表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/46

第29話:夜を越えて…


夜は、

越えた。


空は、

白い。


雲が低く、

重く垂れている。


風は、

ない。


音も、

ない。


俺は、

立っていた。


集落だった場所に。


……何も、残っていない。


木造の家。

防壁。

見張り台。


ほとんど、

焼け落ちている。


炭。

灰。

折れた柱。


焚き火の跡だけが、

黒く、円を描いている。


火は、

消えていた。


完全に。



踏み出すたび、

骨が鳴る。


獣の骨。

砕けた角。

焦げた毛。


……それだけじゃない。


視線を、そらさない。


死体がある。


獣だけじゃない。


ゴブリンだ。


トゥー種。

ヴァル種。


見分けは、

つく。


焼け方。

倒れ方。

位置。


守ろうとして、

倒れた者。


逃げようとして、

倒れた者。


焚き火の外側で、

前を向いたまま、

死んでいる。


子どもはいない。


それだけが、

救いだった。


夜の間に……

多くを、なくした……。


だが、

全員じゃない。


ラルが、

見えた。


膝をついた姿勢のまま。


松明は、

地面に刺さったまま。


火は、

もうない。


だが、

その手は、

まだ握っていた。


俺は、

歩いた。


肩に触れる。


「よく……やった」


ラルはわずかに頭を上げたが、

そのままの体勢で眠っている。


歩みを進める。


地面に転がる顔を見る。


一人ずつ。


名前を、

思い出す。


呼ばない。


呼んでも、

返らない。


灰の中に、

名札が

埋もれている。


焼けて、

割れて、

文字は

読めない。


……それでいい。


記録は、

もう、俺の中にある。


俺は、

立ち止まった。


腕の中。


ルゥ。


まだ、

生きている。


呼吸は、

ある。


だが、

弱い。


夜よりも、

さらに。


体は、

冷たい。


戻らない。


どれだけ

抱いても。


どれだけ

火の跡に近づけても。


戻らない。


お腹にも命がある。


確かに。


だが、

それも遠い。


「……畜生」


誰に向けた言葉か、

分からない。


夜か。

皆か。

俺自身か。


集落は――

終わった。


だが、

俺たちは、まだいる。


生き残った者たちが、

静かに、

集まってくる。


誰も

泣かない。


声を、

出さない。


もう、

出し切った。


俺は、

空を見た。


高い。


昨日よりも、

ずっと。


(……ここじゃない)


はっきりと、

そう思った。


この場所は、

もう戻れない。


守れない。


立ち上がる。


抱いたまま、

ルゥを離さず。


「……行くぞ」


小さく言う。


返事は、

ない。


だが、

耳が、かすかに動いた。


まだ、

聞いている。


俺は、

焼け跡に

背を向けた。


ここは、

終わりだ。


次は、

まだ分からない。


だが、

止まらない。


ーーーーー


使えるものを

集めた。


焼け残った革袋。

刃こぼれしていない槍。

曲がったが、まだ張れる弓。

乾ききらなかった干し肉。


多くは

拾えない。


拾わない。


手に取った瞬間、

それが

誰のものだったか

分かってしまうからだ。


必要な分だけ。

生きる分だけ。


ダックが、

黙って背を低くした。


俺は、

ルゥを、そっと乗せる。


揺らさないように。

呼吸が乱れないように。


ルゥは、

目を閉じたまま。


だが、

指先が、

俺の服を

掴んだ。


弱く。

確かに。


……離さない。


俺は、

ダックの首元を軽く叩いた。


合図。


ダックは、

何も言わず、

立ち上がる。


俺は、

前に出た。


振り返らない。


歩き出す。


一歩。

また一歩。


焼け跡を

踏み越える。


その後ろで、

足音が重なる。


一つ。

二つ。

三つ。


振り返らなくても、

分かる。


生き残った者たちだ。


トゥー種。

ヴァル種。


誰も

命令を待っていない。


誰も

行き先を聞かない。


ただ、

ついてくる。


俺は、

歩きながら

言った。


声は

大きくない。


だが、

風のない朝に、

十分だった。


「俺は

 お前たちを

 守りきれないかもしれない……」


足は

止めない。


「次も……

 また……。

 死ぬかもしれない……」


誰も

離れない。


「それでも…、

 それでもいいか?」


一瞬、

沈黙。


次の瞬間、


誰かが、

短く息を吐いた。


「……いい」


それだけ。


別の声。


「……行く」


また一つ。


「……一人は、嫌だ」


俺は、

それ以上、何も言わなかった。


言葉は、

もう十分だ。


俺は、

前を見る。


道は

ない。


だが、

進む。


ダックの背で、

ルゥが

小さく息をする。


生きている。


それだけで、

今日は、いい。


俺は、

歩き続けた。


背後に

足音を連れて。


ここには戻らない。


逃げて、生き延びる。


ーーーーー


森は

静かだった。


焼け跡の匂いは、

もう

届かない。


代わりに、

湿った土。

苔。

腐葉の匂い。


俺たちは、

黙って歩いていた。


道は

ない。


枝を避け、

根を踏み、

ぬかるみを選んで進む。


足音は

揃っていない。


揃える余裕が、

もう

ない。


その時。


後ろで

小さな音。


……ぐずる声。


子どもだ。


抑えきれない、

細い泣き声。


一つ、

また一つ。


泣き声が

連なる。


止めようとする声。

宥める手。


だが、

無理だ。


怖い。

寒い。

腹が減っている。


当然だ。


俺は

手を上げた。


合図。


歩みが

止まる。


皆が、

その場で腰を下ろす。


倒れるように。


ラルも

遅れて座り込んだ。


肩で

息をしている。


顔色は

良くない。


まだ、

夜が残っている。


俺は

ダックの方へ向かった。


背に

ルゥ。


動かない。


だが、

胸は上下している。


俺は

慎重に、手を伸ばす。


額。

頬。

首。


……冷たい。


夜よりは

ましだ。


だが、

戻っていない。


「……」


声が

出ない。


その時、

足音。


近づく

軽い。


リルだ。


目は

真っ直ぐ。


怯えは

抑えている。


だが、

消えてはいない。


リルは

ルゥを見る。


腹を見る。


顔を

しかめた。


「……このままじゃ、持たない」


短い。


だが、

答えを待っていない。


俺も

同じことを考えていた。


このまま

歩き続ける。


それは

延命でもない。


森は

優しくない。


俺は

立ち上がった。


周囲を

見る。


木。

影。

湿った地面。


……その瞬間。


首に何かが触れた。


次の瞬間、


痛み。


鋭い。


一瞬で

突き抜ける。


「エアっ!」


リルが払い除けた。


見る。


蛇だ。


白い。

細い。


反射的に

蹴る。


蛇が

弾けるように離れる。


草の中へ

消えた。


「エア?……エア!!」


俺は

一歩、踏み出そうとして


力が

抜けた。


足が

言うことを聞かない。


視界が

歪む。


色が

薄れる。


毒だ。


早い。


……くそ。


地面が

近づく。


倒れる。


背中が

土に当たる。


冷たい。


誰かが

名前を呼んでいる。


遠い。


とても

遠い。


意識が

沈む。


その底で、


別の何かが、聞こえた。


「やっと……話せるね」


闇では

なかった。


落ちている感覚も

ない。


ただ、

立っている。


地面は

ない。


空も

ない。


白い。


霧のような、

何もない場所。


だが、

寒くはない。


痛みも

ない。


「……どこだ」


声は

自分のものだった。


ちゃんと

出た。


「ここは」


答えは、

すぐに来た。


背後から。


「“中”だよ」


振り返る。


そこに

いた。


人の形。


だが、

輪郭が定まらない。


男にも見える。

女にも見える。


だが声は、

どこか優しい、

男のものだ。


「だいぶ苦労したようだね。

 それでも…

 まだ、歩ける顔をしている」


白い世界が、

わずかに揺れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ