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第44話:滝の薬草と、変わる影


川を見つけた。


雪に埋もれかけた細い流れ。

水は、まだ生きている。


凍り切っていない。


「……こっちだ」


遡る。


ダックは足取りを落とし、

慎重に進む。


背中では、

低い唸りが続いている。


やがて……音が変わった。


水の落ちる音。

近い。


視界が開ける。


滝だ。


高さはそれほどじゃない。

だが水量がある。

岩肌を削りながら、

白い飛沫を上げて落ちている。


その周囲。


雪に覆われているはずの地面に、うっすら色がある。


踏み出して、屈む。


「……あったぞ!」


葉。


見覚えがある。


細く、強い緑。

根元は少し赤みを帯び、

すっきりとした清々しい香り。


最初に見つけた、

あの薬草だ。


しかも、一本じゃない。


二本。

三本。


視線を動かす。


「……多い」


群生地だ。


岩の影。

水の近く。

雪の下。


あちこちに、

同じ葉が顔を出している。


「……こんなに、あったのか」


手を止め、周囲を見る。


滝。

水。

冷気。

雪。


そして、

凍りきらない地面。


気づく。


「……なるほど」


最初に見つけた場所も、

滝のそばだった。


足場は冷えていて、

空気も寒かった。


偶然じゃない。


「寒い場所……水があって……」


息を吐く。

白く、短く。


「……こいつ、寒冷地の草なのか……」


むしろ、

この環境じゃないと育たない。


雪に守られ、

水で凍りきらず、

他の植物が根を張れない場所。


……だから、残っている。


俺はそのまま薬草を集め始めた。


根を傷つけないように。

全部は抜かない。


残す分も考えて採取していく。


背後で、

唸り声が一瞬、途切れる。


気配を感じたのか、

それとも匂いか。


振り返らない。


ただ、言う。


「……もう少しだ」


ほとんど独り言だ。


だが少しでも伝わればいいと思っただけだ。


ひとしきり使う分を集め終えた。


滝のそばで、火を起こす。


雪を払い、

岩の影に場所を取る。


ダックは伏せる。

背中の重みを、受け止めた。


俺は、

まず薬草をすり潰す。


石。

手。


葉が砕け、

青い匂いとスースーする感じが鼻に入る。


それを、

折れた腰のあたりに当てる。


獣は唸る。


「ゥゥゥ……」


そして押さえる。


さらに、

別の葉で包む。


それから、添え木。


拾った枝を揃え、

腰回りを固める。


動かないように。

ずれないように。


唸り声が、

低くなる。


……だが、終わりじゃない。


内側だ。


ダックの蹴り。

衝撃。


内臓をやっていないとは、

言い切れない。


俺は、

残りの薬草を丸める。


潰して、

まとめて、

団子にする。


差し出す。


「……食え」


通じない。


獣は唸りながら顔を背けた。


俺はその口を掴む。


前脚が動き、

爪が来る。


腕に。

肩に。

顔に。


引っ掻かれる。


血が出る。


「ッ……!」


だが、離さない。


もう一度、

口に近づける。


「だめだ」


唸りが強くなる。


「……我慢しろ」


左手で口を押さえ、

右手を突っ込む。


牙が当たる。

噛まれそうになる。


指を突っ込み、

無理やり喉の奥へ。


「……飲め!」


団子を押し込む。


暴れる。


爪。

爪。

爪。


「くそっ……!」


だが、

喉が動いた。


――飲み込んだ。


一度。

二度。


「ゲホッ! オェ! ウウゥゥ……」


唸りが、

少しだけ変わる。


荒さが抜ける。


俺は、

そのまま手を引き抜いた。


血だらけだ。


息を吐く。


「……ったく……」


腕を見る。

手を見る。


顔も、痛む。


「……いてぇ」


余った薬草を、

また潰す。


今度は自分用だ。


引っ掻き傷。

血の滲むところ。


顔。

手。

腕。


押し当てる。


沁みる。


だが、

すぐに熱が来て、

痛みが、引く。


俺は、

その場に腰を下ろした。


今日は、

もう動かない。


疲れた。


それにコイツも動かせない。


飯の支度を始める。


雪が舞う。


水の音が、

変わらず落ちている。


唸り声は、

まだ消えない。


だが、逃げようとはしない。


俺は、それを聞きながら荷物を探る。


今日は、ひとまずここまでだ。


ーーーーー


夜。


焚き火は小さい。


岩陰で、

赤がゆらゆらと揺れている。


獣は苦しんでいた。


「ゥ……ゥゥ……」


喉が鳴り、

腹が波打つ。


吐くような息。

熱を帯びた体。


薬が、

内側で暴れている。


俺は、

そばに腰を下ろした。


気づけば、

手が伸びていた。


首の後ろ。

毛の奥。


そっと、

撫でる。


力は入れない。

押さえない。


「……」


言葉は出ない。


獣の唸りが、

一瞬だけ揺れる。


「ゥゥ……」


ただ、

苦しそうに、

息を続ける。


俺は、

同じ場所を、

同じ速さで撫で続けた。


今はもう殺し合いじゃない。


焚き火があって、

生きているものが苦しんでいる。


それだけだ。


何度か、

唸りが強くなる。


そのたびに、

手が止まりそうになる。


だが、

離さない。


撫でる。


ゆっくり。

一定に。


獣の体が、

少しずつ、

強張らなくなっていく。


ダックが、

伏せたままこちらを見る。


目だけが動く。


夜は長い。


雪が降り、

火が揺れ、

時間が流れる。


俺は、

その間ずっと、

獣の首を撫でていた。


ーーーーー


朝が来た。


空の青は薄い色だ。


雪は止み、

冷たい風だけが残っている。


焚き火は、

炭になっていた。


獣が、

動く。


前脚。

次に、

胴。


止まる。


もう一度。


今度は、

息が乱れない。


目が開く。


周囲を見る。


俺を見る。


それから、

自分の体を見る。


……動く。


昨日より、

確実に。


戸惑い。

驚き。


「ガル……?」


小さな声。


俺は、

手を離し、立つ。


槍にも、

火にも、

触れない。


ただ、

言う。


「……すごいだろ?」


自慢でもない。

説明でもない。


獣は、

まだ警戒している。


だが、

逃げない。


昨日とは違う目で、

こちらを見ている。


朝の光が、

雪を照らす。


生きている。


それだけは、

はっきりしていた。


獣が、立つ。


昨日まで、

地面に縫い付けられていた腰が、

今は持ち上がっている。


だが、

落ち着かない。


腰のまわり。


添え木。

葉を重ねて固めた束。


それが擦れるたび、

毛が逆立つ。


「ゥゥ……」


短く唸り、

身体をねじる。


痛みじゃない。

不快。

“邪魔”だ。


俺は一歩近づき、

手を伸ばしかける。


――その瞬間。


獣の骨が鳴った。


いや、

鳴ったように見えた。


背が沈む。

肩が落ちる。


骨格が、縮む。


毛の流れが変わり、

手足の長さが変わり、

首が前へ出て……


目の前にいた“それ”が、


一息で……別の形になった。


狼。


四つ足。

細い胴。

雪の上に馴染む影。


添え木は、

ずるりと落ちた。


縄も、

意味を失ったみたいに外れる。


狼は一度だけ身を震わせ、

毛を立てた。


それから、

俺を見る。


「……」


喉が、

言葉を拒む。


驚きは遅れてきた。


(……変わるのか)


俺は、

初めて“ここ”で、

この土地の種族を認識した。


ただの獣じゃない。


人の形になれる。

そして、狼にも戻れる。


――なら。


俺の村に来ていたものは?


影が入り込んだ死体。

狼の死体。

牙を持った襲撃。


あれは、「ただの獣の死体」だと思っていた……。


……違う。


“ただの獣”なら、

ここまで人の形を持たない。


そして――この場所には、

死体が山ほどあった……。


積まれ、

落とされ、

捨てられる。


それを、何かの「処理」として回している。


もし、影が

“命が多い場所”を狙うなら――ここの死は、逆に……。


……死体が多い。

影が入る器が多い。


(……村に来ていたのは、ここの“処理”の延長か?)


投げ捨てられた死体。

影が入って動き出した死体。


それが、

雪の向こうから流れつき、

俺の村へ向かった。


俺は、

狼の目を見る。


こいつは、捨てる側だった。


俺は、

槍を持ち直す。


火は出さない。


ただ、

息を吐いて言う。


「……お前ら、ただの獣じゃないんだな」


それが俺の敵なのかはまだ分からない……。


でも……。

知る必要はありそうだ。

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