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第4話:爪と牙の恐怖


矢が刺さっていた木の、あの爪痕。


俺は拠点へ戻ってからも、

何度もそれを思い出していた。


深さ。

幅。

何より――高さ。


「……こんなんじゃ……」


俺は今ある柵へ視線を向けた。


尖らせた若木。

斜めに打ち立てた簡易の防衛線。


角ウサギや、耳獣相手なら、意味はある。

だが――


あの爪の主が来たら、

ただの“飾り”だ。


一息つき、

斧を握り直す。


「……もっと、でかくする」


それ以外の選択肢はなかった。


―――――


そこからは、考えるのをやめた。


木を探す。

倒す。

運ぶ。

削る。

打ち立てる。


それだけ。


太めの木を選び、

斧を振り下ろす。


ごん。

ごん。


腕に衝撃が返る。

肩が軋む。


それでも止めない。


三撃。

四撃。


やがて、

ぎし、と嫌な音がして、

木が傾く。


「……っ……!」


最後にもう一度、

全体重を乗せる。


ばき、と音を立てて、

木が倒れた。


息が荒れる。

喉が焼ける。


休まない。


枝を払い、

幹を引きずる。


重い。

信じられないほど、重い。


地面を擦る音が、

森に響く。


何度も止まり、

何度も歯を食いしばって、

拠点まで運ぶ。


幹を削り、

先端を尖らせる。


石で。

斧で。


腕が震える。

手のひらが、擦り切れる。


血が滲む。


それでも、止めない。


一本。

また一本。


今ある柵の、

さらに外側へ。


丸太を立て、

隙間なく並べる。


簡易じゃない。

“壁”だ。


組み合わせ、

支え合うように、

丸太を噛み合わせていく。


外へ向けて、

尖った先端。


内側は、

人が動けるだけの余裕。


完成したとき、

俺はその場に座り込んだ。


息が、まともに吸えない。


拠点は――

明らかに、変わっていた。


目立つ。

だが――


シェルターの周囲は、

まるで砦みたいだった。


「……これなら……」


言いかけて、

言葉を飲み込む。


“絶対”は、ない。


だが、

やらないよりは、ずっといい。


―――――


次は、罠だ。


森の、少し奥。


獣道になりそうな場所を選び、

地面を掘る。


一日がかり。


土は固く、

石が多い。


斧を使い、

石を退かし、

手で掘る。


腰が悲鳴を上げる。

腕が上がらなくなる。


それでも、掘る。


深く。

落ちたら、這い上がれないくらい。


底に、

尖らせた木を突き立てる。


覆いを作り、

土と葉で隠す。


「……これで、よし……」


声は、掠れていた。


―――――


その作業で、

二日が過ぎた。


食料は、

完全に尽きた。


果実もない。

肉もない。


腹の奥が、

空洞みたいに鳴る。


俺は槍を持ち、

森へ向かおうとして――

足を止めた。


脳裏に、

あの爪痕が浮かぶ。


木を引き裂く、

あの大きさ。


角ウサギなんて、

今思えば――可愛い。


喉が鳴る。


息を、飲む。


怖い。


だが――


ぐぅ。


腹が、

はっきりと鳴った。


「……くそ……」


俺は、槍を握り直した。


生きるには、

行くしかない。


地面に、足跡があった。


新しい。

土がまだ湿っていて、輪郭が崩れていない。


俺はしゃがみ込み、

顔を近づけた。


……分かる。


空腹のせいか、

神経が、異様に研ぎ澄まされていた。


土に残った匂い。

獣の体臭。

湿った鱗のような、鉄臭さ。


「……いる……新しい」


俺は、痕跡を追った。


足跡は一直線じゃない。

引きずるように、所々で深く抉れている。


やがて――

匂いが変わった。


血だ。


生温かい、

はっきりとした血の香り。


普通なら、

嫌悪感が先に来る。


だが――


腹が、きゅっと鳴った。


「……」


今は、

それすら――そそる。


俺は呼吸を抑え、

足音を殺して進んだ。


草を踏まない。

枝を避ける。


ゆっくり。

一歩ずつ。


そのとき。


ぐち。


ぐちゃ。


肉を引き裂く音。


はっきりと、

“食っている”音だった。


俺は茂みに身を伏せ、

慎重に、隙間から覗いた。


――いた。


蛇みたいな頭。

細長く、ぬらりと光る首。


胴体は、

恐竜みたいに分厚く、筋肉が盛り上がっている。


四足。


三体。


獲物を囲み、

喰らいついている。


いや――

囲んでいる、というより。


引き合っていた。


無惨にも、

獲物は三方向から引き裂かれ、

胴体が裂け、

血と内臓が地面に垂れている。


一体は、

すでに獲物を確保しているらしく、

少し離れた場所で、黙々と食っていた。


他の二体より、

一回り大きい。


首も太い。

顎が、でかい。


「……リーダー、か……?」


そんなことを考えた、そのときだった。


ごと。


ごとごと。


何かが、

俺の視界の端から転がってきた。


止まる。


……角ウサギの、頭だった。


目が開いたまま。

血が、まだ滲んでいる。


喉が、

ひくりと鳴った。


ゆっくり、

視線を上げる。


茂みの向こう。


さっきまで綱引きをしていた、

あの生き物の一体。


地面に落ちた頭を、

前脚で押さえていた。


そして。


首が、持ち上がる。


蛇みたいな頭が、

ゆっくりと――俺を見る。


目が、合った。


縦に割れた瞳孔。


一瞬、

時間が止まった。


次の瞬間。


「シャァァァァッ!!」


裂けるような威嚇音。


空気が、

震えた。


鼓膜が、痛い。


他の二体が、

一斉に顔を上げる。


血まみれの顎。

滴る涎。


視線が――

全部、俺に集まった。


「……っ!」


やばい。


完全に、

見つかった。


目の前のやつが、跳んだ。


低い姿勢から、

一気に距離を詰める。


速い。


反射で、

槍を構え、

突き出す。


「――っ!」


手応え。


ぬるりとした感触のあと、

硬い筋肉に、槍先が食い込む。


蛇頭の胴体に、

深く、真っ直ぐ。


「シャァ――ッ!!」


悲鳴とも、

怒号ともつかない音。


獣の体が、

そのまま横に倒れた。


地面を転がり、

土と血が跳ねる。


俺は槍を引き抜きながら、

すぐに構え直した。


一瞬の隙も、作らない。


残っていた一体が、

唸り声を上げ、

こちらへ――来る。


「来い……!」


だが。


低く、

喉の奥から鳴るような声が響いた。


――グルル……。


さっきまで離れて食っていた、

あの大きい個体。


首を持ち上げ、

短く、鋭く鳴いた。


それだけ。


突っ込もうとしていた個体が、

ぴたりと止まる。


そして、

じり、と後退した。


距離を取る。


円を描くように、

俺を囲む位置へ――動く。


「……っ……」


理解した。


偶然じゃない。


統率。

判断。

役割分担。


「……こいつら……」


喉が、乾く。


「……分かってやがる……?」


俺は一歩も下がらず、

槍先を揺らさない。


大きい個体が、

喉の奥を鳴らす。


――グルル。


たったそれだけの音で、

空気が変わる。


目の前の一体が、

地面を蹴って迫ってきた。


速い。

さっきより速い。


「――っ!」


俺は槍で、正面を塞ぐ。


槍先が、牙を受け止め、

相手の勢いを殺した。


押し返せる――そう見えたのは、一瞬だけだ。


横。


もう一体が、

草を裂きながら回り込んでくる。


俺の視界の外。

背中が冷える。


……来る。


だが、それより先に。


ズザ


地面で倒れていたはずの、

刺した個体が――動いた。


「……は?」


ありえない。


槍が刺さって、

横倒しになって、

血を吐いて――


それでも。


蛇みたいな頭が持ち上がり、

口が開く。


裂けるみたいに。


歯が並ぶ。

内側まで、濡れて光る。


まずい――生きてたッ。


心臓が跳ねた瞬間、

そいつが迫った。


倒れた位置から、

身体ごと、跳ねる。


「くそっ!」


俺は槍を押し込んで、

正面の一体を突き放す。


槍先がずれた。

足場が滑る。


次の瞬間。


がち。


腕に、衝撃。


痛みが来る前に、

骨まで響く硬さがあった。


噛まれた。


右腕――前腕。


牙が、肉を貫いた。


「ぐぁぁっ――!!」


息が一気に抜ける。


熱い。

焼けた鉄を刺し込まれたみたいな痛み。


牙が、皮膚を割り、

筋肉を裂いて、

奥まで――刺さっている。


視界が白くなる。


だが、終わりじゃない。


牙は“刺さった”んじゃない。

“貫通した”。


骨の脇をすり抜けるように、

突き抜けてる。


腕の反対側から、

ぬるりと血が噴いた。


背中――来る。


空気が擦れる気配。

茂みが揺れる音。


「シャァッ!!」


耳の奥を裂く威嚇。


俺は半歩、体を捻った。

だが右腕は――まだ、噛まれたままだ。


牙が刺さってる。

抜けない。

抜かせない。


痛みが、熱に変わっていく。

血が、肘の方へ流れて落ちる。


「……ッ……なめるなぁぁぁぁ!!」


叫びながら、

俺は噛みついた“それ”ごと腕を振り上げた。


武器にする。


拳を握り締める。

前腕の筋肉を、限界まで締めて、開かせない。


牙を抜かせない。

抜けたら――終わる。


右から左へ、大きく振り回す。


ぶん、と風が鳴った。


背中から迫ってきた一匹が、

反射で一歩引く。


瞬間――狙いは、そこじゃない。


俺はそのまま、返す勢いで身体ごと回した。


ぶち。


肉が引き裂かれる感触。

激痛が跳ね上がる。


だが、止めない。


噛みついた頭部を、

目の前の木へ叩きつけた。


ごんっ!!


鈍い衝撃。


骨に当たった音。


血が――散った。


火花みたいに、赤い粒が弾けて、

葉に、幹に、俺の頬に飛びつく。


「……っ、……っ……!」


息が荒い。

喉が、鳴る。


噛みついたままの個体が、

ぶる、と痙攣した。


そして――


力が抜けた。


だらん。


顎はまだ、俺の腕を咥えたまま。

だが、もう噛む力はない。


死んだ。


腕にぶら下がった死体が、

重りみたいに揺れる。


俺はそれを抜かない。

抜けない。

今抜いたら、血が噴く。


俺は槍を左手で握り直し、

肩で息をしながら、二体を睨んだ。


「ハァハァ……来いよ!」


近づけない。


近づいたら、同じ目に遭わせる。


左腕から血が滴る。

地面に落ちて、黒い土に吸われる。


大きい個体――リーダーが、

一瞬だけ、動きを止めた。


怯んだ。


目が、俺と、ぶら下がる仲間の死体を見比べる。


そして――


咆哮。


腹の底から、森を震わせるような吠え声。


「グルルルルル……!!」


その音に合わせて、

残りが、じり、と後退する。


距離を取る。

囲みを解く。


逃げる判断。


俺は槍先を下げない。

一歩も追わない。


追えない。


腕が、痺れてきていた。

ようやく“痛み”として戻ってくる。


リーダーは最後にもう一度だけ俺を見た。


縦に割れた瞳孔。


獲物を見る目じゃない。


――危険物を見る目だ。


次の瞬間、

二体は森の奥へ消えた。


茂みが揺れ、

足音が遠ざかり、

血と内臓の匂いだけが残る。


「……はぁ……っ……はぁ……っ……」


俺は膝をつきそうになるのを、

歯を食いしばって堪えた。


右腕には、

まだ死体がぶら下がっている。


ぬるい。

重い。

自分の血で、滑る。


だが――


「……勝った」


声は掠れた。


なんとか――また、生き延びた。

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