第13話:火が、呼んだもの
夜は、静かに来た。
草のざわめきが、
ゆっくり――
だが、確実に、近づいてくる。
風じゃない。
それを、ルゥは知っている。
胸に抱えた葉の束が、
かすかに――
温かい。
火種。
生きている火。
ルゥは、
仲間たちの中央に座り、
慎重に葉をほどいた。
赤。
小さな、
小さな光。
「……ひ……」
誰かが、
息を呑む音。
ルゥは、
乾いた草を寄せ、
教わった通りに、
息を吹きかける。
ふっ。
ふっ。
赤が、
ゆっくりと――
広がる。
ぱち。
小さな火が、
生まれた。
「……!」
影が、距離を取った。
草の揺れが止む。
夜の気配が、
後ずさる。
「……こない……」
誰かが、
震えた声で呟いた。
火は――
効いている。
確かに。
ルゥは、
火から目を離さなかった。
守る。
消さない。
それだけを、
考えていた。
だが――
「……?」
匂いが、
変わる。
腐った肉でも、
夜の影でもない。
重い。
獣の匂い。
それも――
今まで、嗅いだことのない匂い。
地面が、
小さく――揺れた。
どす。
どす。
「……?」
影が、
草の向こうで――止まった。
次の瞬間。
草が、
割れた。
「……?」
立っている。
背が高い。
長い首。
太い脚。
見たことがない。
羽が、ある。
だが――飛ばない。
走るための体。
丸い目。
光を――その目が、映している。
火。
「……ッ」
誰かが、
一歩、下がる。
知らない。
これは、
この森の獣じゃない。
夜に出る影でもない。
「……なに……?」
答えは、
なかった。
次の瞬間――
クゥゥゥゥゥゥッ!!
耳を裂く鳴き声。
地面を蹴った。
速い。
信じられない速さ。
「――っ!!」
逃げる間もない。
牙――いや、嘴が、振り下ろされる。
草が裂け、
土が跳ねる。
仲間の一体が、
弾き飛ばされた。
「……っ!!」
悲鳴。
子を抱えた者が、
転ぶ。
ルゥは、
叫んだ。
声にならない声で。
火が、
揺れる。
火が――
倒れる。
乾いた草に、
触れた。
ばっ!!
一気に――
燃え広がった。
「……っ!!!」
止まらない。
火を恐れない。
むしろ――
集まってくる。
光。
逃げる獲物。
悲鳴。
最高の――餌場。
踏み荒らされる火。
蹴散らされる草。
倒れる仲間。
炎が、
走る。
風を受けて、
広がる。
夜の草林が――
燃え始めた。
「……にげろ……!」
誰かが、
叫ぶ。
だが――
火が、逃げ道を塞ぐ。
影が、
走る。
追い詰められたも者を、喰らう。
掴む。
振り回す。
夜が、
壊れる。
炎の向こうで、
仲間が――
掴まれる。
声が、
途中で――途切れる。
「………」
ルゥは、
動けなかった。
足が、
地面に縫い付けられたみたいに。
逃げろと、
頭のどこかが言っている。
でも――
体が、言うことを聞かない。
見ている。
見てしまっている。
火の光の中で、
仲間が――
食われている。
逃げられない。
火が、
囲んでいる。
自分が、
灯した火。
(……ちがう……)
胸の奥で、
何かが――
ひび割れる。
夜は、隠れれば騙せた。
でも闇が恐ろしかった…。
だから…。
夜の光がなくても、草の揺れを見て、
息を潜めれば――生きられた。
それを――壊した。
(……ひ……)
火。
自分が、
持ち帰ったもの。
自分が、
灯したもの。
それが――
呼んだ。
知らない獣を。
見たことのない死を。
逃げ道を――
全部、焼いた。
「……」
声が、
出ない。
喉が、
締め付けられる。
叫べば、
仲間が助かるわけじゃない。
火を消せば、
逃げ道が戻るわけでもない。
何も――
戻らない。
また一体、
倒れる。
嘴が、
振り下ろされる。
骨の音。
肉の音。
「……」
ルゥの視界が、
揺れる。
熱のせいじゃない。
涙でもない。
ただ――
世界が、歪んでいる。
「…………ぁ、ぁ」
言葉にならない。
自分。
火。
仲間。
死。
全部が、
一緒になって――
ぐちゃぐちゃに、絡まる。
「……ひ……」
火は、
守るものだと――思った。
夜を、
遠ざけるものだと――思った。
なのに――
火は、
殺している。
今。
目の前で。
「……」
ちがう…、エアは教えてくれていたはずっただ…。
”火”はあたたかく…”危険”だと…。
ルゥは、
一歩――下がった。
草が、
ぱち、と弾ける。
熱が、
足に刺さる。
でも――
それすら、どうでもよかった。
胸の奥が、
冷えていく。
夜よりも、
深いところ。
闇よりも、
暗いところ。
(これ……だめ……、ちがう)
何が、
だめなのかも、
分からない。
ただ――
戻れない。
もう、
夜を怖がらない場所には。
もう、
火を信じた場所には。
「……」
ルゥは、
膝から――崩れた。
炎の中で。
悲鳴の中で。
食われる音の中で。
自分が――
それを、呼んだと知りながら。
視界の端に、影が差し込む。
巨大だ。
熱を受けて、
黒い影が歪む。
それでも、
はっきりと――見えた。
片目。
片方だけ、
丸く光る緑の目。
もう一方は――
潰れている。
血と黒い液が、
固まった跡。
その目が、
ゆっくりと――下を向く。
ルゥを、
見下ろしている。
火が、
その目に映る。
揺れる炎。
逃げ惑う影。
そして――
その奥に、
映ったもの。
膝をつき、
動けない、
小さな姿。
口が、
開いた。
長い首が、
しなる。
影が――覆いかぶさる。
(……)
思考が、
止まる。
恐怖も、
悲鳴も――ない。
ただ、
理解だけが残った。
――喰われる。
その瞬間。
轟ッ――!!
火が、
爆ぜた。
違う。
火が、
飛びかかった。
叩きつけられた。
獣の顔面に――
真っ向から。
片目の獣が、
悲鳴を上げる。
クギャアアアアアッ!!
次の瞬間――
影が、さらに――嘴の獣を裂いた。
炎の粉を、
全身にまとい。
燃える毛皮、骨を被る――何か。
自分たちとほとんど同じ形の形。
骨が、
砕ける音。
ばきり。
めき。
槍が――
嘴を、そして残っていたもう一つの目を貫いていた。
「グギャアアアアアアッッッ」
獣の首が、
強引に――引き倒される。
地面が、
揺れる。
火花が、
舞う。
「ォオオオオオオオッ!!」
吼え。
怒り。
憎しみ。
殺意。
全部を――火に変えた咆哮。
倒れた獣に、休まず、両手の槍を刺し続ける。
嘴の獣は激しくもがく、数ぉ起こしさらに辺りの火が強くなる。
だが――
逃げられない。
炎を纏った影が、腕を振り下ろす――折れる、でも止めない。
砕く。
引き裂く。
毛皮が、
血に染まる。
血が、
火に落ちる。
じゅっ、と音を立てて――
消える。
最後に、
影が――獣を蹴り飛ばした。
巨体が、炎の向こうへ――転がる。
動かない。
燃え盛る草の中で、
もう――起き上がらない。
炎の中に、
立つ影。
背中。
燃える毛皮。
塗れた体。
折れた槍を、
地面に捨て――肩で息をする。
ルゥは、
それを見た。
ぼやけた視界の中で。
火の向こうで。
あの――
匂い。
血と、
煙と、
火。
知っている。
知っている匂いだ。
「……ぁ……」
声にならない声。
影が、
ゆっくり――振り返る。
砕く獣の骨の隙間、
炎に照らされた顔。
煤で、
黒く汚れて。
でも――
その目だけが、
はっきりと見えた。
怒りで、
燃えている目。
それがこちらに向いた。
影が、こちらを見る。
さっきまで、
燃えていた目が――
一瞬。
炎の揺れとは、
違う動きをした。
ルゥは、
それを見た。
何かが、
変わった気がした。
でも――何が変わったのかは、分からない。
分かる言葉が、
ない。
胸の奥が、
少しだけ――重くなる。
そして、
ただ、
動かない理解だけが残った。




