第18話:消えかけた火、戻る影
日が、傾いていく。
焚き火の色が、
少しずつ――薄くなっていた。
赤い芯は、まだある。
だが、勢いがない。
ぱち、という音も、
間が空く。
……弱い。
分かっている。
枝を足せばいい。
薪をくべれば、また燃える。
火は、
ちゃんと応えてくれる。
それなのに――
ルゥは、
動けなかった。
火に近づけないわけじゃない。
足は動く。
距離も、取れている。
問題は――
別のところだ。
自分が、
火を扱うこと。
それが、
怖い。
手を伸ばせば、
枝を置ける。
でもその瞬間――
胸の奥が、きゅっと縮む。
思い出す。
火を持った。
良かれと思って。
役に立つと思って。
森が――
燃えた。
赤が広がった。
逃げた。
戻れなかった。
音。
叫び。
走る影。
……全部。
火は、
便利だった。
火は、
役に立った。
でも――
壊した。
ルゥの中で、
それがまだ――
終わっていない。
焚き火を見る。
赤が、
さらに細くなる。
空を見る。
……月が、ない。
夜が来る。
灯りのない夜は――
危険だ。
死がやって来る。
音もなく。
形もなく。
触れられれば、
終わりを迎える。
それは、
知っている。
喉が、
ひくりと鳴る。
後ろ。
三人がいる。
不安な気配。
動けない空気。
誰も、
火を足さない。
ルゥが、
何もしないから。
責任が、
胸にのしかかる。
火を使ったのは、
自分だ。
だから――
次も、自分がやるべきだ。
分かっている。
分かっているのに。
手が、
動かない。
焚き火の赤が、
今にも消えそうになる。
影が、
地面に溜まり始める。
「……っ」
息が、
速くなる。
このままじゃ――
その時。
森の奥で、
音がした。
がさ。
枝を踏む音。
一定。
重い。
獣じゃない。
影でもない。
ルゥは、
顔を上げた。
暗い森の中から――
一つの影が、近づいてくる。
肩に、
束。
薪だ。
乾いた枝。
太い木。
火に入れれば、
すぐ燃えるもの。
影が、
焚き火のそばで止まる。
「……ほらよ」
低い声。
エアだ。
何も言わず、
薪を下ろす。
火の前に、
迷いなく進む。
枝を置く。
一本。
二本。
ぱちっ。
赤が、
一気に息を吹き返す。
炎が立つ。
光が、
周囲を満たす。
闇が、
押し戻される。
ルゥは――
その場に立ったまま、
動けなかった。
エアは、
振り返らない。
ただ、
火を見ている。
それだけで――分かった。
戻ってきてくれた。
薪を、
用意して。
夜が来る前に。
エアは、
守る存在だ。
あの時も、日の中から現れて自分を救い出してくれた。
それは――
揺らがない。
ルゥの胸の奥で、
その理解だけは、
はっきりしていた。
でも――
背後で、
気配が揺れた。
三人だ。
距離を、
少しだけ広げている。
火の明かりの中でも、
体が強ばっているのが分かる。
視線が――
エアに向かう。
すぐに、
逸らされる。
怯え。
さっきの光景が、
まだ消えていない。
力。
速さ。
血。
守られたと、
分かっている。
それでも――
怖い。
同じ火のそばにいても、
輪の中に入れない。
ルゥは、
それを感じ取った。
分かる。
自分も、
少し前までは――
同じだった。
エアは、
何も言わない。
火を整え、
座り込む。
それ以上、
近づかない。
三人の方も、
見ない。
距離が、
そのまま保たれる。
焚き火が、
安定する。
夜が、
完全に落ちる。
火の輪は一つ。
でも――
立っている場所は、
まだ同じじゃない。
ルゥは、
火とエアと、
三人を見比べる。
胸の奥が、
少しだけ――
痛んだ。
守られている。
それは、
分かっている。
でも、
みんなが同じように
安心できているわけじゃない。
今は――
それを、
無理に埋めない。
火が、
消えずに燃え続けた。
ーーーーー
夜、
死が――やって来た。
焚き火の外。
闇の縁で、
何かが――動いた。
火には、
近づかない。
光の輪の、
少し外。
そこに――
転がっていたもの。
昼、
エアが仕留めた連中。
三人を追ってきた、
あの個体たちの――
動かない体。
影が、
そこに――
集まっていた。
黒い。
薄い。
輪郭が定まらない。
死体に、
絡みつく。
染み込む。
……違う。
次の瞬間――
がくり、と。
腕が、
不自然に持ち上がった。
首が、
ありえない角度で動く。
関節が、
きしむ音。
ルゥの喉が、
詰まった。
「……エア……!」
声が、
震える。
エアが、
はっと顔を上げる。
立ち上がる。
焚き火の向こうで――
それらが、起き上がった。
動きは、
遅い。
足を引きずり、
体を傾けたまま。
だが――
確実に、近づいてくる。
生きている動きじゃない。
中身が――
違う。
「……なんだ、ありゃ」
エアが何かを言って立ち上がる。
槍を取る。
一歩踏み出し――
投げた。
風を切る音。
刺さる。
胸を――
貫いた。
だが――
止まらない。
体が、
引きずられたまま、
なお、前に出る。
「……うそだろ!?」
動揺してる。
だがエアは、
すぐに次を選んだ。
枝を尖らせ、槍にする。
更に荒く細かく燃えやすく…そして。
焚き火から、火を槍に移し。
火のついたままの槍を突き刺した。
次の瞬間。
耳が――
痛くなる音。
「ッーーーーーーーーー」
甲高い。
割れるような――
悲鳴。
死の声。
火に触れた瞬間、
体が――崩れた。
倒れる。
そこから――
黒いものが、弾き出される。
影が、
逃げ出す。
地面を這い、
闇へ――
散っていく。
残ったのは、
再び――
動かない体。
焼け焦げた、
ただの死体。
焚き火が、
強く鳴った。
ぱち、ぱち、と。
闇が、
一歩――引いた。
ルゥは、
息を止めたまま、
それを見ていた。
エアは、
言葉を発さないまま動いた。
焚き火のそばで、
木を集める。
太い枝。
湿っていないもの。
燃え残り。
一つにまとめ、
火を移す。
炎が、
小さく立ち上がる。
それを持ったまま――
焚き火の輪の外へ出た。
動かなくなった体。
引きずる。
一つ。
また一つ。
地面を擦る音が、
夜に響く。
ルゥは、
その背中を見ていた。
止めない。
声も、出さない。
三人は、
さらに距離を取った。
視線を逸らし、
息を殺す。
集められた体に、
火が置かれる。
次の瞬間――
ぼっ、と。
低い音。
炎が、
一気に広がった。
皮が縮む音。
骨が弾ける音。
焦げた匂いが、
風に乗る。
だが――
さっきとは違う。
影は、
現れない。
黒いものは、
もう――
どこにもいない。
ただ、
燃えているだけ。
エアは、
少し離れた場所に立ち、
それを見届けた。
近づかない。
終わるまで、
待つ。
炎が、
静まる。
赤が、
白に変わる。
残ったのは――
灰と、
黒く崩れた塊だけ。
エアは、
一度だけ――
それを見下ろした。
それから、
焚き火の方へ戻る。
歩き方は、
いつもと同じ。
早くもなく、
遅くもない。
焚き火の明かりに戻った瞬間、
三人の肩が、
わずかに跳ねた。
エアは、
気にしない。
火のそばに腰を下ろし、
薪を整える。
ぱち、ぱち。
音が、
一定になる。
それだけ。
ルゥは、
胸の奥で息を吸った。
怖かった。
でも――
分かっている。
あれを残せば、
また来る。
影は、
死体に集まる。
燃やさなければ、
終わらない。
エアは、
正しいことをした。
それも――
分かっている。
それなのに。
火を見ると、
胸が――
少し、痛む。
ルゥは、
一歩だけ前に出た。
焚き火に、
近づく。
エアの横じゃない。
でも――
前よりは近い。
手は、
まだ出さない。
火は、
エアが管理している。
今は――ここでいい。
焚き火の外で、
夜が静まっていく。
影は、
もう動かない。
その夜、――死は一度退いた。




