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第62話:名を刻む鉄


石造りの建物。

交差した剣の紋章。


「ここが、冒険者組合よ」


中に入ると、

視線が一瞬こちらに集まる。


フィアたちは慣れた様子でカウンターへ向かった。


「盗賊討伐、完了よ」


ロアンが袋を置く。

中から盗賊団“灰狼”の証が転がる。


受付の女は淡々と確認した。


「灰狼盗賊団の討伐、確認しました」


受付の女が、ちらりと俺を見た。


「今回は討伐依頼です。

 捕縛報酬は発生しません」


毛皮。

鉄槍。

森の匂い。


数秒の沈黙。


「捕縛した一人はどういたしますか? こちらで引き渡しを行いますか?」


周囲の空気が変わる。


俺は眉を寄せた。


「...は?」


「討伐対象の残党では?」


ガルドが吹き出す。


「っぷ!?……だぁ〜!」


腹を押さえて笑いを堪える。

だがそれはすぐに決壊した。


「っはははははは! まぁ、盗賊みてぇな姿してるしな!」


ロアンが苦笑しながら手を振る。


「違う違う。盗賊じゃない。途中で合流しただけだ」


受付の女が、フィアを見る。


「え?……。

 し、失礼いたしました!」


一瞬で表情が変わる。


椅子からわずかに立ち上がり、頭を下げる。


「誤認でした! 申し訳ありません」


視線が、俺の毛皮と槍をもう一度なぞる。


だが今度は警戒ではなく、確認だ。


「ですが……」


少し首を傾げる。


「フィア様のパーティーは、登録上は四名では?」


空気が、ほんの少しだけ止まる。


ガルドが口の端を上げる。


「ほらな」


ロアンが肩をすくめる。


フィアは一瞬だけ俺を見る。


その目は――

試すようでもあり、

ただ事実を選ぶようでもあった。


フィアは、ほんの少しだけ笑った。


「仲間よ?」


さらりと言う。


「盗賊団にとらわれていて、助けたの。

 彼も戦闘に参加したわ」


一瞬、間。


さっきまで笑っていたガルドの口元が止まる。


ロアンも、何も言わない。


ユーリスが、きょとんとした顔でフィアを見る。


受付の女は目を丸くした。


「……そうでしたか。

 それは失礼を」


視線が、今度は俺を値踏みするものに変わる。


「討伐協力者として記録いたしますか?」


フィアは迷わない。


「ええ」


「いいのか?」


俺はフィアを見る。


「森で誤解とはいえ、ね?」


フィアは肩をすくめる。


「謝罪代わりってことよ?」


軽い調子。

だが目は、軽くない。


受付の女が咳払いをする。


「では、討伐協力者として記録を――」


一度、俺を見直す。


「お名前とプレートを」


「……エア」


俺はそれだけ答えた。


数秒。


受付の女が、待つ。


ペンを構えたまま、首を傾げる。


「あの……プレートを……」


「ない」


小さな沈黙。


視線が俺の首元、腰元、装備へと落ちる。

確かめるように。


「……お持ちでは、ない?」


「持っていない」


受付の女の眉がわずかに寄る。


「冒険者の方では?」


「違う」


即答。


周囲の空気が、少しだけ変わる。


ガルドが口の端を上げる。


「ほれみろ」


ロアンが小さく息を吐く。


受付の女は困惑を隠しきれないまま、フィアを見る。


「フィア様……?」


状況の確認を求める視線。


組合のざわめきが、わずかに戻ってくる。


フィアは一拍だけ間を置いた。


それから、あっさりと言う。


「なら、登録もついでにお願い」


受付の女が瞬きをする。


「……新規登録、ですか?」


「ええ。どうせプレートもないのでしょう?」


さらりとした声音。


ガルドが顔をしかめる。


「おいおい、勝手に――」


フィアが視線だけで止める。


ロアンは小さく笑った。


「まぁ、協力者扱いなら、必要だしな」


受付の女は姿勢を正す。


「では、こちらへ。新規登録用紙になります」


薄い羊皮紙が差し出される。

かろうじて読める単語がある。


名前。

出身地。

所属。

経歴。

保証人。


簡潔だが、空欄は多い。


俺は受け取る。


ペンを持つ。


――書く。


名前。


エア。


そこだけは、迷わない。


だが。


その下で、手が止まる。


出身地。


種族。


家名。


経歴。


……ない。


そのまま、何も書かずに紙を差し出す。


受付の女が受け取り、目を落とす。


沈黙。


視線がゆっくりと上がる。


「ずいぶん古い文字をお使いですね?」


紙を軽く傾ける。


「こちらの書式とは異なりますが……問題はありません」


ほんの少し、首を傾げる。


「ですが、お名前以外の項目は?」


「ない」


短く答える。


組合の空気が、また一段階静まる。


受付の女は困ったように息を吐く。


「最低限、身元の保証が必要になります」


その言葉が落ちる前に。


「私が保証する」


フィア。


迷いがない。


ガルドが即座に振り向く。


「おい! さすがにそりゃねぇだろ……」


今度は笑っていない。


真顔だ。


「さすがの俺も、軽すぎると思うぞ」


ロアンも腕を組む。


視線が、フィアへ向く。


真剣だ。


受付の女も、声を低くする。


「フィア様。保証は連帯責任となります。

 規約違反、犯罪、逃亡――すべてあなたが責をもつことになりますが、よろしいのですか?」


フィアは視線を逸らさない。

俺を見る。


「問題を起こす人?」


ガルドが肩をすくめる。


「少しはな……まぁ、悪人ではないと思うぜ?」


「……そう」


フィアは納得したように目を閉じ、その言葉を受け止めた。


そして受付から用紙を取り、自分の名を書く。


迷いのない筆致。


そのまま差し出す。


受付の女は確認し、静かに頷いた。


「保証人、フィア様……承りました」


書類が整えられる。


受付は引き出しから、親指ほどの小さな紙片を取り出した。


薄く、細かな紋様が刻まれている。


それを俺の前に置く。


「では、こちらに指を置いてください」


小さな台座が差し出される。


俺は無言で指を乗せた。


次の瞬間。


ちくり。


鋭い痛み。


ほんの一瞬だけ、皮膚が裂ける感触。


紙の紋様が、じわりと赤く染まる。


血が吸い込まれるように広がり――


紙が、血で濡れた。


受付の女は、血で濡れた紙を慎重に持ち上げる。


紋様は赤く浮かび、

先ほどまで白かった繊維は、淡く光を帯びている。


それを小さく折り、

封じるように薄い板に挟んだ。


「これを隣の鍛冶屋へ」


淡々とした声。


「組合登録のプレートを作成します」


俺はそれを受け取る。


まだ温かい。


血の匂いが、わずかに残っている。


――隣。


扉一枚隔てた先から、

鉄を打つ音が響いていた。


ガルドが顎で示す。


「ほら、あそこだ」


俺は鍛冶屋の扉を押す。


中は熱気に満ちている。


炉が赤く唸り、

鉄の匂いが濃い。


奥から、腕の太い職人が顔を上げた。


「組合か?」


無言で、紙を差し出す。


職人はそれを受け取り、

目を細める。


「……ちょっと待ってろ」


低く呟く。


紙を、小さな型の底に敷く。


炉から、溶けた鉄を取り出す。


橙に輝く液体。


迷いなく、

型へと流し込んだ。


じゅ、と鈍い音。


蒸気が立ち上る。


鉄が、

血を包み込む。


上から蓋を閉じる。


型を水桶へ沈めた。


じゅううう、と激しい音。


白い蒸気が一気に立ち上る。


熱気が肌を刺す。


やがて音が落ち着き、

職人はゆっくりと型を引き上げた。


金属を取り出す。


まだ鈍く赤い。


無骨な塊。


それを金床に置き、

余分な縁を削る。


火花が散る。


削り、

磨き、

角を落とし、

表面を均す。


やがて形が整う。


小ぶりな鉄の板。

中央には、組合の紋章。

そして――血で刻まれた名。


エア。


職人は一瞬だけフィアを見る。


「こいつの保証人は、あんたか?……」


低い声。


「本当にいいんだな?」


迷いはない。


「ええ」


短く。


職人は小さく鼻を鳴らす。


完成したプレートを金床に置き、

奥から細い鋼の杭のような道具を取り出した。


それを、プレートの端に当てる。


ハンマーを握る。


一度だけ。


――ガン。


鋭い音。


細い傷が一本、刻まれる。


消えないための印。


(俺が昔、皆に名前を与えた札みたいだな……)


職人はそれを持ち上げ、

机の上に置いた。


「これで完成だ」


熱はもうない。

だが、重みはある。


俺はそれを手に取った。


鉄の冷たさ。

血の気配。

刻まれた名。


――エア。


指先でなぞる。


傷は一本。

消えない印。


(俺が昔、皆に名前を与えた札みたいだな……)


わずかに、口の端が動く。


鍛冶屋を出ると、

夕方の光が差していた。


組合の前で、フィアたちが待っている。


ガルドが腕を組んだまま言う。


「どうだ、新人」


ロアンが軽く笑う。


「逃げるなら今のうちだぜ?」


ユーリスは、きらきらした目でプレートを見る。


「これで……エアさんも」


フィアが一歩、前に出る。


俺の手にある鉄板を見る。


それから、まっすぐ俺を見る。


「これで正式ね?」


少しだけ、微笑む。


軽い調子ではない。


だが、重すぎもしない。


「ようこそ、エア」


静かな声。


「渡りの風へ」


風が吹く。


鉄の板が、わずかに鳴った。


俺はそれを首にかける。


「……世話になる」


短く答える。


ガルドが鼻を鳴らす。


「世話してやるとは言ってねぇけどな」


ロアンが肩を叩く。


「まぁ、まずは飯だな」


ユーリスが小さく笑う。


「歓迎会ですね!」


フィアは最後に一度だけ頷いた。


「まさか、今さら断らないわよね?」


その目は、もう仲間を見る目だった。


「あぁ...よろしく頼む」


ガルドが肩をすくめ、

ロアンが小さく笑い、

ユーリスが嬉しそうに頷く。


フィアだけが、ほんの少しだけ満足そうに目を細めた。


組合のざわめきが、また戻ってくる。


新しい依頼。

酒の匂い。

鉄の音。


――冒険者の世界は、いつも通り回っていた。


ただ一つ。


首元で、鉄のプレートが小さく鳴る。


そこに刻まれた名。


エア。


その名は、今この瞬間、

冒険者として――この世界に刻まれた。

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