第23話:跪く群れ
気がつけば、日が落ちていた。
だから仕方なく、別種のゴブリンが住処にしていた場所――
そこにあった横穴を仮のねぐらにして、夜を過ごした。
寝床から、
身体を起こした瞬間――
違和感があった。
音が、ない。
ざわめきも、
動く気配も――
消えている。
外へ出る。
そこで、
足が止まった。
周囲――
全部が、跪いていた。
焚き火の前。
拠点の外縁。
見える範囲、すべて。
膝。
額。
地面。
背後で、
小さく息を呑む音。
振り返ると、
ルゥと――
昨日、縛られていた仲間たちが立っていた。
目を見開いている。
驚いている。
戸惑っている。
それも――
無理はない。
正面。
食べ物が、
山のように積まれていた。
肉。
果実。
根。
明らかに――
慣れている。
誰か一人が集めた量じゃない。
役割分担。
段取り。
統率はちゃんとしてたってわけか……。
「……?」
視線を動かす。
少し離れた場所。
小さい影。
俺の膝くらいの高さ。
痩せた体。
大きな目。
子供だ。
別種の――
ゴブリンの子。
指を口にくわえ、
じっと――
食べ物を見ている。
近づいてこない。
だが、
目は逸らさない。
はぁ……。
俺は、
軽く息を吐いた。
手招きする。
ゆっくり。
逃げない速度で。
子供は、
一瞬だけ――
固まった。
それから、
恐る恐る――
歩き出す。
俺の前に来て、
立ち止まる。
俺は、
食べ物の山から――
手近な果実を取った。
差し出す。
子供は、
一瞬――
躊躇し、
それから、
両手で掴んだ。
目を丸くしている。
俺は、
次に――
跪いている一体の肩を掴んだ。
びくり、と震える。
顔が歪む。
目を閉じる。
……死を覚悟した顔だ。
だが。
俺は、
食べ物の山から――
肉を取る。
まだ温かい。
血の匂いが残るやつ。
そいつの――
手に、持たせた。
握らせる。
肩から、
手を離す。
跪いていたゴブリンは、
しばらく――
動かなかった。
それから、
ゆっくりと――
目を開ける。
手の中の肉を見る。
理解に、
時間がかかっている。
周囲が、
ざわめく。
小さく。
抑えた声で。
俺は、
もう一度――
辺りを見回した。
言葉は、
使わない。
使う必要が、
ない。
腕を、
少しだけ――
広げる。
それだけで、
十分だった。
それぞれが顔を見合わせてから、
動き出した。
膝を折ったまま、
食べ始める者。
立ち上がり、
分け合う者。
子供に、
渡す者。
焚き火の前が、
少しずつ――
動き出す。
ルゥが、
こちらを見る。
目が合う。
戸惑い。
理解。
それから――
少しだけ、安心。
俺は、
火のそばに腰を下ろした。
……みんなで、
飯の時間だ。
これで、
いい。
――――
飯が一段落した頃――
俺は、立ち上がった。
それだけで。
周囲の――
別種のゴブリンたちが、
一斉に跪いた。
「……ああ、もう」
俺は、
軽く舌打ちして――
手を振る。
「それ、やめろ」
言葉は通じない。
だが――
動きは、伝わる。
立て。
やめろ。
そういう合図。
一瞬、
戸惑いが走る。
それでも、
恐る恐る――
立ち上がる。
俺は、
近くにいた一体を指した。
びくり、と肩が跳ねる。
すぐに――
また、膝をつこうとする。
「ちがう、ちがう」
俺は、
しゃがみ込む。
地面に――
指で、線を引いた。
丸。
脚。
角。
獣の――
絵。
そいつは、
目を見開いた。
一拍。
次の瞬間――
走り出す。
慌てた様子で戻ってきて、
肉を差し出してくる。
(いや。ちがうんだよなぁ……)
俺は、
首を振る。
「よこせ、じゃない」
肉を指さし、
次に――
周囲を、ぐるりと指す。
森。
川。
焼け跡。
すると――
そいつの顔が、強ばった。
頭を――
深く、下げる。
怖がっている。
……なるほど。
俺は、
少し――
遊び心が出た。
指を、
左右に動かす。
右。
左。
そいつの視線が、
必死に追う。
そして、
指を刺された方向で跪いてる奴らが、頭を下げる。
波のように……。
また――
左右。
だんだん、
混乱してくる。
その時。
つん、と――
脇腹を突かれた。
振り返る。
ルゥだ。
じとーっとした目。
……やめとけ、と。
そう言いたげな顔。
「エア?」
小さな声。
……あー、はいはい。
俺は、
肩をすくめた。
「ふふ。
おもしれぇから、しかたねぇだろ?」
口の端が、
少し――
上がる。
その瞬間。
場の空気が、
妙に――
揺れた。
誰も、
笑ったことを見たことがない。
そんな顔で、
こちらを見ている。
別種のゴブリンも。
縛られていた仲間たちも。
ルゥでさえ――
一瞬、きょとんとした。
……ああ。
俺は、
今さら――
気づいた。
ここでは、
俺は「怖いもの」で。
「笑うもの」じゃ、
なかったらしい。
……まあ、いい。
俺は、
もう一度――
地面の獣の絵を指した。
そして、
ルゥにだけ言葉を残す。
「獲りに行く」
そうして俺は、槍を持ち森の中に向かった。
―――――
いつの間にか、
足元にそいつが居た。
「ギョワ?」
当然ですが? みたいな顔をして、
ダックが振り返る。
だが直ぐに、
頭が前を向き、
歩みを止めた……。
ダックが、
先に――見つけた。
低く、
短く鳴く。
草の向こう。
影。
鹿に似ている。
だが――
見たことがない。
首が長い。
脚が細い。
角はない。
動きは――速そうだ。
俺が距離を測るより早く、
「ギョッ!!」
ダックが――
突っ込んだ。
「待ッ――」
次の瞬間。
影が跳ぶ。
腹へ――
飛び蹴り。
どん、という鈍い音。
鹿が――
その場で、崩れ落ちた。
転ぶ、じゃない。
倒れた。
四肢が伸び、
痙攣して――
動かない。
「……は?」
俺は、固まった。
ダックは、
胸を張っている。
首を伸ばし、
誇らしげ。
「……すげぇな、お前」
本音が、
漏れた。
ダックは、
さらに得意顔になる。
だが。
空気が――
変わった。
重い。
地面が、
わずかに――沈む。
背後。
来る。
「……チッ」
振り返る。
角。
でかい。
角グマだ。
前脚が太い。
首が短い。
角は――
前に突き出している。
ダックも、
気づいた。
「ギョッ!?」
次の瞬間――
全力で逃げる。
判断、早い。
俺は――
動かない。
ちょうどいい。
力が上がってるのは、
分かってる。
だが――
どこまでかは、
まだ知らない。
角グマが――
吠えた。
地面を蹴る。
突進。
真正面。
速い。
角が――
一直線に迫る。
俺は――
一歩、踏み出した。
そして。
両手で――
角を掴む。
がつん、と
衝撃。
腕に、
痺れが走る。
だが――
止まった。
角グマの突進が、
止まった。
足が――
滑らない。
地面に、
踏ん張りが効いている。
俺は、
歯を食いしばった。
(……止まった! 受け止めた!)
力を――
受けている。
押されていない。
角グマの目が、
一瞬――
揺れた。
理解した、顔だ。
俺は――
少し、笑った。
「へへ……」
腕に――
力を込める。
角グマが、
もう一度――踏み込む。
押す。
潰す。
突き破る。
そういう意志が、
角から伝わってくる。
俺は、
両手の指を――
さらに深く、角に食い込ませた。
ごり、と。
硬い感触。
(さすがに……硬ぇ)
だが――
硬いだけだ。
俺は、
息を吐きながら――
体重を乗せる。
足を、
半歩ずらす。
地面を――
噛む。
角グマの勢いが、
真正面から俺を押す。
だから――
横だ。
片手で角を支えたまま、
腰を――捻る。
角グマの頭が、
わずかに流れる。
その瞬間――
俺は、
もう片方の手を開いた。
肘を――
角の根元へ向ける。
近い。
狙うまでもない。
「……もらった!!」
振り下ろす。
肘が――
角に落ちる。
どん、じゃない。
ごきっ――と。
鈍い音が、
腹の底に響いた。
角が――
折れた。
根元から。
嫌なほど、綺麗に。
角グマの体が、
一瞬――固まる。
理解が追いつかない顔。
次の瞬間――
「グォオオオオ……!!」
叫び。
痛みの声。
怒りの声。
血が、
折れた角の付け根から――噴いた。
俺は、
折れた角を掴んだまま、
一歩退く。
角グマは、
勢いのまま前に出る。
崩れたバランス。
「お前は……獲物だ」
俺は、
その横へ――身体を滑らせた。
肩が触れる距離。
獣と血の匂い。
近い。
俺は、
折った角を――投げ捨てる。
そして――
首へ手を伸ばす。
掴む。
皮が厚い。
だが――
筋がある。
そこを――締める。
角グマが、
暴れる。
前脚が――地面を掻く。
俺の腕が揺れる。
だが――
離さない。
「……フンッ」
俺は、
ぐっと――引いた。
ボキッ。
首が――
傾く。
体が――
横に倒れる。
巨体が、
地面へ崩れ落ちる。
どしん、と。
森が、
一瞬――静かになった。
ダックの鳴き声が、
遠くで聞こえる。
「ギョワ……!」
戻ってきたらしい。
俺は、
息を吐いた。
腕が――
熱い。
だが、
痛くはない。
角グマは、
まだ――生きている。
目が、動く。
口が――開く。
「……さて」
俺は、
ゆっくり立ち上がる。
槍を――拾う。
角の折れた頭を、
見下ろす。
「いただきます……」
俺は、
一歩――踏み込んだ。




