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第52話:迎える場所


村の外れで、

狼族が一匹、倒れていた。


逃げ込んだのだろう。

脚は震え、

呼吸は浅い。


追ってきた影は、ない。


周囲では、

狼族と森の民が動いている。


縛らない。

囲まない。


倒れた個体から距離を取り、

道を空ける。


一匹が、

毛布を放る。


別の一匹が、

水袋を置く。


それだけだ。


助けるとも、

守るとも言わない。


だが――見捨ててもいない。


俺は、

少し離れたところで見ていた。


判断は、もう済んでいる。


―――――


門を抜ける。


槍を持つ。


誰にも告げない。


止める声も、

呼び止める手もない。


外へ出る。


畑を通る。


耕した土。

並んだ芽。


踏まず、進む。


俺は、そのまま広野へ向かった。


一人で行くつもりだった。


足音が、重なる。


気配で分かる。


振り返らない。


右に、

並ぶ影。


リヒトだ。


槍を持ち、

同じ歩幅で歩いている。


力みはない。

だが、遅れもしない。


いつの間にか、

こういう距離で立つようになった。


後ろに、

もう一つ。


ナハト。


半歩分だけ下がる。

それでいて、離れない。


三人になる。


それが、

不自然じゃなかった。


歩きながら、

リヒトが言った。


「父……何が来る?」


声は低い。

揺れていない。


俺は、

前を見たまま答える。


「解らん」


一拍。


「だが、石の柱が光った。

 ルクナスが、警告してきた」


反対側から、

ナハトが頭を覗かせる。


「父さん、ルクナスってなんだ?」


問いは、

真っ直ぐだ。


俺は、

歩みを変えずに言う。


「俺に火の力を与え、

 今は闇を遠ざけている存在だ」


少しだけ、

間を置く。


「……いつか、

 お前らにも話す時が来るかもしれん」


そして、続ける。


「だが、あまり信用はするな」


二人とも、

それ以上は聞かなかった。


受け取った。

それだけだ。


三人で、

広野を進む。


前には、

何も見えない。


だが、

向かう先は同じだ。


本来なら……いや。


以前なら、ここで引き返させる。


だが、

言わない。


二人とも、

もう分かっている。


何が来るかは分からない。


それでも――退けない場面だということを。


説明を要さず、

判断できる目をしている。


だから、

止めない。


連れて行くのではない。

共に並んで進むだけだ。


風は、ない。

音も、薄い。


足音だけが、

地に残る。


空がゆっくりと白み始め、夜がほどけていく。


朝日が、

低い角度で差し込んだ。


広野の中央まで進んだ頃、

背中に、温もりを感じる。


影が、

前へ伸びる。


足を止めた。


森の奥。


揺れている。


風じゃない。


木々が、

内側から押されるように動いている。


一本、傾く。

次の瞬間、

根元から折れて倒れた。


音が、遅れて届く。


低い。

鈍い。


続けて、別の木が揺れる。

枝が裂け、葉が散る。


何かが、

森の中を進んでいる。


見えない。

だが、分かる。


揺れが、

一直線にこちらへ向かっている。


俺は、

その場から動かない。


後ろで、

二つの気配が止まったのを感じる。


誰も、声を出さない。


必要ない。


森の奥で、

さらに大きく揺れた。


幹が、

まとめて倒れる。


隙間が開き、

黒い影が、ちらりと見える。


大きい。


輪郭だけが、

断続的に現れては消える。


一歩、進むたびに、

揺れが近づく。


地面が、

かすかに震えた。


俺は、

槍を持ち直す。


朝日が、

森の縁を照らす。


倒れた木々の向こうで、

影が、こちらへ出てこようとしている。


――来る。


それだけが、

分かった。


背中で、

気配が増えた。


一つじゃない。リヒトとナハトでもない。


もっと多い。


村だ。


俺と、リヒトと、ナハト。

三人がいないことに、

誰かが気づいた。


それだけだ。


広野の端。


畑の向こうから、

人影が現れる。


一人、二人じゃない。


走らない。

叫ばない。


それぞれが、

手に持てるものだけを持っている。


槍。

弓。

斧。


森の民、

そして狼族も立っている。


いつの間にか……、

これだけの数が、ここにいる。


戦える者たちが、

もう村を形づくっていた。


誰も、

指示を出していない。


それでも、

自然に列ができる。


前に、

俺たちがいる。


それを、

全員が理解している。


リヒトが、

一度だけ後ろを見る。


そこに集まった顔を見て、

小さく息を吸った。


槍を掲げる。


高く。

迷いなく。


「……おぉ!」


短い声だ。

叫びというほどでもない。


だが――それで十分だった。


次の瞬間、

あちこちで武器が上がる。


「「「オオオ……!」」」


声は揃っていない。

だが、重なっている。


地面が振動する。


村の音だ。


戻れとも、

下がれとも言わない。


言う必要がない。


彼らは知っている。


ここが、

どこなのか。


守る場所が、

背中にあることも。


森が、

また揺れた。


倒れる木々の音が、

近づく。


狼族が、

低く唸る。


だが、

前には出ない。


弓が、

一斉に引き絞られる。


槍の石先が、

朝日に光る。


先頭は、

俺だ。


その隣に、

リヒト。


半歩後ろに、

ナハト。


さらに後ろに、

村がいる。


――もう、

小さな集まりじゃない。


朝日が、

全てを照らした。


俺たちはもう、影から隠れる存在ではない。


ここで、

迎える。


―――――


森が、

割れた。


ズシン。


一歩。


ズシン。


もう一歩。


木々が、

まとめて倒れる。


押し分けられたのではない。

耐えきれず、崩れただけだ。


姿が、

森の縁から現れる。


それは、

かつて狼族を支配していた者の姿ではない。


二足で立つ戦士でもない。

誇りを示す構えも、名もない。


ただ――大きい。


異様なほど、

大きい。


身体は、

何倍にも膨れ上がり、

毛並みは乱れ、

骨格だけが、無理に形を保っている。


頭は低く垂れ、

口は半開きのまま。


目に、

光はない。


意思も、

怒りも、

そこには見えない。


ズシン。


踏み出すたび、

地面が沈む。


ズシン。


広野の空気が、

重くなる。


狼族が、

息を詰める。


それは、

長ではない。


守る者でも、

率いる者でもない。


――ただ、

残ったものだ。


俺は、

一歩、前に出た。


槍を、

正面に向ける。


初めて、

構える。


「……来たな」


声は、

届かせるためじゃない。


覚悟を、

定めるためだ。


背後で、

弓が軋む音がする。


槍が、

地を叩く。


斧が、

肩に担がれる。


狼族が、

低く吠えた。


合図は、

もういらない。


ここからは、

村の総力だ。


ズシン、と、

それが、さらに近づく。


朝日が、

巨体の影を広野に落とした。


――逃げ場はない。


俺は、

腰の後ろから一本抜いた。


投げ槍だ。


穂先に、

火を宿す。


大きくしない。

燃え上がらせない。


集める。

圧する。


赤く、

静かな火。


――投げる。


腕を振る。


火の槍が、

空を裂いた。


音が、

一拍遅れて追いかける。


一直線に、

広野を越え、

巨体へ向かっていく。


火は揺れない。

ぶれない。


ただ、

距離を喰う。


―――――


その横で、

熱が重なった。


ナハトだ。


弟の手に、

同じ火が宿る。


荒くはない。

だが、迷いもない。


俺の投擲に、

呼応するように。


ナハトは、

踏み出さない。


その場で、

腕を振り抜く。


二本目の火が、

少し低い軌道で飛ぶ。


一拍遅れて、

重なる。


―――――


その時だ。


リヒトが、

一歩だけ前に出た。


攻撃ではない。


腕を上げる。


高く。

はっきりと。


止める合図だ。


背後で、

動きかけた気配が止まる。


弓が、

引き絞られたまま固まる。


槍が、

地を蹴る寸前で止まる。


誰も、

声を出さない。


リヒトは、

前だけを見ている。


戦士達ではなく、

“結果”を見ている。


―――――


当たった。


一本目が、

胸に突き刺さる。


火が、

爆ぜる。


二本目が、

腹を抉る。


炎が、

肉を焼く。


確かに、

効いている。


焦げた匂いが広がり、

肉が裂ける音がした。


だが――


止まらない。


巨体は、

揺れない。


よろけもしない。


ズシン。


一歩。


ズシンッ。


また一歩。


燃えたまま、

歩いてくる。


火が、

身体に食い込んでいるのに、

距離が詰まる。


目に、

光はない。


痛みも、

怒りも、

反応としては現れない。


ただ、

進む。


ズシン。

ズシン。


地面が、

鳴る。


リヒトの手は、

まだ上がったままだ。


誰も、

動かない。


――まだだ。


俺は、

槍を握り直した。


火は、

通る。


だが、

止めるには足りない。


次は、もっとだ。

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