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第31話:炎は、誓いとして燃える


石の前に立つエアを見て、

リルは足を止めた。


声が、出なかった。


追いついたはずだった。

走ってきたはずだった。

呼ぶつもりだった。


だが、

その背中は動かない。


石の柱。

その前に立つエア。


腕の中に赤子がいた。


小さな。

静かな。


けれど、


もう一人、いるはずの姿がない。


リルは、

その事実を

理解してしまった。


喉が、鳴る。


名前を呼べば、

壊れてしまいそうで。


だから、

呼ばなかった。


ただ、

立っている背中を見ていた。


エアが、わずかに息を吐いた。


―――――


気がつけば

石の柱の前に立っていた。


俺は、

まだ動いていない。


腕の中には、

重さがある。


温かさがある。


けれど、

一つ、足りない。


数えなくても、

分かる。


俺は、

赤子の背に

手を添えた。


小さく、

確かに生きている。


そして……


「……リヒト」


名を呼ぶと、

赤子が息を吸った。


次の瞬間。


声が

上がった。


小さく。

だが、確かに。


泣き声だ。


静まり返っていた森に、

初めて生の音が走る。


俺は腕を、

きつく回した。


抱き締める。


守るように。

逃がさないように。


胸に押し当てる。


その温もりはまだ、

壊れていない。


「……大丈夫だ」


一度だけ、

息を整える。


そして振り返った。


リルが、

そこにいる。


目が合う。


何も言わない。


だが受け取る準備ができている目だ。


俺はリヒトを、

そっと差し出した。


リルの腕が、

迷いなく受け取る。


震えているのは、

腕じゃない。


息だ。


それでも、

落とさない。


俺は、

一歩、前に出た。


槍を、握る。


ずっと、

手放さなかったものだ。


地面へ突き立てる。


ごう、と音が鳴った。


次の瞬間、


右手が、

燃え上がった。


炎だ。


だが、熱くない。


焼かない。

壊さない。


ただ、そこに在る。


『与えられた力』


俺は周囲を見渡した。


リル。

ラル。

追いついた者たち。

子どもたち。


全員こちらを見ている。


俺は言葉を選ばない。


宣言もしない。


ただ胸の奥で、決めた。


(俺が、全部、守る)


燃える槍を掲げた。


もう、

これ以上は失わせない。


誰も。


何も。


絶対に。


炎が、

静かに揺れた。


ーーーーー


夜になった。


石の柱の影は、

深く、長い。


周囲は更地だ。


ダックが木を蹴り倒し、

俺も斧で、倒した。


枝を払って、

根を抜き、

邪魔なものを

残さない。


柱の周囲に、

簡易の柵。


そしていくつもの明かり、

大きな焚き火。


その内に、

リルたちがいる。


子どもたちは、

泣いていない。


眠っている。


火のそばで、

守られて。


俺は外に立った。


火は持たない。


闇の中に、

一人。


槍だけを持って……。


夜は静かだった。


だが静かすぎる。


月が雲に隠れて、

世界が闇になる……。


そして遠くから聞こえる。


それは

音じゃない。


匂いでもない。


“歪み”だ。


(……来た)


闇の奥で、

何かが

動く。


「……」


声は

出さない。


必要がない。


影が

現れた。


一つじゃない。


群れだ。


獣の形。


だが、

中身が違う。


死体に入った影。


骨の隙間から、

黒が

滲んでいる。


歩き方が不自然だ。


関節が、

生き物のそれじゃない。


だが、

近づく。


柵まで

十歩。


八歩。


五歩。


俺は

槍を、強く握った。


その瞬間。


炎が

走る。


槍を包み、

刃先が

赤白く輝いた。


一体が

飛びかかる。


速い。


だが、遅い。


刺した。


一撃。


次の瞬間、

影の獣が

炎に包まれた。


悲鳴はない。


影は、

燃える音を出さない。


ただ消えた。


俺は槍を、

引き抜いた。


ただの骸を投げ捨てる。


燃え尽きる前に。


空いた左手を

空へ向ける。


手のひらを開いた。


吹き上がる。


炎が噴き出し、

闇を消し去る。


柱を背に、

夜空へ。


飛んでいた形のない影が

一斉に、焼かれる。


黒が白に変わり、

跡形もなく、消えた。


落ちてこない。


灰も残らない……。


夜が一瞬、

昼間のように明るくなる。


そして戻る。


静けさが。


俺は動かなかった。


闇の奥を

見ている。


まだ来る。


分かっている。


炎はすぐには、

消えなかった。


揺れる。


槍の先で、

右手の中で。


それは、

荒れていない。


暴れてもいない。


ただ静かに、燃えている。


俺の胸の奥にあるものを、

言葉の代わりに

外へ出すように。


怒りか。

喪失か。

誓いか。


もう、

区別はつかない。


分かるのは、

一つだけだ。


この炎は、

俺の意思に逆らわない。


俺が守ると決めたものを、

決して、焼かない。


闇の奥で、

何かが

退いた。


逃げたのか。

様子を見ているのか。


どちらでもいい。


夜はまだ、続く。


だが、…ここから先は....。


(。。。一歩も、通さない)


炎が、

低く、鳴った。


俺は

動かなかった。


ーーーーー


柵の内側は、

暖かかった。


焚き火の音。

爆ぜる薪。

揺れる光。


だが、

それだけじゃない。


夜が、妙だった。


暗い。

確かに暗い。


なのに、

遠くが見える。


焚き火の届かない場所まで、

影が輪郭を持っている。


リルは、

無意識に視線を上げた。


柵の外。


そこに、

エアが立っている。


闇の中。

火を持たず。


だが、

その周囲だけ、

夜が歪んでいる。


槍に纏わりつくように、

低く、静かに揺れる火。


燃え広がらない。

爆ぜもしない。


ただ、

在る。


焚き火の火とは、

明らかに違う。


色は、

白に近い。


熱を感じない距離なのに、

胸の奥が、

じり、と焼かれる。


怖い、とは違う。


危険でもない。


もっと、

根の部分。


世界の側が、

触れられている感覚。


隣には、

ラルがいる。


槍を持ち、

柵の内側で立つ。


一歩も動かず、

外を見ている。


エアの背中を。


ラルの肩は、

強張っている。


だが、

逃げない。


守ると決めた姿勢のまま、

夜に立っている。


リルは、

腕の中に視線を戻した。


リヒト。


小さな体。

確かな重み。


焚き火の光が、

その顔を照らす。


赤く、

柔らかく、

生きている色。


リヒトは

火を見つめていた。


怖がらない。

泣かない。


そして、

ふっと、笑う。


声もなく。

理由もなく。


ただ、

そこにいることが

嬉しいみたいに。


リルは

息を止めた。


胸の奥が、

きゅっと締まる。


(……似てる)


誰に、とは思わない。


思ってしまえば、

壊れてしまう。


だから、

何も言わない。


ただ、

抱く。


その時だ。


焚き火の音の向こうで、

“何か”が消えた。


音が、しない。


叫びも、

肉の焼ける匂いもない。


ただ、

闇の一部が

一瞬で無くなる。


リルは目を見開いた。


柵の外。


影の獣が、

飛びかかったように見えた。


次の瞬間。


刺された場所から、

白い火が咲いた。


燃え上がる。


一気に。


外へ広がるんじゃない。


中へ吸い込むように燃える。


骨の隙間から滲んでいた黒が、

火で消し去られる。


炎に包まれた獣は、

悲鳴もなく崩れた。


崩れた、ではない。


“消えた”。


残ったのは、

一瞬だけ転がる骸。


それも、

火に触れた途端、

灰すら残さず薄れる。


リルは、

喉が鳴った。


声が出ない。


出したら、

泣いてしまう気がした。


次の影が来る。


群れだ。


数が多い。


柵の影が、

揺れる。


ラルの指が、

槍の柄を強く握り直す。


だが、

踏み出さない。


踏み出せない。


その必要がないと、

分かってしまう。


エアが動いた。


槍を引き抜く。


その瞬間、

白い火が、

槍の先から走る。


次は左手。


エアが、

空へ向けて

手のひらを開いた。


合図みたいに。


そして

夜が、割れた。


光が吹き上がる。


焚き火の光とは違う。


朝の光に似ているのに、

太陽がない。


空が明るくなる。


木々の影が、

逆にくっきりと伸びた。


柵の内側まで、

白い光が差し込み、


リルは反射で、

リヒトを抱き締めた。


熱はない。


眩しさも、

痛くない。


なのに、

涙が出そうになる。


空にいた影が、

白い火の中でほどけていく。


燃える、じゃない。


焼け焦げる、でもない。


黒が、白に溶けて消える。


落ちてこない。


灰も残らない。


ただ、

“いなかったこと”になる。


光が引く。


夜が戻る。


焚き火の揺れが、

急に小さく感じた。


リルは、

息を吐いた。


今まで止めていた息を。


ラルも、

わずかに肩を落とす。


それでも視線は外だ。


まだ来る、と分かっている目。


柵の外で、

エアだけが立っている。


息も乱れていない。


槍の先で、

右手の中で、

白い火が静かに揺れる。


それが、

言葉の代わりに燃えている。


リルは、

焚き火の向こうの背中を見た。


近づけない。

声も届かない。


でも、

確かに、守られている。


腕の中で、

リヒトがまた笑った。


小さな口が、

ふわ、と開く。


その笑みに照らされて、

リルはようやく

ほんの少しだけ泣いた。


音を立てないように。


誰にも気づかれないように。


火の向こうの夜へ、

落とさないように。


その夜、

恐怖は、

もう、なかった。

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