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第10話:二つの影


枝が鳴った、その直後だった。


――来る。


考えるより早く、

身体が動いた。


正面。


影が、跳んだ。


ヘビ頭。


細長い胴体。

異様に発達した首。

裂けるように開いた口。


一匹。


狙いは――喉。


「――っ!」


俺は槍を突き上げる。


がつん、と硬い感触。


牙が、

穂先に噛みついたまま止まる。


勢いは殺せた。

だが――


「……もう一匹!」


背後。


空気が裂ける音。


少し大きい。

重い。


爪と牙が、

同時に襲いかかる。


「――ぐっ!」


防具が、鳴った。


骨が軋む。

衝撃が、肩と背中に走る。


皮一枚――

いや、骨一枚分。


致命傷は、避けた。


だが、

背中に組み付かれる。


首。

肩。

噛みつこうとする力。


「……ちっ!」


俺は、

正面の一匹を離さない。


そのまま――


踏み込む。


槍ごと、

木へ。


どんっ!!


鈍い音。


衝撃で、

ヘビ頭の首が跳ねる。


木に叩きつけられ、

動きが止まった。


一匹。


だが――


背後は、まだだ。


爪が防具を掻き、

牙が、隙を探る。


「……エア!」


背後で、

空気が張りつめたのが分かった。


弓。


引かれている。


だが――

撃てない。


俺と、

組み付いているヘビ頭が近すぎる。


当たる。


間違いなく。


「……っ……」


躊躇。


その一瞬。


「ウゥゥゥゥゥゥ――!!」


唸り声。


低く、

喉を震わせる音。


弓を、下ろした。


代わりに――


石のナイフ。


小さな手に握られたそれが、

光を反射する。


次の瞬間。


影が、跳んだ。


「――っ!?」


ルゥが――

飛びついた。


狙いは、

ヘビ頭の首元。


牙。

爪。

関係ない。


噛みつくように、

しがみつく。


石ナイフが、

何度も振り下ろされる。


ぐぎゃああああっ!!


悲鳴。


ヘビ頭が暴れる。


だが、

体勢が崩れた。


その瞬間――


俺は、振り払った。


力任せに、

肩を叩きつける。


「――離、れろ!!」


ずるり、と。


背中から、

引き剥がされる。


地面に落ちたヘビ頭に、

俺は迷わず――


槍を、突き下ろした。


ずぶり。


動きが、

止まる。


静寂。


荒い呼吸だけが、

森に残った。


俺は、

一歩下がり――

すぐに振り返る。


「……ルゥ?!」


ルゥは、

少し離れた場所で立っていた。


石ナイフを握ったまま。


息が、荒い。

耳が、逆立っている。


だが――

無事だ。


目が合う。


ルゥは、

俺を見て――


震えながらも、

小さく、鳴いた。


「……ぅう〜!」


俺は、

膝に手をついた。


息を整える。


二匹。


どちらも――

前に、俺を襲って逃げたやつだ。


覚えている。


……取り逃した獲物を、

追ってきた。


森は、

優しくない。


だが――


俺は、

一人じゃなかった。


ーーーーー


血の匂いを落とすため、

俺たちは川へ下りた。


冷たい水が、

足元から一気に広がる。


槍と防具を外し、

手早く血を洗い流す。


赤が、水に溶けて消えていく。


ルゥは、

少しだけ周りを気にしたあと、

俺を気にする様子もなく川へ入った。


動きは慣れている。

ためらいもない。


水をすくい、

腕や顔にかける。


森で生きてきた動きだ。


俺は防具を外し、

自分の手と腕を洗った。


乾いた血が落ちると、

ようやく胸の奥の張りが抜ける。


ルゥは川の中でしゃがみ込み、

水をばしゃばしゃと跳ねさせている。


さっきまでの戦いが、

嘘みたいだった。


……強いな。


いや、

強くならざるを得なかったんだろう。


俺は川から上がり、

濡れた手を振って水を切る。


「……もう行くぞ」


――ばさっ!!


背後で水が、跳ねた。


同時に――

高い悲鳴。


「キャアアアアッ!?」

「……っ!?」


振り返った瞬間、

視界の端で影が持ち上がる。


鳥だ。


だが――

普通じゃない。


四枚の翼。


前後に重なるように生えた羽が、

水を叩き、

空気を裂いて上昇する。


その脚に――


掴まれている。


「……ルゥ!!」

「エアーッ!」


思考が、一気に冷える。


高さは、まだ低い。

だが、上がれば――終わる。


俺は反射で、

背中の投げ槍を引き抜いた。


狙いをつける時間は、ない。


外せば――考えるな。


狙え!!!集中して!!


全力で!!投げろ!!


「……っ」


呼吸を止める。


狙うのは、

胴じゃない。


首でもない。


羽の付け根。


四枚のうち、

前側――力を出している方。


ここを潰せば、

持ち上げられない。


「っ!!」


投げた。


槍が、

空気を切る。


一瞬が、

永遠みたいに伸びる。


――どすっ。


鈍い手応え。


次の瞬間、

鳥がバランスを崩した。


ぎゃああああっ!!


悲鳴。


羽が、暴れる。


脚の力が抜け――


「……っ!」


ルゥが、

落ちた。


鳥と一緒に。


どぼんっ!!


川が、大きく跳ねる。


「――ルゥ!!」


俺は、

考える前に走っていた。


防具も、

槍も、

邪魔だ。


川岸を蹴り、

水へ。


冷たい。


だが、

構わない。


鳥は、

水中で暴れている。


刺さった槍が、

動きを鈍らせている。


「……どこだ……!」


濁る水。


泡。


影――いた。


俺は、

腕を伸ばし――


掴んだ。


細い腕。


「――大丈夫だ!!」


引き寄せる。


鳥が、

最後に暴れ、

水を叩く。


だが――


もう、持ち上げられない。


俺は、

ルゥを抱え上げる。


「……はっ! けほけほ!」


岸に、

這い上がる。


俺は、

すぐにルゥを見る。


「……ルゥ?」


濡れた体。

ツメが食い込んだ跡。


震え。


だが――

目は、開いている。


息も、ある。


「……ぅう……エア」


生きてる。


一気に力が抜けた。


背後で――


ばしゃっ。


四枚羽の鳥が、

水から這い上がろうとする。


槍は、

まだ刺さったまま。


俺は、

即座に体を回した。


「……二度目は、ねぇ」


足を上げて。


叩きつける。


ドスっ。


動きが止まる。


完全に。


俺は、

その場に膝をつき、

ルゥを抱き寄せた。


腕の中で、

小さな体が震えている。


「……大丈夫だ」


抱きしめながら……、

俺は――そう言い聞かせているのが、自分だと気づいていた。


ーーーーー


拠点に戻る頃には、

空はすっかり夕色に染まっていた。


獲物は大量だ。


ルゥは黙ったまま、

俺の歩調に合わせて付いてくる。


無理はさせられない。


焚き火を起こし、

毛皮を敷く。


「……座れ」


音だけで言う。


ルゥは素直に従い、

小さく膝を抱えた。


掴まれた痕。

爪が食い込んだ跡。

皮膚が赤く腫れている。


見た瞬間、

胸の奥が、ひどく嫌な音を立てた。


俺は乾かしておいた薬草を取り出す。


……貴重なやつだ。


本当なら、

自分用に取っておくべきもの。


だが――

迷わなかった。


葉を噛み潰し、

唾液で湿らせる。


独特の苦味と、

鼻に抜ける匂い。


「……我慢しろ」


そう言って、

ルゥの腕に押し当てた。


「うぴぃ!?」


甲高い声。


確認するまでもなく、

効いてる。


「……ほら、すぐ治る」


意味は通じなくても、

声の調子で察したのか、

ルゥは口をへの字にして耐えた。


手当を終え、

布代わりの繊維を巻く。


「……これで、いい」


俺がそう言った瞬間だった。


ルゥが、

じっと俺の腕を見ている。


さっきの戦いで、

防具の隙間から裂けた傷。


血は止まっているが、

赤黒く残っている。


「……?」


次の瞬間。


ぺろ。


湿った感触。


「……っ!?」


思わず声が出た。


ルゥが――

俺の腕の傷を、舐めている。


ゆっくり。

何度も。


まるで、

自分がされたことを

そのまま返すみたいに。


「……やめ――」


言いかけて、止まった。


野生の仕草だ。


怪我をした仲間を、

舐めて、清めて、

繋ぎ止める。


本能の行為。


理屈じゃない。


俺は、

腕を引くことができなかった。


温かい舌。

生きている感触。


それが、

ひどく――胸にきた。


……あぁ。


だめだ。


俺は、

はっきりと理解してしまった。


ルゥが攫われたとき、

感じたあの恐怖。


あれは、

「死」が怖かったんじゃない。


「失う」ことが、

怖かったんだ。


この温もりを、

知ってしまったからだ……。


夜に、

隣にいた体温。


呼べば来る距離。


触れれば、

返ってくる反応。


それを――

失うかもしれないと思った瞬間。


頭が、

真っ白になった。


(……だめだ……)


俺は、

まだ自分のことすら分からない。


記憶もない。

帰る場所も、あるかどうか分からない。


そんな俺が、

このまま森で、

ルゥと生きる?


――壊れる。


いつか必ず。


だから――


(……早く、戻さないと……)


元の場所へ。


ルゥが、

本来いるべき場所へ。


これ以上、

この温もりを

“当たり前”にしてしまう前に。


ルゥは舐め終わると、

満足したように鼻を鳴らし、

俺の腕から離れた。


何も知らない顔で。


俺は、

焚き火を見つめたまま、

拳を、強く握った。


温もりは――

救いでもあり、

毒でもある。


それを知ってしまった夜だった。

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