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第48話:折れない槍


朝。


洞の外が、白んでいた。


夜の冷気とは違う。

雪がきしむ音も、少しだけ柔らかい。


地面に置いたそれは、

もう、ただの石みたいに静かだった。


手に取る。


重い。

芯まで、詰まっている。


歪んでいる。

先端は、揃っていない。


刃は――ある。

だが、鋭さよりも、

厚みが勝っている。


地面に突く。


石に当たる。


鈍い音。

嫌な反発。


だが――折れない。


「まぁ……上出来だな」


振る。


風を切る音が、

前より低い。


ダックが首を傾ける。


その奥。


洞の入口に、

影がひとつ立っていた。


狼だ。


昨日のままの距離。

近づかない。


俺は、鉄槍を下ろし、

ゆっくりと、片手を上げた。


呼ぶ、というより――示す。


手のひらを外へ向け、

一度、下げる。


「来い」


狼の耳が、わずかに動く。


一歩。

半歩。


警戒を残したまま、

距離が詰まる。


俺は、鉄槍を地面に置き、

持ち替えた。


刃のない側を外に向けて。


それを、壁際まで運ぶ。


洞の岩肌。


拳よりも硬い、岩石。


振り返り、

狼を見る。


言葉はない。


代わりに、

鉄槍を、軽く壁に当てた。


――ゴン。


鈍い音。


岩が、欠ける。

小さな破片が、落ちる。


槍は――曲がらない。


もう一度。


――ドン。


さっきより強く。


岩が割れ、

音が洞に響く。


それでも、

鉄は、形を保ったままだ。


俺は、

柄を狼に向けて差し出した。


一瞬の間。


狼は、匂いを嗅ぐ。

鼻先が、鉄に触れる。


火の名残。

石じゃない匂い。


「やってみろ」


槍を横にして差し出す。


狼はゆっくりと姿を人形にして、槍を握る。


重さに少し腕が沈む。

だが、離さない。


俺は、壁を指さした。


「叩いてみろ」


それだけ。


狼は、

一歩下がり、

体勢を整えた。


そして――叩いた。

岩に。


――ガンッ。


鈍い衝撃。


狼の足が一瞬、踏ん張る。


だが、鉄は曲がらない。


落ちない。

歪まない。


狼が、低く唸る。


「ゥウウウウ」


驚きじゃない。

警戒でもない。


確認だ。


もう一度、

今度は、少し強く。


――ゴッ。


岩が欠ける。


鉄は、そのままだ。


狼は、

しばらく槍を見ていた。


そして――

こちらを見る。


目の奥が、

昨日とは違っていた。


俺は、

鉄槍を拾い上げ、

肩に担ぐ。


刃は、ある。


だが、これは――


殺すための槍じゃない。

折れないための槍だ。


狼は、

それ以上近づかなかった。


だが、背を向けても、去らない。


洞の入口で、隣に静かに座る。


俺は、ダックと狼に挟まれて外を見る。


山の亀裂は、まだ、あそこにある。


次は――逃げない。


ーーーーー


集落……そう呼んでいいのか、少し迷う。


遠くから見る限り、

以前と、配置が違う。


狼たちの位置。

通路の向き。

見張りの数。


「……妙だ、ダック。上げてくれ」


ダックの頭に乗る。

葉の陰に、ちょうどいい高さだ。


こいつは体がでかい。

首も長い。

だから、葉の向こうから頭だけ出せる。


その上に、

俺がいる。


「相変わらず……便利だな」


ダックは誇らしげに、

くる、と首を傾けた。


下では、

狼たちが動いている。


並んでいる。

列だ。


奥。山の亀裂。


洞窟の口みたいに、

裂けた岩の隙間から……


出てくる。


一体、また一体。


動きが揃っている。

視線が、前だけを向いている。


「兵士みたいだな……」


先頭にいるのは、

あの個体だ。


でかい。

他より、ひと回り。


群れのリーダー。


合図も吠え声もない。

だが、列は乱れない。


外に出終えると、

今度は別の個体たちが動く。


亀裂の中へ入っていく。


しばらくして……


引きずるようにして、戻ってきた。

狼の形をした肢体。


生きているかどうか、

遠目では分からない。


ただ、動いていない……。


それを、

地面に並べる。


積むでもなく、

埋めるでもなく。


並べて、

置いている。


ダックの首が、

わずかに強張る。


「見るな……見なくていい……」


視線を、さらに奥へ向ける。


リーダーを先頭にして列はひたすら進んでいる。


俺はそれを気づかれないように追う。


たどり着いた場所はアンカーだ。


雪の中に立つ、

石の柱。


その周囲だけ、

空気が違う。


近づいた個体から、

順に―――始まった。


吠え声。


噛みつき。


体当たり。


一対一じゃない。

複数でもない。


混ざって、

ぶつかって、倒れたものが出始める。


立ち上がれない。


立てないものは、

そのまま、引きずられる。


迷いはない。

躊躇もない。


血の匂いが、

風に乗って届く。


ダックの足が、

一歩、引いた。


「……」


ここで、

戦いが生まれている。


ここで、

強さだけが、残されている。


(……なるほどな)


喉の奥で、息を吐いた。


理解した瞬間、

胸の奥が、冷えた。


(……これが、答えか)


強いものだけを残す。

立てないものは、消える。


誰も迷わない。

誰も疑わない。


気がつけば、

俺は草陰の奥で立ち止まっていた。


葉が、肩に触れる。

冷えた枝が、首元をかすめる。


一歩、踏み出すたびに、

乾いた音が、やけに大きくなる。


距離が、縮む。


アンカーが、正面にある。


その手前で、

殺し合いが続いている。


――近い。


そのとき、

一体が倒れた。


脚が、動かない。

腹が、雪に擦れる。


それでも、

前脚を伸ばした。


向かいの個体へ。


噛みつくでもなく、

吠えるでもなく。


ただ、

鼻先を寄せる。


弱い仕草だ。

抗う意志を、捨てた動き。


一瞬……

向かいの個体が止まった……


爪が宙で止まる。


迷いだ。


次の瞬間、

大きな影が割り込んだ。


あいつだ。リーダーだ。


低く、短く唸る。


それだけで、

空気が締まる。


爪が、振り下ろされた。


倒れていた個体は、

音もなく、動かなくなった。


そして、

ためらった個体にも。


逃げる暇はない。


一撃。


二つの影が、

同じ場所に倒れた。


並べられる。


同じ向きで。

同じ距離で。


何も、変わらない。


殺し合いは、

そのまま続いた。


――もう、十分だ。


「……やめろ」


声は、思ったより低く出た。


届かない。

分かっている。


それでも、

言わずにいられなかった。


「それ以上……やるな」


返事はない。


代わりに、

空気が変わった。


草が揺れる。

葉が、分けられる。


俺が、

そこから出た。


鉄の槍を、肩から下ろす。


重みが、腕に戻る。


雪を踏む。


一歩。


音が、はっきりと響いた。


列が、わずかに乱れる。


吠えが、止まり、

視線が集まる。


――構わない。


もう、隠れる理由はない。


前へ。


堂々と。


逃げる気も、

説得する気もない。


ただ、

ここに立つ。


鉄槍を、

地面に突き立てる。


「……次は、俺だ!」


俺の声に、狼たちがざわつく。

そして、奴が前に立ちはだかる。


奴は「こりもせずまた来たのか?」とでも言わんばかりの表情で俺を見下ろす。

口の隙間からは太い牙が覗く。


「……来い!」


槍を構え、

声を投げた瞬間。


そいつが動いた。


速い。

重さを感じさせない踏み込み。


雪が弾け、

地面が鳴る。


――真正面。


俺は、

迷わず槍を突き出す。


鉄が、鳴る。


振りかぶらず


ただ――

前に、出す。


全力。


力を殺さない。

抑えない。


石の槍なら、

どこかで割れるのを恐れた。


だが、これは鉄だ。


折れない。

逃げない。


だから――突く。


ドスン、と。


鈍い音が、腹の奥に響いた。


刃じゃない。

貫かない。


だが、

深い。


相手の胸元に、

槍の先が、めり込む。


骨に当たった感触。

筋肉が、逃げ場を失って潰れる。


距離は、保ったまま。


爪は――届かない。

空を掴む。


槍の柄まで、届かない。


「――――ッ!」


声にならない息。


俺は、

一歩、踏み込んで、

さらに押した。


鉄が、

体を“止める”。


体重が、

全部、返ってくる。


地面に、

爪が突き立てられる。


雪が抉れ、

足が滑る。


それでも――倒れない。


目が、合う。


笑っている。


狂気じゃない。

怒りでもない。


「……っ!」


次の瞬間、

横から衝撃が来た。


とっさに槍で防いだ。


それでも体が、浮く。


肩から、叩きつけられる。


視界が、回る。

息が、抜ける。


だが槍は、手放さなかった。


鉄が、

地面を削り、

止まる。


立ち上がる。


速くない。

だが、遅くもない。


向こうも、

体を引き抜いている。


胸元に、

大きな凹み。


血は……出ていない。


それが、

余計に、怖い。


「……」


互いに、

距離を測る。


次は、

真正面じゃない。


来る。


今度は、

殺しに。


「……すー……はー」


俺は虚空を整え、もう一度槍を構え直す。


槍の穂先が、後ろを向いている。

刃は向けない。


それにあいつは気づいた。


視線が、

一瞬だけ、鉄の先へ落ちる。


止まる。


次に、

俺を見る。


……理解した。


刺せる。

殺せる。


その距離で、

その重さで、

その鉄なら。


――なのに。


俺は、突かない。


刃のある側を、

向けない。


鉄の棒として、

構えている。


次の瞬間……


「グルァアアアアアアアア!!」


怒りだけで出来たような咆哮が、

雪原を裂いた。


空気が、

びり、と震える。


周囲の獣たちが、

一斉に耳を伏せる。


尾が下がる。

体が、低くなる。


だが俺は、動かない。


刃のない方を、

前に。


半身。


膝を落とす。


防ぐ構え。

叩く構え。


殺さない構え。


それが――さらに火に油を注いだ。


リーダーの目が、

はっきりと赤くなる。


誇りを、

真正面から踏みにじられた顔だ。


「ヴゥゥゥゥ……ッ!!」


低い唸りが、

地面を這う。


次の瞬間、

それは爆ぜた。


「ガァアアアアアッ!!」


地面を蹴る。


一直線。


今度は――

技も、間もない。


ただ、

叩き潰すためだけの突進。


俺は、

踏み込まない。


逃げない。


槍を、立てる。


鉄が、

前に出る。


次の瞬間――


衝突。


ドンッ!!


衝撃が、

腕から、背骨まで走る。


視界が白く跳ねる。


だが――押し切られない。


鉄が、

間にある。


俺は、

歯を食いしばりながら、

体重を乗せた。


「……受けて立つ」


低く。


挑発じゃない。

命令でもない。


ただ、

ここに立つという意思。


「ギャアアアアアアア!!」


完全に――キレている。


殺せる相手に、

殺させてもらえない。


獣にとって、

それは最大の侮辱だ。


だから、


もう――止まらない。


「ギャアアアアアアアッ!!」


咆哮と同時に、

爪が振り下ろされる。


速い。

重い。


鉄槍を横にして受ける。


――ガンッ!!


衝撃が、

腕を貫く。


骨が鳴る。

歯が噛み合う。


足が、雪を削って後ろへ滑る。


だが――折れない。


鉄が、間にある。


返す。


振りかぶる。


刃のない側で、

横殴り。


――ドンッ!!


巨体に、確かに当たる。


肉が揺れる。

だが、止まらない。


「グルァアアアアアアッ!!」


怒りが、

さらに増す。


今度は――体ごと来た。


突進。


受けるしかない。


鉄槍を立てる。


盾にする。


――ドォンッ!!


視界が揺れる。


肺の空気が抜ける。

喉から、血の味。


それでも、

踏みとどまる。


押し返す。


叩く。


また来る。


叩き返す。


殴り合い。

潰し合い。


どちらも、

一歩も引かない。


だが――違いが、出始める。


あいつは、

殺しに来ている。


俺は――止めようとしている。


それを、

あいつは理解した。


視線が、

また、槍の穂先を見る。


刺せ。

殺せ。


それが、

獣の正解だ。


だから――怒る。


「ガァアアアアアアアアアアアッ!!」


全力。


避けきれない。


(……なら)


俺は、

槍を引いた。


構え直す。


刃を、

後ろへ。


棒を、

前へ。


火が、

宿る。


だが全体は燃えない。


噴き出す。


一点。


槍の後端から、

火が噴射された。


爆発じゃない。

燃焼でもない。


ただ――推進。


次の瞬間、踏み込む。


「……ッ!!」


――ドシュンッ!!!!!!!


鉄が、

腹に叩き込まれた。


刺さらない。

だが、深い。


骨に、

内臓に、

衝撃だけが届く。


そいつは倒れない。


立ったまま。


足を踏ん張る。


雪が、

えぐれる。


だが……


足場が、崩れた。


アンカー脇。

凍った岩肌。


巨体が、

後ろへ傾く。


一瞬、

こちらを睨む目。


「グォォオ……」


次の瞬間――落ちた。


音が消える。


雪も、

風も、

吸い込まれたみたいに静まる。


……深い。


崖下は、

見えない。


俺は、

槍を構えたまま動かなかった。


落ちた音が、

まだ耳の奥で鳴っている。


息を吸うと、

喉が痛む。


吐くと、

白い霧が揺れて、

すぐ消えた。


腕が、震えている。

怒りじゃない。

怖さでもない。


勝ったのか……俺には分からなかった……。


それでも。


群れは、

一斉に伏せた。


吠えない。

牙も見せない。


アンカーの周囲で続いていた噛みつきが、

ぴたりと止まる。


引きずられていた個体の体が、

雪の上で動かなくなる。


並べる手が、

止まった。


ここで生まれていた“答え”が、

一度だけ……沈黙した。


背後で、

遠吠えがひとつ。


「ウォオーーーーーンッ」


澄んだ音だ。


祈りじゃない。

勝利の歌でもない。


――合図だ。


隣でダックが羽を広げ、

地面を踏む。


「ギョワギョワ!」


雪が跳ね、

音が、山に返る。


俺は槍を下ろした。


ゆっくり。


誰も襲ってこない。

だが、誰も解けてもいない。


伏せた目が、

こちらを見ている。


俺じゃない。


――崖の向こうを見ている。


俺も、そっちを見る。


亀裂は、まだ口を開けている。


血を欲しがる場所が、まだある……。


俺はそこに向かう。


「……行くぞ」


声は小さかった。

けど、今のこの場には……十分だった……。

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