言った人間の代わりを担う人形達は『好き』と言う設定をされている。
友達を『好きになる』 親を『好きになる』
でも、その感情を返してくれる人間は、今では少ない…いや、居ないと言ってもいい。
「怖いんですよ、多分」
「え?」
今まで作業に没頭して、聞くだけになっていた烏丸が、使っていた道具を仕舞いながら静かに言った。
聞き返す美明を振り返ると、優しく微笑んで頭を撫でた。
「貴方の様に、考える力のある人形は、えてして人間より優秀です。人間は自分より優秀なものに憧れと恐怖を抱くんです。だから、優秀な人形達を『従わせる』事によって、安心し、尚且つ自分が上の立場に居ると言う事で優越感に浸りたいんですよ。自分達で造ったものに恐怖を感じるなんて馬鹿くさい話ですけどね」
「どうしたら、仲良くなれるのかな?」
「どうでしょう、悲しいですが、難しい話かもしれませんね。人間同士でも諍いは絶えないですから」
「そう…よね……」
その答えに、表情と共に顔を下げてしまった美明の頭をぽんっと軽く叩いて、烏丸は言葉を続けた。
「でも、この村は幸せなんでしょう?」
「……そうね、幸せだわ」
笑顔が戻った美明に、祭り会場に案内すると言われて歩き出した烏丸は、元気に笑う美明の中に、何か吐き出せないでいる物があるのに気が付いていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ありがたや~、ありがたや~」
この村の中でも標準的な大きさの家で、板の間に草を編んで作られた円座に正座して、頭を下げる事で、元々小さいのであろう体が一層小さくなった老婆が、かれこれ十分以上も手を合わせて念仏を唱えていた。
「おい、いつんなったら終るんだよ?」
「う~ん、こんな長いの僕も初めて……」
「おい~……」
老婆に聞こえないように小さく呟くのは拝まれている烏のうっちゃんと、老婆の孫、夏頭だった。
川辺での依頼通り、夏頭の家までやって来た烏は『神様だよ!』と言う少年の紹介からずっと老婆に拝み倒されていた。
「御老女。この村で祭りがあると聞いたが?」
念仏攻撃に耐えかねたか、烏が老婆にいつもの口調から少し神様らしい口調で聞く。その言葉でやっと老婆は通常の会話へと戻った。
「ええ。毎年この時期に行なわれる祭りでございます。浄灯祭と申しましてね、命を無くしたものの供養を灯篭の灯に託して、川へ流すんです。有難い事に、今年は貴方様、烏枢沙摩明王様がいらして下さいましたから、きっと浄灯祭も巧く行きますよ」
その老婆の言葉に驚いたのは夏頭だった。
「烏枢沙摩明王?! うっちゃんが?」
「うっちゃんだなんてとんでもない。浄化の炎を以って、一切の穢れを祓って下さる有難い明王様なんだよ?」
老婆の言葉を真実かどうか聞いてくる夏頭に、烏は適当に言葉を濁してから祭り会場の案内と言う名目でここから脱出する計画を話した。
「あ~、長かった」
「ありがとう、付き合ってくれて」
家を出てから溜息と共に言葉を漏らす烏に、夏頭は心からの感謝を述べた。
「ま、木の実の礼だな。気にするな」
「それなら、美明にお礼言わなきゃ」
「美明?」
聞き慣れない名前に疑問の声を上げると、夏頭はそれには答えず、先に肩に止まって良いよ、と言って烏を自分の肩へと止まらせた。
どうやら通常より大きめな真っ黒い烏が真横を飛んでいるのに抵抗があったようだ。
「美明って言うのは、うちの隣に一人暮らししてる人形の事だよ。木の実は美明が山から取って来てくれたんだ」
「人形に名前付けて、家まで与えてるのか?」
当たり前の事の様に言う夏頭に、烏は激しく驚いた。稀に名前を付けることがあっても、人間と共にではなく、人形単体に家を与えるなど、この時代には考えられない事だ。
しかし、夏頭は村の習慣に驚いている烏に、驚いていた。産まれた時からこの村に居る夏頭にとって、人形を差別しない事は当然。当たり前の事なのだ。
「他の村じゃ違うの?」
「違うな。家はおろか、名前すらつけない。人間と人形を平等になんて扱わねぇよ」
「なんで?」
「何でって……」
子供の純粋な質問には、度々答える事が出来なくなるが、この時の烏もまた、同じ状況だった。
「ばーちゃんが言ってたよ。人形にだって心はあるんだって。だから同じに扱うんだって。だからね、祭りでは壊れた人形も一緒に供養するんだよ」
そう言って夏頭の指し示す方に視線をやると、人形だけでなく、壊れた機械や雑貨、使えなくなったありとあらゆる物が、村の広場に集められていた。
老婆の語った『命をなくしたもの』の正体を知って、それら一つ一つを凝視する様に眺めていた烏は、ふと、慣れ親しんだ気配が背後から近付いてきた事に気がつき、首をそちらに廻らせた。
「大切に使った物には魂が宿る。そんな言い伝えをそのままに、この村では毎年祭りを開いているんだそうですよ」
にこにこと笑いながら説明をする男に、心配とは正反対の言葉を投げかける。
「烏丸。生きてたか」
「お陰さまで。うっちゃんこそよくこの村に僕が居るの分かりましたね」
「偶然だ。偶然」
「……探してくれた訳じゃないんですね」
「当たり前だ」
ふんっ。っと偉そうにふんぞり返る烏に、夏頭少年からの疑問の眼差しが向けられる。
同じ様に、烏の態度に苦笑を浮かべている烏丸に、美明が問いを向けた。
「知り合い?」
「旅仲間です、よね? うっちゃん?」
「なんでそんなに自信無さ気なんだよ」
情けない質問に対して、呆れた様に漏らした烏の言葉を聞いて、烏丸はこの説明で合っていたんだとほっとした。
「だって、下手に友達だとか紹介すると貴方怒るじゃないですか」
「お前と友達になった覚えはないからなぁ」
「ひ、酷い……」
嘆く烏丸に美明がもう少しちゃんと紹介しろと要求した。
ちゃんとした紹介。と言う言葉を聞いて、烏丸と烏はお互いの顔を見合わせたかと思ったら、お互いに指を指しながら夏頭と美明に向き直り、ほぼ同時に口を開いた。
「こちらは人形でもないくせにお話が出来る烏のうっちゃん。怪しいけど、危険はないですよ」
「こいつは気弱な人形師の烏丸。気だけじゃなくて力も弱いから力仕事は期待しない方がいいぜ」
言い終わると同時にまたお互いの顔を見合わせた二人に、美明と夏頭は笑い転げるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「へー。これが櫓かぁ」
川の下流で火供養をする為の壇と、村の長老や神主が座する為の櫓が組まれていた。
高さは三間程もあり、幅は四間にも及ぶ。
「立派な櫓ですねぇ。作るのは大変そうですけど」
「あはは。確かに大変よ。だけど、皆楽しんでいるからね」
廃材を集めて来ては、木を彫った凹凸だけで繋ぎ合わせて櫓を造って行く。
普段は農耕を行っているのだろう村達は、鍬や鎌を鋸や鉄鎚に持ち替えて、実に楽しそうに祭りの準備をしている。
「供養祭なのに、なんで楽しそうなんだ?」
別に辛気臭くやれって訳じゃねぇけど、と付け足した烏からの質問に、笑顔で答えたのは美明だった。
「供養祭だからこそ、元気にやるのよ。今までありがとう。ゆっくり休んでねって、そんな気持ちで笑って盛大に送り出してやるのよ」
悲しんでいたら、供養される側が落ち着かないでしょ? と言う美明の言葉に、烏丸も烏も全く嫌悪は抱かなかった。
むしろ、その意見に大賛成だった。
「盛大に送り出すってのが気に入った。この村は面白いな」
表情からはよく分からないが、きっと嬉しそうに笑っているのであろう声色で烏が言うと、元々細い目をより細しくして微笑ながら烏丸がそれに賛同した。
「命を無くしたものっていう言い方も、僕は好きですよ。出来れば参加してみたいものです」
誉める二人に、誉められた側も嬉しそうに口元を綻ばせる。
櫓を組んでいる男衆に、取り敢えず烏丸の事だけを簡単に紹介して、美明は次の提案を上げた。
「次、灯篭の方に見に行ってみる?」
「はい。お願いします」
「こっちだよ。足元滑るから気を付けてね」
本当に滑りやすいのか? と疑いたくなるくらい先頭を行く夏頭の足取りは軽い。
「地元っ子は遊び場だから慣れているのよ」
と、笑う美明の足元は、僅かだがおぼつかない。夏頭と違ってここで跳ね回っては居ないのだろうから、おぼつかないのも当たり前なのかもしれない。
しかし地元民の美明がその調子では本当に気を付けないと折角乾いた服をまた川の水に浸す事になる。
「わわっ! ほ、ほんとに滑るんですね」
「まぁ、川に落ちてもまた鉄砲水が来る事は無いから安心しなさいよ」
「酷いですよ美明さん~」
よたよたと歩く烏丸をからかいながらも、美明は助けの手を差し出してくれた。素直にその手を取ったら取ったで、烏に
「男女の立場がまるきり逆だなぁ? 烏丸」
と、またからかわれる事になるのだが。
「着いたよ~」
先頭を行く夏頭少年の言葉通り、少し平たくなっているその場所には、無数の灯篭が並べられていた。
「これは、見事ですねぇ」
細く裂いた竹を組んで作った籠に、手作りの和紙を貼り付け、個々が思い思いに彩色したそれが、無数に川辺に並ぶ様は壮観だった。
見事、と感嘆の言葉を漏らしたきり、烏丸も烏も無言になって灯篭に見惚れていた。
「おや美明。見物に来たのかい?」
「うん。旅人さんに見せにね。こっちのはまだ色つけしてないの?」
「ああ。良かったら持ってお行き」
「ありがとう」
灯篭の群れを見て、惚けている烏丸達から少し離れた所で、美明が作業中のおばさんから灯篭を分けて貰って来た。
「はい、これ」
ついっと一つの灯篭を烏丸の前に差し出す。
「? なんでしょう?」
「一つ貰ったから。烏丸さん使って良いよ。なにか供養したいものがあれば使いなよ」
「いいんですか? 頂いちゃって」
「平気平気。絵付けもするでしょ?」
聞いて来る美明の表情と、烏丸の表情はまさに真逆の物だった。
「や、やっぱり自分でやるんですよね?」
焦っているような、困っているような。そんな表情で言う烏丸を見て、美明はその原因を直ぐに思いついた。
「烏丸さん。絵心無いでしょ?」
「ええ?! なんで分かったんですか?!」
「顔見れば分かるわよ」
けらけらと笑われ、烏丸も苦笑を浮かべる。
「供養したいものへの思いを込めて、模様を描けばなんだって良いのよ。何を供養するつもりなの?」
そう聞かれて烏丸は、道具袋の中をがさごそと漁ると、一本の筆を取り出した。
「それ?」
「ええ。ずっと使ってた筆なんですけどね、毛先がぼろぼろで、割れちゃいまして。とても使える状態じゃないんですよ。でも愛用品だったんで、捨てられなかったんですよねー」
両手の上に大事そうに筆を置く烏丸をみて、何となく美明に笑みが浮かぶ。
「絵付けするならうちの材料貸すわ。移動しようか?」
そうですね、と言う烏丸の言葉に、遠くから聞こえて来た叫び声が重なった。
「なに?」
声の上がった方を振り向いてみると、一人の男が暴れているのが見えた。
「睦哉?!」
美明が叫ぶ。
どうやら知っている男の様だ。
「美明、行ってみよう!」
睦哉と呼ばれた青年のその様は、絶叫し、辺りにある物を撒き散らしながらやたらに走り回っていて、まさに狂人のそれだった。
「睦哉! どうしたの?! 止まって!」
「ぁああ! ぅわあぁあああぁあぁああ!」
「きゃぁ!」
「美明!」
制止する美明を殴り倒して、睦哉は何処へ進むでもなく走り回る。
殴られた拍子に体制を崩して倒れ込んできた美明を受け止め、夏頭は睦哉に怒鳴る。
「睦兄! あんたまで狂ったのかよ!」
その言葉に、烏丸と烏が二人して反応した。先程までのおろおろとしていた視線とは違い、鋭い眼差しで睦哉見る。
「うっちゃん、どうですか?」
「ああ、完全にやられてるな」
「今止めれば間に合います。止めましょう」
「おうよ」
二人にか理解の出来ない会話をした後、烏丸が走り出す。
睦哉の走る前方に回りこみ、動きを抑えるつもりの様だ。が、事態は変わった。
「あれ?!」
「何処行きやがる!」
突然睦哉はくるっと方向を変えると元来た道へととって帰り、人の少ない方へと走り出した。
「駄目! あっちには川が!」
「彼は水が駄目な型なんですか?」
「かなり旧型だから、短絡しちゃう!」
美明の叫びを聞いて、走る烏丸の速度が上がる。
走りながら腰の道具袋に手を伸ばし、何か大きめの粒を取り出した。
「美明さんはこれ以上近付かないで下さい」
その言葉に反射的に歩みを止めた美明を確認してから、烏丸は前方を走る睦哉に向かってその粒を投げ付けた。
「っぁああ!」
ぱちぱちっと言う小さな音と、睦哉の叫び声が重なる。
「何したの?!」
「強力な磁石を回りに撒いて、動きを鈍くさせてるんです! 体に害はありません!」
叫びながら烏丸はまた何個かの磁石を撒く。睦哉の動きが遅くなったのを確認すると、烏丸の肩から烏が飛び立って睦哉の側へと移動する。
「オン・クロダノウ・ウン・ジャク・ソワカ!」
烏が言葉を発すると、睦哉の体が仄かに光った。
「うっちゃん! 急がないと川に!」
「分ってるよ! オン・シュリマリママリ・マリシュシュリ・ソワカ!」
何かの真言を唱える烏の体と、睦哉の体を光が結んだ。
睦哉の体全体が淡く発光すると、その動きを完全に止め、力なく膝から落ちた。
「やったか?」
烏が走り寄って来た烏丸と共に、目的を果たしたか確認する為、睦哉の様子を伺う。
「……れて」
「え?」
「は…れて……あぶなぃ……!」
突然、睦哉の目が光った。
「睦哉さん?!」
「あ…ぁああああ!!」
叫び声と共に睦哉の体に電気の帯が走る。すぐ横にいた烏丸達を払い除け、一直線に川へと走って行く。
「睦哉さん! 駄目だ!」
「―――――――!」
大きな水飛沫と小さな爆発音が川辺に響いた。
「睦哉!」
追い付いた美明と夏頭が烏丸を手伝い、川の中から睦哉を引き上げる。
「烏丸さん! 人形師なんでしょ?! 直せるよね?!」
涙目で聞いて来る美明に、烏丸は首を縦に降ってやる事が出来なかった。
「体の破損や、簡単な短絡だったら直せます。でも、彼は……」
短絡による爆発のせいで、体の部品がばらばらになってしまっている上に、短絡が頭脳回路にまで達してしまっていた。
こうなると、大掛かりな設備と何人かの人形師、それに……
「新しい、頭脳回路が必要になります」
「それって……睦哉が睦哉じゃなくなるって事?」
「頭脳回路が爆破してしまってますから、記憶の移植が出来ないんです。だから、今までの事は何も覚えてない状態になります」
烏丸の説明を、悲壮な表情で聞いていた二人だったが、不意に、夏頭が表情を改めて烏丸に聞く。
「川に飛び込む前に、少し喋ってたでしょ? 睦哉は、最後になんて言ってたの?」
「『離れて、危ない』」
短く、それだけを聞くと、夏頭は睦哉の体を強く抱きしめると、離した。
「今度の祭りで、睦兄を供養する」
「夏頭……」
「君が、決めて良いんですか?」
「良いんだ。家族は、ばーちゃんと俺だけだから」
「え…?」
「睦兄は、俺の事を拾って、ばーちゃんのとこで育ててくれた、親でもあり、兄貴なんだ」
「そう、でしたか……」
騒ぎを聞きつけた村人達が集まって来る。
涙を堪えて説明をしている夏頭と、泣いている美明。その二人を見ながら二人の烏は同じ思いに馳せていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「どう、思いますか? 昼の件」
騒ぎの後、美明の家を宿として提供された烏丸達だったが、今は昼間の川辺へと足を運んでいた。
「どうも何も、怪しい所満載だったじゃねぇか」
「ですよね」
川辺を歩く二人の会話は少ない。
しかし、考えは同じのようでしている会話はどんなに話が飛んでいてもきちんと成り立っていた。
通常、ああいった暴走行為を人形が取った場合、自我はとっくに崩壊している。だが、睦哉は『離れて、危ない』と烏丸の事を気遣った。
「夏頭君は、暴走しても、自分のままで死んでいきたかった睦哉さんの気持ちを汲んだんですね」
「餓鬼の割にしっかりした奴だぜ」
自己防衛設定によって、自殺行為を行えない筈の人形が、自我を失う前に川に飛び込んだ。それ程までに、睦哉は自我を守りたかったのだ。
二人が気になっているのは、二点。
自我を残しているのに、何故暴走をおこしたのか?
そして……
「気になりますね。最後の言葉」
「そうだな……」
睦哉が川に飛び込む寸前に言った言葉。
側にいた烏達だけが聞こえた言葉。
『人形師を信用するな』
人形が、一番信用すべき人物、人形師。それを信用するなとは、いったいどう言う事なのか? でもそれは、川に飛び込む前に、睦哉が烏達に託した言葉。
「無視出来る問題じゃありませんね……」
腕を組んで歩いていた烏丸の視界が、突如回転を起こした。
「へぁ?」
ばっしゃん!
冷たい水の感触と、息苦しさと、水音と三ついっぺんに感じた烏丸は、一体何が起こっているのか分からなかった。
「……お前、水浴び好きだな」
上空から白けきった烏の声が聞こえて来た。
「え? あ……」
烏の声で自分の状況をよく見てみると、座り込んでいるそこは川の中で、自分は頭からずぶ濡れになり、今も胸くらいまでを水に浸けている。
「落ちちゃったんですね、僕……」
「馬鹿」
完全に見下した烏の声にあははーと空しい笑いを返して川から上がる。
「はぁ、どうしましょう。このままじゃ美明さんち帰れませんねぇ」
「どっかで乾かすしかねぇだろ」
どこか火を起こせそうな場所を探して、二人があたりに視線を泳がせると、一人の男が側に歩み寄って来ていた。
「こんばんは」
「こんばんは。もしかして、見られてましたか?」
「はい。見事な落ちっぷりでしたよ」
「あはは、お恥ずかしい」
照れ笑いを浮かべる烏丸に右手を差し出して男は自己紹介をした。
「今日村にいらっしゃった旅人さんですよね? 私は才牙。半分だけ、貴方のお仲間です」
「お仲間…と言う事は、貴方も人形師なんですか?」
「簡単な修理しか出来ませんがね。本業は医者です」
「あぁ、お医者様ですか。あ、僕は烏丸。こっちは烏のうっちゃん」
「うっちゃんさんですか。本当のお名前はなんとおっしゃるんです?」
「烏枢沙摩って言うんですよ」
「ウスサマ……どこかで、聞いた名なのですが……」
「そうかも知れませんね。ところで、貴方はこんな時間にここで何を?」
考え込む才牙に、にっこりと笑顔を向けて、烏丸は話題を逸らした。
その言葉で、才牙も考えるのを止めて、質問に答える。
「月が美しい夜には、散歩をするのが、私の習慣なんです。見て下さい。美しい三日月ですよ」
言われるままに、烏丸が空を見上げると、蒼く光り輝く三日月は、才牙の言う通り美しくもあったが、烏丸には……
「刃物、みたいですね」
その烏丸の言葉に、才牙はくすりと笑うと、また月を見上げて言った。
「刃物も、磨き上げて光を増せば、殺戮の道具から美術品に姿を変えます。刃物のような月もまた、物騒な物ではなく、美しい物だと思いますよ」
「……そうですね」
才牙の答えを微笑みながら烏丸が肯定する。
「っくしょん!」
穏やかな空気が一気に壊れた。
「あぁ、いくら暖かいとは言え、こんな時間に濡れたままで長話はいけませんでしたね。ここから近いですから、うちに来て下さい。服を乾かさないと」
「すみませんねぇ。御言葉に甘えさせて頂きます」
近くにある、と言う才牙の家へお邪魔して、服が乾くまでの間、他愛もない会話をしつつ待つ事にした。
「代わりの服、これで大きくないですか?」
「はい、大丈夫です。すいませんねぇ、お手数掛けちゃって」
「いいえ。烏丸さんは、どのくらい滞在なさるおつもりなんですか?」
「決めてないんですけど、お祭りがあるとの事ですので、それまでは、と思って」
「そうですか。私もまだこの村に住んで間もないですけど、いい村ですからゆっくりして行って下さいね」
代わりの服と、暖かいお茶をご馳走になっていると才牙の家を訪れる者があった。
「こんな時間に……急患かも知れませんね」
失礼します、と烏丸に簡単な挨拶をしてから席を外す才牙に、烏がついて行く。
「あの、夜分すみません」
「美明、どうしたんです? こんな時間に女性が一人で」
「ちょっと人を捜してて、村の人が才牙さんと一緒にいるのを見たって…って、あ!」
才牙と話す美明の視界に、通常より大き目な烏が入った。
「うっちゃん! じゃぁやっぱり烏丸さんもここに?」
「ええ、いらっしゃいますよ。烏丸さん達は美明のお客様だったんですね」
にっこり微笑みながら美明を烏丸の居る応接間へ促した。
「美明さん。すいません、心配して捜してくれたんですね?」
「うん。帰りが遅いから、村のおじさん達に絡まれて酒盛りでもされてるんじゃないかって心配で……」
「あ、そう言う心配ですか」
笑う烏丸の濡れた髪を見て、美明はどう言う経緯で烏丸がここに招かれたのかを悟った。
「また、落ちたのね」
「『また』を強調しないで下さいよ~」
烏丸が情けない声をあげている時に、才牙が美明にお茶を持って来てくれた。そのまま三人は烏丸の服が乾くまで雑談になったが、何故か烏は終始無言に徹していた。
会話が終わり帰る頃に、烏の中にある確信が生まれていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日。
烏丸が目覚めた時には、村中が騒がしくざわついていた。
「おはようございます。美明さん。何かあったんですか?」
服を着て、さっと顔を洗い、家の中で姿の見えなかった美明を探して家の外に出た。
家の目の前で村の若者と話をしていた美明がその烏丸の声に気が付く。
「烏丸さん。おはよう。よく眠れた?」
「はい、お陰様で。何かあったんですか?」
同じ質問を重ねて尋ねて来る烏丸に、美明は少し困った様な表情を浮かべ、視線だけで村の青年と烏丸を交互に見る。
「お前が言い辛いなら俺から聞いてやる」
美明の態度に苛立った様な青年が、美明のわずかな抵抗を物ともせず、烏丸に殴り掛かりそうな勢いで尋問と呼ぶに近い質問をしてきた。
「お前、昨日の夜外を出歩いてな?」
「ええ。散歩を。それがなにか?」
「櫓を壊したのはお前だな?」
もはや断定されたとも言える言葉で詰め寄られ、さすがの烏丸もむっとしたが、それよりも櫓が壊れたと言う事への驚きの方が勝った。
「櫓が壊されたんですか? 一体いつ?」
「夕べのうちだ。昨夜、お前さんが一人で外に居るのを村のもんが見てるんだ」
今にも掴み掛かってきそうな男と烏丸の間に美明が割って入る。
「だから、烏丸さんが一人になったのはほんの少しで、後は才牙さんやあたしと一緒にいたって言っているじゃない!」
「その少しにやったのかもしれないだろ!」
とうとう怒鳴りあいになってしまった二人を見ておろおろしていた烏丸の耳に、声からして威厳に溢れた村長の言葉か聞こえて来た。
「いがみ合っていても仕方あるまい。犯人探しは止めて、櫓の復旧に移るぞ」
「長! しかし……」
「やっていないと言う者を、みだりに疑ってはならん。ましてやあれは、とても客人一人の仕業とも思えん。何か原因があって自然に崩れたのだと思えばいい」
「……わかりました」
長に促されて渋々と作業に戻る男の後ろ姿にまったくもう、と文句を言ってから、美明は笑顔で烏丸を振り向いた。
「ごめんね烏丸さん。朝っぱらから嫌な思いさせちゃって」
「いいえ。それより、櫓が壊されたって…」
「うん。朝、作業の続きをしようとして、広場に行った時にはもう壊れていたんだって。ただ崩れただけじゃなくて、叩き割ったみたいな跡があったせいで、人為的な物じゃないかって……」
「それで昨日出歩いてた余所者の僕が疑われた訳ですね」
「ほんと、ごめんね」
「あぁ、いいですって。本当に気にしてませんから」
重ねて謝罪する美明に笑顔で手を振る。
「おい、櫓の跡見に行こうぜ」
と、言いながら先に進んでいる烏に促されて、街の広場へと足を運んだ。
「うわっ、ひでぇなこりゃ」
広場に入って目に入るのは、無残にも崩れ落ちた櫓と、それを直そうと懸命に動く人々。物を作る時は、一から作るよりも、壊れた物を直す方がはるかに難しい。
半壊している櫓を、一度全部崩してから作り直すべく、今は解体作業が行われていた。
「烏丸」
作業の邪魔にならないように、遠くからその光景を見ていた烏丸に、烏が空中から声をかける。どうやら、近付いてみた結果、気になる事があったらしい。
烏に先導されて、崩れた木材の破片を見に行く。
「これは……」
木材に付着している僅かな液体。
一見ただの水にも見えるが、ほんの少しだけ白い。
「人口血液……」
ぽつりと漏らした言葉は、側にいた美明にも聞こえないくらい小さな声。
そんな小声のまま二人の烏が密談を始める。
「暴走人形の仕業か?」
「ですが、昨日の睦哉さん以外、暴走を見せる人形は居ませんでしたし」
「だがなぁ、この櫓壊すの何て人間業じゃねぇぞ?」
「……狂静人形の仕業、ですか」
だろうな、と呟く烏の脳裏には、今日までで見た村の人形達の顔が浮かんでいる。
狂静人形。
静かに狂った、表面上は普段となんら変わらない暴走人形。
歪んだ形で頭脳回路が動いている分、普通の暴走人形よりも性質が悪く、危険な存在。
「見つけ出すぞ」
「はい」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「これで全部揃ったわね」
櫓事件の翌日、美明と烏丸は祭りで皆に振舞われる料理の材料を買い足しに、川下の少し大きな町に来ていた。
何か手伝いがしたいと言う烏丸の申し出で、荷物持ちの任を申しつかったのだ。
「美明さん、半分持ちますよ」
前が見えなくなるくらいの大荷物になっている美明に両手を差し伸べて烏丸が言うが、美明は首を横に降る。
「いいわ。これでも馬力はあるの」
そう言って荷物を片手で持つと、空いた方の手で地面に置いてあった瓶の入った袋を持ち上げた。
荷物持ちの役目を果たさせて貰えなかった烏丸は、自分が買い出しに付き添わされたのは荷物持ちの為ではなく人形の付き添い。つまりは、買い主のふりをする為だったのだと気が付いた。
「お、友達型の新式じぇねぇか。俺始めて見たぜ」
声と共に、数人の男が美明の前に立ち塞がった。
「ふーん。顔の作りも中々じゃん」
「首輪も焼き印も無いし、決めた! お前うちに来い!」
と、突然、一人の男が美明の腕を掴んだ。
「ちょっと、止めてよ!」
咄嗟の出来事に、美明はいつもの調子で喋ってしまった上に、男の手を振り切るように体をずらした。瞬間、男達の好奇に満ちた視線が、怒りに変わった。
「止めろ、だと? 人形ごときが人間に向かって」
「いくら友達型だって言っても、聞き捨てならなねぇな」
あたりがざわめき始め、多くの視線が美明に降り注がれた。
『人間に歯向かった人形』
周囲の人間は眉をしかめ、人形の分際で、と囁き、人形達は馬鹿な奴だ、と哀れむ様な視線を投げる。
不穏な空気がその場に流れた。
美明の腕を掴んでいた男が、いつの間にか取り出した小刀を美明目掛けて振りかざしたのだ。
「…!」
眼前に迫る刃物に、美明は声も出せず目を瞑った。
しかし、直ぐに来ると思った痛みが、いつまでも来ない。不思議に思い、恐る恐る開いた目に映ったのは、苦痛に歪んだ男の顔と、煌く小刀を咥えて烏丸の元に戻って行く烏の姿だった。
「人の連れに、何をしているんです?」
常に微笑を絶やさなかった烏丸が、あからさまに不快な表情をしているのを、美明は始めて見た。
「なんだ? 飼い主が居たのか」
「ちょっかい出されたくなきゃ、首輪か焼印しとけよなぁ」
外野の男達が口々に文句を言い始めるが、そんな物では済まないのが、小刀を取り出した男だった。
「てめぇ! たかが人形庇うくらいで、人間様に怪我させるたぁどう言う事だ! 飼い主がそんなんだから人形も人間に歯向かう不良品になんだよ!」
烏に喰い付かれて、微かに血の滲む腕を押さえながら、男は怒鳴った。怪我の程度は低いが、精神的な怒りがこみあげているようだ。
「僕は連れと言ったんです。飼い主じゃありません」
男の怒りとは関係の無い言葉が、烏丸の口から発せられた。
その言葉は低く、冷たい物言いだったが、男達からは、一呼吸あけて爆笑が起こった。
「おい、聞いたか? 連れだってよ!」
「って事は何か? こいつ、人形を人間と同じに扱ってる隣村の奴か?」
「人間も人形も同じだなんて言ってやがる、あの狂人達の仲間かよ! そりゃ人形も自分は偉いんだって勘違いするわ」
ぎゃはは、と下卑た笑いが何時までも男達から流れ続ける。
周りの人々からも、嘲笑が起こった。
「何が可笑しいんです?」
烏丸の冷静な声が響いた。しかし、その声は人々の間を空しく通り過ぎた。
「人形なんか、人間が作った道具だろ?」
冷やかな声と共に、烏丸は強く腕を引かれた。美明だ。
「行こう、烏丸さん」
もうこれ以上、ここにいて不快になりたくないと言う美明の気持ちを汲んで、烏丸も促されるままに出口へと足を進めた。
「待って待って下さい!」
足早にその場を去る二人の横合いから、一人の少年―いや、少年型の人形が飛び込んで来た。
「待って、お願いが…!」
烏丸の服の裾を掴んで、懇願にも等しい少年の言葉を、烏丸は見つめ返すだけの無言で促した。
「僕をこの町から連れ出して下さい!」
露になった腕から見える『はノニ』の焼印は、少年の製造番号と名前であると共に、所有者が居る証拠。しかし、叫ぶ少年の言葉に、町人からざわめきは起こったが、明確な怒りの声は聞こえて来ない所を見ると、今の所この子の主はここには居ないらしい。
「突然家を出て大丈夫なんですか?」
烏丸の答えに、少年は首を縦に何度も振る。
「僕は、息子型として作られました。なのに今の生活は召使い。本来の扱いではない生活に、回線が混乱をきたしています。このままでは、確実に暴走してしまいます! 暴走を起こして、ご主人様を傷つける前に、離れないと……」
悲痛な少年の訴えを、美明は受け入れた。
「わかったわ。一緒に行こう」
微笑んで差し伸べる手に、少年は安堵を浮かべすがりつく。
その少年の手をしっかり握って、立ち去ろうとする三人の背後から、町人達の罵声が追ってくる。
「人形勝手に連れ出してんじゃねぇぞ!」
「帰るならお前だけ帰れよ、狂人!」
「いや、はノニも出て行け! イカレた人形はいらねぇよ!」
その罵声が飛んだ途端、烏丸の動きが止まり、後ろを振り返った。
「貴方達には、暴走を起こして主人を傷つける前に、自分から離れようとしているこの子の気持ちが汲み取れないんですか?!」
初めて声を荒げた烏丸に、人々は怯む事も無く暴言を吐き出した。
「気持ちを汲む? 人形に気持ちなんてある訳ねぇだろ」
「……貴方達に、何を言っても無駄でしたね。行きましょう、二人とも」
烏丸は二人の背に腕をまわし、歩みを再開した。それでもなお追って来る嘲りを含めた声から、二人を守るように背後に回る。
少しでもこの町から二人が離れられる様に。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
村に帰った三人は、一様に表情が固く何かあったのだろうと言う事は容易に予想が付いた。しかし村人達は何も聞かずに三人を迎えてくれた。
「おえり美明、その子は?」
村の中程まで行くと、往診の帰りだと言う才牙に出会った。
「川下の町から、暴走する前にうちの村に来たいって言うから」
「それで連れて来たんですか。私は才牙。もう直ぐ村祭りがあるから、村の一員として楽しむといいですよ」
「ありがとうございます」
微笑んで頭を撫でてくる才牙に、少年は出会ってから初めての笑顔をこぼした。
「あれ? 才牙さん、その包帯どうしたんですか?」
少年の頭を撫でた時に、長袖が少し持ち上がり、手首に撒かれた包帯が見えた。
「え? あぁ、これですか? さっき少しだけ櫓の復興作業を手伝ったんですけどね。その時に破片で切ってしまったんですよ。慣れない事はするものじゃないですね」
烏丸の言葉で、その事を思い出したかのように、苦笑しながら才牙は答えを返した。まだ往診が残っているから、と別れた後も、少年は才牙の事を目で追っている。
「彼が、気になるんですか?」
手を繋いでいた烏丸が、やわらかい口調で聞く。
「気になると言うか、驚いて……いえ、嬉しいのだと思います。人形師以外の人間に、やさしくして貰ったの、初めてだから」
目を細めて、本当に嬉しそうな表情を浮かべながら、烏丸の質問に答える少年を見て、美明も嬉しそうに笑う。
しかし、その笑顔に烏丸の頭には疑問と確信が浮かんだ。
浮んだのだが、それは烏と僅かに視線を合わせるだけで、口にする事は無かった。
川下の町で喋ると大事になってしまうであろう事から、ずっと黙りっぱなしだった烏が、上空から三人に話し掛ける。
「そういやぁ、もうじきだとか、近々だとか言ってたが、結局祭りは何時やるんだ?」
「! 烏が喋った!?」
烏の質問に、美明が答えようとしたが、それより先に少年の驚きの声が上がった。
「ああ、忘れてました。この烏のうっちゃん喋りますけど、気にしないで下さいね」
「忘れてたとは何事だ! さっきの町じゃ、俺様の活躍あってこそ切り抜けられたんだろうが!」
「いたっ! 痛いですよ! 突付かないで下さいよ~!」
騒がしく攻防を繰り広げる烏達のやり取りに、最初はあっけに取られていた少年も直ぐに声をあげて笑いだした。
「で? 祭りは何時なんだ?」
「明後日よ。明後日の夕方から始めるの」
それからと言うもの、少年が美明に才牙の事を始め、村の事を色々根掘り葉掘りと聞きだした。その中でも才牙の事を良く聞いていた事から、余程才牙の事が気に入ったようだ。
「才牙さんはね、あたしより後にこの村に来たの。始めは烏丸さんみたいな旅人だったのだそうだけど、村に滞在するうちに、村全体を気に入って、ここに住まう事にしたらしいわ。村に来て間もないけど、お医者様としての腕は確かだし、あたし達の簡単な修理なら出来るから皆から信頼されているわ」
「そうなんですか。凄い人なんですね、才牙さんて」
そう少年に才牙を称えられ、己の事の様に嬉しそうに美明は才牙を語り続けた。
美明の自宅に帰り着いてからも続けられた話は、才牙の事に留まらず、村の皆の話に拡大して行っていた。
「夏頭はちょうど同じくらいの年だから、きっと良い友達になれるわよ」
「はい! 明日お会い出来るのを楽しみにしています!」
「そうだ。君に名前を付けなくちゃ」
「ああ、そうですねぇ」
「名前、ですか?」
唐突な美明と烏丸の言葉に、少年は少なからず驚いた。人形に名前を付けるなんて、少年の知る限りではありえない出来事だからだ。
「そう言えば、この家の家主さんはまだお帰りにならないのですか?」
名前を付ける事への疑問ついでに、少年は家に着いた時からの疑問も美明にぶつけてみた。それに返って来るのは、またしても少年には信じがたい事実。
「ここはあたしの家よ。他には誰も住んでいないわ。この村ではね、人形にも名前を付けるし、家も持たせてくれるの。だから君にも名前を付けなくちゃ。もうこの村の一員なんだから」
「あ…ありがとう!」
感激の余り、それ以上言葉の出ない小年に、美明はやさしく微笑みかける。
「僭越ながら、僕からお名前を贈らせて頂いていいですかね?」
そう言って、美明に出して貰った紙と筆でさらさらと漢字を書き始める。
「考士、と言うのは如何ですか?」
「考士……」
漢字の書かれた紙を受け取って、どう言う意味なんだろうと考え込んでいる少年に、烏丸が照れながらも説明をしてやる。
「考は単純に『息子型』と言う事で、親孝行の『考』を、士は立派な人を称える意味の字なので『立派な孝行息子』って意味で、考士。ちょっと無理やりですかね?」
気に入って貰えるか、少々不安だった烏丸は、無言で反応が返って来ない事で、余計に不安になっていたが、少年が突然紙から視線を離し、烏丸を満面の笑みで振り返った。
「ありがとう烏丸さん! 本当に、とても嬉しいです!」
「あ、気に入って頂けました? 良かった。実は我ながら良い出来だと思っていたものですから、気に入らないって言われたらどうしようかと心配しましたよ」
「僕、この名前を明日皆様に名乗れるのが楽しみです」
名前を書いて貰った紙を大事そうに抱きしめて、少年―考士は何度も烏丸に礼を言った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その夜、烏丸と烏は美明から借りている部屋で、何時でも眠れる体制を取りながら、お互いの考えを話し合っていた。
「烏丸」
「なんです?」
「今日の、どう思う」
「以前おうちにお邪魔した時、ちょっと拝借した情報と、櫓に残っていた情報は一致しましたよ」
「お前の割にやる事が早いじゃねぇか」
「蒼い月がね、気になったんです。蒼い刃物の様な三日月を美しいと呼ぶあの人が」
「なんにせよ、決まりだな」
「ですね。真眼は飛ばすんですか?」
「ああ。監視する」
村に着いてから何度目かの他者が介入出来ない会話をする二人の耳に、扉を叩く音が聞こえて来た。
「二人共まだ起きてる?」
扉の向こうから美明の声が聞こえて来た。部屋の前を通りがかった時に、話声が聞こ
えたのだろう。
「美明さん。眠れないんですか?」
扉を開けて、美明を室内に迎えながら、烏丸が聞く。
「…ちょっと、二人に聞きたい事があって」
「なんでしょう?」
少し、緊張しているような美明の様子に、烏丸は安心させるように笑顔で、なるべく穏やかな声色で接するようにした。
言い出し辛そうに、烏丸の顔から視線を背けて、美明は話し出した。
「あの、櫓が壊された時の事なのだけど…」
美明の言葉に、烏丸達は一瞬、やはり自分達が櫓を壊した犯人だと思われているのだと思った。しかし、そこから続いた美明の言葉は違っていた。
「壊れた櫓を見に行った時、二人が話しているの、聞こえたのだけど……人工血液が、付いてたって」
美明の言葉に、烏丸達は顔を見合わせた。
確かにあの時声に出して話はしたが、美明に聞こえる程の声では無かったはずだ。
しかし、美明は人形。人間が聞こえない様な小さな音も聞き取れたのかもしれない。
「聞こえたのはそこだけだけど、人工血液が付いていたと言う事は、あたし達人形の仕業と言う事でしょう? 気になって、あれから村の人形を気にして見ていたけれど、暴走を起こしていそうな子は見当らないし……でも、狂静人形ならって思って……」
「美明さん……」
この村に狂静人形が居るのかもしれない。そう疑ったは良いが、美明の知らない人形は誰一人としていない。
大好きなこの村の、大切な人達の誰かが、狂静人形だと言う事に、美明の表情は辛そうだった。
「烏丸さんが来る少し前からね、急に暴走する人形が増え始めたの。睦哉もそう。櫓が壊された時も、最初は誰かが暴走したんじゃないかと思われたのだけど、暴走人形は見当らなかったし……」
「急に暴走を? なにか原因とか、共通点とか、そう言う物は無かったんですか?」
「全然分からないの。ここに居る人形は、皆他の町から流れて来たし、その町もばらばらだし。だからね、烏丸さんが村に来た時に、皆を見て貰おうかとも思ったの。だけど、やっぱり村の中に狂静人形が居るなんて考えたくなかった……でも、もし、狂静人形がいて、皆の突然の暴走もその人形のせいなら……」
徐々に俯き加減になって行く美明の言葉を聞いて、烏丸は村に来た日、二体の人形を直した時に見せた美明の表情を思い出した。
何かを言い出したくて、言えないで居るような、そんな表情。
「睦哉さんの事や、櫓の事件で、疑いたくないなんて、言っていられなくなってしまった……と言う事ですか」
やさしく微笑みながら、俯いている美明の顔を上げるように促す。人形の美明に涙は流れないが、泣いている様な表情になっている。
「守りたい、大好きな人達に危害が及ぶ前に、狂静人形が居るかどうか、僕に見て欲しかったんですね。言い出し難い事を言ってくれて、ありがとうございます」
「やっぱり、烏丸さんは言わないのね」
「へ?」
やっと、笑顔が戻った美明から、そんな事を唐突に言われて、烏丸は間抜けな表情で言葉の真相を聞き返した。
「人形が、人を好きだなんて馬鹿げた感覚だって。それは感情じゃなく設定だって」
「言う人は、言うと思いますけどね。人形師でも」
苦笑を浮かべる烏丸に、そうね、と笑って答えてからまた、言葉を続けた。
「自分でもね、分からないの。『気持ち』って何かなって。あたし達の『気持ち』は、人間に『設定』された物で、人間の感じる物とは違うのかもしれない。でもね、こうされたら『怒る』こうされたら『喜ぶ』。設定された事だけど、それは人間も同じなんじゃないかとも思うの。罵声を浴びたら『怒る』し、やさしくされたら『喜ぶ』でしょう? 人間だって。設定された通りに感情を入れ替える人形と、自然に感情を学んで行く人間の差なのかも知れない。だけど、あたしにはその違いがわからない」
自分の気持ちが、作られた物なのか、感情と呼んで良い物なのか分からないと訴える美明に、答えたのは人形師の烏丸ではなく、烏のうっちゃんだった。
「美明。お前作られて何年だ?」
「え?」
今までの話とは関連の無い質問に、美明は戸惑いつつも答えた。
「詳しくは分からないけれど、大体三・四年だと思うわ。記憶が確かなのはそれくらいだから」
「だったらもう、お前は『物』じゃなくて『者』だ」
剥き出しになった天井の梁にとまっていた烏は、一旦烏丸の肩に降りてから、椅子に座る美明の膝に移動した。
「この世の物は全てに感情があるんだ。草にも木にも、人間が作った物にも。作られた物は、作り手の思い入れが込められてるし、年が経つに連れて愛着も沸いてくる。古い話だとな、八百万の神ってのがいて、物にも全部魂が宿ってるんだそうだ。長く使われれば使われる程にその魂の存在は大きくなり、物は者に、つまり物質が生物に転ずる。お前はもう作られて少なくとも三年は生きて来たんだろう? 三年間、色々な物事を見聞きして経験を積んで『生きて』来たんだろう? お前を作った人形師の手を離れて。人の手から離れて経験して来た事は、全てお前の物だ。そこで思い、感じ、考えた事は、誰の設定でもない。お前が感じたお前の感情だ」
暗めの部屋の中で、真っ黒い烏の表情は分からない。けれど、美明には烏が酷く穏やかに微笑んでくれているように見えた。
「うっちゃん……ありがとう!」
「うわっ!」
がばっと美明は勢い良く烏に抱きついた。と言うか、抱きしめた。
「ありがとう。ありがとうね……」
ぎゅうっと烏を抱きしめながら何度も美明はそう呟いた。
「分かったから離せ! 苦しい!」
僅かに自由に動く首を振って訴える烏に気付き、ごめんごめんと笑いながら美明は烏を放した。
「ともかく、狂静人形の事も、俺らはうすうす感づいてたし、何とかしてやるから安心してろ」
ぜいぜいと息を整えてから言う烏に、もう一度ありがとうと伝えると、美明は自室に戻っていった。
「参りましたね」
「何がだ?」
「だって、美明さん絶対悲しみますよ?」
「俺とお前が壊さずに狂静人形を止めれば良い話だろ。弱気な事ぬかしてんじゃねぇ」
「そ、そんなに怒らなくても良いじゃないですか~」
「俺ぁ元々怒りを象徴してるんだよ」
「本来の姿って、全身が炎に包まれてますものね。忿怒の念で炎をまとい、その炎を持って穢れを祓う」
「で、俺が大仕事をしたらお前がちまちまと壊れた部分を直すと」
「うっちゃんは僕の事が嫌いですか?」
「好きではないかなぁ……」
「酷いですよ~~~」
緊張感を解すためなのか、本当に緊張感が無いのか定かではない会話は続き、夜は更けていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
眠る事の無い少年人形、考士は、家の中で一人寝っているであろう烏丸を気遣い、物音を立てないよう、静かに窓の外を眺めて
いた。
(……あれ? あそこに見えたのって……)
月明かりに照らされて、一瞬だけ木々の間から人影が見えた。
夜の暗がりでも物が見渡せる暗視用の視界に設定に切り替え、考士は人影を追う。
美明の家から見える林を抜けると、そこは川になっている。明後日に控えた祭りの灯篭が置かれている川原だ。
人影は、川原へとやって来た。
「才牙さん?」
その声に、ゆったりと影は振り返る。
「やっぱり、才牙さんだ。どうかしたのですか? こんな時間に」
なんの警戒もせずに近づいて来る考士に、影―才牙は無言だった。
「凄い数の灯篭ですね。美明さんが言っていた祭りに使う物ですか? これ全部に灯を燈して流したら、綺麗なんでしょうね」
言いながら灯篭を見渡すと、その何個か…才牙の足元にあった物が破壊されていた。
「才牙さん、それ……」
「お前、灯篭の一つになると良い」
「え?」
理解不能な才牙の言葉に、振り返った考士が見た物は蒼い三日月と、赤い光。
光の奥に覗くのは、歯車の形の機械の瞳。
「なん……で? 貴方は……人間…じゃ…」
「無いから、お前を壊せるのだろう?」
「さい…がさん……」
強力な磁場を発する手の平を、額に押し付けられ、脳内の設定を破壊される。
段々と、意識が消えて来る。
次第に、自分が消えて行く。
「人間にされた仕打ちを思い出せ。そして狂うと良い。感情のままに」
「う……ぁ………」
後少しで、考士の意識は完全に消える。
そうなればただ暴走するだけの暴走人形に成り代わる。
「いや……だ…ぁ……」
考士が、己の意識を手放しかかったその時
「止めなさい! 才牙さん」
「人形師か……」
走ってくる烏丸達に視線をやると、才牙は壊れたおもちゃを捨てるように考士を川へと放り投げた。
「ぁあああ!」
「考士!」
慌てて駆け寄り、川から引き上げる。
「考士、しっかり」
「からす…まる……さん…」
「大丈夫、僕が直してあげますから」
安心させる為に、懸命に作った笑顔で答えながら、烏丸は手早く服の帯を解いた。解かれた帯は一つの多きな薄布となり、それを考士に被せた。
特殊な加工の施されたその布は、吸水性に優れており、体内に入り込んだ水分をも吸収する。
「どうして、駆けつけられた?」
烏丸の脇に立った才牙が虚ろに言う。
「貴方が、狂静人形なのは予想してたんです。だから、うっちゃんが行動を見張っていました」
「烏はお前といつも共にあっただろう? どうやって監視した?」
「真眼でだよ」
一心に考士の治療を続ける烏丸に、磁場を帯びたままの手を才牙が伸ばす。それを遮るように烏が間に割って入った。
通常でも、他の烏より大きいが、今その体は、翼を広げると人一人分程もあろう大きさになっていた。その額には碧に輝く第三の目『真眼』が開き、二対の翼を広げ、全身を炎に包まれている。
「烏枢沙摩……そうか、思い出した。炎の力を以って暴走人形を治める者。烏枢沙摩明王。聞いた事はあったが『神』等と言う者が実在したとはな……」
「祓ってやるぜ。お前の中に眠るその黒い穢れをな」
「やれる物ならやってみると良い」
言葉と共に、才牙の髪が揺れた。
途端、烏丸の腕で治療を受けていた考士が暴れだした。
「何をした?!」
「さあ?」
無表情のまま、遠くを見る才牙に舌打ちをして烏は考士を止めにかかる。
「烏丸! 原因は何だ?!」
「音波です! 僕やうっちゃんには聞こえませんけど、高い音域の音波が流れてるんです!」
「くそ、発信源は何処だ?!」
才牙ごと攻撃すれば早いのだが、それでは村を助ける代わりに才牙を死なせる事になる。二匹の烏はそれを望んでいなかった。
烏が攻撃個所を悩んでいると、村のあちこちから悲鳴が聞こえ始める。
「畜生! 空気に乗って音波が村に流れたか?!」
「どうした? 私の穢れを祓うんじゃなかったのか? 私を倒せば音波も消える。村は助かるぞ?」
薄く笑う才牙に、烏がその視線を合わせる。
考士の聴覚設定を切る事で落ち着かせた烏丸と短く作戦を練る。
「俺がどうにかしてあいつの動きを封じるから、お前は超音波を停止させろ!」
「どうにかって、どうやって?」
「んなもん烏の俺が知るか! 人形師のお前のが専門分野だろ!」
「わ、分かりましたよ。やってみます」
「行くぞ!」
烏が全身に纏う炎を増幅させ、空中へと飛翔する。二対の羽を振るって炎の壁を出現させようとした時
「うっちゃん!」
「なんだ?!」
川辺に、村の人形達が集まってきたのだ。
「この音波で呼び寄せてるのか?!」
明らかに瞳の光が尋常ではない人形達が、烏丸に向かってゆっくりと、しかし確実に近づいて来る。
「皆! 正気に戻って!」
操り人形と化した者達へ向けて、必死に呼びかける声が聞こえた。美明だ。
「烏丸さん! うっちゃん! 皆が…!」
「美明さん、なんで貴方は平気なんですか?」
「あたしの聴覚体制には超音波防止装置がついているから、この音には惑わされないの。烏丸さん皆を壊さないで!」
縋る美明と、薄く笑う才牙。
「さあ? どう戦う?」
「くそっ……」
操られているだけの人形達を壊すわけにも行かない。大きな破損を与えずに、動けないようにしなければならないが、多勢に分勢のこの状態では、一体一体回路を切って行く事も不可能に思えた。しかし……
「仕方ないですねー、うっちゃん村の皆さんは僕が抑えますから、貴方は才牙さんを。それの後の僕の世話も頼みます」
「解った」
そう言って背中合わせに二人は別々の敵に対峙した。
「行きます」
人形達に向かって走り出す烏丸の右手には細い銀の棒が握られていた。人形からの第一撃をかわすと、擦れ違い様に後方へと棒を振る。
「!」
棒が、振られた事による遠心力で細い紐の様に伸び、擦れ違って後方にいた人形の腕にに巻き付いた。
「後でちゃんと直してあげましから、勘弁して下さいね」
そう呟く烏丸の指が、小さく動いた。
途端、人形の目から光が失われ、がくん、と地に膝を着く。
巻き付けた紐を引く事で、倒れこむ体を地面の激突と避けさせる。そっと横たえると同時に紐を軽い動作で外し、横にいた人形へと巻きつける。
それと同時に、後ろから襲い掛かってくる人形へ、左手から放たれた同種の紐が巻きつき二体同時に動きを止める。
「立ち回りは、体力が尽きて倒れちゃうからやりたくなかったんですが、ね!」
手首を返すだけの動きで紐を外すと、突撃してくる人形の攻撃を飛んでかわす。交わしつつ、空中からまた新たな人形へと紐を巻きつけ停止させて行く。
「何をしている?」
戦いながらもその様子を目の端で追っていた才牙が、対峙している烏に問う。
「緊急停止信号を送り込んでるんだよ。あいつの発明品の中で唯一にして一番使える装置だ」
答える烏から放たれる炎を纏った羽根を、才牙は難無くかわす。
「足を止めたいのだろうが、その攻撃では埒があかないぞ?」
「やってみなきゃわかんねぇだろ?」
お互いに、余裕のある声で牽制しあう。
「では、こちらも試させて貰おう」
牽制の糸を切ったのは才牙だった。真正面から烏に突っ込み、一尺の所で手の甲が隠れる程あった袖をたくし上げ、拳を突き出した。
「ぉわっ!」
突き出された拳の指の根元から、銀色に光る鋭い爪が烏を襲った。よく見ればその爪には時折電気の帯が散っている。
「接近戦でしか使えないのは不便だがな」
「お前、戦闘人形だったのか?」
「いや、医者だよ。人間と人形両方の、医療補助人形」
「そう言う事か……」
医療人形の知識で村の人間に受け入れて貰い、人形の修理知識を応用して、村の人形を狂わせていた。
「なんでこんな事をするんだ才牙。この村で暮らす人間はお前にやさしかっただろ? 人形達も幸せそうだっただろう?」
「それが、間違えなんだ」
呟くと、才牙は視界に止まった美明へと走り、髪を掴んだ。
「いった…! 才牙さん?!」
「動くと、壊しちゃいますよ? 美明」
「才牙さん……」
「どうする? 烏さん達。鞭も羽根も使えないだろう?」
美明の髪を掴み引き寄せ、盾の様に自分の前に立たせる。美明の喉元には、電気を帯びた爪が光る。
「人間が人形を同等に扱う? それが間違えなんだ。人間は、人形を虐げる存在だろう。我々の能力を理解せず、無理な命令ばかりを強いるのが人間と言う存在だ。医師の補助人形の私に執事としての仕事を命令し、出来なければ罵声を浴びせ、切り捨てるのが人間だ! それなのに何故同等に扱う? 何故やさしくする? ここの村人達は私には理解不能だ。祭りを行う理由も、意味も、価値も分からない。理解出来ない!」
狂気と困惑と悲しみ。
才牙の瞳にはそれらの感情が入り混じっていた。
狂気で歪んだ人間像。しかしそれに尽さなければならない己の中の設定。
人間の存在を誤って認識したままの脳には、違う行動を取る人間達の存在が負荷になり、完全な狂静人形に成り代わった。
「睦哉や、他の皆を狂わせたの、才牙さんの仕業なの?」
心なしか震える声で尋ねる美明に、才牙は表情を変えもせずに、そうだと短く答える。
「何故?! 皆は関係ないじゃない!」
「私は、人間として村に迎えられた。人間は私が自分で人形だと名乗らなければ、それすらも区別が付かないような愚かな存在だ。なのに何故我々が平伏さなきゃならない?」
「才牙さん……その考えは、あたし達人形は持ってはならない物よ?」
「だが、私は抱いてしまった……だからこそ、村の人形が許せなかった。そんな愚かな人間に、少し認められただけで、世界崩壊以後から長年に渡って受けて来た仕打ちの数々を、忘れられる人形が許せなかった」
「だから、治療のふりして無理やり思い出させて、暴走に追い込んだって言うの?」
美明の声は、今なお震えている、しかし今は恐怖や悲しみではなく、才牙に対する強い怒りが、声を震わせていた。
「差別をしない人間だって居るんだって、この人達となら仲良くやっていけるって、そう考える事の何が悪いの?! 思い出させて、暴走させて、それで満足? それで気が済むの?! 済まないでしょう? 貴方が狂った原因とは、何にも関係の無い部分を攻撃してるんだから!」
怒鳴るのと共に、美明の腕から刃物が飛び出し、才牙に掴まれていた己の髪を切り落とし、腕から逃れ、叫ぶ。
「うっちゃん!」
同時に、烏の翼から無数の羽根が放たれる。
「こんな物は通用しないと言っただろう」
後ろに飛んで除けながら、冷笑を浮かべつつ才牙が言うが、烏の余裕の笑みを見た時、その表情は静かな怒りに変わった。
「何が可笑しい?」
「足元を見てみろよ」
「なに……?」
反射的に言われた通り足元を見るとそこには先程まで放たれていた烏の羽根が、炎を纏ったまま地に刺さっていた。
「! これはっ!」
「気が付くのが遅い! オン・クロダノウ・ウン・ジャク・ソワカ!」
烏の真言と共に、足元の羽根から の文字に火柱が上がる。
「! っぁあ!」
羽根から吹き上がる紅蓮の炎が、才牙の体に纏わり付き、その体を侵食して行く。
「ぅぁあぁぁ…!」
もがき暴れる才牙の周りに、烏丸が磁石で磁場結界を作り動けなくする。苦しむ才牙体内に入っては、赤く炎が燃え上がり、再び体内に戻ると、その炎に変化が見え始めた。
「来るぞ。烏丸、美明を頼む」
「分かりました。美明さん、早くこっちへ」
導かれるままに才牙から離れた場所へと誘導する烏丸に、川の中に入る様言い渡された。
「水は『穢れ』を除け、守る効果があります。この中に居れば安全ですから」
「安全って、何をするの?」
「黙って見ていましょう。ここからは、僕も役に立ちませんから」
視線は烏と才牙に向けたまま、烏丸は答える。その手には電気を帯びた小刀が握られており、万が一才牙がこちらに暴走して来た時に備えていた。
烏丸の視線の真剣さにつられ、美明も二人の方を見ると、そこには信じがたい光景が繰り広げられていた。
「出てきやがったな黒幕が!」
怒鳴る烏が見据えるものは、才牙の体から吹き出す黒い影。
ただ、人間に対する反感や、憎しみと言った負の感情だけで構成された人形を狂わす『穢れ』
辛い 酷い 何故? 人間はどうしたら解ってくれる? 混乱 困惑 でも放棄出来ない 目まぐるしく動く思考 停止したくてもそれは禁止されている 如何したら良い? どうすれば? 辛い 酷い 憎い
でも、愛しい………
「うわぁあぁあああ!」
「オン・シュリマリママリ・マリシュシュリ・ソワカ! 忿怒の念にて創りし浄化の炎! 烏枢沙摩明王の名に於いて、穢れを祓い焼き尽くせ!」
炎が影を覆い、飲み込んで行く。
光が溢れ、視界の全てが白く包まれた時、空からも闇が退き、朝日が差し込んでいた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
深く暗い漆黒の空間に、うっすらと声が聞こえる。
「おい、さノ六。これやっておけ。出来ないなんて言わせねぇぞ人形のくせに」
私は、医療用人形で、一般家庭業務は殆んど出来ないのに……
「なぜやらない! 俺はやっておけと命令した筈だぞ!」
やらないのではなく、やれないんです……
「人形のくせに主人を選ぶ気か?! 前の主人には尽していたくせに!」
それは、以前のご主人様が私の性能に合ったお医者様だったから……!
「お前みたな欠陥品はいらねぇよ! 出て行きな!」
ご主人様!
そして混沌の中へと突き落とされた者に、微かに呼びかける声がする。
さ…が…さん
誰?
さい…が…さん
さ・い・が…? 私の…
才牙さん!
私の 『名前』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
目が醒めると、そこは見慣れた屋根だった。
「気がついた?」
「美明……」
寝台の横に座り込み、手を握る美明の姿を見て、朦朧としていた意識が覚醒した。
「私は……烏丸さんと烏枢沙摩に………」
「うん。穢れを祓って貰ったの」
「穢れ…?」
まとまらない思考の糸を解すように、美明は順序立てて、しかし、才牙が必要以上の罪悪感を感じないように説明をした。
狂った状態で村に来て、狂静人形になってしまった事。
村の人形を暴走へと追い込んでいた事。
祭りを壊そうとして来た事。
烏に、狂静人形になる切っ掛けとなった穢れを払われた事。
そして、その衝撃で壊れた個所を烏丸が丁寧に直して行った事……
「私は、もうこの村には居られませんね」
「何故?」
「何故って、何の落ち度も無い人形達を暴走に追い込んだり、酷い事を」
「そうね、祭りを壊そうとしていたのも、村人全員が知っているわ」
「だったら、尚の事……」
俯いた才牙の耳に、扉を叩く音が聞こえて来た。その音に答えを返す前に扉は開かれ、考士と夏頭の二人が元気良く走り込んで来た。
「才牙さん! 意識戻ったんですね。良かったです」
「うん。間に合って良かった。灯篭流し、始まるよ! 才牙さんもう動けるんでしょ? 見に行こうよ」
気を使っているでもなく、記憶を書き換えられているでもない、二人の子供の心からの言葉。
「睦哉達の事、気にしない事には出来ないし、忘れる事も出来ないけど、前に進む事にしたの。皆で。あたし達人形も、思う様に動く事にしたの。自分達の考えを自分の考えだって信じて。だから……」
にっこりと微笑んで、手が差し伸べられる。
「いきましょ? 一緒に」
「………はい」
色取り取りの灯が燈る。
暗い川は、魂の灯を浮かべ下へと流れる。
様々な『もの』の灯が流れる。
十人十色の思いが流れる。
下へ下へと……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あー、見て下さいうっちゃん。美明さん達の灯篭ですよ」
「延期にしてた祭り今日やったんだな」
「綺麗ですねぇ~この山からも見えるんですねぇ」
「上から見るのも、また一興だな」
町から村へ
村から街へ
山越え谷越え川渡り、二匹の烏の宛て無き旅はまだ続く。
のんびり、急がず、ゆっくりと。
「ところで、本当にこの方向に次の町なり村なりあるんですか? うっちゃん」
「だから、あったと思うと言ったんであって、あるとは言ってない!」
「え! 無かったらどうするんですか?!」
「お前が飢える」
「そんなぁ~~~!」
終