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第32話:夜は守られ、朝は進む


その日から、

エアは、夜にしか目を覚まさなくなった。


理由を、誰も聞かなかった。

説明も、なかった。


ただ、

日が沈み、闇が濃くなる頃。

必ず、目を開ける。


槍を手に取り、

静かに外へ出る。


夜は、

エアのものになった。


闇が近づかない。

影が、寄らない。


火を持たず、

声も出さず、

ただ立っているだけなのに。


夜は、守られていた。


ーーーーー


昼間は、

ラルが導いた。


狩りの段取り。

分け前の決め方。

言い争いの仲裁。


迷いが出れば、

一度、止める。


誰かが強く出すぎれば、

静かに抑える。


エアほど強くはない。

だが、

皆が、ついていける速さだった。


昼の営みは、

少しずつ

形になっていった。


石の柱の周囲に、

家が増えた。


最初は粗末な小屋。

雨を防ぐだけの壁。


それでも、

焚き火があり、

声があり、

眠る場所があった。


「戻る場所」と呼べるものが、

ここにできた。


新しい家だ。


ーーーーー


夜が来る。


エアが起きる。


そして、

朝になる。


その繰り返し。


満月の夜だけは、

少し違った。


闇が薄く、

遠くまで見える夜。


その時だけ、

エアは槍を地面に預ける。


火を持たず、

皆の輪に入る。


楽しそうに、

道具の話をする。


刃の角度。

罠の組み方。

火の扱い。


子どもたちは、

目を輝かせる。


ラルは、

腕を組んで聞いている。


そんな夜は、

長くは続かない。


月が欠けると、

またエアは夜の外へ戻る。


月の出ない夜が、

続いた。


雲が厚く、

空は黒いまま。


闇は濃く、

長い。


その日エアは、

家に入らなかった。


皆が作った家。

中には入らず、

壁に背を預けて座る。


いつでも立てるように。


疲れが溜まっていた。


ゆっくりと眠ることは、

できなかった。


肩が、

わずかに落ちている。


リヒトが、泣いた。


夜の静けさに、

小さな声が滲む。


エアは目を開け、

手を伸ばす。


慣れない動き。


あやそうとするが、

力が入らない。


腕が、震えた。


その時リルが、

そっと肩に触れた。


何も言わず、

リヒトを受け取る。


いつものように、

揺らす。


静かな声で、

息を合わせる。


泣き声が、

少しずつ、遠のく。


エアは、

そのまま眠った。


壁に寄りかかり、

頭を垂れたまま。


夢の中で、

涙が落ちた。


「……ルゥ……」


掠れた声。


呼んで、

呼んで、

届かない名。


指先が、

空を掴む。


夢だと分かっていても、

止まらない。


その横に、

リルは座った。


起こさない。

声をかけない。


ただ、

隣にいる。


背中に、

自分の肩を預ける。


エアの呼吸が、

少しずつ

落ち着いていく。


泣き声は、

やがて消えた。


夜は、

静かに続く。


それは、

始まりだった。


誰かを失った後に、

誰かを選んだ夜じゃない。


ただ、

同じ夜を越え続けた結果。


その積み重ねが、

やがて

もう一つの名を呼ぶ日へ、

つながっていく。


ーーーーー


季節が、変わった。


空の色が変わり、

風の匂いが変わり、

地面の硬さが変わった。


それでも、

夜が来れば、エアは立っていた。


炎は、

以前よりも低く、

けれど、

揺らがなくなっていた。


リヒトは、

大きく育った。


他の子よりも、

ひと回り。


いや、

ふた回りほど。


父の影響なのかもしれない。


背が伸び、

骨が太く、

握る力が強い。


声も、

少し低くなった。


走るときの足音が、

重い。


ラルが槍を渡したのは、

自然な流れだった。


「持てるか?」


短い問い。


リヒトは、

答えなかった。


ただ受け取った。


構えは、まだ粗い。


だが、

軸がぶれない。


振る。


空を切る音が、

低く鳴る。


ラルは、

何も言わずに頷いた。


教えることは多い。

だが、

追いつかれるのも、早い。


リヒトは、

それを当然のように受け止めていた。


ーーーーー


その後ろを

駆け回る影がある。


リヒトよりは小さいが、

速い。


笑い声が、

先に走る。


「まてー!」「やだー!」


地面を蹴り、

石を避け、

柵の影を抜ける。


ナハトだ。


リヒトの足に、

わざとぶつかる。


「邪魔だ」


言いながらリヒトは笑顔だった。


ナハトは、

振り返って笑う。


勝った気で。


次の瞬間、

リヒトが腕を伸ばす。


掴まれた。


「わっ」


声が上がる。


ナハトは笑ったまま。


怖がらない。

怒らない。


抱え上げられても、

足をばたつかせる。


「下ろせ!」


「無理だ」


短いやり取り。


二人の距離は、

近く、温かいものだった。


ーーーーー


焚き火のそばで、

リルはそれを見ていた。


何も言わない。


ただ、

息を吐く。


夜の外れ。


石の柱の影に、

エアが立っている。


槍を持つ。


炎は、

今は灯っていない。


だが、

消えてもいない。


夜が、

それを知っている。


リヒトが、

一瞬だけ父を見る。


目が合う。


何も交わさない。


分かっているからだ。

むやみに近づいてはいけないことも……。


ナハトが、

また走り出す。


兄の背中を追って。


兄は、

振り返らない。


追わせたまま、

前へ進む。


二つの足音が、

重なって

遠ざかる。


夜は、

静かだった。


守られている。


それが、

当たり前になった夜だった。


ここまでに失った……。


でも確かに、

続いていた。


兄弟は、

走っている。


その背後で、

火は

静かに、見守っていた。


ーーーー


早朝だった。


夜が、まだ完全には退いていない。

空は薄く白み、

焚き火の跡からは、

かすかな熱だけが残っている。


普段ならこの時間には、

エアは戻ってくる。


子どもたちと入れ替わるように、

寝床に入り、

短い眠りにつく。


けれど、

その日は違った。


家の前。


エアは槍を持ったまま、

立っていた。


火はない。


夜の気配だけが、

まだ肩に残っている。


私は、

少し離れた場所からそれを見ていた。


声は、

かけなかった。


名前が呼ばれる。


「……リヒト」


低い声。


振り向いたリヒトの顔が、

一瞬だけ、子どもに戻る。


「狩りに行くか?」


それだけ。


月が出る夜が、

続いていた。


その意味を、

私はもう知っている。


リヒトは、うなずいた。


声は出さない。


けれど、


抑えきれない嬉しさが、

肩に出ている。


ナハトが、

すぐに気づいた。


「え、どこ行くの?」


近寄ってくる。


「オレも行く!」


即座だった。


私は、

思わず息を止めた。


だが、

エアは止めなかった。


「槍を取ってこい」


二人に向けて、

同じ言葉。


条件も、

注意もない。


許可だけが、

そこにあった。


二人は走っていく。

足音が、重なって遠ざかる。


私は、

その背中を見送りながら

胸の奥が、少しだけ温かくなるのを感じていた。


ダックが、

家の前に身を下ろす。


その背は、

もう“獣”と呼ぶには大きすぎる。


家と同じくらいの高さ。

木よりも太い足。


エアが乗るには、

こうして低くなってもらわなければならない。


リヒトが先に登り、

ナハトが続く。


ナハトは、

少しはしゃぎすぎて、

足を滑らせかけた。


「落ちるなよ」


リヒトの声。


「落ちないって!」


返事は軽い。


エアは最後に登った。


その動きは静かで、

無駄がない。


全員が乗ったのを確かめて、

ダックが、低く鳴く。


私は、その前に一歩出た。


エアが、

こちらを見る。


「行ってくる」


それだけ。


私は、うなずいた。


「気をつけて」


声は、

思ったよりも落ち着いていた。


エアはもう、

振り返らない。


ダックが身を起こし、

ゆっくりと歩き出す。


三つの背中が、

朝の白い光の中で

少しずつ、遠ざかっていく。


村のみんなに見守られながら。


私は、

家の前に立ったまま、

それを見送った。


不安は、ない。


心配も、

止めたい気持ちも。


ただ、

この場所が

また一つ先へ進んだのだと、

そう感じていた。


夜を越え、

朝を迎え、

家の前から

狩りへ向かう背中を、見送る。


それは、

守られるだけの場所じゃなくなった証だった。


風が、

少しだけ暖かい。


私は、息を吸って、

家へ戻った。


戻ってくる場所を、

ちゃんと

守るために。

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