第17話:遠い…焚き火の音
焚き火の音が、背中でぱちぱち鳴っている。
あったかい。
でも――
それだけ。
ルゥは、火に背を向けて座っていた。
膝の上。
エアから渡された槍。
折れたところを削り直した、短い槍。
自分の腕に合う重さ。
……くる。
槍を回す。
持ち替える。
柄を指でなぞる。
ざらざら。
石の感触。
後ろで、
誰かが動く気配。
三人。
距離は、まだある。
近くない。
……いい。
ルゥは、振り返らない。
友達の声がした。
「……無事?」
近づいてくる音。
小さい足音。
「……血、ない?」
ルゥは、
槍を止めない。
回す。
止める。
また回す。
「ない……」
短く答える。
友達は、
少し安心した声で息を吐いた。
「……よかった」
ルゥは、
口の端を少しだけ動かす。
友達が、
火を見た。
串を見た。
肉を見た。
「……あの肉」
一拍。
「……うまい」
ルゥは、
槍を回しながら答える。
「火につけた肉は……」
一瞬、言葉が詰まる。
「うまい……」
火。
肉。
匂い。
友達は、
小さくうなずいた。
だが――
すぐに、声が落ちる。
「でも」
沈黙。
焚き火の音だけが、
間に入る。
ルゥは、
槍を止めた。
柄を、強く握る。
「危険……」
友達が顔を上げる。
「全部、消えた……」
森。
仲間。
巣。
「エアに、だまって……」
言葉が、
少しだけ震える。
「火……持ち帰った」
友達の目が揺れる。
「そのせい……」
槍の先が、
地面を叩く。
こつ。
「みんな、死んだ……」
間。
「食われた……」
喉が鳴る。
友達は、
何も言えない。
後ろの二人も、
黙っている。
その沈黙が――
余計に重い。
ルゥは、
顔を伏せた。
火の熱が、
背中に当たる。
あったかい。
なのに――
胸が、冷たい。
「……火、持ってきたとき」
小さな声。
「……一緒だった……だから」
言葉が、
途中で切れる。
だから、
自分だけのせいじゃない。
それはその子の優しさだった……。
分かっている。
……分かってる。
でも。
槍を、
ぎゅっと握る。
「……でも」
小さく、唸る。
ゥウ゛。
胸の奥が、
重い……。
――ぱき、と。
焚き火の薪が弾けた音が、
森の方へ飛んでいった。
ーーーーー
俺は森の中で立ち止まっていた。
もう火の気配はない。
燃えた匂いだけが、
地面に残っている。
獲物を探す。
だが――
居ない。
生き物の気配が、
消えていた。
足元で、ダックが止まった。
それまで地面をつついていた首が、
すっと――起きる。
首を伸ばし、
耳の代わりみたいに頭を傾ける。
一瞬。
「……ギョ」
低い声。
さっきの鳴き方とは違う。
甘えでも、要求でもない。
警戒。
ダックの視線は、
焚き火のある方向――拠点。
胸の奥が、
嫌な感じで沈んだ。
(……まさか)
考える前に、
身体が動く。
俺は――
走り出した。
枝を踏み、
低木を蹴散らし、
一直線。
ダックも、
遅れずについてくる。
森を抜ける。
焚き火の煙が、
見えた。
そして――
空気が、違う。
音が、ない。
ぱちぱち鳴っていたはずの火が、
やけに遠い。
開けた瞬間――
視界に、影が並んだ。
六体。
拠点の外縁に、
半円を描くように立っている。
腕が太い。
肩が張っている。
頭が大きい。
牙が――
はっきり見える。
一体が、
少し後ろに下がっていた。
胸元。
矢が――
一本、刺さっている。
浅くはない。
だが致命でもない。
……もう始まってる。
焚き火の向こう。
ルゥが、
槍を構えている。
その後ろ――
三人。
寄り集まるように、
身を低くしている。
一人は、
震えている。
一人は、
歯を食いしばっている。
もう一人は――
弓を持っている。
さっき刺さった矢は、
あれだ。
別種の一体が、
低く唸った。
「グゥ……」
仲間に合図するように、
顎を上げる。
数で押す気だ。
ルゥが、
一瞬だけ――
こちらを見た。
視線が合う。
俺は、
足を止めない。
声も出さない。
視線だけで、
一体を選ぶ。
焚き火の外。
指示を出していた個体。
背後に――
回り込む。
気配に気づいた瞬間、
槍を――突き立てた。
「ギョァアアアアッ!!」
短く、
引きつるような断末魔。
俺は、
そのまま――
槍を抜かない。
片手で、
胴を持ち上げる。
地面から、
浮かせる。
足が、
ばたつく。
わざとだ。
見せるため。
他の五体が、
固まる。
視線が、
一斉に集まる。
俺は、
槍から手を離す。
代わりに――
頭と足を掴む。
引く。
ゆっくり。
抵抗が、
一瞬――強まる。
「ギッギィギャアアアア!!?!?」
それでも、
止めない。
力を込める。
「ギャアアアーーーー」
音が、
途中で――切れた。
生温いものが、
頭上から降る。
誰かが、
息を呑む。
ルゥだ。
……すまない。
だが、
必要だ。
俺は、
それを地面に落とす。
音。
次の一体へ――
間を与えない。
近い個体の頭を、
掴む。
鳥が獲物を掴むみたいに。
抵抗は、
ほとんど無い。
地面へ――
叩きつける。
一度。
二度は、
要らなかった。
嫌な感触だけが、
手に残る。
周囲の空気が、
変わる。
恐怖が――
はっきり見える。
ルゥも、
三人も、
例外じゃない。
俺は、
残りを処理する。
武器は使わない。
脆い。
思った以上に。
岩を持ち上げた時から、
分かっていた。
今の俺にとって、
こいつらは――
ほとんど紙だ。
最後に、
二体だけを残す。
逃げ道を、
わざと空ける。
血に濡れた指で、
顔を掴み――
睨む。
歯を見せて、
笑う。
言葉は、
要らない。
悲鳴とも、
鳴き声ともつかない音を残して――
二体は、
森へ逃げていった。
俺は、
追わない。
ここに来たら、
こうなる。
それを――
覚えさせるためだ。
焚き火が、
また音を立て始める。
ぱち、ぱち。
俺は、
ゆっくり振り返った。
焚き火の向こう。
三人が――
固まっている。
さっきまで、
身を寄せ合っていた距離のまま。
目だけが、
大きく開いている。
息を、
していないみたいだ。
一人は、
膝が崩れそうになっている。
一人は、
弓を落としている。
一人は――
口を押さえている。
声が、
出ない。
その前。
ルゥが、
立っていた。
槍を――
握ったまま。
構えでもない。
下げてもいない。
ただ、
固まっている。
目が――
俺を見ている。
だが……俺は見てしまった。
ルゥは俺を見て、
わずかに槍を強く握りしめた……。
……恐怖だ。
胸の奥が、
きしんだ。
俺は、
何も言わない。
言えない。
焚き火の方へも、
行かない。
視線を切り、
そのまま――
歩き出した。
川の方へ。
背中に、
視線が突き刺さる。
止まらない。
一歩。
二歩。
少し下流。
足首より深い場所を選ぶ。
冷たい。
俺は、
膝をついた。
両手を、
水に沈める。
血が――
広がる。
赤が、
流れていく。
指の間。
爪の裏。
手首。
何度も。
腕も。
顔も。
跳ね返る水が、
骨鎧を濡らす。
こびりついた感触が、
少しずつ――消える。
冷たい。
だが、
落ち着く。
俺は、
水の中を見つめた。
揺れる影。
さっきの光景が、
勝手に――浮かぶ。
……やりすぎたか?
違う。
必要だった。
分かっている。
分かっているのに――
水面に、
拳を沈める。
ぎゅ、と。
血は、
もう落ちている。
それでも、
洗うのをやめない。
しばらくして――
立ち上がる。
水を切る。
振り返らない。
焚き火の方には、
戻らない。
今は――
近づけない。
そのまま、
川沿いを歩き出した。
背中で、
焚き火の音が――
遠くなる。
ぱち、ぱち。
それが、
やけに――
小さく聞こえた。
ーーーーー
水を切る音が、
川面で小さく弾けた。
俺は、歩いていた。
背中を向けたまま。
――その時。
足元で、
軽い気配。
「……ギョワ?」
いつもの声。
ダックだ。
血の匂いも、
冷たい水も、
何も関係ない。
俺の足元まで来て、
首を伸ばす。
「ギョ、ギョ」
短く。
いつもと同じ。
そこにいる。
俺は、
視線を落とした。
ダックは、
俺の足の影に入っている。
安全な場所みたいに。
さっきまで、
頭を潰し、
引き裂き、
地面に叩きつけていた相手。
だがダックにとっては――
敵。
それだけだ。
狩った。
倒した。
終わり。
そこに、
恐怖も、
意味も、
躊躇もない。
「……」
俺は、
何も言わない。
立ち止まる。
ダックは、
もう一度だけ鳴いた。
「ギョ」
満足したのか、
首を縮めて座り込む。
俺の足に、
羽毛が触れる。
あったかい。
俺は、
しばらくそのまま立っていた。
ダックは、
気にしない。
ただ、
俺の足元にいる。
それが――
世界の全部みたいに。
俺は、
ゆっくり息を吐いた。
川の流れが、
音を立てて進んでいく。
俺は、
ダックを拾い上げた。
小さい。
軽い。
羽毛が、
掌に沈む。
さっきまで――
骨が砕ける感触が、
この手に残っていた。
嫌な重さ。
冷たい記憶。
俺は、
ダックを胸に引き寄せる。
「ギョ」
短い声。
いつもと同じ。
手の中の温もりが、
それを――上書きしていく。
狩った。
倒した。
終わり。
それだけの世界。
ダックは、
何も疑わない。
俺の腕の中で、
ただ目を閉じる。
……あったかいな…。
川の流れが、
音を立てて進んでいく。
焚き火の音は、
もう――聞こえない。




