王子様が私を選ぶなんて、ありえないと思っていました
私が初めて王子を見たのは、王国主催のお茶会だった。
春の庭園には、色とりどりの花が咲いていた。
白、黄色、薄紫。
きれいに整えられた花壇の間には白いテーブルが並び、その上には銀のティーポットや小さな焼き菓子が置かれている。
風が吹くたびに、花の甘い香りがふわっと流れてきた。
人も多かった。
貴族の令嬢たちは華やかなドレスを着て、楽しそうに笑っている。
きれいな人ばかり。
私はなんとなく落ち着かなくて、庭の端の方に立っていた。
その時だった。
「お嬢さん、肩に虫がついてますよ」
「え?」
肩を見る。
小さな虫が止まっていた。
「きゃあ!」
思わず声を上げてしまった。
「はい。取れました」
男の人が指先で虫をつまみ、そのまま草の上へ逃がした。
「ありがとうございます……」
顔を上げる。
そこにいた王子に一瞬で私は夢中になった。
虫を取ってくれたから?
王子様だったから?
分からない。
ただ、あの日から気付けば王子を目で追うようになっていた。
次に会ったのは、街に出たときだった。
その日は春の終わりで、少し汗ばむくらい暖かかった。
石畳の道の両側には店が並び、焼きたてのパンや果物、アクセサリー、色鮮やかな布が店先に並んでいる。
「焼きたてだよ!」
「今日はリンゴが安いよ!」
あちこちから店の人の声が飛び交っていた。
馬車が通り、人が行き交い、子供たちが笑いながら走っていく。
にぎやかな街だった。
私はメイドと一緒に店を見て回っていた。
「あ、王子!」
思わず足が止まった。
隣には、かわいらしい令嬢がいた。
金色の髪。
明るい笑顔。
王子と並んで歩く姿が、とても自然だった。
王子も笑っていた。
あんな顔。
私には見せたことがない。
隣にいたい。
私もあそこを歩きたい。
でも。
近づいて嫌な顔をされたら?
邪魔だと思われたら?
怖い。
足が動かない。
そんなことを考えているうちに、二人は人混みの向こうへ消えていった。
それから数年。
パーティーなどで会えば、少し話をするくらいの関係にはなっていた。
王子が私を特別に見ているとは思えなかった。
明日は王様の誕生パーティーがある。
また一人で出席するのか。
少し寂しい。
そんなことを考えていた時、部屋の扉がノックされた。
「アンナ様」
「入ってください」
扉が開き、メイド長が入ってきた。
「王子様が来られました。応接間でお待たせしておりますので、急いで準備を」
「え?」
王子が?
どうして?
何をしに来たの?
期待していいの?
それとも、全然違うこと?
頭の中がぐちゃぐちゃになった。
「お嬢様、早く服をお選びください」
私はクローゼットを見る。
何着もある。
選べない。
「なぜか選べないの。選んで」
たくさんあるのに、ふさわしい服が見当たらない。
王子に会う服。
そんなもの、持っていたかしら。
メイド長が一着のドレスを取り出した。
「これを着ていってください。待たせる方が失礼ですよ」
「……分かったわ」
私は着替え、応接間へ向かった。
扉を開ける。
王子が立ち上がった。
「急に来てしまってすまない」
「いえ……」
どうしよう。
ちゃんと話せるかしら。
王子が私を見る。
「明日のパーティー、私にエスコートさせてくれないか」
「え!? 私でいいんですか?」
王子が私を誘ってくれた。
これは夢?
夢でもいい。
「もちろん」
でも。
いつも一緒にいるあの子。
頭の中に、街で見た令嬢が浮かんだ。
想像すると悲しくなる。
あの子みたいに生まれたかった。
「マリーナ嬢はいいんですか?」
「なんでマリーナ嬢?」
王子は少し不思議そうな顔をした。
「あれは友達みたいなものだよ」
ほんとに?
あの時の笑顔。
私が見たことのない笑顔。
みたいって何?
「僕じゃダメかい?」
わからないわ。
でも。
断ることなんてできない。
「お願いします」
王子が笑った。
「じゃあ、明日十九時に迎えに行くね」
「はい」
王子が帰ったあとも、しばらく動けなかった。
私、どうしたらいいんだろう。
翌日。
私は朝からドレスを眺めていた。
あの人にふさわしい服。
隣に立てる服。
どうしても選べない。
何度着替えても違う気がする。
その時、一着のドレスが目に入った。
これしかないかしら。
それは、亡くなった父が一番似合うと言ってくれたドレスだった。
私はその布にそっと触れた。
お父さん。
信じるね。
「王子様が来られました」
「はい。今行きます」
階段を降りる。
まだ信じられない。
あの王子が、私を迎えに来ているなんて。
玄関に立っていた王子が私を見る。
一瞬だけ目を見開いた。
「今日は特にきれいに見える」
胸が跳ねる。
「ドレスが似合っているからかな」
王子が少し照れたように笑った。
「それと、これを」
小さな箱を差し出される。
開けると、中には淡い青色の宝石がついたネックレスが入っていた。
「今日のドレスに合いそうでよかった」
「私に……?」
「もちろん。君に似合いそうなのを選んできた」
胸の奥が、また落ち着かなくなる。
「ありがとうございます」
メイドに手伝ってもらい、ネックレスをつける。
「やっぱり似合ってる」
涙が出そう。
ドレス、これにしてよかった。
「……ありがとうございます」
「それでは会場に向かいましょう」
「はい」
王宮の大広間には、すでに多くの人が集まっていた。
高い天井から巨大なシャンデリアが下がり、無数の灯りが金色に輝いている。
壁には王家の紋章が飾られ、大きな窓には深紅のカーテン。
磨き上げられた床には、ドレスや礼服姿の人々が映っていた。
楽団が静かな曲を奏でている。
長いテーブルには料理や果物、色とりどりの菓子が並び、給仕たちが忙しそうにグラスを運んでいた。
どこを見ても華やかだった。
こんな場所で。
私は本当に王子の隣にいる。
夢みたい。
「アンナ」
王子が私を呼ぶ。
その声だけで嬉しくなる。
一人の令嬢がこちらへ近づいてきた。
マリーナ嬢だ。
やっぱり、きれい。
あの時と変わらない。
きれいな髪。
自然な笑顔。
私が持っていないものを、たくさん持っているように見えた。
「王子、今日はかわいい令嬢を連れていますのね」
「そうだろう」
王子が笑う。
「私のアンナだ」
私の?
胸がまた跳ねた。
マリーナ嬢が私へ微笑む。
「アンナさん、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
二人が話し始めた。
楽しそう。
やっぱり。
王子がさっきより楽しそうに見える。
急に心細くなった。
ここにいたくない。
「ちょっと、花を摘んできます」
私はその場から逃げた。
化粧室へ入り、鏡を見る。
なんで逃げたの?
せっかく王子が誘ってくれたのに。
どうしたらいいの?
分からない。
私は水で顔を洗った。
鏡の中の自分を見る。
「お父さん……」
小さく呟く。
見守っていてね。
私は会場へ戻った。
しばらくすると、王様の話が始まった。
何を話していたのか、ほとんど頭に入ってこなかった。
王子。
マリーナ嬢。
自分。
そればかり考えていた。
王様の話が終わる。
やがてパーティーも終わった。
「アンナ、家まで送ります」
「ありがとうございます」
馬車に乗る。
夢じゃないのよね。
王子は本当に私を迎えに来て。
一緒にパーティーへ行って。
今も隣にいる。
なんだか怖い。
「家に着きましたよ」
「え?」
いつの間にか屋敷の前だった。
「今日はお付き合いいただき、ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました」
王子が笑う。
私は頭を下げ、屋敷へ入った。
自分の部屋へ戻る。
今日はほとんど記憶がない。
王子が来た。
褒めてくれた。
一緒にパーティーへ行った。
なのに。
一番覚えているのは、マリーナ嬢を見て心細くなったことだった。
もし比べられたら。
もし王子に嫌われたら。
私、どうしよう。
気付くと涙が頬を伝っていた。
それから数日後。
マリーナ嬢が家に来た。
何しに来たんだろう?
王子のことかしら。
胸がざわつく。
「ごきげんよう。マリーナ嬢」
「ごきげんよう。アンナ嬢」
「今日はどういった御用で?」
怖い。
何を言われるんだろう。
マリーナ嬢は少し考えてから答えた。
「あなたを見に来ました」
それって、どういうこと?
マリーナ嬢は続ける。
「王子があなたの話をよくするので、どんな人なのか気になりました」
やっぱり!?
負けていられない。
もし取られるとしても。
やることはやっておかないと。
「それは、どういう意味でしょうか?」
マリーナ嬢が首を傾げた。
「えっと……話によく出るから、どんな人なのかなって思って?」
敵意がない。
あれ?
まさか。
何にもない?
マリーナ嬢が私の顔を見て、少し笑った。
「勘違いさせちゃった?」
「え?」
「私たち、いとこですから」
「え!?」
頭が真っ白になった。
「たまに誤解する人もいるのよね。王子から聞いてなかった?」
「聞いてないです」
力がどっと抜けると同時に、自分の気持ちがはっきり分かった。
王子が誰かを選ぶのが怖かった。
マリーナ嬢に取られると思っただけで苦しかった。
王子は他の人には絶対渡せない。




