うらない路地の おもてなし
年老いた魔女が死んだ。
国を守る魔法使いたちの頂点に立つ人物だった魔女は、国王の一番の家来でもあった。
魔女は、ずっと国王のことが好きだった。結婚することなく、彼に一生を捧げるほど。
国王も、ずっと魔女のことが好きだった。結婚によって、彼女の魔力を奪うこともできないほど。
魔女の最期が近いらしいと、王宮内の彼女の部屋を見舞った国王は、目を開けることもない彼女に無言の口付けを贈る。
その頬を伝った涙が、魔女の唇へと一滴吸い込まれる。
涙、に込められた想いが魔女に最後の力を与えた。
部屋から出て行く国王に、魔女が魔法をかける。
その夜、魔女は死んだ。
国王は、人目をはばからずに泣いた。
その夜から三日間。
夜空も、星の涙を流し続けた。
魔女が死んで、長い時が経った。
国王が治めていた国は、代を重ねるごとに大きく強くなっていった。
魔法で国を守り武力で他国を制圧するこの国を、周りの国々は『魔法帝国』と呼んで恐れた。
魔女の死後、魔法帝国の王族には、他の魔法使いとは桁違いに強力な魔力を持つ人物が現れるようになった。
『王族魔法使い』と呼ばれた魔法使いは、国内の魔法使いの頂点に立つ。魔法使いの王とも言えた。
そして国王同様、王族魔法使いも、この国に一人だけの存在だった。
それは決して、欠けることも重なることも無い。
王族魔法使いが死亡したり、結婚によって魔力を失うことがあれば、次の魔法使いが国王の子供の中から現れた。
誰が王族魔法使いになるのか。
そこに、年齢や性別は関係ない。
ただ、賜り物、のように魔力が彼らに降りてくる。
それこそが、死の間際、魔女が愛する国王にかけた魔法だった。
あるとき、一人の王子が魔力を欲した。
当時、王の子供は彼一人だった。
彼が生まれて十五年、他に子が生まれないことで、王子は王宮内でも特別な存在だった。
特に立太子の儀を終えて、世継ぎの王子であることが内外に示された今。
近い将来、国王であり王族魔法使いでもある唯一絶対の存在になる王子に逆らう者は、どこにも居なかった。
そんな王太子の将来に、影が差す。
父王が寵愛している側室の懐妊が伝えられた。
「手っ取り早いのは、生まれる前に赤ん坊を殺すことか」
自室で、乳兄弟に注がせた酒盃を片手に、王太子が呟く。
「側室さまや、お子を害するのは、謀反になりましょうぞ」
乳兄弟の言葉に、『面白くない』と、王太子が盃を投げる。
新しい盃に酒を満たしてその手に持たせた乳兄弟が、王太子をそそのかす。
「魔力を手に入れなさいませ。今なら、王族魔法使いの資格は貴方様だけのもの」
酒を飲み干した王太子の目が、暗い決意に燃えた。
弟妹が生まれる前なら、王族魔法使いの魔力は自分のものになる。
叔父である王族魔法使いを倒して、自分が次の魔法使いになってやる。
乳兄弟を中心に近衛騎士が集められ、王族魔法使いの暗殺が計画された。
決行は次の新月の夜、と。
「愚かな子供よ」
だが、当代一の魔力を誇る王族魔法使いが易々と、倒されるはずがない。
国内どころか、近隣の国までにもひそかに張り巡らされた魔法使いの情報網に、暗殺の企みは明らかにされる。
国を覆う防御の魔法をほんの一部、自分に振り向けるだけで難を逃れた王族魔法使いは、自分に忠誠を誓う魔法使いたちと供に、王太子に報復を仕掛けた。
当初、近衛騎士団と王宮の魔法使いの小競り合いだった戦いは、いつしか国内の兵士と魔法使いの全面戦争へと騒ぎを大きくしていった。
大きくなりすぎた戦乱は、誰の力でも抑えようがなくなる。
騒乱が街を荒らし、人の心が荒れる。
荒れた心の隙間に、そろりと闇が入り込む。
内乱に乗じて、新興の国が魔法帝国へと間者を放った。
彼らは噂を流し、国内に混乱を呼び込む。
混乱は、人の心にくすぶる火種に油を注ぐ。
兵士と魔法使いの戦いが、五年を越えた頃。
戦に疲れた国民が、あちらこちらで反乱を起こした。
攻撃の兵士と、守備の魔法使い。
今まで魔法帝国を支えてきた二つの柱が、互いを削りあったところに上がった国内からの火の手は、国を弱らせた。
新興国は、そのチャンスを逃さず一気に魔法帝国に攻め込む。
長い歴史を誇った王家は、砂の城が波に削られるように、地上から消えた。
国王も、王太子も、王族魔法使いも誰一人残らなかった。
生き残ったのは、内乱の火種になった幼姫、ただ一人。
その姫も、国名を残す代償として、新興国の第二王子と婚礼を挙げさせられた。
魔法帝国を確実に新興国の一部にするために。
王族魔法使いを消滅させるために。
王族魔法使いを亡くした魔法使いたちは、国の守りからも解任された。
武力のみを信じる新興国の王は、魔力を嫌った。
仕事をなくし、路頭に迷う魔法使いたちに、風の噂が流れてくる。『街のはずれに、強大な魔女が現れた』と。
彼らは、噂と自分の魔力を頼りに、一人の女性を見つけ出す。
先の内乱で婚約者をなくした女性は、街のはずれで年老いた母親と二人で暮らしていた。
魔法使いたちは一目見ただけで、彼女から溢れ出る魔力の前に、ひれ伏した。
どうして、ここに現れたのか、理解できたものは一人もいなかったが。
理性とは、別の感覚が彼らに告げた。
この人が……次の、王族魔法使いだ、と。
新しい国王に、この王族魔法使いを消されないように。
彼らは、彼女の家へ通じる路地沿いに住み着いた。彼らの家、一軒一軒が、彼女の家への関所になる。
そうして、彼らはそこで占いや、まじないをして暮らし始めた。
戦乱の傷が癒え、街に活気が戻ってきた頃。
魔法使いたちの路地は、街でちょっとした評判になっていた。
よく当たる恋占いの店。
商売繁盛のおまじないが得意な店。
病気回復のお守りのある店。
評判は王宮にも届き、役人たちが視察に来る。
「魔法を扱う商売とは、けしからん」
占いの店を営む一人の魔女の腕を捻りあげた役人たちの前に、路地奥に住む王族魔法使いが姿を現した。
「お役人様」
「なんだ」
「よく見てくださいな。これは、魔法なんかじゃないでしょう?」
娘ほどの年齢の女性の微笑みに、最上位の役人の顔がだらしなく緩む。つかんでいた魔女の手を離す。
「子供だまし、の占いですよ?」
「そう言って、謀反をたくらんでるのではあるまいな?」
「嫌ですね。ちょっと、こっちに回ってきてくださいな」
手招きをする王族魔法使いの後について、役人たちが店の裏へと回る。
「なんだ、この建物は」
「謀反の気持ちが無い証、ととっていただければ……」
ずらりと並んだ店の裏。
一軒残らず、裏口が無かった。
「この路地で店を出すには、条件をつけてましてね」
「うむ」
「お役人様から疑いをかけられないように、出入り口は一ヶ所だけしか作ってはならないんです」
取り締まりから逃げる道は、最初から用意していません。
そう言った女性の、魔法を含んだ言葉に納得させられた役人たちは、健康祈願のお守りを土産に貰って帰って行った。
裏口の無い”うらない路地”。
いつしか街の人たちにそう呼ばれたこの路地の裏には、魔法で隠され、限られた者のみが立ち入りを許された”真のうらない路地”があった。
表と裏、両方のうらない路地の主である最後の王族魔法使い。
彼女は、戦乱で亡くなった国王の腹違いの妹。
昔々。
この国の王を愛した魔女の、最後の魔法。
『陛下の国がある限り。国王を父とする未婚者のうち、もっとも無私なる者に、わが魔力を』
王族魔法使いは、”現国王の子”だけに現れるとは限らなかった。
ただ。
王族として育った子は、他国との絆を深めるための結婚をし。
父を知らずに育った子は、生きていくための”欲”が王族よりも強かった。
その結果、”現国王の子”のみに、王族魔法使いが現れる結果になった。
誰にも告げられなかった魔法はやがて、幼姫の子孫に力を現わすことになる。
新興国にとって強大な魔力の子は、『魔法帝国に呪われた子』だった。彼らは、世間に知られぬように、ひっそりと王宮から追い出される。
後は、野垂れ死にしようが、王族とは関係ないと。
王族魔法使いが死ぬと、うらない路地の住人たちは、捨てられた新しい王族魔法使いを探し出して、路地奥の家で保護して育てる。
魔法使いたちも、死んでいく者から新しく住み着く者へと代を重ねて行く。
そうして再び、年月が流れて行く。
魔法帝国の街はずれ。
ひとつの伝説が今も、ひっそりと息づいている。
『私利私欲といった”裏”心の無い人物が、国を憂いて訪ねた時。かの者は、真の”うらない路地”に足を踏み入れる。うらない路地の主は、”表”に出せない方法で、国を救ってくれるだろう』
それこそが
うら ない路地の おもて なし。
END.