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第47話:鉄


地面が、流れていく。


視界が低い。

雪と岩が、引き延ばされて後ろへ消える。


顎を締められている。

だが、痛みはない。


運ばれている。


ダックだ。


嘴にくわえられ、

体が宙に浮いたまま、

全速で走っている。


風が、顔を打つ。

息が、詰まる。


それでも落とされない。


「……よくやった……」


声は、掠れた。


返事はない。

だが、速度が落ちない。


背後。


気配。


一つ。

すぐ後ろ。


あの狼だ。

さっき、俺を庇って前に出たやつ。


距離を詰めすぎず、

離れすぎず、

影みたいに張りついてくる。


――そのさらに後ろ。


複数。


雪を蹴る音。

荒い息。

怒り。


追手だ。


(……来るな)


体を捻ろうとするが、

うまく動かない。


左は、折れている。


――右。


まだ動く。


動く方の手を後ろへ伸ばした。


狙わない。

だが放つ。


火が吹き出す。


一直線じゃない。

扇状に。


横へ。

横へ。


熱が、

空気に線を引く。


何本も。

何層も。


雪が一瞬で溶け、

蒸気が弾ける。


追ってきていた影が、

一拍、遅れる。


吠える。

足が乱れる。


線を越えられない。


その手前で、

庇った狼が、一度だけ振り返る。


追手と目が合う。


唸り声が、低く鳴る。


「……」


言葉じゃない。

だが、意思だけが刺さる。


追手に背を向けてこちらに来る。


その一瞬で、

ダックがさらに速度を上げた。


地面が、

もう「流れ」じゃない。


一本の線になる。


背後の気配が、

一つ、また一つ、

遠ざかる。


最後まで残っていた追手の気配も――


やがて、

薄れる。


風だけが残る。


ダックの心臓の音が、

嘴越しに伝わってくる。


速い。

だが、乱れていない。


「……ありがとう」


今度は、

はっきり言えた。


答えはない。


だが――

走りは、止まらなかった。


ーーーーー


崖を、いくつも越えた。


切り立った岩肌を回り込み、

飛び降り、

雪を蹴ってまた登る。


途中で川を渡った。

氷の縁を踏み砕き、

流れを割って進む。


何度か振り返ったが、

完全に、追ってくる気配はない。


風の音と、

水の音だけが残った。


ここまで来れば、

ひとまず大丈夫だ。


そう判断して、止める。


腕が、痛む。


さっき折られたところだ。

力を入れると、

奥で鈍い音がする。


「……やっぱり、無茶だったな」


雪の上に腰を下ろし、

荷を下ろす。


布を引き裂き、

骨の位置を確かめる。


腫れはひどい。


歯を食いしばり、

腕を引き寄せて固定する。


「ングッッ」


息が、荒くなる。


その間――


気配は、

少し離れた場所にあった。


近づいてはこない。


だが、

いなくもならない。


顔を上げる。


狼がいた。


雪の縁に立ち、

こちらを見ている。


伏せてもいない。

牙も見せない。


ただ、

目だけが動いている。


逃げる距離でもなく、

襲う距離でもない。


……妙な位置だ。


「……」


声をかける気にはならなかった。


俺が腕を縛るのを、

火を使わないのを、

血を止めるのを、


ただ、見ている。


じっと。


意味を測るように。


手当てを終え、

息を整える。


視線を外しても、

気配は消えない。


寄ってはこない。

だが、背を向けても去らない。


(……様子見、か)


そう思った。


俺も、

今は動かない。


焚き火は起こさず、

雪の上に座ったまま、


ただ、

次に動けるまで待つ。


狼は、

その間もずっと――


俺を、見ていた。


ーーーーー


夜。


焚き火は、

洞窟の奥で小さく起こした。


外からは見えない。

煙も、岩肌に吸われていく。


火は弱い。

だが、十分だ。


薬草は効いている。


腕の痛みは、

さっきよりずっと引いていた。


腫れは残っているが、

指は動く。

力も、戻りつつある。


「……助かったな」


火を見つめながら、

考える。


あのでかいのと、

正面からやり合った。


結果は、はっきりしている。


槍は折れた。

腕も折られた。


力負けだ。


「……」


火の中に、

さっきの光景が浮かぶ。


踏み込み。

衝突。

衝撃。


受け止めた瞬間、

柄が耐えきれずに砕けた。


――弱い。


石は、

あいつには通らない。


当たっても、

折れるのはこっちだ。


焼くことも考えた。


だが、

あの距離、あの速さだ。


一瞬の迷いがあれば、

火を出す前に潰される。


それに――

焼いて終わり、は違う。


殺すための戦いじゃない。

だが、負けるわけにもいかない。


「……もっと、強いのが要る」


ぽつりと、声が漏れた。


火を、いじる。


薪が崩れ、

中の赤が見えた。


石が、

赤く照らされる。


その色を見て、

ふと、思い出す。


――重さ。

――硬さ。

――割れなかった感触。


昔、

川底で拾った黒い塊。


叩いても欠けず、

火に入れても崩れなかった。


石とは、違った。


「……鉄……か」


口に出した瞬間、

しっくりきた。


石じゃない。

骨でもない。


叩いて、

形を変えて、

折れないもの。


あいつの爪を受け止めても、

砕けないもの。


火は、ある。

叩く力も、ある。


……作れる。


火を見つめる。


赤の奥で、

何かが「道」になっていく。


明日だ。


まずは鉄を探す。


それがなければ、

次はない。


洞窟の外。


風の音に混じって、

微かな気配が動いた。


狼だ。


洞窟の入口には来ない。


だが、

離れもしない。


火の明かりが、

岩に揺れる。


その光の端で、

黄色い目が一度だけ瞬いた。


見ている。


ただ、

黙って。


俺は火に、

もう一本薪をくべた。


夜は、まだ長い。


ーーーーー


周囲が明るくなり始めた頃、

俺はダックの背に乗る。


川は、まだ穏やかだ。

流れは太いが、浅い。


ここは下流だ。


砂が多い。

石が、丸い。


「……この辺りじゃ、足りないな」


言葉にしなくても分かる。

削られすぎている。


鉄は――

削られる前に、見つからなきゃ意味がない。


ダックに合図する。


「上だ」


翼が揺れ、脚が水を蹴る。

川を遡る。


流れが速くなる。

水が冷たくなる。


岸の石が、角を持ち始める。


さらに上。


水は細くなり、

岩が、露骨に姿を見せ始めた。


――源だ。


川が、生まれる場所。


滝の名残みたいな岩肌。

水が、そこから滲み出ている。


「……ここだな、ダック」


視線が合う。


「蹴れ」


一瞬の間。


次の瞬間――ドンッ、と音が鳴った。


岩肌がえぐれる。

割れた石が、音を立てて転がる。


白。

灰。

赤茶。


……その中に。


「これか……」


黒い。


妙に、黒い。


降りて拾い上げる。


軽く叩く。

割れない。


石のナイフで引っかいても、欠けない。


「……」


火を、ほんの少し寄せる。


赤くなる。


だが、崩れない。


「……見つけた」


石じゃない。


削られず、

砕けず、

残ったもの。


ダックの蹴りでも、

割れなかった理由。


握り直す。


重い。

確かだ。


これなら――

あいつに、届く。


岩陰。

崖の腹に、えぐれた空洞がある。


「……ここでいい」


ダックを降りる。

背を撫でる。


「しばらく、見張ってろ」


低く鳴いた。


黒い石を、並べる。

拾った分だけ。

大きさも、形も、揃っていない。


――構わない。


揃えるのは、あとだ。


火を宿す。


最初は、弱く。

集めた石を、握る。


熱が、じわじわと回る。


赤茶の石は、先に割れた。

灰になる。


白い石も、砕ける。


黒い石だけが――残る。


火を、強める。


息を吐くたび、胸が熱い。

腕が、じりじり焼ける感覚が伝わる。


それでも、離さない。


黒い石が、赤くなる。

橙に近い赤。


まだ……溶けない。


だが。


端が、少しだけ柔らかくなる。


「……いける」


余計な石を、外す。

別の黒い石を、入れる。


同じことを、繰り返す。


熱する。

外す。

重ねる。


叩く。


石で。

岩で。

手で。


叩くたび、火花が散る。


砕けない。

割れない。


だが、形が歪む。


歪みが、寄る。


重ねた黒が、

ひとつに、まとまり始める。


「……鉄、だな」


言葉は、確認じゃない。

ただ、音にしただけだ。


火を、さらに寄せる。


塊が、赤から、白に近づく。


触れる。

熱い。


だが、溶け落ちない。


握る。

引き延ばす。

叩く。


叩くたび、

中の不純物が、外に逃げる。


音が変わる。


鈍い音から、

澄んだ音へ。


「……」


一度、火から出す。


地面に叩きつける。


曲がる。

だが折れない。


「……よし」


刃は、まだ、いらない。


切れなくていい。

裂けなくていい。


折れないこと。

砕けないこと。


それだけでいい。


もう一度、火へ。


握った鉄は、

まだ形にならない。

だが折れない。


次は――長さを、作る。

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