表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/63

第41話:立つ場所


夜から戻る頃になると、

最近、家の前に人影がある。


石の柱が光り、

月が出ている夜だ。


影は来ない。

だから、人が来る。


―――――


戸の前に立っているのは、

女の子だった。


ナハトより、少し若い。

背も、まだ低い。


手には、木製の器。

中から、匂いがする。


「……お、おかえりなさい」


声は小さいが、

逃げない。


ナハトが、先に気づいた。


「……あ」


言葉に困っている。


「……ごはん、作りに来た」


理由としては、

かなり直球だ。


ナハトは一瞬、

俺の方を見る。


「助かる」


それだけ言って、

戸を開けた。


女の子の顔が、

少し明るくなる。


―――――


火を起こす音がする。


慣れてはいないが、

雑でもない。


ナハトは落ち着かない。


手を洗っては、

何もせず戻り、

また外を見る。


「焦げないように、ね?」


女の子が言う。


「……分かってる」


分かっていない声だ。


俺は、鍋を覗く。

いい匂いだ。


「なるほど……」


食卓に並んだ飯は、

素直な味だった。


ナハトは、

いつもより静かだ。


噛むのが遅い。


視線が、

たまに鍋の向こうへ行く。


女の子は、

それに気づいているが、

何も言わない。


露骨だが…悪くない。


俺は、ニヤけないようにしながら、

黙って食べる。


―――――


一方で、


昼の終わり頃、

リヒトの周りにも人は寄る。


骨の鎧、立つ姿。


その周りには若い女の子たち。


話しかけられても、

返事は短い。


「用がないなら、戻れ」


それだけだ。


冷たいわけじゃない。


教える側に立つ者の目だ。


他人が近づける距離を、

自分で決めている。


―――――


夜にはまたあの子が来た。


飯を作りに来た女の子は、

鍋を洗い、戸口で立ち止まる。


「……また、来てもいい?」


ナハトは、

答えられない。


俺が先に言った。


「影が来ない夜ならな」


女の子は、嬉しそうにうなずいて帰っていく。


足取りは、軽い。


戸が閉まったあと、

家の中は静かになった。


火は、まだ残っている。


ナハトは何も言わない。

俺も、しばらく言わない。


しばらくしてから、

俺は口を開いた。


「あの子が、好きか?」


「えっ……!?」


ナハトが、はっきり声を上げた。


隠していたつもりだったらしい。

分かりやすい。


俺は、火を見る。


「そうなら、そう言ってやれ」


ナハトは固まっている。


「俺は、止めない」


それだけだ。


少し間が空く。


ナハトは、視線を落としたまま、

小さく息を吐いた。


俺は続ける。


「ルゥも、リルも、

だいたい同じくらいの年だった」


昔の話だ。

だが、思い出すのに時間はいらない。


「ルゥがリヒトを宿したのは、

 あの子より、少し成長してからだ」


火が、ぱち、と鳴る。


「……リルは、もう少し後だった」


ナハトを宿したのは、

それからだ。


ナハトは、黙って聞いている。


「森の民はな、

 ”俺”とは、違う時を生きる」


長くは生きない。

だが、それは悪いことじゃない。


「おそらく、お前もリヒトも、

 俺の方に近い……」


完全ではないが、

同じでもない。


「だからな」


少しだけ、言葉を選ぶ。


「”俺達”が思っているより、

 終わりは、早い……」


それは事実だ。

慰めでも、脅しでもない。


俺はナハトを見る。

面影を重ねて。


優しく言った。


「一緒にいたいなら、そう言え。

 選ぶなら、早い方がいい。

 俺は、文句は言わない」


止める理由が、ない。


ナハトは、しばらく黙っていた。


それから、

小さくうなずいた。


分かった、というより、

受け取った、という動きだ。


俺は、それ以上何も言わない。


役割を教えるためでもない。

背中を見せるためでもない。


ただ――

同じ火のそばに座っている。


それだけ…。


火は、静かに燃えている。


夜は、穏やかだ。


影は来ない。


こうして言葉を交わす夜が、

これまで、なかったわけじゃない。


だが――

今のは、少し違った。


守る者としてでもない。


家族として…、

何かを背負い始めた男として、

…隣にいる夜だった。


―――――


ナハトが眠ったあと、

俺は一人、火の前に残った。


火は、まだ消えない。

だが、手を伸ばす気にはならない。


静かに考える。


息子たちの、これからのことだ。


リヒトは、昼に立つ。


今は、寄ってくるものを邪険にしている。

必要ないと、切り捨てている。


だが――

あいつにも、いつか守りたいものができる。


そうなれば、

昼に立つ意味を、もっと深く知るだろう。


それは、悪くない。


問題は……別にある。


ナハトは、

俺と同じ力を持っている。


夜に立てる力だ。


今は、まだ俺が夜に立てる。

だから、役割は分かれている。


だが――

それが、いつまで続くかは分からない。


俺は知っている。


夜に生きるということは、

昼を捨てるということだ。


昼に生きる者たちとの時間を、

少しずつ、切り捨てていく。


笑いも、

迷いも、

戻れない場所も。


それが、夜に立つ者の代償だ。


ナハトには、

同じ辛さを背負わせたくなかった。


火を教えたのは、

戦わせるためじゃない。


生きるためだ。


だが――選ばなければならない。


火が、小さく揺れた。


俺は、それを見つめる。


いつか…俺が…、

…夜に立てなくなる日が来る…。


そのとき、

誰が、どこに立つのか。


それを決めるのは、

もう俺じゃない。


だが……その前に。


(立たなくてもいい場所は……俺が潰す……)


目を閉じて、思い返す。


石の柱。

裏返る視界。

雪の白。


西。


アンカー。


あれは、

“今すぐ”じゃないものだった。


――“いつか”だった。


その“いつか”が……今だ。


向きは、もう決まっている。


俺が夜から退く前に、

やるべきことがある。


それを果たすまでは、

まだ立ちつづける。


火は、静かに消えた。


影は、来ない。


それを……途切れさせない。


そう心に決めて、槍を見る。


「俺が……守るよ……子供達も…、その先も」


誰にも届かなくていい。

あの二人にだけ、分かればいい。


そうして俺は眠った。


―――――


眠りは浅かった。


だが、朝は来る。


外に出ると、

空はもう白んでいた。


影の気配はない。

昼だ。


二人を呼ぶつもりだった。


離れること。

しばらく戻らないこと。


言うべきことは、

もう決めていた。


先に現れたのは、ナハトだった。

だが一人じゃなかった。


隣にいるのはリヒトではない。

昨夜の女の子が、隣にいる。


二人は手を――握っている。


指先だけじゃない。

逃げない、ちゃんとした握り方だ。


その握り方を見て、俺は何も言わなかった。


ナハトは、

こちらを見る。


視線を逸らさない。


言葉はない。

だが――立ち方で分かる。


決めたな。


「そうか……」


俺は、それがどこか嬉しくて。


予定していた言葉が、

少しだけ、ずれた。


「……よく来た」


それだけ言う。


女の子は、

少し緊張した様子で頭を下げた。


「おはよう、ございます」


声は小さい。

だが、昨日と同じだ。


逃げない。


中に通す。


ナハトは、

手を離さない。


少し遅れて、

リヒトが来た。


一人だ。


状況を見て、

すぐ理解した顔になる。


何も言わない。

だが、視線が一瞬だけ、

ナハトの手に落ちる。


それで終わりだ。


全員が揃った。


朝の空気は、

まだ冷たい。


俺は静かに、はっきりと告げた。


「俺は一度、村を離れる」


一瞬、

音が消えた。


ナハトが目を見開く。

リヒトも、はっきりと反応した。


二人は、

反射的に互いを見る。


そんなこと――なにも聞いていない。


その顔だ。


女の子も、

息を呑んだのが分かる。


俺は、

間を置いた。


落ち着いて聞かせるために。


「戻れないかもしれない……」


空気が、

さらに重くなる。


「だが、ここを捨てるわけじゃない」


視線を、

二人に戻す。


「俺が今、立つ場所がある」


ここで、

ようやく理解が追いつく。


ナハトの肩が、

わずかに強張る。


リヒトは、

顎を引いた。


それから――俺は、続けた。


「昼は、リヒト」


名を呼ばれた瞬間、

リヒトの背筋が伸びる。


槍をしっかりと握り、


無駄な動きをせず、静かに立つ。

目を逸らさない。


「夜は、ナハト」


今度は、

ナハトが一歩、踏み直す。


無意識だが、

姿勢が変わる。


二人とも、

もう子どもの立ち方じゃない。


俺は、

それを確かめてから言った。


「俺は、お前達が立たなくてもいい場所”を…消しに行く」


多くは語らない。


「だから……。

 今は、お前たちが前だ」


二人は、

何も言わない。


だが、

姿勢が答えだった。


リヒトは、

昼の中心に立つ者の顔だ。


ナハトは、

夜を引き受ける者の目をしている。


俺は、成長した息子の顔を目に焼き付ける。


不安がないと言えば嘘になる……。


だが……


任せることのできる者達だ。


最後に、

女の子へ目を向ける。


「……名は? もらったか?」


俺が名前をつけたのは最初の世代と息子二人。


その後は、それぞれのやり方に任せていた。


女の子はナハトの隣に立った。


「ミア、です」


短い。

だが、震えていない。


俺は、

ゆっくりとうなずいた。


「ナハトは……すこし、いや、だいぶ不器用だ」


横を見る。


ナハトは、

否定しない。


「俺に似て、言葉を紡ぐのも、何かを見せるのも……。

 だが、逃げない」


心で感じた言葉だ。


そして、次には事実を並べていく。


「夜は、危ない。

 家に戻れずに、眠る日もある」


それでも――


「それでも、そばにいるか?」


ミアは、

ナハトの手を、少しだけ強く握った。


「はい」


即答だった。


「そうか」


俺は、

一歩前に出る。


そして――頭を下げた。


「息子を……よろしく頼む」


深くはない。

だが、確かだ。


顔を上げて、

ナハトを見る。


「守れ」


短く、一言だけ。

だが重い。


ナハトは、

強くうなずいた。


俺は、

もう何も言わない。


槍を取り、

背を向ける。


「留守を頼む」


それは、

村に向けた言葉じゃない。


家族に向けた言葉だ。


俺は、

昼の中へ歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ