第24話:掟
角グマを背負いながら、戻る。
重い。
だが――以前とは、明らかに違う。
肩に食い込む重さ。
背骨にかかる圧。
それでも足は、止まらない。
(……やっぱり、力が上がってる)
自覚が、はっきりあった。
前に角グマを仕留めた時。
落とし穴に落として、
やっと殺した。
あの時――俺は、引き上げられなかった。
穴の縁に手を掛け、
何度も踏ん張って、
それでも――無理だった。
結局、
解体して、
少しずつ運んだ。
だが――今は。
こうして、
丸ごと背負っている。
しかも、
今回の角グマは前のより、二回りは大きい。
角も太い。
胴も厚い。
それを「重い」で済ませて、
運べている。
息を吐く。
(……笑えねぇ)
嬉しさよりも、
先に来るのは戸惑いだ。
どこまで、
行くんだ、俺は。
拠点が見えてきた。
焚き火の跡。
横穴。
ほとんど集落と言ってもいい集まり。
一番に動いたのは、ルゥだった。
俺を見つけた瞬間、
駆け寄ってくる。
「エア!」
そして背中のものを見る。
「おぉ〜」
角。
毛皮。
血。
一瞬、言葉を失った顔。
それから、
目が見開かれる。
続いて他の連中も出てくる。
ルゥと同じ種。
別種のゴブリン。
誰も、
近づかない。
ただ見上げている。
俺の背にある、
角グマを。
恐れ。
驚き。
理解不能。
混じった感情が、
空気に滲む。
俺は、
そのまま歩いた。
どん、と。
拠点の中央に、
角グマを下ろす。
地面が、
鈍く鳴る。
誰かが息を呑む音。
俺は、
肩を回した。
軽く、
首を鳴らす。
(……運べるようになった、か)
それが、
良いことかどうかはまだ、分からない。
だが。
今――必要な力だ。
俺は、
ルゥを見る。
目が合う。
驚きの奥に、
はっきりと安心があった。
「へへへ」
ルゥが、あれ以来始めて笑った。
俺の顔を見て。
――――
俺は…結局…。
この場所に居着くことにした。
窪地。
周囲は、木に囲まれている。
外や空からは見えにくい。
何かあれば、横穴に逃げ込める。
守りは、十分。
窪地を出れば、すぐ川がある。
水に困らない。
森も近い。
獣の気配は、多い。
食い物には――困らない。
焚き火を囲める場所。
寝床を作れる土。
逃げ道。
水。
獲物。
……条件は、揃っていた。
だが…。
問題が、ないわけじゃない。
ルゥたちのゴブリンと、
元々ここにいた別種のゴブリン。
ルゥたちの仲間は…こいつらに捕まり、
ひどい目にあっていた…。
殴られた。
縛られた。
石を投げられた。
恨みが、…溜まっていないはずがない。
時々、小さな衝突が起きる。
睨み合い。
押し合い。
低い唸り声。
力の差は、
歴然だ。
本来なら、ルゥたちが逆らえる相手じゃない。
だが、
今は――俺がいる。
それが、
勘違いを生んだ。
守られている。
庇われる。
何をしても、俺が止めてくれる。
……そう、思ったのか。
ある時――
木の棒を持った一体が、
別種のゴブリンを殴った。
理由もなく、たむろってる若い雄……。
その一匹が後ろからそいつを殴ったのを、俺は見た。
鬱憤を、叩きつける殴り方だ。
周囲が、
凍りつく。
別種のゴブリンが、
反撃しようと一歩、踏み出すが、
視線に気づいて俺を見て固まる。
「……はあ」
俺は、前に出た。
棒を、掴む。
抵抗は、
一瞬だった。
取り上げる。
次の瞬間――叩く。
棒で殴った、ルゥたちと同じ形のゴブリンを。
殺さない。
だが――立てなくなる程度に。
そいつは、
地面に転がり、
息を詰まらせた。
俺は、
足を止める。
見下ろす。
それから――周囲を見る。
別種も。
ルゥたちも。
全員だ。
俺は、
倒れているそいつを指した。
次に、
別種のゴブリンを指す。
最後に――自分の胸を叩く。
言葉はない。
だが、
意味は一つ。
俺は、
贔屓はしない。
ルゥを大事にしている。
だがそれと――好き勝手していいは、違う。
守られる場所じゃない。
生きる場所だ。
踏み越えたら――誰であろうと俺が止める。
それだけだ。
俺は、
棒を地面に捨てた。
焚き火が、
ぱち、と鳴る。
空気が、
ゆっくり――戻っていく。
(……面倒だが)
それでも――ここで、やる。
そう決めた。
―――――
季節が――動いた。
森の匂いが、
少しずつ変わる。
湿り気が抜け、
朝の空気が冷たくなる。
焚き火の火が、
前よりも恋しい。
木々の葉が落ち、
地面に――色が増えた。
ここでの暮らしは、
続いていた。
昼過ぎ。
焚き火のそばで――騒ぎが起きた。
子供だ。
三匹。
別種と、
ルゥたちの種が混じっている。
手には肉。
まだ焼く前の、
切り分け途中のやつ。
「ギャッ!」
「グギッ!」
声を張り上げて、
引っ張り合う。
一番でかい一匹が全部を抱え込む。
他の二匹が、
腕にしがみつく。
当然――力負けする。
泣き声が、
上がりかけた、その時。
俺は、
近づいた。
足音だけで三匹が固まる。
一番でかいのが、
びくり
と身を強張らせた。
俺は軽く、小突いた。
ごつん、でもない。
叩く、でもない。
「……ちげぇ」
言葉は、
分からない。
だが――意味は伝わる。
俺は、
腰の石ナイフを抜いた。
三匹が一斉に息を呑む。
肉を受け取る。
そのまま、
地面に置く。
刃を入れる。
す、と。
迷いなく――三等分。
大きさも、
厚みも、
ほぼ同じ。
俺はその中で、
一番大きく見える切り身を取る。
そして――あえて。
一番でかい子に、
渡した。
そいつは、
目を丸くする。
次に――俺は、指で示す。
残りの二匹。
分けろ。
そういう、
合図。
一番でかい子は、
一瞬戸惑った。
だが、
肉を見る。
俺を見る。
それから――ゆっくり、肉を差し出した。
残りの二匹が受け取る。
今度は、
奪い合いにならない。
三匹が、
それぞれ肉をかじる。
静かだ。
俺は一番でかい子の頭を、
撫でた。
ごし、と。
少し乱暴に。
だが、褒めている。
伝わる。
その子は、
目を細めた。
誇らしげだ。
周りを見ると…、
別種の子も。
ルゥたちの子も。
並んで、肉を食っている。
口の端を、
脂で光らせながら。
焚き火の音。
肉の焼ける匂い。
小さな笑い声。
(……悪くない)
俺は、
少し離れて――腰を下ろした。
この場所は、
支配する場所じゃない。
教える場所だった。
……だが。
それにも限界がある場面が、来た。
―――――
空に浮かぶ月が一つになる季節だった。
夜が、
深くなる頃。
寝床で、身体を休めていた俺のところ。
足音が、駆け込んでくる。
「エア!」
ルゥだ。
息が荒い。
目が――焦っている。
俺の手を掴む。
強く。
「来る!早く!」
言葉は、
短い。
だが十分だった。
俺は、
立ち上がる。
ルゥに引かれるまま、
外へ出た。
焚き火の光を越え、
少し奥。
そこで――空気が変わる。
獣臭。
血の匂い。
これは――ただの喧嘩じゃない。
見えた。
ルゥと同じ種のオスが三匹。
別種のゴブリンが一匹。
絡み合い、
殴り、
噛みつき、
引き倒している。
爪。
歯。
石。
叫び声。
もう――殺し合いだ。
止めに入ろうとして、
俺は一瞬、止まった。
全員、
深い。
腕が裂けている。
肩から血が流れている。
顔が歪んでいる。
理由は、
すぐに分かった。
傍で――怯える、メス。
ルゥたちの種。
別種のゴブリンが、手を伸ばした。
それを――オスたちが、止めた。
結果が、これだ。
「……はぁ」
俺は、
前に出た。
一瞬で――終わらせる。
別種のゴブリンを、
引き剥がす。
抵抗は、
ある。
だが意味はない。
殴る。
一度。
二度。
骨の音。
倒れる。
それでも――止めない。
殺さない。
だがしばらく普通に生きて動ける状態は、許さない。
最後――地面に叩き伏せた。
息だけが、
荒く残る。
周囲に見せる。
視線を、集める。
言葉は―要らない。
触れたら、こうなる。
それだけだ。
その夜は――
それで終わった。
……はずだった。
―――――
次の日。
また――起きた。
今度は、
別の場所。
別の別種のゴブリン。
同じ理由。
同じ――結果。
それも一度だけじゃなかった……。
俺は、その夜。
焚き火の前で考えた。
「…おかしい」
欲に任せた、
単なる暴走じゃない。
頻度が数が――違う。
ルゥたちの種には、
メスがいる。
子供も、
いる。
だが――
別種には。
メスが、
いない。
一匹も。
気づいた瞬間、背中が、冷えた…。
ルゥの仲間が生かされてた理由。
これまでの衝突。
鬱憤。
暴力。
全部一本で繋がった。
力の問題じゃない。
教育の問題でもない。
種だ――。
繁殖の仕組みが、
違う。
生き方が噛み合っていない。
俺は、
火を見つめた。
ぱち、と
薪が弾ける。
(……これは)
教えれば済む話じゃない。
殴って止まる話でもない。
俺はここに居着くと決めた。
だから――
同時に、覚悟した。
この場所は、
「平和」じゃない。
選ばなきゃいけない。
守り方も。
距離も。
線も。
……全部だ。
俺は深く――息を吐いた。
月が焚き火の向こうで、
白く浮かんでいた。
「掟を作るしかない……か……」




