第40話:火は受けつがれる
火は、静かに燃えていた。
爆ぜる音もない。
赤が揺れて、黒がほどけていくだけだ。
その前に、俺は立っている。
右にリヒト。
左にナハト。
二人とも、黙って火を見ている。
目を逸らさない。
火が弱まり、形が崩れ、
やがて、何も残らなくなった。
終わりだ。
俺は腰を落とし、
残った灰を布に集めた。
丁寧でも、急ぎでもない。
ただ、落ちているものを拾うように。
集め終え、立ち上がる。
「行くぞ」
それだけ言って、村を出た。
村から少し離れた場所。
人の声が届かない、緩やかな地面。
俺は土を掘る。
深くは掘らない。
木が根を張れるだけでいい。
苗を置き、土を戻す。
それから、槍を持ち上げた。
ほんの一瞬、手が止まる。
次の瞬間、
槍を地面に突き立てた。
真っ直ぐに。
「リヒト……」
名を呼び、地面を指す。
リヒトも同じように、
隣に、持たせてあった槍を突き立てた。
最後に布を開き、
灰を、植えた苗木の根元にまいた。
風が吹き、
白い粉が土に溶けていく。
背後で、気配が揺れた。
「父さん……」
ナハトの声だ。
その呼び方に、俺は何も言わない。
「これは……?」
振り返らずに答える。
「墓だ」
それ以上は言わない。
少し間が空く。
今度は、リヒトの声。
「……ルゥのは?」
俺は前を向いたまま答えた。
「ルゥは寿命で死んだわけじゃない……」
事実だ。
「魂は、ルクナスに預けてある」
風が葉を揺らす。
「だが、お前の母は……ここには戻れない」
それだけだ。
背後で、ナハトが何かを言いかけて、
やめたのが分かった。
聞きたいことはあるだろう……。
だが、今は……。
二人の気配が、まだそこにある。
俺は、足を止めた。
振り返らずに言う。
「体は、もう終わった」
淡々とした声だった。
「だから、火にかけた。
影に使われないように」
残るものがあると、
奴らは、そこに手を伸ばす。
だから燃やす。
壊すためじゃない。
奪わせないためだ。
「……灰にしたのは、それで終わりじゃないからだ」
俺は、槍と木を見たまま続ける。
「灰をまいたのは、
この灰が、木を育てるからだ」
灰は、ただの残りじゃない。
土に混ざり、
根に触れ、
次の形に使われる。
「生きていたものは、
生き物のための役に戻る」
それだけのことだ。
「奪われない。
無駄にならない。
それを守るために……燃やす」
しばらく、誰も声を出さなかった。
やがて、ナハトが小さく息を吸った。
何かを言いかけて、
やめたのが分かる。
俺は促さない。
代わりに言った。
「悲しんでいい。
泣いてもいい。
腹を立ててもいい」
ただし――
「だが、それで何かを燃やすな。
誰かを、何かを傷つけるな」
火は、
感情の逃げ場じゃない。
「それをすれば、影と同じだ。
……奪うだけの者になる」
教えるのは、そこまでだ。
俺は歩き出す。
槍は、地面に立ったまま。
木は、まだ細く、静かに揺れている。
ーーーーー
昼。
ラルが立っていた場所に、
いまはリヒトが立っている。
誰も何も言わない。
代わりだとも、引き継ぎだとも言わない。
ただ、そうなった。
背筋はまだ固い。
視線の置き方も、慣れていない。
それでも逃げない。
火をつけたときと同じだ。
迷いはあるが、足は動かない。
少し離れたところで、
ナハトがそれを見ている。
声はかけない。
表情も変えない。
だが、目だけが動いている。
覚えている目だ。
俺は、それを横から見ていた。
ーーーーー
夜。
影が来る。
門の外だ。
いつもより、近い。
ナハトだ。
「来るな」
俺は言った。
振り返らない。
理由も言わない。
それで足りると思っていた。
だが、気配が残る。
門の外。
近すぎる位置。
「戻れ」
今度は、はっきり言った。
それでも動かない。
昼のリヒトと同じだ。
立つ理由を、言葉にしない。
影が動く。
狙いは俺じゃない。
最初から、二つあった。
火を持つ者。
次の火。
影は、迷わない。
俺が前に出る。
払う。
速く。
短く。
影が散る。
だが、まだ終わらない。
門の外で、
空気が歪む。
火が、立ち上がる。
大きくはない。
安定もしていない。
だが――
向きは間違っていない。
燃やす理由を、分かっている。
影が、ナハトに伸びる。
俺は踏み込む。
同時に、
ナハトの火が動く。
俺の火を、なぞるように。
同じ線を、
少し遅れて。
影が弾ける。
闇が引く。
「……」
静かだ。
終わった。
しばらく、誰も動かない。
俺は振り返る。
ナハトは、立っている。
息は荒いが、足は震えていない。
見る目だ。
学ぶために来た目だ。
「……学ぶ気なら」
一拍、置く。
「次は、離れろ」
それだけ言った。
褒めない。
叱らない。
火を使ったことも、
逆らったことも、
評価しない。
線だけ、引く。
ナハトは、うなずいた。
分かっていない。
だが、引かない。
だが、それでいい……。
そうやって進むしかない……。
門の内側に戻る。
村は静かだ。
昼に立つ者が変わり、
夜に立つ位置が変わった。
日常は、続く。
だが、
同じ形では、もう戻らない。
ーーーーー
石の柱が光る夜は、
必ず月が出る。
皆、理由は分からない。
だが、そういうものだと、もう知っている。
月が出ている間、
影は来ない。
だからその夜は、
全員で火を囲めた。
火は、戦うためだけのものじゃない。
それを覚えたのは、
ナハトが先だった。
「使っていい?」
そんなことを言い出す。
俺は、答えない。
止めもしない。
もう、聞かなくていい段階だ。
ナハトは肉を串に刺し、
火を近づけた。
近づけすぎた。
一瞬で、
じゅっ、という音がして、
肉が黒くなる。
焦げる、というより、
丸焦げだ。
「……」
ナハトは黙って、それを見る。
少し遅れて、
鼻をしかめた。
「……めんどくさかった」
正直な理由だ。
リヒトが横から覗き込む。
「……火が強すぎだ」
「いいじゃん、焼けたし」
「……焼けてない。死んでる」
意味の分からない言い争いが始まる。
俺は、口を出さない。
ナハトは串を回し、
黒くなった肉を皿に置いた。
一口、かじる。
「げ……苦い」
当然だ。
「でも、中は食える」
それも、事実だ。
リヒトは自分の分を、
ちゃんと距離を取って焼いている。
火を動かさない。
肉を動かす。
教えた覚えはない。
だが、覚えている。
俺はそれを見て、
ようやく言った。
「火はな、
急ぐと、嘘をつく」
ナハトは顔を上げた。
「嘘?」
「強くすれば、
早く終わった気になる」
そう言って、
月の方を見る。
石の柱は、
静かに光っている。
「でも、ちゃんとやった火は、
逃げない」
ナハトは、もう一度肉を見る。
今度は、
火を少し遠ざけた。
さっきより、時間がかかる。
だが、焦げない。
距離を覚えていく。
ーーーーー
それから季節は巡った。
月は何度も満ちた。
そして――あの場所に立つ者の背丈が、変わった。
昼。
村の外れ、見通しのいい場所。
かつてラルが立っていた位置に、
いまはリヒトがいる。
骨の鎧を身に着けていた。
角グマの骨だ。
削りすぎず、飾りもない。
守るための形だけを残している。
重いはずだ。
だが、姿勢は崩れていない。
周りには、若い者たちが集まっている。
誰も騒がない。
質問も少ない。
リヒトは多くを語らない。
槍の持ち方。
立つ位置。
一歩、踏み出す距離。
それだけを示す。
うまくいかなくても、叱らない。
代わりに、もう一度立たせる。
それを、皆が見ている。
俺は少し離れた場所から、
その様子を眺めていた。
教え方が、俺と似てきた。
だが、同じではない。
リヒトは自分のやり方を学んだ。
ーーーーー
夜。
門の外に、ナハトが立っている。
俺は、その少し後ろだ。
以前のように、声はかけない。
止めもしない。
影が、動く。
迷いはない。
だが、速すぎもしない。
ナハトが前に出る。
火が走る。
荒さは残っている。
無駄もある。
それでも――
線は、守れている。
燃やすべきものだけを燃やし、
残すべきものには触れない。
影が、形を失う。
一度、揺らぎ、
そして消えた。
ナハトは、すぐに振り返らない。
確認もしない。
ただ、立っている。
俺は前に出ない。
肩にも触れない。
守る必要は、もうない。
しばらくして、
ナハトが息を整えた。
「十分だ……」
ナハトと交代しようとした時。
石の柱が、静かに光った。
月が出ている。
影は、来ない。
夜は、終わった。
リヒトは、
昼に立つことを覚えた。
ナハトは、
夜に前へ出ることを覚えた。
どちらも、
俺が教えた訳ではない。
だが、ちゃんと二人は受け継いでいる。
そして、自分で選んで立っている。
俺が引いた線の内側にはいる。
この火は、もう俺だけのものじゃない。
そう思いながら、
俺は門をくぐった。
世界は、今日も続いている。




