第15話:ダック
装備を確認する。
槍は――
折れていた。
首に絡みついたまま、
何度も体重をかけた。
無理もない。
投げ槍としては、
もう使えない。
だが――
手に取ってみる。
長さ。
重さ。
重心。
……このサイズなら。
むしろ、
ルゥには使いやすい。
折れた部分を、
石で削る。
尖りを落とし、
引っかかりを消す。
刺すためじゃない。
振るうためだ。
石のナイフよりは、
マシなはずだ。
次に――
腰から、別の物を外す。
ヘビ頭の牙で作った、
小さなナイフ。
使い道は、
いくらでもある。
俺は、
それをルゥに差し出した。
言葉は使わない。
柄を、ルゥに向けて。
ルゥは、
一瞬だけそれを見る。
それから――
受け取った。
握る。
離さない程度の力。
次に――
岩陰を指さす。
火のある場所。
石の影。
待て。
それだけを、
動きで伝える。
「……」
短く、
喉を鳴らす。
俺は、
歩き出した。
森の焼け跡の方へ。
一歩。
二歩。
背後を、
振り返らない。
だが――
分かる。
気配が、
増えている。
音はない。
足音も、
草の擦れる音も。
それでも――
距離が、変わらない。
肩越しに、
視界の端で確認する。
……ついてきている。
止めない。
声も、
動きも――出さない。
そのまま、
歩く。
浅い川に足を入れる。
水は冷たい。
流れは緩い。
踏み込めば、
問題ない。
俺は、
そのまま渡る。
背後で――
一瞬、気配が止まった。
振り返らない。
数拍。
それから――
水音。
小さい。
慎重な足取り。
石を探す音。
流れに足を取られないように、
間を選んでいる。
川を渡り切る。
俺は、
少しだけ歩みを緩めた。
それ以上は――
何もしない。
ルゥは、
遅れず――渡り切った。
濡れた足で、
すぐ後ろに立つ。
距離は、
変わらない。
俺は、
前を向いたまま――
歩き続けた。
ーーーーー
焼け跡は、
静かだった。
草は黒く縮れ、
土は乾いて割れている。
踏み込むたび、
灰が、わずかに舞った。
奥へ進む。
焦げた匂い。
獣の匂い。
血の匂い。
混ざって、
重い。
黒い塊が――
そこにあった。
倒れたままの、
ダチョウもどき。
首は歪み、
羽は焼け落ち、
両目は――潰れている。
俺は、
近づいた。
さすがに生きてはいない。
動かない。
石ナイフを取り出す。
刃を入れる。
焼けた皮が、
裂ける。
じゅっ、と――
まだ、熱が残っていた。
中から、
匂いが立つ。
……悪くない。
焼けた脂の匂い。
肉の匂い。
だが――
すぐに分かる。
血抜きは、
されていない。
内側の肉は、
少し――臭う。
腐敗じゃない。
だが、鮮度は落ちている。
全部は無理だ。
俺は、
焼けている部分だけを探す。
外側。
火に当たった肉。
刃で――
削ぐ。
薄く。
慎重に。
使えるところだけ。
焦げた羽を避け、
黒くなった筋を外す。
数枚。
それ以上は、
欲張らない。
削いだ肉を、
地面に置く。
ルゥの方を見る。
目が、
こちらを追っている。
俺は、
肉を差し出す。
ルゥは肉を受け取り、
俺の動きを観察している。
腰の袋から葉っぱを取り出し、
肉をルゥからもらい、並べていく。
動きで伝える。
ルゥは、
少し遅れて――
動いた。
大きな葉。
厚い葉。
それを重ね、
肉を包む。
袋のように、
巻く。
縛る。
重さを確かめる。
……足りる。
その時。
ぐちっ。
鈍い音。
手元の肉が――
裂けた。
薄くなりすぎていた。
重さに、
耐えきれなかった。
裂け目から――
内側が、落ちる。
内臓。
どちゃっ、と――
地面に飛び出した。
一気に、
匂いが変わる。
ひどい。
腐った熱。
獣の奥の匂い。
思わず、
一歩、引く。
だが――
その中に、
混じっていた。
丸い。
白い。
……大きい。
卵だ。
手を伸ばす。
殻は、
温かい。
「……まだ食えるか?」
声が、
漏れた。
(でかいな……)
両手で持つ。
重い。
その瞬間――
ぴしっ。
小さな音。
殻に――
細い線が走る。
「……ん?」
もう一度。
ぴき。
確かに――
動いた。
卵の中で。
俺は、
動きを止めた。
殻を、
じっと見る。
割れ目が――
ゆっくりと、広がっていく。
次の瞬間――
ぱきん、と。
卵の上部が、
内側から弾けた。
殻が割れ、
破片が跳ぶ。
「……っ」
反射で、
一歩、下がる。
中から――
飛び出してきた。
ヒナ……ではない。
ダチョウもどきが、
そのまま縮んだような姿。
羽は短く、
飛べない。
脚は長く、
細い。
首も長い。
そして
目だけは――
はっきりと、こちらを見ている。
「……ギョワッ!」
甲高い声。
それは、
卵殻を踏み越え――
地面に着地した。
よろけることもなく。
そして――
一直線に、
こちらへ来た。
「おい……」
石ナイフを、
半歩だけ構える。
だが――
それは、
攻撃しない。
噛みつかない。
俺の足元へ――
すり、と寄ってきた。
靴もない足に、
羽毛が触れる。
暖かい。
「……は?」
一瞬、
判断が遅れる。
距離が近すぎる。
蹴れる。
踏める。
潰せる。
だが――
どれもしない。
動かない。
様子を見る。
小さいダチョウもどきは、
首を伸ばし――
俺の膝に、頭を押し付けた。
擦る。
擦る。
……まるで、
匂いを覚えるみたいに。
「……これ、どうするか」
背後で、
気配が揺れた。
ルゥだ。
近づいてきている。
俺は、
手を出して制する。
止まれ。
動きだけで伝える。
だが――
ルゥは、
完全には止まらない。
数歩、距離を保ったまま、
その場に立つ。
目が、
卵殻と――
その小さな個体を見ている。
首を、
わずかに傾ける。
恐れてはいない。
だが警戒は――している。
小さなダチョウもどきは、
今度は――
ルゥの方を見る。
首を振る。
一歩、
踏み出す。
「“まだ”、殺すなよ……」
低く言う。
ルゥは、
ナイフをまだ下げない。
だが――
ルゥが、
動いた。
ゆっくり。
音を立てず。
膝を、
少し折る。
地面と、
目線を近づける。
その動きを見て――
小さい個体が、止まった。
距離を、
詰めない。
代わりに――
地面に座り込む。
脚を畳み、
首を縮める。
敵意は――
ない。
真似てる。
俺は、
一つ息を吐いた。
「……はぁ」
面倒なものが、
生まれた。
だが――
放っておく感じでもない。
森は、
まだ焼けている。
親は――
もう、いない。
卵は、
ここにあった。
俺は、
立ち上がる。
ナイフを、
鞘に戻す。
「……帰るぞ」
誰に向けた言葉か、
分からないまま。
踵を返す。
小さいダチョウもどきは、
すぐには動かない。
だが――
数拍後。
足音。
トテトテトテトテッ
軽い。
後ろで――
二つ、増えた。
振り返らない。
止めない。
そのまま、
拠点へ向かって歩き出す。
灰の中を、
三つの影が――
並んで進んでいった。
ーーーーー
もう一度――
浅い川を渡る。
流れは緩い。
足首ほど。
危険はない。
俺は、
そのまま足を入れた。
相変わらず、
冷たい。
一歩。
二歩。
背後で――
音が止まった。
振り返らない。
だが、
分かる。
増えた影の一つが、
止まっている。
「……?」
短く、
息を吐く。
川の中程で、
立ち止まる。
肩越しに、
視線だけを戻す。
――いた。
小さいダチョウもどき。
水際で、
片足を浮かせたまま、
固まっている。
そっと――
つま先を水に触れた。
ぴちゃ。
次の瞬間――
「ギョワッ!」
短い悲鳴。
足を引っ込め、
二歩、後ずさる。
首を振る。
羽をばたつかせる。
冷たさに、
完全に驚いている。
俺は、
何もしない。
そのまま、
歩き続けた。
水を切り、
向こう岸へ。
振り返らない。
だが――
背後で、
もう一つ気配が止まった。
ルゥだ。
川の手前で、
足を止めている。
視線は、
小さいダチョウもどきに向いていた。
俺は、
待たない。
立ち止まりはするが、
呼ばない。
しばらくして――
水音が、
しない。
代わりに、
衣擦れ。
小さな足音。
ルゥが、
近づいている。
小さいダチョウもどきの前で、
しゃがみ込む。
左右から――
挟む。
脇の下に手を差し入れて、
落とさないように、
逃げないように。
「……ギョッ!?」
短い抗議の声。
脚が宙を掻く。
だが――
暴れない。
そのまま、
持ち上げた。
少し不格好だが、
理にかなっている。
噛まれない。
蹴られない。
逃げられない。
(……なるほど)
思わず、
口の端が緩んだ。
川へ――
一歩。
二歩。
三歩。
水音。
小さいダチョウもどきは、
脚をばたつかせるが、
空を切るだけだ。
「ギョワッ! ギョワッ!」
鳴きながら――
だんだん、声が変わる。
抗議から、
戸惑いへ。
それから――
諦め。
向こう岸へ上がる。
ルゥは、
そのまま歩いてきて――
俺の前で止まった。
ダチョウもどきを、
持ち上げたまま。
少し、
胸を張っている。
……誇ってるな。
(はは)
内心で、
小さく笑う。
変な光景だ。
昨日まで同じ獣に、
食うか食われるかだったのに。
今日は、
食材候補を抱えて、
川を渡っている。
(……まぁ)
育ててから食えばいい。
ある程度、
太らせればいい。
親があれだけデカかった。
こいつも――
それなりにはなる。
そんなことを、
ぼんやり考えていた。
その時。
ルゥが――
一歩、近づいてきた。
俺の目の前。
ダチョウもどきを、
ぐい、と突き出す。
顔の高さまで。
近い。
「……?」
思わず、
眉が動く。
ルゥは、
俺を見る。
まっすぐ。
それから――
自分の胸を指した。
「……ルゥ」
はっきり。
次に――
もう一度、ダチョウもどきを突き出す。
「……なまえ!」
「……ん~?」
完全に、
素で声が出た。
違う。
聞き返すつもりは、
なかった。
ただ――
頭が、止まった。
名前。
名前だ。
(……は?)
一瞬で、
思考が戻る。
違う。
違う。
俺は、
食う前提でしか考えてない。
ルゥも、
そうだと思ってた。
原始だ。
野生だ。
名前なんて――
いらない。
名前を付けたら、
区別が生まれる。
区別が生まれたら、
情が湧く。
情が湧いたら――
面倒になる。
俺は、
視線を逸らした。
少しだけ。
頭を掻く。
「……」
ダチョウもどきが、
短く鳴く。
「ギョ」
ルゥの腕の中で、
大人しくしている。
逃げない。
俺を見る。
……近い。
「……」
俺は、
息を吐いた。
低く。
「……名前、付けたら」
一拍。
「……食いにくくなるぞ」
事実を、
そのまま落とす。
脅しでも、
冗談でもない。
ルゥは、
瞬きをした。
一回。
それから――
首を、少し傾ける。
理解したかどうかは、
分からない。
だが。
腕を、
引かない。
ダチョウもどきを、
突き出したまま。
「……エア」
もう一度。
「……なまえ!」
……引かねぇな。
俺は、
天を仰いだ。
一瞬。
「……たくっ」
逃げ場は、完全に――
なかった。
問答無用って顔でルゥが見ている。
抱えられてる……鳥だよな。
「……ダックだ」
ルゥが、瞬きをした。
もう一度、
ダチョウもどきを突き出す。
「……ダックダ!」
「ちがう……ダック!」
言った瞬間――
ダチョウもどきが鳴いた。
「ギョ」
否定に聞こえた。
俺は、
眉間を押さえる。
「……お前が鳴くな」
ルゥは、
一切引かない。
腕を伸ばしたまま、
鳥を突き出す。
問答無用の顔。
「……ダック!」
「そうそう」
俺が投げやりに返すと――
「ギョワギョワ」
当の本人が、
なぜか得意げに鳴いた。
「……お前も乗るな」
ルゥは、
満足そうでもなく、
当然のようにうなずく。
「……ダック」
「……ああ、ダックだ」
「ギョ」
「返事すんな」




