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第36話:託される背と、届かない火


父は眠っている。


昼が、少しだけ落ち着いた頃だった。


人の動きが散り、

子どもたちの声が、

村のあちこちに残っている。


ラルが、

俺を呼んだ。


「リヒト」


短い声。


いつもと同じ。


なのに――どこか、違った。


俺は、

槍を持ったまま近づく。


ラルは、

地面に腰を下ろしていた。


珍しい。


立って指示を出す人だ。

座るのは、

本当に必要な時だけだ。


「……どうした?」


思わず、

そう聞いていた。


ラルは、

少しだけ息を整えてから、

俺を見る。


視線は、

静かだった。


「期待してる」


唐突だった。


俺は、

言葉を失う。


「……期待?」


ラルは、

すぐには答えない。


代わりに、

周囲を見るよう顎で示した。


「……見てみろ」


言われるまま、

視線を巡らせる。


土の広場。

柵の向こう。

火のそば。


子どもたちがいる。


走っている。

転んで、笑っている。

年の違う子が、

同じ輪に混ざっている。


「……多い」


そう思った。


「だいぶ、増えた……」


無意識に漏れた言葉に、

ラルは頷く。


淡々と。


「数が増えた。

 それに……ここは、平和だ」


言葉に、

重みがあった。


「昔は違った」


ラルは、

自分の手を見る。


大きく、

固い手。


「俺たちは…エア、お前の父から名をもらった。

 そして自分たちを示す言葉も……。

 俺達ヴァルは、力で奪うだけの一族だった」


怒りも、

後悔もない。


事実を述べる声。


「生きるために殺し、繋ぐために奪った。

 ……それしか、知らなかった」


視線が、

子どもたちへ戻る。


ヴァル種の子。

トゥー種の子。


混ざっている。


体格は、

確かにヴァル種だ。


だが……。


「見ろ」


ラルの示す先には、

ヴァル種の子どもがいた。


「目つきが違う。

 あれはもう俺達の一族ではない……。

 この場所、森の民の子どもだ」


ラルの言うとおり、

荒さがない。

獲物を見る目をしていない。


周囲を見る、

優しさのある、

トゥー種……母たちと同じ目だ。


「……ここは」


ラルが言う。


「奪わなくても、生きられる。

 守るだけで、繋がる」


一拍。


「それを作ったのが……お前の父だ」


俺は、

何も言えなかった。


「俺は、この流れを止めたくない」


ラルは、

俺を見る。


真っ直ぐに。


「だから……

 もし、俺がいなくなったら」


その言葉に、

胸が詰まる。


「お前が、皆に教えろ。

 俺がお前に教えたように」


「……俺、が?」


声が、

わずかに揺れた。


「まだ……無理だ」


反射的に出た言葉だった。


「俺はまだ、ラルみたいに強くない……。

 ナハトに見せるのがやっとだ……」


ラルは、

首を振る。


「強さの話をしているんじゃない。

 ……周りを見ろ」


もう一度、

そう言った。


子どもたち。

火。

柵。

道具。


誰も、

怯えていない。


「ここは、平和だ……それを守るのに、

 必要なのは力だけでは足りない……。

 ……俺はそうエアに教えてもらった」


「父が……ラルに……」


「言葉ではない……。

 お前も“もう学んでいる”はずだ」


ラルは、

遠くを見ている。

場所じゃない……。

けど、その目が何を見ているか、

俺もわかる気がした。


ラルはそれを見ながら、

ただ、静かに言った。


「お前は、“奪わない”ことを

 最初から知っている……。

 ほかの者たちも……、だが…」


風が、

子どもたちの声を運んでくる。


笑い声。


走る音。


「お前は、“エアの子”だ」


俺は、

その中に立っていた。


何かを背負う準備なんて、

出来ていない。


それでも……。


目の前にあるものを、

見ないふりはできなかった。


ラルは、

もう立ち上がっていた。


背中は、

少しだけ遠く見えた。


「今日は、ここまでだ」


いつもの言葉。


だが、

その意味は……。

いつもよりも深く響いてきた。


ーーーーー


ラルの話が終わってから、

ナハトは少し変わった。


ほんの少し……。

立ち方も、

槍の持ち方も。


声もほとんど同じ。


……なのに、

近づきにくい。


理由は、分かっている。


ラルに……何かを言われた。


それだけで、

全部、伝わってしまった。


俺は、

それを聞いていない。

聞かされていない。


父ちゃんと同じ、

火の力なら……俺にもあるのに……。


ラルだって、

それを知ってる。


目の前で見ただろ……。

……隠してもいない。


それなのに――

何も言われなかった。


(……俺には、何もない)


そう思ってしまうのが、

一番、嫌だった……。


リヒトはすごい……。

分かってる……。


いつも怒らない。

周りを見て、

力を見せつけて振り回さない。


ラルに一番近いのは、

間違いなくリヒトだ。


だから文句は言えない。


(けど……)


うまく言えないモヤモヤが、

胸に溜まる。


……家に戻ると、

火はもう小さかった。


昼の火じゃない。

夜に残すための、

静かな火だ。


母ちゃんは、

その前に座っている。


最近、

少しだけ元気がないように見える……。


「おかえり。

 さぁ、食べよう」


そう言って、

木の器に乗せた、

肉と野菜を差し出してくる。


でも――

自分の量が少ない。


最近、

ずっとそうだ。


「……それだけ?」


聞くと、

母ちゃんは笑った。


「うん……。

 その分、あんた達が食べなさい」


その笑い方が、

少しだけ遅れる。


火が、

ぱち、と鳴る。


それを合図みたいに、

母が話し始める。


昔の話。


父と出会った頃。

まだ森が、

今よりずっと怖かった頃。


聞いたことのある話。


何度も聞いた話。


「……またその話かよ」


つい、

口に出た。


母は、

驚かない。


「……そうね」


そう言って、

少しだけ間を置く。


「でもね、ナハト」


声が、

やわらかい。


「覚えておいてほしいの」


その言い方が、

嫌だった。


その言葉が……。

俺じゃなく、

これから先のため……。

リヒトに言ってるように

聞こえるから……。


「別にいいだろ」


強めに返す。


「もう知ってる」


母ちゃんは、

否定しない。


ただ、

俺を見る。


「……そうね」


その目が、

やけに静かで。


俺は、

視線を逸らした。


(どうせ……。

 兄ちゃんのためだ……)


そう思ってしまった。


リヒトが、

ラルに何かを託された。


だから、

家のことも、

村のことも、

少しずつ渡していく。


昔話も、

その一つ。


そう聞こえた。


「……もう寝る」


立ち上がる。


火のそばが、

急に息苦しくなった。


「ナハト…」


呼ばれたけど、

振り返らなかった……。


「……もう寝る」


寝床へ向かう。


家の奥。


その途中――

影が、動いた。


……父ちゃんだ。


目を細めて、

槍を手にして立っている。


夜に出る準備。

戦う前の、

静かな気配。


家の中で、

鉢合わせた。


一瞬、

互いに止まる。


父ちゃんは、

俺の顔を見る。


鋭い目が、

優しくなる。


「……ナハト?」


低い声。


いつもと同じなのに、

今日は少しだけ近い。


俺は、

目を逸らした。


「……寝る」


それだけ。


「……そうか」


父ちゃんは、

何か言いかけた。


けれど……。

言葉は続かなかった。


代わりに、

俺の顔をもう一度見る。


眉が、

わずかに動く。


「……よく休め」


短く答える。


それ以上、

引き止めない。


父ちゃんは、

外へ向かう。


俺は、

奥へ進む。


同じ家の中で、

逆の方向。


背中がすれ違う。


距離は近いのに、

向いている時間が違う。


寝床に潜り込む。


天井は低い。

すぐそこにある。


(父ちゃんは……)


夜に出て、

闇と戦う。


昼のことは、

俺たちに任せている。


だから、今日の俺の顔も、

ちゃんとは見えていないはずだ……。


(……それでも)


火の力のことを、

聞いてほしかった。


でも――

呼び止めなかった。

呼べなかった……。


外で、

戸の音が小さく鳴る。


父ちゃんは、

夜へ行った。


でも、

足音が一つじゃなかった。


(また……。

 見に行くのか……)


最近、

リヒトはあまり眠らない。

父ちゃんの戦う姿を見るために……。


俺は、

目を閉じた。


まだ眠くない。


それでも――

眠るふりをする。

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