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第38話:火の家族


朝は、静かだった。


夜の名残が、

まだ家の中に残っている。


火は落ち着いていて、

小さく、赤い。


俺は起きていた。


月が出ていた夜は、

身体が軽い。


影も来なかった。

だから――今日は余力がある。


リルは、

もう起きていた。


火の前に座り、

鍋をかき混ぜている。


振り返らない。


「……早いな」


声をかけると、

少しだけ肩が動く。


「あなたが起きてる音がしたから。

 ……おかえり」


その一言で、

十分だった。


俺は、

いつもの場所に腰を下ろす。


木の器が差し出される。


迷いのない動き。


「ありがとう」


そう言うと、

鍋を混ぜる手が、

ほんの一瞬だけ止まる。


「……ちゃんと食べて」


いつもの言葉。

でも、今日は少しだけ静かだ。


「分かってる」


俺も、

いつもと同じように答える。


それでいい。


言い足さなくても、

分かっている。


「ナハトは?」


「まだ寝てる」


「リヒトは?」


「さっきまで起きてたけど……

 あなたが戻ったのを見て、また寝たわ」


俺は、

少しだけ息を吐いた。


「……そうか」


火が、

小さく鳴る。


しばらく、

誰も話さない。


でも、

沈黙は重くない。


「今日は……」


リルが、

ふっと言葉を置く。


俺は顔を上げる。


「ナハトに、教えるんでしょう?」


「ああ、そうだ」


「無理はしないで」


「しないさ」


即答だった。


リルも、

それで十分だと分かっている。


「……あの子、嬉しいと思う」


「だろうな」


「あなたに似てるから」


その言葉に、

胸の奥が少しだけ温かくなる。


「……そうか」


リルは、

ようやくこちらを見た。


ほんの一瞬。


でも、

ちゃんと目が合った。


「ちゃんと、戻ってきて」


願いじゃない。

確認だ。


「戻る」


リルは、

小さく笑った。


ーーーーー


……あったかい。


夜は寒いはずなのに、

背中が冷たくない。


ぱち、と

小さな音がする。


(……朝?)


ゆっくり、

目を開ける。


天井。

低い木。

いつもの家。


それから視界の端。


……いる。


(……父ちゃんが、いる……)


火のそば。

背中をこっちに向けて、

座っている。


槍は置いてある。

夜のときみたいじゃない。


(……え?)


一気に目が覚めた。


父ちゃんは、

朝はいない。


夜に外に立って、

朝はもう寝てるはずだ。


なのに。


(……いる)


胸が、

どくん、て鳴る。


音を立てないように、

身体を起こす。


毛皮をどかして、

そっと半分起きる。


父ちゃんは、

まだ気づかない。


火を見ている。


(……なんで?)


理由は分からないのに、

嬉しい。


勝手に、

胸が軽くなる。


「……父ちゃん」


思ったより、

声が出た。


父ちゃんが、

振り返る。


目が合う。


頭が、

一瞬まっ白になる。


「……起きたか」


いつもの声。

でも、

夜の声じゃない。


「……なんでいるの?」


変な聞き方だって、

分かってる。


でも、

止まらなかった。


父ちゃんは、

少しだけ目を細め……たしかに、笑った。


「今日、お前に教える」


そう言って、父ちゃんは燃える右手を見せてくれた……。


(……え?)


「……え?」


声が遅れて出る。


「え、いま?……オレ? ほんと?」


言葉が、

一気に出てくる。


そのとき、火の向こう。


鍋のそばにいた母ちゃんが、

こっちを見た。


何も言わない。


ただ、

やさしく笑って――


小さく、

うなづいた。


胸の奥で、

なにかが決まる。


「よっしゃーー!!」


毛皮を蹴って立ち上がった。


「やる! ちゃんとやる! できる!」


自分でも、

よく分からない。


でも、

止まらない。


「ここに座れ」


言われて、

あわてて火の前に座る。


背中を伸ばす。


そのとき――


頭に、ぽん、と触れるものがあった。


振り返る。


……兄ちゃんだ。


いつの間にいたのか、

分からない。


「……兄ちゃん?」


兄ちゃんは、

少しだけ息を吐いてから言った。


「よかったな……」


それだけ。


でも、

その手は離れない。


また前を向いた。


火を見る。

父ちゃんを見る。


朝の火。

家の中。

みんないる。


胸の奥が、

じん、て熱くなる。


(……今日だ)


理由は分からない。


でも、

分かる。


今日は――大事な日だ。


ーーーーー


ダックの背中は、朝の光で少しだけ白く見えた。


揺れはゆっくり。

でも、進んでいるのが分かる。


前に座っているのは、父ちゃんだ。

背中しか見えない。


(……ほんとに、行くんだ)


胸の奥が落ち着かない。

嬉しいのか、怖いのか、自分でも分からない。



川の音が聞こえてきた。

水が石に当たる音。


ダックが低く鳴いて、

ゆっくり止まる。


父ちゃんが先に降りた。

水に足が入る音。


「降りろ」


短い声。


俺も降りる。

水は冷たい。

くるぶしの下くらい。


川の流れは弱い。

足元の石が見える。


兄ちゃんは、少し高いところに立った。

そこから動かない。


父ちゃんが、俺の前に立つ。


……近い。


夜に見る背中とは違う。


父ちゃんが、右手を上げた。


何も起きない。


(……?)


一瞬遅れて、

指の間に小さな火が出た。


「この火は」


低い声。


「言うことを聞く」


俺は、瞬きをした。


(……言うこと?)


父ちゃんの指が動く。


火が伸びて、二つに分かれる。


真ん中だけ、避けるみたいに。


まるで生き物だ。


(……すげえ)


「集中すれば、避けられる」


火は揺れている。

でも、暴れない。


父ちゃんが指を閉じた。


次の瞬間、

火が一気に広がりそうになる。


父ちゃんは、すぐ手を水に入れた。


じゅっと音がして、火が消える。


川は、元のままだ。


「だが何かを燃やした後の火は、言うことを聞かない」


その言葉が、胸に落ちる。


「だから――心を静かに保て」


父ちゃんの声が、少しだけ低くなる。


「感情だ」


俺は、息を止めた。


「怒れば、広がる」


それだけ。


父ちゃんが、手を下げて言う。


「やってみろ」


(……俺が?)


喉が、きゅっと鳴る。


でも、逃げたくない。


俺は、右手を上げた。


真似する。


指を開く。


……何も起きない。


(……っ)


焦る。

胸がざわっとする。


そのとき。


「息を止めるな、落ち着いて感じろ。

 お前の中にある力の流れを」


短い声。


俺は、気づいて息を吸う。

吐く。


もう一度。


指の間が、熱い。


小さな火。


(……出た)


声を出したら消えそうで、

必死に黙る。


火は小さい。

でも、確かにある。


水は沸かない。

石も焼けない。


「そうだ……そのまま」


父ちゃんの声。


それだけで、

胸が少し落ち着く。


火は、まだ消えない。


横を見ると、

兄ちゃんがじっと見ていた。


何も言わない。

でも、目が合った。


俺は前を見る。


火を見る。

手を見る。


(……抑える)


怒らない。

急がない。


ただ、ここにある。


火は、

それに合わせるみたいに揺れていた。


川は流れている。

朝は静かだ。


父ちゃんは、目の前にいる。


(……今日だ)


理由は分からない。


でも、

俺は分かっていた。


この日を、

忘れない。


ーーーーー


火は、

ちゃんと出た。


手のひらの前で、

揺れている。


小さい。

でも、確かに。


(……できた)


胸が、

一気に軽くなる。


父ちゃんが、

小さくうなずいた。


それだけで、

全部よかった気がした。


「次だ」


短い声。


次。


その言葉で、

頭が前に跳ねた。


(もっとだ)


火を、

前に押し出す。


手の先から、

一直線に。


……出た。


でも――


熱が、

強すぎる。


空気が、

歪む。


腕の先じゃない。

肘の方まで、

一気に熱が来た。


「っ――!」


息が詰まる。


(やべ……!)


止めようとする。


でも、

止まらない。


火が、

勝手に前へ行こうとする。


「火を切れ!」


父ちゃんの声。


次の瞬間、

腕を掴まれた。


強い。


引かれる。


そのまま――


「川に突っ込め!」


言われる前に、

腕ごと水に入れられた。


冷たい。


一気に。


じゅっ、という音がして、

熱が消える。


俺は、

川の中で息を吸った。


心臓が、

うるさい。


(……死ぬかと思った)


腕を上げる。


少し赤くなってるけど、

燃えてはいない。


父ちゃんは、

何も言わない。


ただ、

俺の腕を一瞬だけ見て、

手を離した。


「……今のは」


短く。


「意思が、先に行きすぎた……興奮しすぎだ」


俺は、うなずくしかなかった。


胸の奥が、

まだ熱い。


ーーーーー


次。


今度は、

槍だった。


予備の枝。

削っただけのやつ。


川の浅瀬に立って、

構える。


(……巻く)


父ちゃんがやったのを、

思い出す。


槍の外。


火は触れず。

槍を燃やさない……。


火を出す。


槍の横に。


……でも。


火が、

枝に触れた瞬間。


ぱち、と音がした。


嫌な音。


熱が、

槍に吸われる。


(……あ)


火は、

絡まなかった。


枝が、そのまま燃えた。


じわじわじゃない。


一気に。


「……」


父ちゃんは、

止めない。


水もかけない。


そのまま、

見ている。


枝は、

黒くなっていく。


火が走る。


表面が割れて、

中まで赤くなる。


(……燃えてる)


俺は、

何もできなかった。


やがて、

ぽき、と音がした。


先が、

落ちる。


炭みたいに、

崩れた。


火は、

自然に弱くなって、

消えた。


川の音だけが残る。


胸が、

ぎゅっとなる。


(燃え尽きて……壊れた……)


顔を上げられない。


「……ナハト」


父ちゃんの声。


低い。

でも、

怒ってない。


「今のは、ただ燃やすだけの火だ」


短く。


「意思が燃やすことだけにむいている」


意味は、

全部分からない。


でも――


(……オレが、焦った)


それは、

分かる。


そのとき。


「おい」


後ろから、

声がした。


振り返る。


……兄ちゃんだ。


いつの間にか、

川の近くにいる。


手に、

新しい枝。


削ったばかりの槍。


軽く、

投げてくる。


俺は、

反射で受け取った。


「まだある」


それだけ。


兄ちゃんは、

それ以上言わない。


でも、

目は外さない。


俺は、

槍を見る。


まっすぐ。

ちゃんとした形。


(……次は)


川の水が、

足元で揺れる。


腕は、

まだ少し熱い。


でも――


逃げたい気持ちは、

もうない。


父ちゃんは、

少しだけ距離を取った。


見てる。


俺は、

息を整える。


今度は、

急がない。


(……待て)


自分に言う。


火は、

意思に逆らわない。


さっき、

それを知った。


(……じゃあ)


今度は、

オレがオレに逆らわなきゃいけない。


槍を構える。


火を、

出す。


小さく。


川の音が、

やけに大きく聞こえた

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