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第49話:山が口を開ける


集落に戻ると、

空気が、はっきり変わっていた。


騒がしくはない。

だが、静かでもない。


視線がある。

数が、ある。


ダックの背に乗ったまま、

その上を進む。


俺の後ろには、

狼たちが続いていた。


吠えない。

近づきすぎもしない。


ただ、

同じ向きで歩いている。


集落の中央で、

一体の狼が前に出た。


大きい。

リーダーより、少しだけ低いが、

骨の太さが違う。


その狼は、

俺の前に立ち、

ゆっくりと、人の形を取った。


完全じゃない。

だが、立っている。


視線が、

俺の手にある槍へ落ちる。


細められる目。


値踏みじゃない。

恐れでもない。


確かめている。

俺はその目を知っている。


―――母の目だ。


俺は、

一歩前に出て、

鉄槍を差し出した。


言葉はない。


狼は姿を変え、

両手を広げる。


受け取る仕草。


槍を、渡す。


重みが、

一瞬だけ、手から離れた。


狼は、

鼻先を近づける。


匂いを嗅ぐ。


しばらく、

そのまま動かない。


そして――

何とも言えない顔をした。


嫌悪でも、納得でもない。

過去を見たような、

遠い表情。


狼は、

槍を、俺に返す。


丁寧に。

突き返すでもなく。


そして、

背を向けた。


集落の奥へ、

ゆっくりと歩いていく。


誰も、

それを止めない。


俺は、

槍を受け取り、

肩に担ぐ。


そのまま、進む。


狼たちは、

道を空けた。


向かう先は、

ひとつ。


山の亀裂のある場所だ。


亀裂は、想像していたよりも大きかった。


裂け目というより、

山がそのまま口を開けている。


奥は、暗い。

光が、吸われていく。


(……嫌な気配だ)


湿っている。

生臭い。

土とも、血とも違う匂い。


俺は槍に灯りをともした。


淡い光が、足元を照らす。


進む。


ついてきているのは、

ダックと狼が一匹。


他は、来ない。


奥へと進む……。


すると――見えた。


でかい。


根でも幹でもない。

塊だ。


岩に食い込むように広がった、

巨大な植物。


枝ともツタともつかないものが、

天井から、壁から、床から伸びている。


実を、つけている。


丸い。

赤黒い。


……リンゴみたいだ。


だが――

見覚えがある。


真ん中、ツタの源。

袋だ。


風船みたいに膨らんだ袋。

入口が、裂けている。


その近くに、吊るされたように置かれた、

フットボールみたいな、硬そうな実。


種か。

核か。


ツタが、

それを守るみたいに絡みついている。


「……」


嫌な予感が、

確信に変わる。


(……あれだ)


ルゥが、

喰われていた。


あの、植物。


足を踏み入れた瞬間だった。


動いた。


一斉に。


ツタが、

地面を跳ねた。


壁を打った。


空気を裂いて、

こちらに来る。


「……ッ!」


火を放つ。


近距離。


焼く。


ツタが、

一瞬で黒くなり、弾けた。


「ダック!」


叫ぶ。


同時に、

横から伸びたツタを焼き切る。


狼の前にも来ていた。


灯から火を走らせる。


焼く。

落ちる。


だが――次が来た。


植物の中心から、

何かが噴き出した。


霧。


毒々しい色。


「……ッ!!」


反射的に、

火を広げる。


相殺。


霧が、

ジュウ、と音を立てて消える。


だが――違和感。


目が、

痛い。


焼けるように。

突き刺さる。


開けられない。


さらに、鼻に強烈な匂い。


焦げ。

腐臭。

甘さ。


吐き気が、

一気に込み上げる。


「……くっ」


喉が、

反射で動く。


だが、

火は止められない。


止めた瞬間、取られる。


視界は、

ほとんどない。


涙が、

勝手に流れる。


「……ダック……狼……!」


声を張る。


「出ろ!!」


短く、

強く。


「外へ!!」


足音。


重いのと、

軽いの。


離れていく。


それを、

耳で確かめる。


まだだ。


もう少し。


――今だ。


火を、全身に。


押し広げる。


前も、

後ろも、

上も、

下も。


逃がさない。


この場の全て、存在ごと、断つ。


光が、

洞窟を満たす。


「ギィィィイイイイイイイイッ!!」


悲鳴。


生き物のものとも違う音。


裂ける音。

潰れる音。

弾ける音。


何かが、

崩れる。


根が、

引きちぎられる。


袋が、

破れる。


甘ったるい液体が、

蒸発する。


「……ッ」


火を、さらに押し込む。


焼く。


残さない。


匂いが、

一気に薄れる。


俺はすべてを燃やし続けた。


音が、

減る。


最後に、ぐずり、と

何かが沈む感触が伝わってくる。


空気が、

変わる。


冷たい。


風だ。


目が、

焼けるように痛む。


涙が止まらない。


それでも――少しずつ。


少しずつ、火を落とし……。


目を、開く。


最初に見えたのは、

光。


天井が――抜けている。


崩れた岩の向こう、

外の空。


雪明かりが、

差し込んでいる。


その下。


黒い塊。


かつて、

そこにあったもの。


植物。


袋も、

ツタも、

実も。


すべて――黒焦げ。


形を失い、

炭みたいに崩れている。


嫌な気配は、

もう、ない。


空気が――澄んでいる。


俺は外に向かう。


入口のほうで、

ダックが低く鳴いた。

狼の足音も、戻ってくる気配がある。


俺は、大きく息を吐いた。


喉が痛い。

肺が重い。


……それでも。


この場所は、黙ったままだ。


さっきまで“鳴っていた”ものが、

嘘みたいに止まっている。


だから余計に、

耳の奥が、落ち着かない。


俺は槍の灯を弱めた。


「おわった……帰ろう」


自分に言った。


ここは大丈夫だ……俺はできることはもう終わった。


そのはずだ。


―――――


暗い。


光はない。

雪も、空も、もう見えない。


落ちた。


深く。

岩に打たれ、転がり、止まった。


息はある。

だが、体は動かない。


腹の奥が、熱い。

痛みじゃない。


屈辱だ。


吠えようとして、声が出ない。


上から、音がした。


遠い……。


だが、分かる。


崩れる音。

裂ける音。


そして――


落ちてきた。


何かが。


重い。

硬い。

だが、岩じゃない。


転がって、すぐそばで止まる。


匂いが、広がる。


――思い出す。


血が熱くなった感覚。

力が満ちた感覚。

群れが、強くなった理由。


そして悟った。


毛のない生き物が、

それを……奪った。


自分たちに、力を与えていたものを。


喉の奥から、音が漏れる。


低い。

短い。

怒りだけの吠え。


「ガルルルルル!ウォオオオオオオオ!!!!」


体が、震える。


動かない脚が、わずかに引きずられる。


口を開く。


牙が、核に触れる。


熱い。

だが、恐れはない。


――取り戻す。


それだけだ。


噛み砕く。


硬い。

割れない。


だから、呑む。


喉を通り、

腹に落ちる。


次の瞬間――世界が、脈を打った。


闇の中で、

何かが、再び動き出す。


骨が、きしむ。

血が、騒ぐ。


まだ、死んでいない。

まだ、終わっていない。


上では、

毛のない生き物が歩いている。


終わったと思って。


だが――山は、覚えている。


この場所は、

まだ、力を欲しがっている。


闇の中で、

低い呼吸が続く。


それは、始まりだ。

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