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第50話:火を下げる場所


報告は、終わった。

女は約束を守った。


意識が戻ったあと。

それを見た。


アンカーが、光った。


石の柱から、

淡い波紋が広がる。


空へ。

雪雲を押しのけるように、

ゆっくりと。


―――――


俺は、

この地での最後の仕事を始めた。


狼たちの死体を集める。


並べない。

積まない。


一体ずつ、

運ぶ。


雪を払う。

血を落とす。


そして、

火を起こした。


焚き火じゃない。

暖を取る火でもない。


弔うための火だ。


火が安定したところで、

俺は鉄槍を地面に突き立てた。


一歩、前へ。


膝をつく。


頭を下げる。


言葉は、ない。


炎が、音を立てる。


ぱち、と。

ごう、と。


その様子を、

狼たちが見ていた。


近づかない。

だが、目を逸らさずに、じっと見ていた。


付き添っていた一匹が、

俺の動きを、真似た。


槍はない。

だが、地面に前脚をつき、

体を低くする。


頭を、下げる。


それを見て、

別の狼が、同じことをした。


さらに、もう一匹。


吠えはない。

合図もない。


ただ、

同じ動きが、広がっていく。


火の前で、

頭を下げるという行為。


それが、

この場所に、初めて生まれた。


火が、すべてを包む。


肉が崩れ、

骨が白くなり、

やがて、形を失う。


完全に燃え尽きるまで、

俺は、その場を離れなかった。


―――――


残った灰を集める。


熱は、もうない。

冷たい。


手のひらですくい、

袋に入れる。


そして、

火葬をした場所の周囲に立つ。


アンカーから戻されたとき、

握らされていたもの。


小さな、

黒い種。


一つずつ、

雪を割り、

地に埋める。


等間隔に。


すべて終えたあと、

灰を、その上に撒いた。


風が、少し吹く。


灰が舞い、

すぐに、落ち着いた。


「……後は、平気だ」


誰に言うでもなく、

そう呟いた。


俺はダックを連れて、

向きを変える。


帰る方向へ。


―――――


荷をまとめる。


布を畳み、

紐を結ぶ。


その間も、

視線は、途切れなかった。


近づかない。

囲まない。


だが、

群れ全体が、こちらを見ている。


動かない。


ただ、

待っている。


俺がどう動くのかを。


「もう、何もないさ……じゃあな」


俺はダックに飛び乗る。

鉄の槍を握りしめ、首を軽く叩いた。


「帰るぞ」


ダックは走り出す。


背後の群れは、ただそれを見ていた。


だがその中で、最初に動いた狼がいた。


付き添っていたやつだ。


振り返らず、

俺の後を追う。


次に、

また一匹。


さらに、もう一匹。


全部じゃない。


だが、

半分ほどが、

同じ方向へ歩き出した。


残った狼たちは、

動かない。


群れの中心には、

あの狼がいる。


リーダーの母。


人の形は取らない。

だが、立っている。


追う狼たちを、

止めない。


呼び戻しもしない。


ただ、

見ている。


去っていく背中を、

最後まで。


俺は、振り返らなかった。


ダックは走る。


雪が流れる。

風が、頬を打つ。


背後には、

足音が続いている。


同じ速さで。

同じ向きで。


俺は、

前を見る。


この地で俺がやることは、もうない。


後は自分で選び進むだろう。


だから、帰る。


連れていくつもりはない。

導く気も……。


だが、

来たいなら――止めもしない。


―――――


父さんが村を出てから、影はやっぱり襲って来た。


俺は教わったとおりに距離を持って、

闇を火で照らし、影を村から遠ざけた。


今日も月は、出ていなかった。


雲もない。

星も、ほとんど見えない。


深い夜だ。


それなのに――影が来ない。


最初は、

ただの偶然だと思った。


そんな日もあると……そんなものだと。


だが、

一晩が終わっても、来なかった。


次の夜も、来なかった。


夜に立っていると、

分かる。


これは「安全」じゃない。


……異様だ。


夜が、静かすぎる。


虫の音がある。

火も、普通に燃える。


だが――“空いている”。


そんな感覚だ。


眠れる。

休める。


それ自体は、悪くない。


昼になれば、

リヒトとも話せる。

ミアとも、言葉を交わせる。


普通の時間だ。


でも……普通すぎる。


三日目の夜、

俺はリヒトが眠る前に声をかけた。


昼と夜の境目。

石の柱の影が、短く伸びる時間だ。


「リヒト……影が、来てない」


リヒトは、

すぐに否定しなかった。


槍を地面に立て、

空を見る。


しばらく、

何も言わない。


「あぁ……二日続いたな……」


それだけ言って、

少し考えた。


眉が動く。

だが、慌てはない。


「父が言っていた……」


リヒトは、

視線を外さずに続ける。


「“夜が静かすぎるときは、何かが動いてる”」


俺は、

その言葉を噛みしめる。


「覚えてるな……?

 父はあの日言っていた。

 ……俺達が“立たなくてもいい場所”を消しに行くと」


リヒトは、そう付け加えた。


「……帰りを考えていい時期だとは思う」


断言しない。

だが、否定もしない。


それが、昼に立つ者の判断だ。


その夜も、

影は来なかった。


――そして、三日目の明け方。


見張りの声が、

村に響いた。


「何か来るぞ!」


短い。

だが、張りのある声。


気が打ち鳴らされる。


警報だ。


俺は、

反射で外へ出た。


既にリヒトは壁の上に立っている。

俺はその隣に入る。


地平線。


荒野の向こう。


森を背に、


夜明け前の薄い色の中を、

何かが走ってくる。


速い。

一直線。


「……父さんだ」

「……あぁ」


分かる。


土煙の形。

大きな生き物の背に乗って走る影。


だが――


「……多いな」


隣で、リヒトが警戒しながら息を呑む。


父さんの後ろ。


地面を裂くように、

影が連なっている。


群れだ。


少なくない数。


「追われてるのか!?」


一瞬、

空気が張る。


「いや、違う……ダックはもっと早い。

 群れに合わせている……」


リヒトはそれだけ言って下に降りた。


背中に、迷いがない。


門が、開かれる。


誰かが指示したわけじゃない。

だが、皆が動く。


人が集まる。

声が上がる。

名前は呼ばれない。


父は、

門を越える。


ダックの足が止まる。


その後ろで、

獣たちが、距離を保って止まった。


低く座り、

鼻先を地につけ、

吠えない。


村の中に、

小さな動きが走る。


槍を離さない者。

子どもを背に隠す者。

だが――誰も、踏み出さない。


父さんは、

ダックから降りた。


まず、獣たちの方へ向く。


見たことのない黒い槍を、

地面に突き立てる。


音が、乾いて響いた。


一歩、前へ。


距離は近い。

だが、踏み越えない。


「ここだ」


低い声。


「構えるな……俺の家だ」


獣たちは動かない。

だが、視線が揃う。


一匹が、

ゆっくりと伏せた。


それに倣うように、

別の獣も、体を低くする。


父さんは、

それを確かめてから、

ようやく振り返った。


最初に向けられたのは、

リヒトだった。


リヒトは一歩、前に出る。

槍は下げない。

だが、構えもしない。


「……昼は、保った」


父さんは、

短くうなずく。


「そうか……」


それだけだ。


評価でも、

労いでもない。


次に、

父さんの視線が俺に来る。


俺は進んでリヒトの隣に立っていた。


父さんは、

ほんの少しだけ目を細めた。


「……いい顔だ」


それだけで、

胸の奥が緩んだ。


力が抜けるのを、

自覚してしまう。


父さんは、

槍を地面に指して。


それから――両手を広げて、

俺達の方へ来た。


一瞬、

どう動けばいいか分からなくなって、

身体が固まる。


次の瞬間……


肩に、重さが来た。


片腕が、俺を。

もう片方が、リヒトを。


強く、確かに。


逃がさない力だ。


息が、落ちる。


胸の奥に溜まっていたものが、

音もなく抜けていく。


言葉は出ない。

喉が、動かない。


父さんの声が、

頭の上から落ちてきた。


「……留守の間、よく守った。二人とも立派だ」


それが全部だった。


しばらくして、

父さんの腕が離れる。


長くはない。

必要な分だけだ。


父さんは、

俺たち二人を見て、

それから村を見渡した。


獣たちは、

門の外で伏せたまま動かない。


村の中では、

ようやく息が吐かれる。


火が起こされる音。


小さいが、

確かな音だ。


夜は、

ちゃんと明けていた。


父さんは、

もう一度だけ、

俺たちを見て言った。


「……ただいま」


その言葉で、

村に火が――完全に、戻った。

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